ドラゴン頭の上司
「ドラゴンゲート…?」
「はい略してDG03ルートとも呼ばれていますし。あなたの名札も明日ご用意致しますが、そう記載されます」
あくまで真面目な五條さんの顔と、机に置かれた履歴書を交互に見つめる。
ドラゴン、
ドラゴンって、ファンタジー小説やら漫画に出てくるあのドラゴンだよね?
「……テーマパークのアトラクションの受付か何かですか?」
おかしいな。確か旅行会社だったはずだけど。
「いいえ、本物です。橘さんには異種族であるドラゴンがこちらの世界の――日本に来る際に通る関所、こちらでは扉というのですが。そちらの受付業務をお願いしたいのです」
沈黙が部屋を支配した。
当然だろう。言葉が出ない。
……やばいやばいやばい。
目についた求人に片っ端から履歴書を送っていたとはいえ、なんで会社名くらいちゃんと調べなかったんだろう!? せめてグ○っとけばヤバい会社だって気付けたかもしれないのに!
ちょ、誰か本当に助けて欲しい。
さすがにこんな事、真顔で言う面接官がいる会社に就職とか怖すぎる!
「あのすみません! 私ちょっと急に体調が! 改めて連絡致します!」
とりあえずここから脱出するのが先だ。
鞄を引っ掴みタイルカーテンが浮くくらい、ぐっと足を踏み込み扉に向かってダッシュする。
もう履歴書とか個人情報とか、そういうの後回しだ。何か言われたら、愚弟の事でお世話になった弁護士さんに相談しよう! ずるずるここにいたら私の常識が死滅する。
ファンタジーごっこは私以外の誰かでお願いします!
多分、全力疾走した事なんて学生の時以来だ。五条さんの隣を走り抜けドアのノブに手を掛けた。やった、と思ったその次の瞬間、ノブが回らず絶望した。
まさかのカードキーだった?
雑居ビルの一室だし、よくある玄関だったのに。
内側にあるはずの解除ボタンを探すけれど、左右どちらも無い。そもそもこの部屋に入って来た時だって、カード挿入機らしき機械は無かった。もしかして今時のドアの取っ手にカードくっつけるタイプのヤツ? いやだから内側までその仕様なんて見たことないってば!
「それほど走れるなら体調は大丈夫ですよね」
「ひっ」
真後ろから声が掛かって思わず悲鳴を上げてしまう。いつの間にか――私のすぐ後ろに五條さんが立っていた。ガラスからの光で逆光になり、長い影がすっぽりと私の身体を覆った。
――追い詰められた……まさにそんな感じで。
「とりあえず、こちらへどうぞ」
「え、……あ、うわっ、やだ! 無理! すみません! 採用、せっかく採用頂いたんですが……っお断りさせて頂きます!」
「今更そのような事仰られても困ります」
いえ、私も現在進行形で困っています……!
「ほら、時間を取らせないでください。さっさと行きますよ」
頑なな私に五條さんは無表情ながらも苛立っているのか、少々言葉遣いが雑になってきた。
ぐい、と腕を掴まれてわたしはノブにしがみつく。
「わ、私、ここから動きませんから!」
命綱とばかりにがしっとノブを掴むと五条さんは、これ見よがしに溜息をついた。
こ、怖い、けど、このままここにいたら駄目だ。布団とかツボとか買わされたら常識人の姉としての沽券が――!
「ほら、離しなさい」
「絶対離しません!」
その場に座り込んで抗議する。もうコイツ面倒くさいな、とか思って諦めて放り出して!
五條さんは睨みつける私を静かに見下ろした。そしておもむろにノブを握っている私の両手に手を添え傾けた。
ミシっと小さく音が鳴る。そして次の瞬間には、私の両手はすとん、と膝の上に落ちていた。――ノブごと。
根元から折った――――!
「な、……え、ええー!?」
ノブって金属だから! 釘が緩んでたとかじゃない。もう金属部分が溶けたみたいにねじ切れている。
どんな怪力なの!? と振り向いて絶句した。
五條さんの顔、が――様変わりしていた。鈍く光る鱗の肌に伸びた鼻先と大きな牙、瞳孔は縦に伸びて紫色だった。爬虫類、近いところでトカゲの様な、違う、どこか見たことある……。
握っていたノブが床に落ち、鈍い音と震動が足に伝った。
――ドラゴン、だ。
そう、アレそのもの。ファンタジー映画とか漫画でよく出てきたそのまんま。
――そういえばさっき、ドラゴンゲートの受付って言ってた、ような。
「失礼しました。私は元々力が弱いので人間の姿を取ったままですと、それほど力は出ないのです」
五條さんの声がそのドラゴンからして、身体はあのスーツのままだ。涼しそうな色合いのネクタイは見覚えがありすぎる。
「ご、じょうさん、ですか……?」
そう尋ねると、一瞬で五条さんの顔が変わる。ドラゴンの頭から人間へと。
「本当なら変体した全身を見て貰うのがいいのですが、ここでは手狭ですし、スーツが破けてしまいますから、これで了承して頂けませんか」
また顔が変わり、あの恐竜みたいな顔になる。目の前に差し出された手も変形してて鱗に包まれていた。長い爪は鋭く尖り戦闘力10,000とかありそうな凶悪さである。
「っ………っ」
もはや驚きすぎて声も出ない。
瞬きもしなかった一瞬で変わったのだ。被り物の類じゃない。頬や頭部分にある鱗は一つ一つ銀色に輝いていて、よくよく見れば、その辺にいる爬虫類そのものって顔じゃない。もっと縦に長くて何より、瞳が違う。ちゃんと意志をもっている、というか、知性というのか、そういうものがある。
「……」
あー……マジっすか、ね。
そう呟いたら、ぴっと心のリミッターがはじけ飛んだ。あとは無。何も考えられない。
神様、私あなたに何かしましたか。
前会社とのトラブルといい、愚弟の借金といい……そして最後はこれですか。異文化ならぬ異種族異世界交流ですか。こういうのは夢見る十代の特権じゃないんですか。ぜひ熨斗と弟つけて譲りますが。
もう恐怖感は振り切って、こんな状況に陥ってしまう自分の不幸さ具合に呆れを通り越した。あはははは、と笑い声が勝手に零れていた。
あ、五條さんがヤバい人を見る目で私を見ている。いやむしろその役私なんですけどね!
乾いた笑いを飲み込んで、改めてドラゴン頭の五條さんを観察した。
――後から思えば、多分色々ありすぎて、思考回路が壊れたのだと思う。ほらよく言うじゃない。少しずつ溜まってたいったものがコップから溢れ出た、みたいな。昔流行った頭パカーン。多分それだ。
一言で言えば自暴自棄、もうどうにでもしてくれ、という感じで。
後はもう就活に疲れて見てる白昼夢かもなぁ、なんて頭の隅っこで思った。
そんな感じで、私は叫ぶことなく、目の前のスーツを着たドラゴン頭を受け入れた。というか、よく考えずに受け流した。
……後でものすごく後悔するコトなんて知る由もなく、だ。
「少し、触ってもいいですか」
それでも少しでも現実味が欲しくてそう申し出た私の言葉に、五條さんは意外そうに目を瞬かせて瞳孔を縦に細くさせた。そして、少し口を開けたその角度が笑っている……っぽい。
ちらっと見える歯が死ぬほど怖いので、是非口は閉じて欲しいのですが。
「どうぞ」とワンコがお手をするみたいに丸めて目の前に差し出してくれた。
あらかじめ捲っていたらしい袖の下の固い鱗で覆われた腕部分を、最初は指先で触れてから、次は普通に触れる。
ひんやりしていて固い。身近な魚の鱗よりかなり固い感じだ。
「気持ち悪くはありませんか」
「あー……大丈夫みたいです」
多分一般の女の子よりはトカゲや爬虫類の類は、毒さえなければ苦手ではない。むしろ虫の方が苦手で、蝶とか蜂もあまり好きではない。あの、なんていうか節っぽい足とか裏側のごちゃっとした所が苦手なのだ。
もちろん爬虫類だって好きか、と聞かれれば『普通』としか答えようはないんだけど。
……というか爬虫類と同じ扱いなんて! って感じよね。うっかり口を滑らせないように気をつけよう。
あ、でも五條さん、苦手だと思う人もいることは分かっているんだ。
でも、自分で言うのはきっと嫌だっただろう。『みたい』じゃなくてちゃんと大丈夫、って言えば良かった。