憧れの哺乳類
※吐いた云々いっぱい言ってます。(言ってるだけ)苦手な方はご注意を!
章立てしてタイトルをつけましたが、とくに追加や修正はしてません。]
……まだ眠いけど、なんか口の中が気持ち悪い。
思いきり眉を顰めて目を覚ませば、目の前に見知らぬ顔があった。
「……っ!?」
目を見開いて固まると、男は片眉を吊り上げて後ろに引いた。どうやらお互い驚いたらしい。
だれ、じゃない、知ってる。この人は。
「隊長、うら若き乙女の寝顔を覗き見るなんて、失礼ですよ」
「本当だな。驚かせてしまった。タチバナ悪かったな」
思い出した。そうだ。この大柄な男の人は、どこかの警備隊の隊長のテオさん。そして、その後ろにいる紅顔の美少年はアリリオ君だ。
えっと……なぜかアルさんに誘拐されて、ドラゴン世界の森の中に捨てられた。そしてこの二人に助けて貰って――。
だけど一体どういう状況なのだろう。
私が寝かされているのは、ちょっと古いけれど清潔感のある部屋で、ベッドとサイドボートと書き物机らしきテーブルと椅子。……ゲームに出てくるような宿屋っぽい感じ。
もしかしてテオさんが言っていた、知り合いがいるという村に着いたのだろうか。そう結論を出して――『ちゃんと』思い出した。
上半身をバネのように起こして、ばっと口元を覆う。
う、わぁあああ!!
私、おもいっきりテオさんの背中に吐いた……!
口のえぐみはまさしくソレだ。
そういえばテオさんも、鎧こそないものの下に身につけていた黒いインナーみたいなものから、麻っぽいシャツになっている。これは、おそらく。
「どうした。また吐くのか」
また、ってことは確実にやらかしてる――!
「これ使って下さい!」
アリリオ君から差し出された深皿みたいなトレイに、私は慌てて「大丈夫です」と首を振って遠慮した。吐き気はもう綺麗になくなっているけれど、今度は胃が痛い。
極力他人に迷惑をかけないように生きてきたのに、痛恨のミスすぎて立ち直れない。
人の胸……いや、あの体勢だと背中だろうか。そんなところにゲロるとか、うわぁあああ! 過去に戻りたい、意地でも絶対吐かないのに!
「た、隊長さん……っ、私吐いちゃって、服汚れたんですよね……っ申し訳ありませんでした! あの、クリーニング、じゃない、向こうに帰ったらちゃんと弁償しますっ! ご迷惑お掛けしてすみません……!」
あわあわしながら一息にそう言って、両手をついて頭を下げる。
反応のなさにおそるおそる顔を上げると、隊長さんは微かに眉を顰めてから、私の頭にそっと手を置いた……というか掴んだ。
「急に頭を動かしても大丈夫なのか? 気にするな。それにテオでいい。むしろ、こちらの気遣いが足りなくて悪かったな」
逆に謝ってくれた隊長……テオさんと呼ぶことにしよう。
いい人過ぎてツライ。
アリリオ君も銀のトレイを置いて、代わりにサイドボートに置いてあった水差しを手に取った。
一緒に置いていたコップに水を注いで、「どうぞ」と笑顔で手渡してくれる。
口の中が気持ち悪かったから嬉しい。
それに寝起きで喉も渇いていたので、ありがたく頂く。
胃がびっくりしないように、ちょっとずつ口に運ぶと、柑橘系の汁が絞ってあるらしく、爽やかな香りが鼻から抜けた。
おかげで気持ちも頭も、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「ありがとうございます。美味しいです……」
「良かった。ここのおかみさんに頼んでサオの汁を入れて貰ったんです。我々は飲み過ぎた次の日に飲むことが多いのですが、口の中がすっきりするでしょう」
コップを持ったままぺこりと頭を下げる。
サオの実がなにかは分からないけど、おそらく柑橘系だろう。
聞いたことがない果物の名前に不安になるけれど、アリリオ君から悪意は感じられないので大丈夫、だと思う。レモンより刺激が少ないし、ほんのり甘いから、グレープフルーツみたいな果物に違いない。
アリリオさんの言葉を感心したように聞いていたテオさんは、再び口を開いた。
「気分はどうだ? まさか酒も飲んでいないのに酔うなんて思ってもみなかった」
……これはもしかして、乗り物酔いとか存在しない世界なのだろうか。
いや、当然かもしれない。だって自分が乗り物なんだもんな……。
「ここの村医が人間を見たことがある人で良かったですね。それまで元気だったのに急に吐くなんて、遅効性の毒でも含んでいたのかと毒消しを飲ませるところでしたから。今冷静に考えるとあれこそ人の身には毒でしたから、本当に良かった」
「人間は本当に弱いのだな」
「突っついただけで骨が折れるのでしょう。本当にそれでよく生きていますよね。人間を番にしたドラゴンがどうしてあんなに過保護なのかようやく納得できました」
若干顔色を悪くさせながら、真面目な顔で話しだした二人に、ただの乗り物酔いだった私はいたたまれなくなる。
……ホントにお医者さんがいてくれて良かった。会話を聞く限り、呑気に寝ている間に死線を跨いでいたらしい。
飲み終わったコップをサイドボートに戻そうとすると、テオさんがひょいっとそれを持ち上げて、それを引き取った。
「タチバナはまだしばらく動かない方がいい」
揺れている瞳がさも心配そうである。……どれだけ脆弱だと思われているんだろう。
彼の目はまるで生まれたばかりの鳥の雛を見つめる風情で――そして私はふと、嫌なことを思い出してしまった。
『強大な魔力を持つあなた方は、ドラゴンにとって――』
蘇る五條さんの声。五條さんはまりもみたいにぷちっとしてみたい、と言い、トモル君は、……まぁ、お子様お断りみたいなピー音を炸裂させた感想を述べたけれど。
……目の前のこの人達には、魔力がこれっぽちもないらしい私はどう見えているのだろうか。
「あの、私って魔力がないんですよね……?」
ごくり、と息を飲み、なんとなく遠回りした質問をしてしまう。
「急にどうした。まだ混乱しているのか? ……魔力がないことは、ゲートの仕事をするときに説明があっただろう?」
怪訝そうに眉を顰めたテオさんに、ええまぁ、と小さく肯定して、おそるおそる問いかけた。
「あの……私のことぶちっと潰したくなりませんか」
まりもみたいに、なんて言っても分からないだろうから、ちょっとそこは省略する。
すると。
「……誰がタチバナに、そんな怖ろしいことを言ったんだ」
鬼がいた。
……いや、怒りにリアルに見えない何かで髪を逆立たせた、眼光鋭すぎるテオさんだった。
ただでさえ低いのに、地面を這うようなどころか抉るような低音で尋ねられて、ぞわっと肌が粟立つ。
「最悪ですね。こんな小さくて愛らしい生き物を脅すような真似をするなんて、同じドラゴンとして恥ずかしいです」
可愛い顔から感情を消して、冷淡に吐き捨てる。美形が怒ると迫力があるのは知ってたけど、紅顔の美少年もジャパニーズホラー感満載で相当怖い。
しかし小さくて可愛らしい生き物って、それはドラゴン基準なのだろうか。
テオさんはともかく、私よりも身長も低くてそこらの女の子より顔が可愛いアリリオ君に言われても、複雑な気持ちになる……。
この感じは……、幼子、猫……違うな。多分ハムスターくらいに思ってくれてるんだろうなー……。
まりもから哺乳類に昇格だ。うん! 嬉しくない!
「タチバナ、言ってくれ。誰がお前にそんな意地悪を言ったんだ」
真面目というよりは、怖ろしい顔で詰め寄ってきたテオさんに、視線を逸らす。
この勢いだと、ゲートまでひとっ飛びして五條さんとガチンコ勝負しに行きそうで怖い。
「……あーっと……誰だったかなぁ」
誘拐されたときに記憶が曖昧に……みたいな感じを装うと、話したくないのだと察してくれたのか、テオさんはもの言いたげな顔をしたものの、引いてくれた。
アリリオ君は、分かりやすく肩を怒らせたまま不満げである。意外と好戦的な美少年らしい。
昼間らしく賑やかな喧噪が外から聞こえて、ベッドの近くにあった窓を覗き込む。どうやらここは二階らしく、派手な布張りの屋根と屋根との間に、たくさんの人が歩いているのが見えた。
「あの、ここは」
話題を変えるのも兼ねてそう尋ねてみる。うろ覚えだけど、確かに気を失う直前に『着いた』とか聞いた覚えがあるから、テオさんが言っていた村なのだろう。
「会った時に話したシャナラという村だ。ここは食堂兼宿だな」
「ここの女将さんが隊長のお姉さんなんですよ。着替えも女将さんに頼んだので、安心なさって下さいね」
表情をいくらか柔らかくしたアリリオ君が隊長の言葉を補足する。
そう言われて初めて気がついた。確かに私が着ているのは、木綿っぽいクリーム色のワンピースだ。ああそっか。吐いたんだから汚れたはずだ。そんな格好でベッドに寝かせるわけにはいかなかったんだろう。……ほんとに申し訳ない!
「着ていた服は洗濯してくれると言っていたから、明日には乾くだろう。だがここでは目立つから、着ない方がいいかもしれないな」
確かに窓の下を歩く人達の服装は、中華風やらヨーロッパ風やら、オリエンタルっぽかったりと様々だけど、さすがにOLの制服を着ている人はいない。……が、なぜかスーツとTシャツとジーンズの人はいる。
……おそらく異文化交流の結果だろう。ファンタジー感が一気に薄れてしまった。
まだなんというか、これ夢かも……という思いがぬぐいきれない。
触感は色々リアルなんだけど、なんか頭がついていけないというか。……これ確か受付に採用された時も思ったよね。いっそ全部ひっくるめて夢だったらいいのに。
窓の向こうから視線を外すと、テオさんと目が合う。
脇にあった椅子を寄せ、そこに腰掛けたテオさんは、ゆっくりと口を開いた。
「さて、落ち着いたのなら話をしよう。タチバナは逃げてきたのか?」
「逃げた……?」
「違うのか? だがタチバナを発見したのは、一般人も立ち入らないような迷いの森だ。あんな場所に一人では行けまい」
声に出して反芻した私に、テオさんは器用に片方の眉だけを吊り上げた。
「あ、いえ、そうじゃなくて。なんと言えばいいのか」
むしろ逃げたというより、攫われて捨てられたのである。
きっと五條さん……達はともかく、源さんは心配してくれているだろう。
いや、待てよ。あの人……ガザさんヤバいんじゃない? あれだけ私に執着していて、突然いなくなってしまったら、『ザ・〇ジラ』みたいになるんじゃないだろうか。大丈夫か人間界。
でも、私は確実に彼等の仲間であるアルさんに攫われてここに捨てられたワケで……。
そしてなんで私をアルさんが攫ったかというと、うーん、……分からない。気に入らないならあの場か、少し離れたところでぷちっとしてしまえばよかったのに、わざわざこんな場所まで捨てにきた意味はなんなのだろうか。確かにアルさんに、嫌われている自覚はあるけれど、私に危害を加えようとしたら、源さんが黙っていないはずだ。
「……すみません、あの、図々しいのは承知なのですが、早目に私がこっちにいることをゲートの人に伝えた方がいいかもしれません」
「大丈夫だ。聞き取りが終わったらすぐに連絡を取る」
ほっとして胸を撫で下ろすけれど、……もしかしてガザさんが来ちゃうのかな。
五條さんかトモル君に頼めないかな。いやでも五條さんは経費で落ちません! とか言いそうだし、トモル君は出張費請求されそう。
「あー……」
詰んだ。もしかして自力でゲートに戻った方がいいのかな。
思い悩んでいたら、同じように何か考えていたらしいテオさんが私の顔を見て、こくりと頷いた。
「ゲートは万年人手不足だと聞く。もし迎えが来なければ、私がタチバナをゲートまで連れていってやるから心配するな」
「え、いいんですか!?」
つい弾んだ声を出してしまって、少し後悔する。
だってそれはいくらなんでも図々しすぎるのではないだろうか。
ちょうどお休みなんて言っていたけど、私に気を遣わせないための嘘かもしれないし。あの時のアリリオ君の様子からして、多分テオさんは早めにお城に戻った方がいいんじゃないかな……。
さすがにそこまでは、と遠慮してみるけれど、「構わない」とテオさんが爽やかに笑って頷いてくれた。
やっぱりいい人だ……!
いやもう暴力男とヤンデレ、腹黒とエロ小僧しか周囲にいなかったから、神様みたいに見える。一応アリリオ君の様子もうかがうけれど、今度は特に口を出すわけでもなく、むしろ「そうしましょう!」と、同意するような微笑みを浮かべてくれていて、ほっとした。
よほど私の脆弱さに驚いたのだろう。
だけど、やばい。ドラゴン株が私の中で跳ね上がっている。だって自分のお休みをこんな縁も縁もない人間に使うなんて、懐が大きいとしか……!
二人の優しさに感動していると、正面の扉からノックの音がした。
「いいか?」と聞かれて私は頷く。素早く移動したアリリオ君が扉を開けた。
入ってきたのは、長身の迫力のある美女。
ちょっと古い映画に出てくるような女優さんみたいだ。豊満な身体にぴったりとしたドレスを身につけていて、同性ながら溢れんばかりに盛り上がった胸に視線が吸い寄せられてしまう。
「目が覚めたの?」
見た目通り女の人にしては低いセクシーな声。
だけどそう言ったと同時に、その両脇からびゅんっと何かが二つ飛び出してきた。
ふわ、と風が吹いて前髪を揺らす。弾丸の様な塊が目の前に――と、驚くよりも先に、テオさんが私の顔の前に手を伸ばした。
次の瞬間その手にぶら下がっていたのは三歳くらいの男の子と女の子だ。びっくりした。おそらく止めてくれたのだろう。そのままの勢いで抱きつかれていたら多分、私はまたベッドに沈んでいた。
どっちも子供服の海外のモデルみたいに愛らしい顔立ちをしている。同じ顔をしているけれど、髪の長さは違うしリボンもしているので片方は女の子……だと思う。
「起きた!」
「起きた!」
そっくりな二重サウンドに耳も頭も混乱する。
だけど声も天使みたいに可愛くて、それほど子供好きではない私も、ほわっと頬が緩む。
「レギ、イト、病人の前なんだから静かにおし!」
美女が呆れた声でそう言って、私にその麗しい顔を向けた。
「騒がしくして悪かったわね」と形の良い眉を寄せる。その憂い顔も色っぽくて、なんかいろいろ凄い。
私は急いで首を振る。ここ数日で美形には慣れたと思ってたけれど、女の人はまた違った。ボディの凹凸感が加わることで素晴らしく芸術的になって、つい見惚れてしまう。
「ふふっかわいいねー」
「ねー」
テオさんの腕から抜け出した二人は、そのまま寝台の上に留まった。一人は膝の上に落ちたのでそれなりに重い。そして幼児の遠慮のなさで腕やら顔やらぺたぺた触れてくる。
んーと……。至近距離でも可愛いけど、普通こんな触りまくる? ……なんか扱いおかしくないですか。
「リボンつける?」
女の子にこてりと首を傾げられて、ぎょっとして首を振る。男の子も、ずるい! と言って負けじと私の顔を覗き込んできた。けれど掛ける言葉がすぐに浮かばなかったのか、えーっと、えっと、と悩んだ末に、ちらりと私を見た。なんだ、可愛いな……!
特に子供好きではない私でも、クラリとくるレベルだ。
「ごはん一人で食べれる?」
「もちろん……?」
私の答えに二人は、ぱっと笑顔になる。そして顔を見合わせた。
「えらいねー」
「ねー」
……これは完全に、幼児に幼児扱いされてる。ツライ。しかもなんか微笑ましいものでもみるかのような大人ドラゴン達の目がもっとツライ。
「タチバナ。まだ少し顔色が悪い。もう少し眠った方がいいだろう」
いやただの乗り物酔いなので、まだ全然起きていられますが。
ものすごい幼児扱いに、自分の年齢を自己申告してみる。
なのにテオさんに慈愛溢れる顔で、そうか、と頭を撫でられた。
……ゲートに来れるのが二百歳からとか言ってたもんな。成長速度は違うんだろうけど、見た目で判断してくれないかな。私は源さんみたいにちっちゃくもないし、童顔ってわけでもなく、至って普通だ。
だけどいくら言葉を重ねても分かってくれない。
ただ一人、アリリオ君だけは苦笑しながら「我々自身、見た目は変えることができますし、魔力の熟し具合で年齢を測るようなところがありますから」と説明してくれた。
……熟すものが無い時は、もうそれは可愛いレベルじゃないんじゃない? むしろ空気みたいな。……いやここは可視化されただけよかったと思うべきか。だってそれじゃもう無機物じゃん……。
がっくりと肩を落とした私は、結局言われるまま横になる。
幼子を含めたたくさんの視線から逃れるように、シーツの中に潜り込むと、やはり身体は疲れていたらしく、そのままうとうとしてしまう。
そして私は、謎の美女の正体も子供達の名前すら知らないまま、呑気に眠ってしまったのである。
*申し訳ありません!義理のお姉さん→実のお姉さんに変更しました;