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ヤンデレから身を守る方法

直してたら一万文字…、長いです


「目を開けても構いませんよ」


 そう言われて、おそるおそる瞼を押し上げる。視界いっぱいに五條さんの顔があり、うわっと悲鳴を上げてしまった。


「失礼ですね」

「あ、すみません……」


 そう謝りながらも、周囲を見回せば、どこかの地下室のような打ちっ放しの壁しかない。どうやら一瞬にして場所が変わったらしい。


「しゅ、瞬間移動……!」

 あっという間過ぎて、眩しさに目を閉じたその一瞬を見逃してしまった。

 うわ、すごい。ドラゴンを見た時よりもなんだか、ファンタジーっていう感じが強いのは、やっぱり実際に体験したからだろうか。


 でも出来れば一言くらいテレポートするよ、って教えて貰いたかった……!

 なんとなく手を振りつつ遠ざかる的なスタンダードなお別れを想像していたから、テオさん達との別れの挨拶もなんだか中途半端になってしまった。


「あの、五條さん、……テレポートなんて出来たんですね」


 もう魔法なのか超能力なのかよく分からないけど、ドラゴンって本当にチートだ。……いや五條さんが凄いのか?

 だってテオさんがテレポートが出来たらとっくにお城まで送ってくれていたと思うし、リタさんも五條さんのこと位の高いドラゴンって言ってたもんね。


「いえ、私にそんな力はありません。トモルの護符を借りてきたんです。まりもさんも一度見たことがある筈ですよ」


 指に挟んでいた真っ赤な紙を目の前で振られて、ようやく思い出した。

 これ、初日に暴れたガザ様のおでこに貼り付けて、強制送還させてた付箋みたいなヤツだ!


「という事はここは……」

「城です。この上にゲートがあるのですよ」

「すぐ帰れるってことですよね……! 良かったぁ……! あの、すみませんけど、すぐ家に帰っていいですか? お母さんを安心させたくて」


「ああ。それは大丈夫です。お母様には一週間研修ということで、電話越しに軽い暗示を掛けさせて頂きました」


 一瞬息が止まった。

 そして両手を組んで五條さんを見上げる。


「五條さん、神……!」


 もう崇め奉りたい。

 良かった……! 本当に良かった! 下手したら全国デビューを飾ってしまうところだった。


「……騒がれては困りますからね」


 私の勢いに五條さんはちょっと引いたらしく、若干後ろに下がりつつもそう付け足した。


「いえ、本当良かったです! ありがとうございました!」

「我々の落ち度ですから。そのくらいのフォローはさせて頂きます」


 言葉の初めにアクセント置かれて、どうやら嫌味を言われているらしい事に気付く。……意外に五條さん根に持つタイプだな……。


 だがしかし、私には強そうかつ地位も高そうなテオさんという助っ人カードがあるのだ。召喚方法は分かんないけども! 勇気は百倍である。

 へへんと胸を張る私の心を読んだように五條さんは呆れたような溜息をついた。


「あなたは本当に面倒な人を釣りましたね。……そもそも、どうしてこちら側に来ることになったのか教えて下さい。心当たりはあるのでしょう?」

「あー……っと、その、ですね」


 長い廊下を歩きながら、そう尋ねられて、返事に迷う。

 すると五條さんはちらりと視線だけで私を見た。


「アルですか」


 疑問系というよりも確信している言い方だった。とぼけてももう無駄な感じ。


「……」


 少し間を置いて、なんででしょうかねぇ? なんてへらりと笑って空気を軽くしようとしてみる。

 そのまま五條さんを見上げて――ぎょっとした。

 五條さんの瞳孔が、さっきのアリリオ君のように縦に細くなっていたからだ。


 え、なに。まさかのこんな狭い所でドラゴン化するの? 無理無理この部屋狭いよ!? 圧死しちゃうから! せめて一部に!

 ずさっと後ずさった私に、五條さんが無言で私を見やって瞼に触れた。今気付いたとでも言うように、ちょっと顔を上げ足を止める。


「失礼。私もお気に入りのものを勝手に捨てられるのも、いささか腹立たしく感じたもので」

「……お気に入り……」


 意外な言葉に心の底から驚く。

 ただ残念なことにちっともドキドキしない。だって五條さんだし。なんというかお気に入りの付箋の一枚くらいの感覚なのではないだろうか。


 五條さんが軽く深呼吸すると、目はすぐに元に戻った。

 その不思議な光景につい魅入っていた私に、五條さんは「急ぎましょう」と急かした。

 私の脇を通り、背中側にあったらしき大きな扉を開ける。

 慌てて後ろに付いていけば、扉の向こうはきちんとした壁紙が張ってある美術館のような廊下が真っ直ぐ伸びていた。


 窓がないから外を見られないのが残念だけど、調度品の豪華さとかから、やっぱりお城っぽい。


 興味のままにあちこち観察したいところだけど、……このまま帰って、アルさんと顔を合わせるのはやっぱり怖い。


 さすがに五條さんも今度は攫われる前に庇ってくれるだろうけど、ずっとびくびくしてるのも癪だし、そもそも頭の中は疑問符だらけだ。


「五條さん。あの、アルさんは、どうして私を誘拐してこっちの世界に捨てたんでしょうか」


 知りませんよ、なんて言われるかと思ったけれど、五條さんは私の不安をよそにあっさりと答えてくれた。


「基本無気力なアルが、何かをするとしたら後にも先にも番の為だけですよ」

「……源さんが」


 声に出して反芻する。

 ……私は源さんに嫌われていたということなのだろうか。

 付き合いこそ数日と短いけれど、いい子だな、って感心すること多かったから、嫌われていたかと思うと、かなり寂しい。……というか純粋に凹む。

 あー……私、何やっちゃったんだろう。確かに後輩なのに年上だし、可愛くない性格だし、愛想の欠片もないけども。


 無言になった私に、なにか思うところがあったのか、五條さんは珍しく少し考えるような間を空けた後、言葉をつけ足した。ほんの少しだけ口調も優しい。


「……源さんが命令したのではなく、アルが勝手に動いたということじゃないでしょうか。源さん自身はまりもさんのことを心から心配していましたから」


「本当ですか!」

 ばっと顔を上げ五條さんの前に回り込む。五条さんは私の左腕をちょっと嫌そうに見て「転ばないで下さいよ」と注意してきた。そして。


「ええ、自分も探しに行く、とかなり心配されていました」


 良かった……! だけど、そうならますますアルさんの行動が分からない。単純に個人的に嫌い、とか言われてもなんか納得してしまう。初対面から攻撃してきたもんな……。


「えっと……でも解決しないと、私またドラゴン世界にポイってされる感じですよね?」


「いえ、ガザ様に報告するので、その前に殺すのではないのでしょうか」


 何でもないように言われて、一瞬耳を疑う。



「……冗談ですよね……?」

 おそるおそるそう尋ねると、五條さんは「いいえ」と首を振った。

 物騒! だって仲間なんだし、……そうだ。前、源さんだって二人のことを喧嘩友達だって言ってたよね?


「仕方ありません。まりもさんが捨てられたという森は、魔物の巣窟ですよ。たまたまテオ様がいたから命があったようなものなのです。番の命が危険に晒されたのに、報復もしないなんてありえませんね」


 あの森そんなに危険だったのか……!

 初めて聞く話にぞっとしたけれど、過ぎた過去より血生臭い展開が待ってる未来の方が怖い。 


 だってアルさんが死んじゃったら、源さんはドラゴンの子供を身籠もったまま一人になっちゃうわけで。……いやいやいや、妊婦さんにそんなハードな展開求めてないから!


「と、止めて下さいよ! 五條さん」

「無理ですよ。ガザ様を止められるのはトモルくらいですが、それだって一生見張るわけにはいかない。それに……ああ、まりもさんがお願いすればいいんじゃないですか。番の命令には従いますから」


「……私が、ですか」


 会いたいか会いたくないかで言えば確実に会いたくない。怖いし暴力的だし、命が何個あっても足りないし、あげくの果てに近くに来られただけで過呼吸まで起こすし。


「あの、アルさんだって言わなかったらいいんじゃないですかね」

「それでもいいですけど、それもまりもさんが命令しない限り調べ回るでしょうね。ついでに私は聞かれたら答えますよ」


「五條さん!」

「聞きませんよ。貴方は私の番ではないのですから」


 この陰険眼鏡……!

 会いたくない。だけどアルさんも殺されたくない。だって怖い。また自分があんな風になるのが怖い。あんな――みんなの前で何も出来ずに震えているだけの自分なんて嫌なのに。


 ガザ様のあの冷たい瞳を思い出して、ぞわりと肌が粟立つ。


 二人とも黙ったまま廊下を進んで、見覚えのある扉の前で止まった。


「この扉の向こうがゲートです。ガザ様はトモルが別室で見ていますので、受付にはいませんから安心なさって下さい」


 そう言いながら五條さんは胸のポケットから取り出したカードを取っ手に翳して扉を開けた。

 まだ考えの纏まらない私は無言でついて行く。


 大きな窓の向こうに見慣れた受付の部屋が見えてきて、少しほっとした。アナウンスは流れなかったのだろう。受付に源さんの姿はない。

 ……なるほど。こう出るのか。まさか自分がゲートの向こうから来ることになるなんて想像したこともなかった。


「……」


 ああ、でもかなり気まずい……。源さんは探してたってことは、アルさんが犯人だってこと気付いてないんだよね。


 じゃあ、とりあえず源さんがいない時にアルさんに事情を聞かなきゃ……ってそれも怖い。

 とりあえず五條さんに付き添って貰って、聞いてみよう。素直に答えてくれるかは分からないけど……、でもアルさんのあの性格だと、あっさり答えてくれそうな気もする。


 そろりと窓から中を覗きこもうとしたのに、その横をすたすたを通り過ぎ、五條さんが躊躇もなくまたキーカードを翳して非常口を開けた。


 ……ちょっと待って!? 

 慌てて五條さんの背中を追う。  


 基本的にこっちから非常扉は開かないはずだ。ここまで来て閉め出されるなんで嫌すぎる! だけど心の準備をする時間を下さい!

 結局五條さんに続いて急ぎ足で中に入ることを余儀なくされ、泣きたくなった。源さんを探そうと顔を上げたところで、突然ぱんっと風船が破裂したような音が耳に飛び込んできた。


「どうしてそんな、ことっ、したの!?」


 しゃくり上げながらそう怒鳴った源さんは、こちらに背中を向けている。どうやら私達の存在に気付いていないらしい。


 ……もしかしてさっきの音は、源さんがアルさんの頬を張った音だろうか。


 間違いなくド修羅場である。

 もうタイミングが良いのか悪いのか分からない。


「手を傷めていないか?」

「っ馬鹿! そんなことはどうでもいいの! 今すぐ助けに行って! まりもさんが死んじゃったらどうするの!?」


「心配ない。戻って来た」


 アルさんがそう言って顎をしゃくって私を指したのが、源さんの肩越しに分かった。

 ばっと勢いよく振り返った源さんは、私の顔を見るなり、目を丸くする。

 そしてくしゃりと顔を歪ませた。


「……まりもさ……っ」


 駆け寄って来ようとした源さんを、アルさんが腕を掴んで止める。『危ない』と、その唇が動いたけれど、源さんは思いきり振り払って、走り出した。

 いや妊婦さんが走っちゃダメだから……! 


 慌てて私から駆け寄って、その身体を支える。

 至近距離で目が合うと、源さんの大きな瞳からぼろぼろと大きな滴が次々と溢れ出てきた。 


 わぁあ、泣いてる!?

 焦る! なんでハンカチ持ってないかな私!


「まりもさん……! 腕……!」


 そして嫌なタイミングで気付いたらしく、源さんは吊られた私の左腕を見て、絶句した。

 みるみる顔色が無くなっていくのが分かって、ますます焦ってしまう。


「向こうで話しましょう!」


 今にも倒れてしまいそうな源さんに、私は慌ててソファを指さした。

 しゃくり上げながらもこくりと頷いてくれたことにほっとして、後ろを振り返る。


「五條さんは、アルさんをお願いします!」


 おそらく彼がいると落ち着いて話が出来ないだろう。

 私の言葉に五條さんが口を開くよりも先に、アルさんが「嫌だ」と拒否した。この駄々っ子め!


「そこをなんとか…!」

「どうしてまりもさんがお願いしてるんですか……」


 呆れたような五條さんの声が掛かって、はっと我に返る。

 そうだ、私とアルさんは被害者と加害者である。

 立場逆じゃん! でもアルさん苦手なんだよ。最初に殺人ビーム喰らったせいもあるだろうけど、なんだかあの何考えてんのか分からない無表情が苦手なのだ。


 けれど源さんも五條さんと同じことを思ってくれたらしく、ぐいっと涙を拭うと、アルさんの方を見ることもなく、固い声で言い放った。


「アル。家に戻ってて」


 その言葉の効果は覿面で――、アルさんの身体がぴたりと止まる。


 そして悔しそうな悲しそうな複雑な表情をした後、私達の脇を通り抜けて、意外なほど素直に非常扉を開けて出て行った。


 ようやくほっとして私はソファへと源さんを誘導する。そう、あのとてもじゃないけど座れないと言っていた真っ白なソファだけど、今はそんなこと言ってられない。


 一緒に並んでソファに座る。次いで五條さんもその真向いに腰を下ろした。

 本当は二人きりの方が話しやすいから出て行って欲しいけど、迎えに来て貰った手前、強くは言えない。

 源さんは一度深呼吸し、お腹を撫でてからぽつりと話し出した。


「まりもさん、ごめんなさい……。あたしの、せいなんです」

「源さんの?」


 確かに五條さんもそう言っていたけど、ここに入ってくる前の二人の会話を聞いて内容から察するに、アルさんが独断で動いたのは間違いないと思う。


「あたし、心のどっかで、仕事が出来る橘さんのこと嫉妬してて……っ、あたし、なにも出来ないくせに」

「……え?」


 仕事が出来る……?

 前の職場ならともかく、ここでなにか嫉妬されるようなことをした覚えはない。


 いやむしろ騒いで面倒なお客さん(ガザ様)を押し付けて、あげくの果てに過呼吸起こして迷惑を掛け……うわ、自分で思ってたよりもロクでもないな!

 落ち込みかけて、「すみません」と謝れば、源さんは「どうして謝るんですかぁ」とますます目を潤ませた。


「橘さん、データの入力早いし、仕事覚えるのも早いし、もうあたしなんていらないくらいで。しかも英語だって話せるし……、あたし二年もここで働いてるのに、全然教えられるようなこともなくて……、それで多分、自分でも知らない間に落ち込んでたんです」


 源さんの言葉にびっくりする。

 データ入力が早いのは、前職で毎日使っていたからだし、仕事の覚えは多分、これまでの経験上要領のいい方法を知っているだけだ。そして英語は――私レベルを話せると思われるのは恥ずかしい。


「……本当は、あたしがアルに、ちゃんとそういう人間の小さな嫉妬とか複雑な感情を説明しなきゃいけなかったんです。今落ち込んでるけど、だけど実際に危害を加えたい訳じゃないって。……ドラゴンは好きか嫌いか、みたいな極端なところがあって、アルは極端にそういう感情に疎いから。だけどそんなみっともない自分を曝け出すのが恥ずかしくて、……ずっと『なんでもない』って言い続けたから」


 ……なるほど読めてきた。

 それでアルさんが、諸悪の権化である私を排除したんだ。


 ……確かに私は無神経だったかもしれない。

 源さんは、先輩だって言っても五つは確実に年下なのに。特殊環境だからって自分の事ばっかりで最低限の気遣いも出来てなかった。つまりものすごい年下の子に甘えきってた訳で。

 ……それはかなり恥ずかしい。

 今更ながら過去の自分を振り返って、あー!! ってなる。


 だけど――やっぱり、ドラゴンの盲目っぷりも怖い、と思う訳で。  

 ちょっとした嫉妬なんて人間なら誰でもするもので、源さんの言う通り、それを敢えて口になんて普通したくないし、やりたくない。

 ちょっと違うけど私だって、口には出さなかったけれど源さんのことをずっと凄いと思っていた。


「……」

 ああ、それが悪かったんだな、とようやく気付いて私は口を開いた。


「源さん。私、子供苦手なんですよ」


 源さんは顔を上げて少し不思議そうに私を見た。少し笑ってから私は言葉を続ける。


「でも源さんは、すごく相手するの上手くて、最初に会った日にすごく感心したんです。すごいなって」


「……子供の相手なんて、誰でも出来ますよ」


 そう言って源さんは自嘲気味に笑う。


「それこそデータ入力の方が、数こなせば誰でも早くなります。私、源さんよりはるかに年上なんですから」

「でも」


「それに最初に会った時に、一緒にいても明るいのに優しい雰囲気を持ってる人だなぁ、って思って、私こんな特殊な職場なのに、すごくほっとしたんです。いい人で良かったな、って」


 源さんの目が不安そうに揺れている。信用したいけど、本当なのか疑ってしまうーーそんな目だ。


「そういうの多分お客さんにも伝わっていると思うんです。前に、源さんが途中で抜けた時、あからさまに『いつもの女の子じゃないの?』ってがっかりされましたもん」


 ……本当ですか、と聞かれてしっかり頷けば、源さんは、すん、と鼻を啜って顔を上げた。


「……お互い無い物ねだりってことですか?」

 泣き笑いのような困った表情で源さんがそう言う。

 本当にそうですね、と頷いて、私は五條さんに視線を向けた。


「あの、五條さん。前から思ってたんですけど、受付って二人でもよくないですか?」

 静かに私と源さんの会話を聞いていた五條さんが、顔を上げた。そして言葉の真意を探るように私をじっと見つめながら「特に定員は決まっていません」と頷いた。


「ですよね! 前から思ってたんですけど……源さん、産休と育休明けたらゲート(ここ)にまた戻ってきませんか」

「え?」


 突然の申し出に源さんは目を丸くする。

 戸惑っているのは分かるけれど、私は勢いのまま一気に言い放った。


「今回の事で学びました。アルさんと二人きりじゃ心配です。ここで二人で受付しませんか? 前から思ってたんですけど、源さん本当はここの仕事辞めたくないでしょう?」

「え、……」


 なんとなく初日にここの仕事を説明して貰った時に覚えた違和感。

 あの時も、アルさんの希望で退職早まるかも、って言ってたけど、その時の源さんが、なんだか名残惜しそうで、気になっていたのだ。


 ……私だって職場が気に入っているなら結婚しても辞めたくないんじゃないかな、って思う。

 アルさんのあの様子なら、きっと辞めたら赤ちゃんを産むまで、家に籠りっきりになるんじゃないだろうか。

 ずっと家にいるのが好きな人だったらいいのかもしれないけど、そうじゃなかったら見知らぬ土地で二人きりなんて、私なら正直息が詰まってしまう。


 しかも子育てしながら、とか。……もしかしてご近所さんに親切な――例えばリタさんみたいなドラゴンがいればいいけど、アルさんの初日の私に対するヤキモチ焼きぶりから察するに、そんなに仲良く出来ないんじゃないかな、って思うんだよね。


 子供抱えてアルさん以外、話し相手もいないって……産後鬱になりそう……。


 後はまぁ……可能性は限りなくゼロに近いかもしれないけれど、私なら別れた時の生活の保障とか考えると、働ける場所は確保しておきたいと思うし。


「私もしばらくは働くつもりだし、源さんも言ってた通り条件的には最高の職場ですしね。アルさんが駄々を捏ねたら、今回の事許す条件にしたらどうですか」

「え、でも……」


 ようやく理解出来てきたらしい。

 驚きにすっかり泣き止んだ源さんが、戸惑ったまま五條さんを見た。視線を受けた五條さんも今度はしっかりと頷く。


「アルを説得させられるのなら私は構いませんよ。そもそも一人ですと、休んだ時には私がここにいなければなりませんし、二人体制ならばそういったこともなくなるでしょうから助かります。ご存知の通り、ここは求人を出しても数年単位で見つかりませんから」


 ……五條さんが私に付いてくれた時に、自分の手持ちの仕事をここまで持ち込んでいたから、きっと人手不足なんだろうな、とは思っていた。


 産休と育休は、ほぼ勝手に言っちゃったことだけど、そもそも求人しても滅多に来ないって言ってたし、私にもあまり早く辞めないで欲しいみたいなことを言うくらいだから、受付に二人いても問題はないと思ったんだけど……ほっとした。


 五條さんの話を聞いていた源さんは、しばらくして顔を上げ私を見た。


 せっかく泣き止んだのに、また盛り上がった涙に困ってしまう。


「ま、まりもさん、は、やっぱり凄いです。どうして気付いちゃうんですか……っ」

「迷惑だった……?」


 責めるようにそう言われて、今更弱気になってしまう。そう尋ねた私に源さんは静かに首を振った。


「迷惑じゃないです、あたし、まりもさんの、言う通り辞めたくなかったんです……っ、そうじゃなくて、どうして気が付いちゃうんですか。あたし、ちゃんと長い間働けたのここが初めてで、ここに来るお客さんも好きだし、でも妊娠しちゃったし、家にいるもんだって言われたら、そうなのかな、って。みんなそうしてきたって言われたら何も言えなくて……」


「源さん……」


 背中を撫でながら、ものすごく嫌なことを思いついてしまった。

 ……アルさん、だから妊娠させたとかじゃないよね……? うっわ……ありえそう……ヤンデレ思考ヤバいな。

 これはマズい。だってこのまま結婚して出産したら、源さん、軟禁一直線じゃない?


「やっぱり産休と育休にして戻ってきて下さい!」


 なんか今更ながらアルさんに腹が立ってきた……!


「そうだ! この際私も一子ちゃんって呼びます。最初に聞いた時から可愛い名前だと思ってたんですよね。アルさん嫌がるって言ってたけど、我慢させておけばいいと思います」


 ……ちょっと怖いけれど、私にはテオさんが付いているし、多分五條さんも味方してくれると思う。

 そう捲し立てた私に一子ちゃんは、目を瞬いてからふっと笑った。


「なんか、……まりもさん、この数日で強くなりましたね」


 強くなった、っていうか、ヤンデレによる犯罪を見逃せないだけなんだけどね!

 あとまぁ強いカードを手に入れて、虎の威を借りる狐状態なだけなんだけど。


 なんとなく染みついた癖で、双子にしたように、ついつい頭を撫でてしまう。ちょっとびっくりした顔をした一子ちゃんは、少し照れたようにはにかんで、お腹を庇ったのかふわりと抱きついてきた。


「あたし一人っ子なんで、お姉さん欲しかったんです」


 可愛い。前も思ったけど私も弟じゃなくて妹が欲しかった。


 その後――たくさん泣いたら気持ちも落ち着いたらしく、仕事が終わったらアルさんとちゃんと話し合いをするという。


「まりもさん、本当にごめんなさい。腕も……謝って済むことじゃないんですけど、アルにもちゃんと謝らせます」

「あ、これ、アルさんに攫われた時の怪我じゃなくて別件なんで気にしないで下さい」

「……そうなんですか?」


 意外な所から飛んできた確認の声。あれ、そういえば五條さんにも説明してなかったっけ?


「そうなんです。ちょっと向こうで知らないお兄さんに腕を掴まれて、振り払った時に転んでぶつけちゃって、ぽきん、って。あ、落とし前とかいいですからね。お兄さん私より大分重体でしたし」


 しかもものすごく遠い現場に飛ばされたと言っていたので、彼は十二分に報いを受けている。なんなら彼がこの騒ぎで一番可哀想な人かもしれない。


 元気を取り戻した一子ちゃんが、受付に戻る背中を見送りながら、五條さんをちらりと見る。


 こっくりと頷かれ、やっぱり行かなきゃいけないんだろうな、と覚悟を決めた。


 でもまぁ、一子ちゃんとの話し合いを先にさせてくれただけでも、大分譲歩してくれたんだろう。


 あとは、ガザ様かぁ……。

 心の中で呟けば、胃と――なぜか胸の奥の方が痛んだ気がした。





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