こころのありどころ1
和食屋さんの落ち着いた掘り炬燵の個室は、リタさんにも一子ちゃんにも好評だった。
滞在時間は双子ちゃん達のご機嫌次第かな、と思ったのでコース料理じゃなく、単品注文にしたんだけど、二人は意外にも大人しくお利口さんで食事も最後まで楽しませてくれた。
リタさんが大人しくしないと連れて行かないよ、と散々言い聞かせておいてくれたらしい。私自身は二人に会いたかったので、連れて来て貰えて嬉しいけど、面倒見るお母さんは大変だよね。
時間は夜の八時を過ぎたところで、他の部屋からも盛り上がったお客さんの声が漏れ聞こえてきた。
引き合わせた最初こそ、二人とも少し緊張したようだけど、リタさんはさすがの客商売。そして一子ちゃんも生来の人懐っこさで、三十分も経つ頃には、ドラゴンの番あるある話で盛り上がっていた。
リタさんとの会話を横から聞いて初めて知ったけれど、一子ちゃんも一子でちゃんで普段あちらにいる時は、アルさんが離してくれず、ほぼ引き隠り生活らしい。ドラゴン世界について聞きたい事は山程あったみたいで、リタさんに矢継ぎ早に質問を重ねていた。
……そりゃそうだよね。向こうには知り合いなんていないし、健診もお産もこっちだけど、生活自体は向こうになるということなので不安しかないだろう。実際日常生活の買い物やら食糧やらどうするんだろう、って感じだ。……いや、逆にアルさんが一子ちゃんが動けないのを良いことに一から百までお世話しそう……こわっ軟禁される未来しか見えないんだけど。
お節介かなぁ、とちょっと心配していたんだけどリタさんを紹介して良かった。
そうしてお腹も十分に膨らんだところで、私と一子ちゃんはデザート。甘い物があまり好きではないらしいリタさんは熱いお茶で〆る。と、正面に座っていたリタさんがおもむろに爆弾を投げてきた。
「で、タチバナちゃんはガザ様といつ夫婦になるの」
「……っ」
デザートのわらび餅のきなこが気管に入ってしまい、思い切り咳き込んでしまう。
「きたなーい」
「きたなーい」
ごめんね! でも苦情はぜひお母様にお願い、イトちゃんレギ君!
私が暇潰しになるかもと持参した愚弟のゲーム機で遊んでいた二人ーー天使みたいなドラゴン、レギ君とイトちゃん(羽根ナシ)にそう突っ込まれて、慌てて口元をお手拭きで覆う。
涙目になって滲んだ視界では、タチバナちゃん!? と、リタさんがあたふたしていた。
「大丈夫かい!? 病院! 今すぐ運ぶから!」
リタさんの勢いに一子ちゃんが目を丸くして、前のめりになった体を押さえ込む。
「リタさん!? た、多分まりもさん、咳き込んだだけだと思うんで大丈夫だと思います、ね!?」
一子ちゃんがそう言って私に確認してくれたので、私は口を押えながらもこくこく頷く。同時に差し出してくれたお水を有難く受け取り、喉を落ち着かせた。
ぅあー……、喉と鼻が痛い。
「一子ちゃんの言う通り、咳き込んだくらいで死なないから大丈夫です」
まだツンと傷む鼻をつまみながらそう答えれば、リタさんはようやくほっとしたようにお尻を元の位置へと戻してくれた。いつも綺麗に上がった切れ長の瞳は、今は心配そうに下がっている。
……相変わらずの最弱動物認定である。いくらなんでもこのトシで噎せたくらいで死なないですから……。
ちなみにリタさん曰く、一子ちゃんに至っては妊娠中ということで、触れるのもちょっと躊躇うレベルらしい。さすがの母性スキルで一子ちゃんが一瞬で手懐けたい双子ちゃんも、彼女に触れる時はやや緊張気味だ。
……なんだかその分私に遠慮がなくなった気がするけど……会って早々お腹に頭突きを食らったことを思い出しながら、机の下でそっとお腹を擦った。申し訳なさそうなリタさんと目が合う。
「驚かせて悪かったわね。向こうでもガザ様の番が見つかったって噂に聞いていたから……まさかタチバナちゃんだなんて夢にも思わなかったけど」
「……あーでも、私も聞きたいなぁ。ガザ様とはどうなんですか?」
「なんもないの一子ちゃんが一番知ってるよね!? 回数で言えば、私百回以上お付き合い全般お断りしてるんだけど」
くわっと詰め寄れば、一子ちゃんはえへへ、と可愛く笑う。その代わりでもないだろうけど、答えたのはリタさんだ。
「あらそうなの。ガザ様振られちゃうのねぇ……人間相手の時はそうなることもあるって聞いてたけど」
うまくいかないものね、とどこか同情めいた声音に、なんとなく罪悪感を覚えて視線を逸らしてしまう。
……まぁ仕方ない。
リタさんはドラゴンだし、いわゆる番である旦那様もいるし、番に拒否されるガザ様の気持ちの方に寄り添ってしまうのかもしれない。
すると、わらび餅の最後の一口をゆっくり味わっていた一子ちゃんが口許を押さえて、くぐもった声で反論した。
「でもリタさん。まりもさんってガザ様との出会いが最悪だったんですよ! 受け入れられないのも分かるくらい。怒鳴られて脅された挙げ句、目の前にあった……ほら、ゲートのガラスを結界ごと割ッたんですよ! それで怪我させられそうになって、過呼吸になるほど怖がらせたんです!」
おそらく私がちょっと罪悪感を覚えたことに、気付いてくれたのだろう。
一子ちゃんの優しいフォローに、涙が出そうだ。ヤバいここにも天使がいた。めっちゃ良い子……! なんであんなヤンデレと結婚しちゃったんだ……。
ホロリと感動したのも束の間、前から冷たいオーラのようなものが流れてきて、ん? と顔を上げる。
うっかり叫びそうになってしまったのは、リタさんが鬼の形相で湯のみを握りしめていたからである。その素焼きの表面にぴしっとヒビが入ったのを私は見逃さなかった。
「え、わっ、リタさん!?」
冷気の発生源はもちろんリタさんだ。狭い個室だからみるみる部屋の温度が下がっていく。
「なんてこと」
カオの造作が美しい分、真顔できりりと眉を吊り上げ青筋を立てられると恐ろしく怖い。迫力満点のその表情にどこかで見た、と一瞬迷ってテオさんを思い出した。
うわぁ、似てない姉弟の血の繋がりをこんなところで確認してしまった。
「ガザ様は気性が激しいとは聞いていたけど、番に対して……ううん、こんなタチバナちゃんみたいな小動物に暴力を振るうような奴だったの……!?」
「いや、実際に暴力を振るわれた訳じゃ」
「でも怪我した可能性もあるってことなのよね!? ……そんな奴がタチバナちゃんの番だなんて認められないわ! テオにも伝えておかないと」
苛々とした爪を噛むリタさんの髪はうねうねとうねって、双子ちゃん達は楽しそうにそれにジャレている。物騒すぎる遊び道具だ、とか言ってる場合じゃなくて。
「あー……! っと、テオさん心配症じゃないですか! それに変な騒ぎ起こしちゃったら出世とかに響くかもしれないし! その辺はちゃんと私の口から言いますから、内緒にしておいてもらえると嬉しいなーって」
テオさんの耳に入ったら確実に大事になる。テオさんは長い休暇が終わった後も、ちょこちょこゲートに私の顔を見に来ては、受付越しに不機嫌なガザ様と嫌味の応酬をしているのである。
こんなことを聞かれてしまったら、ますます揉めて受付が滞る。……いや、テオさんの過保護ぶりから察するにガチンコで勝負を挑んでいきそうだ。
お前なんかにタチバナはやれん! とか言い出しそう……。見た目年齢はさほど代わりはないのに、私は完全に娘扱いされているのだ。しかもそれを日頃のストレス発散として嬉々として受けるガザ様の姿まで思い浮かぶし……。
受付の備品とか怪獣大戦争の物損って、保険きくのかな……。
双子ちゃんまでも、羽を出して「たたかう? たたかう?」とやる気十分だ。だけど戦わないから羽はしまっておきなさいっ。
リタさんも向こうの世界で散々テオさんの過保護っぷりを見ていたからだろう。難しい顔をして唸った後、私ではなく一子ちゃんに「本当にもう大丈夫なの?」と、確認してきた。
おおぅ、信用がない。
「そうですね。ほら、受付のあの結界のガラス越しだったんでガザ様初対面で、分かんなかったみたいです。それに、今はもうガザ様はまりもさんにめちゃくちゃ優しいですし、完全にまりもさんが主導権握ってますから!
まりもさんが行方不明だった時も一睡もせず探し回ってたし。ガザ様、すごくまりもさんのことは大事にしてるんですよ」
空気を読んだ一子ちゃんがそう説明すると、ふぅん、と頷いた後、リタさんは細い目でわたしを見た。
「……ホント?」
「え、あー……まぁ、はい」
すごい目力だけど、真実なのでしっかりと頷く。
確かにわたしは今、ガザ様にものすごく大事にされている。
多分、今なら最初に会った時のように凄まれても怖いとは思わない。
「でも怖かったでしょう。番にそんな目に合わされるなんて。そのカコキュウって言うのは良く分からないけど、よっぽどショックだったのね」
溜息をつき一区切りついたリタさんは一人ごちるようにそう漏らした。
ショック……? とはちょっと違うんだけど。と、引っ掛かりを覚えてリタさんに首を傾げて見せた。
「あら? ドラゴン程じゃないけど人間の方も漠然と番だって事は感じるんでしょう? だからこそショックを受けたんじゃないの?」
「え……? ええ、人間側も番云々って分かるんですか? 一子ちゃんは知ってた?」
驚愕の事実に思わず一子ちゃんににじり寄る。
漠然と分かるってなんだ。私のガザ様に対する第一印象なんて『うわぁなんかガラ悪いの来ちゃったなー』だ。運命なんて欠片も感じてないし、一緒にいて緊張はしなくなったけれど、落ち着くとか、それを通り越して空気みたいな自然な感じでもない。何度も言うけど私の好みは優しい気遣いの出来る人なのである!
「あーそれあたしも前に聞いた事あります。だけどまぁ、一緒にいて楽しいなぁとかほっとするなぁとか、それってでも普通の人間の恋人同士だって感じる事ですよね?」
ド正論だ。むしろ何も感じない人とか、まず付き合わないし。
一子ちゃんは、んー、っと難しい顔をしてから肩を竦めた。
「実際あたしも良く分かんないんです。あたし面喰いなんでアルの顔が好み過ぎて一目惚れだったし」
「そうなの!? 絆された、って前言ってなかったっけ?」
「あーだって、一目惚れしたって言っても、いきなり結婚とかって話になったらさすがに即決とはいかないでしょう? 絆されたっていうのはその後の展開の早さについてです」
「……ああ、なるほど」
それもそうだ。一般的な常識から言えば、最初はお付き合いからである。いきなり結婚なんてよっぽど何かないと思いきれないだろう。
だけど一子ちゃん一目惚れなのかぁ。でも確かにアルさん見た目だけなら綺麗な顔してるのだ。中身は救いようのないヤンデレだけど。
「あ、という事はまりもさんが過呼吸になったのって、番に攻撃されてトラウマになるくらいショックだったからって事ですか? ……ええっとなんだっけ? フラッシュバックしたって事なのかな。まりもさん、あれ以前に過呼吸って、起こした事あります?」
「いや、無いです。だからあの時すごくびっくりして」
「……うーん。じゃあ可能性としてはアリですかね。番ってもう出逢って数秒で口説いて来ますから、普通あんな風に脅されたりしないですもん。だからまりもさんの中の番センサーが過剰に反作用したとか?」
「いやいや! なにその番センサーって! そんなの無いからね! 最初に見た瞬間からなんかガラ悪いの来たなーって思ったし、一目惚れの真逆だから! 反応したとしたら恐怖しかないし!」
「……恐怖しかなかったのかい? ヤッパリ私が軽くシメて」
「!? いや、だいじょうです! 今のは言葉の綾です!」
突然話に入ってきたリタさんに、慌ててフォローする。ああ、なんか頭がややこしくなってきた! なんで、私がガザ様庇わなきゃいけないんだ。
「まぁまぁ、リタさん。今は本当に問題ないですって。――でもまりもさん、あたしもこっそり興味あります。まりもさん面倒見いいし優しいから、あれだけアプローチされてたらそろそろ絆されてきたんじゃないかなーって思って」
「優しくないですって。超塩対応なの一子ちゃんも見てるでしょ!」
この会話何回するんだ、と鼻に皺を寄せると一子ちゃんは、くすりと口元に拳を置いてやっぱり可愛く笑った。
「そういうところが優しいんですよ。真面目って言うのかなー。適当に相手してあげた方が楽な時……んーと、言葉は悪いけど丸く納まるときだってあるじゃないですか。でもまりもさん、絶対ガザ様に頼らないし、譲らないし」
意外な言葉に私は押し黙ってしまう。年下の女の子に見透かされるのは結構恥ずかしい。優しい、というより、融通の利かない性格だっていうのは昔から自覚している。
元彼からも可愛げがない、とか、友達からも真面目すぎて疲れない? と心配されたこともある。
だけど私はガザ様と夫婦になるつもりはない。結婚なんてまだまだ考えられないし、それがドラゴンっていうなら尚更だし、その状態で期待を持たせるような事をするのは嫌だ。
……っていうかさ。お母さんになんて言って紹介するの。こちらガザ様でドラゴンですーって? 正気を疑われるくらいならまだしもただでさえ一度倒れているのにその場で卒倒されたら困る。
「……」
でも確かに、なんだかだんだんガザ様がそばにいることに慣れつつあるもんなー……。ちょっと距離感に気をつけねば。




