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複雑な感情

短いです;

 五條さんに案内されたのは、初日面接で使った隣の部屋だった。

 ……こっちってゲートのこっち(人間界)側じゃないの。

 そう思ったことが顔に出ていたらしく、五條さんは私の顔をちらりと見た。


「大丈夫です。ガザ様は拘束されていますし、今とても弱っていますから」


 ――この数日でなにがあったのだろう。聞きたいような聞きたくないような複雑な気持ちになる。


 五條さんは呼び鈴も鳴らさずに玄関のロックを解除した。扉を大きく開いて私を先に通す。


 すぐ目の前には前と同じダンススタジオのような広いスペース。だけど前回と違うのは、一面に引かれていたカーテンが取り払われていたことだ。

 そして建物の構造上ありえないくらい広い。おそらくオフィスや受付のある隣と同じ部屋と同じ仕組みで、途中からドラゴン世界に繋がっているのだろう。


 カーテンの向こうはあの時想像していたような巨大な鏡――ではなく、受付にあるようなガラスが一面嵌め込められていた。ただし向こう側は夜の森のように真っ暗で何も見えない。


 そして、そのちょうど真ん中にガザ様はいた。


 ドラゴン化している羽が標本のように鏡の中に縫い止められて、手足を投げだした状態でガラスに凭れかかっている。

 ガザ様が怖いという感情よりも先に、その異様な光景に足が止まった。


 項垂れているから表情は分からないけど、髪もぼさぼさで、白いTシャツのあちこちに血が滲んでいるのが遠目でも分かってしまった。


「あの……あれ、体めり込んでませんか。傷だらけだし、大丈夫なんですか」


 思わず振り返って尋ねると、五條さんは静かに扉を閉めて私の隣に立った。


「ガザ様を抑えようと思ったら、壁の近くにいて貰うのが一番効果的ですから。まりもさんの所在が分かって飛び出そうとしたので、トモルが力尽くでここに縫い付けたのです」


 確かにゲートのガラスには結界が張ってあって、近くにいるだけで力が出なくなる、っ言ってたっけ……。

 でも、一時間あそこにいただけで、あれだけ血管も浮いて顔色が悪くなっていたのに、あんな満身創痍の状態でここにいても平気なのだろうか。


「まりもちゃん」


 不意に声を掛けられて、ぎくりとする。

 少し高い声がした方向を見れば、トモル君がこちらに歩いてきていた。

 ガザ様に目を奪われていて気付かなかったけれど、どうやら最初から部屋の中にいたらしい。


「良かった。無事――でもないのかな。腕は大丈夫?」


 普段のようにふざけることはなく、眉を寄せて気遣ってくれるトモル君に、私は頷いた。


「大丈夫です。あと一週間くらいしたら取っていいって言われてるんで」

「そう。良かった。でも……ごめんね。五條、この後ちゃんと病院連れて行ってあげて」

「無論です」


 トモル君、今五條さんのこと呼び捨てにしたよね?


 明らかにいつもと上下関係が入れ替わっている二人のやりとりに驚きつつも、大丈夫ですよ、と言葉を重ねる。一度骨折した経験から言わせて貰えば骨がくっつくまで時間薬だ。もう痛くもないから、薬を貰う必要もない。

 首を振った私にトモル君はそれ以上は無理強いすることなく、そっと目を伏せた。


「……ねぇ、まりもちゃん。ガザはあそこから絶対に動けない。嫌だと思うけど、……無事だって声掛けてあげて貰えないかな」


 遠慮がちなその申し出に、言葉にできない複雑な感情が込み上げる。


 恐怖心と罪悪感がせめぎ合って――結局、勝ったのは後者だった。変に弱ってる姿を見てしまったからかもしれない。


「……あの、ガザ様、起きてるんですか」


 私達の今の会話は別に声を抑えていた訳じゃない。だから反応がないのは、寝ているからだと思ったのだ。


「寝てる、というか気を失ってるけど、まりもちゃんが近くで話せば飛び起きるよ。だから」

「どうかお願いします」


 懇願に近いトモル君の言葉に重ねるようにして、五條さんまでそう言って頭を下げてくる。

 ドラゴンはドラゴン同士、多分思うところがあるのだろう。あるいは自分を重ねているのかもしれない。


 ――ガザ様はあそこから動けない。

 反芻して、再びガザ様に視線を向ける。

 よし……いける。多分、大丈夫。


 そう自分に言い聞かせて、私はガザ様がいる方向に足を向けた。

 ガザ様まで一メートルという所で私は足を止めた。

 一度深呼吸してから、私は声を掛けた。


「ガザ様」


 呼び掛けたその瞬間、気を失っているかと思ったガザ様は勢いよく頭を上げた。

 ーーその時の表情をなんと表現すればいいのか、言葉が見つからない。 

 迷子が母親を見つけた時のような、幼気で無防備な表情に、言葉が出なくなる。


 こめかみにくっきりと浮いた血管に、顔を上げているのは辛いのかもしれないと思って、私は静かに膝をついた。ガザ様と視線の高さを同じにする。


 間近でじっと見つめられて、びくびくしてしまうけど、後ろには引かない。縦に細まる瞳孔にも、きつい視線にも――ドラゴンを思わせるものには随分慣れていることに気付く。


 そう思えば、ドラゴン世界に捨てられたことも無駄じゃない。災い転じて福となすということなのだろうか。


 どうしてこうなったのか傷だらけの身体に頬にはいくつもの擦り傷がついている。

 血に濡れた目が泣いているように見えて――否、ガザ様は、実際声もなく泣いていた。


「ガザ様」


 近付いて手を伸ばす。

 指先が頬に触れた途端ガザ様の身体が、ぴく、と震える。


「ま、リ」


 しわがれた擦れた声が私の名前を呼ぶ。


 拭った涙は温かくて、ちょっと混乱してしまう。

 何となく平温動物なイメージだったのに。

 違う、双子ちゃん達にぎゅっとされた時も、やっぱり温かかったっけ?


 同じ、生き物。

 悲しくても嬉しくても泣く、感情のある生きているもの。


 唯一のものに縋るように、私の手に何度も頬ずりするその姿は、なんだか――とても、可哀想だった。

 だけどその原因が自分だということが、ピンと来ない。


 だからだろうか。


 ただ純粋に――さっき一子ちゃんに、双子に、かつて迷子になった弟にしたように、頭を撫でて抱きしめたくなった。


 指先にガザ様の血がつく。

 どうやら頭からも出血しているらしい。


 本当に大丈夫かな、と心配になって指先と頭を交互に見つめると、ガザ様は勘違いしたらしくあからさまに怯えた顔をした。


 そして擦れた声で「――ごめん」と謝ってきたのだ。


 どうやら私の指を汚したことを申し訳ないと思ったらしい。悲しそうな顔で後ろに引いた。


 ――なんで、こんな人を怖いと思ったんだろう。


 今自分が抱いた感情は、同情なのか庇護欲なのか、優越感なのか、それとも他の何かだったのか、よく分からない。


 だけど泣き止まないガザさんが可哀想で、――そして可愛く思えてしまって、気が付けばその頭を胸の中に抱き締めていた。


「ただいま。ガザ様、心配掛けてごめんね」


 するりとそんな言葉が出る。


「マリ」

「はい」

「マリ」

「いますって」


 ぐりぐりと肩口に埋めるガザ様は何度も私の名を呼ぶ。パチンとどこか遠くで高い音が鳴って、ずるりとガザ様の身体が私へと倒れ込んでいた。


「わっ」


 慌てて支えるものの、ガザ様の身体からはすっかり力が抜けている。

 次いで規則正しく聞こえて来た寝息に、私はふっと肩の力を抜いた。


「幸せそうな顔をして寝てますね」

「まりもちゃんに膝枕してもらうなんて、ガザも幸せ者だね」


 近付いてきた二人からそんな言葉が降ってくる。だけどその声もどことなく柔らかい。

 

 確かに私に縋るようにして眠ってしまったので、体勢的に言えばトモル君の言葉通りだ。


 やつれた顔を間近に見て溜息をついた私は、仕方がないかと諦めて膝枕を提供することにしたのである。



お姉ちゃんはお姉ちゃんになると強い。

あと一話で受付事変は終了です!

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