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受付事変2


 よーしよしよし。落ち着け私。

 深呼吸をしてポケットを探れば、ボールペンとメモ帳とリップクリーム。


 ……むしろ、これで何ができるか誰か教えて欲しい。


 風は冷たくて本当に夏なのか疑わしくなる……って春だよね? 寒いのは標高が高いだけだよね?

 まさかの日本じゃない疑惑に、ゾワゾワした恐怖が這い上がってくる。


 遭難したときはじっとしているが鉄則だった気がするけれど、それ以上にここにいたって助けが来る気がしない。


「とりあえず下ろう……うん」


 麓まで下りれば、とりあえず気温は上がるだろうし、人が住んでいる場所に出られるかもしれない。

 ざくざく歩いていくと、地面から生えていた固い葉っぱに足が引っ掛かった。


 鋭い痛みに顔を顰めて立ち止まり、ふくらはぎの横を見下ろせば、赤い線が走っている。すでにパンストは捨てられた時の衝撃なのかところどころ破れていて、防御力はゼロだった。気持ち悪いし、本当は脱いでしまいたいけれど、やっぱり虫に刺されることを考えたら、履いたままの方がいいだろう。


 溜息をついて滲んで広がっていく血を見下ろす。ぴりぴり痛み始めた傷に、自然と鼻の奥がツンと痛んだ。だめ。泣いても解決しない。


「もう、なんなのよ……」


 ぐい、っと目元を拭い、再び足を進めよとしたその時、ふっと空が暗くなった。

 え、もう夜――そんなことを思ったのは一瞬。

 反射的に空を見上げた私は絶句した。


 私の頭上。空を覆い隠すように翼を広げて飛んでいたのは大きなドラゴンだった。

 悲鳴すら喉に張り付いて、音にならない。ぺたんとその場にお尻をついてしまった。


「……ドラゴン……」


 間違いない。だって昨日見たばかりなのだ。しかもあの時のおじいちゃんドラゴンよりも一回り大きいような気がする。


 ……っていうことは、つまりここは。


「ドラゴンの世界な、わけ?」


 ぽつりと呟いたその途端、爬虫類独特の瞳孔の細い目が後ろに流れた気がして、思わず悲鳴を上げた。

 と同時に、たくさんの羽ばたきが後ろから迫ってきて、空がドラゴンで覆われた。一瞬で明かりが落ちたみたいに真っ黒になって、おそらく一、二分。


 まるで雷を連れて来た雲のような慌ただしさで、その団体は通り過ぎていった。

 その後も私は茫然としゃがみ込んだまま。なかなか思考が働かない。

 もしかしたら五分くらい呆けていたかもしれない。だから。


 急に背後から声を掛けられて、心臓が口から飛び出したかと思った。


「なぜこんな所にいるんだ」


 低いちょっと枯れた男の人の声。

 振り返って、まじまじと声を掛けてきた人を見る。顔だけを見て、人でよかった。と思ったのは一瞬。


「人間か?」


 次いでそう尋ねられて、ひくっと喉が鳴った。


 普通、人は人に『人間か?』なんて聞かないものである。……ということはこの人も……ドラゴン? ……確かに視線を下におろしていけば、服装はヨーロッパ系ファンタジー映画で見るような傭兵っぽい出で立ちである。


 ……詰んだ……?


 その人の存在が、ここがドラゴン世界であるような証拠に思えて、私は目を逸らせなかった。


 見た目年齢は三十歳過ぎといったところだろうか。それこそガザ様のような立派な体躯をしていて、顔は綺麗というよりは美丈夫という感じ。短髪のせいか男らしい骨格が際立っているけれど、少し垂れた目がとっつきにくい雰囲気を和らげている。


「隊長、攫われて逃げてきたのかもしれません。あるいは捨てられた可能性もあります」


 男の後ろにいた男の人……というよりはもっと若い少年くらいの男の子が、そう言いながら出てきた。こちらは線は細く、毒気を抜いたトモル君という感じで、あっちが西洋風美少年だというなら、こっちはサラサラ黒髪の和風な感じの美少年だ。


 ドラゴンの美形具合がいつもハンパないんだけど、彼等は何を参考にして人間型の時の顔を決めてるんだろう。ん? 変身してるわけじゃないのかな? 謎だ。


「クソみたいな奴がいるもんだな」


 厳めしい顔を歪ませて、大柄な男……どこかの隊長さんらしい、は、そう吐き捨てる。

 脳みそに血が巡ってきて、ようやく彼らが自分のことについて話しているのだと気付いた。

 ……いや、攫われたのも、捨てられたのも確かに合ってはいるんだけど。

 顔をますます厳しくさせて、隊長さんは、ゆっくりと私に近付いてきた。


「ひっ……」

「お嬢さん。上から転んだのが見えたが怪我はしていないか」


 隊長さんは私が怖がっているのが分かったのだろう。わざわざ距離を取り私の足先に膝をついて尋ねてきた。ばちりと合ったその瞳の色は、意外と優しそうなヘーゼルナッツ。


「あ、え……はい、大丈夫です。あの……あなたは、さっき飛んでたドラゴンさん、ですか」


 大きな身体と鋭い爪を思い出してぞわりとする。しかし男の人は首を振った。


「いや、あれは私じゃない。後ろのアリリオだ」


 顎をしゃくって後ろを示す。

 私と目が合うと、黒髪の美少年――アリリオ君と言うらしい、彼は会釈してくれた。


「お嬢さんの名前を聞いても構わないか」

「……橘です」


 隊長さんに聞かれて、なんとなく防衛本能が働き苗字だけ答える。

 隊長さんは特に疑うことなく、口の中で確認するように『タチバナ』と呟いた。少し変わった発音は呼び辛そうで、ちょと申し訳なくなる。


 そしてひとしきり繰り返した後、私の格好を見て眉間に皺を寄せた。

 ……確かに彼等の格好からしたら、OLの制服なんて異質だろう。破れたパンストが急に恥ずかしくなって、膝を寄せて隠すように手を前にする。


 そんな私に隊長さんは自分が羽織っていたマントの留め具を外すと、ふわりと私の肩に掛けてくれた。ずしりと重たいけれど、温かい。

 ちょっと寒かったから嬉しいけれど……長すぎて地面を擦りそうで、慌てて裾を持ち上げたら「気にするな」と笑ってくれた。


 ……いいドラゴンだ……!


「人の身ではこの辺りは冷えるだろう。不格好になるが羽織っておけ」

「あ、ありがとうございます……」


 そのまま腕を取って立ち上がらせてくれたところで、黒髪の美少年がぽんと手を打った。


「思い出しました! その服、もしかしてゲートの職員さんじゃないですか」


 後ろから掛けられた声にぱっと顔を上げる。この糸を逃してなるものかと、私は胸元のタグを持ち上げて二人に見えるように差し出した。まさにドック・タグだった。


「はい! ご存じで良かった! 受付で働いています」

「なるほど。確かに間違いない。しかしどうしてこんな所に?」


 当然だろう問いに私は口を開きかけて、――答えに詰まった。


 ……アルさんに誘拐されて、と正直に言ってもいいものなのだろうか。多分、……マズイよね。なんでアルさんが私のこと、攫ってここに捨てたのか分からないけど、何かしらの罰みたいなものが下されるんじゃないだろうか。ほら、認めてないけど私、偉いらしいガザ様の番らしいし。


 そうなると妊娠中の源さんにも心労が掛かるわけで……それは良くない。アルさんには恨みしかないけど、それでアルさんと引き離されたりなんかしたら、源さんが大変になるよね……。


 私イイ人! なんて酔ってるわけじゃなくて、単に恨みを買いたくないというか、人の不幸のきっかけを背負いたくないだけだ。


「……私にもさっぱり分からなくて。気がつけばここにいたんです」


 苦しいかな、と思いつつもとりあえずとぼけてみる。案の定、隊長さんは眉間に皺を寄せた。だけど突っ込まれる前に、私は一番聞きたかったことを尋ねた。


「あのっ! 家族が心配してるだろうし、自分の世界に帰りたいんです! 帰る方法ってありますよね? すぐ戻れますか!?」


 ゲートなんてものがあるんだから、そう難しくない、はず。

 お願いです神様仏様。うんって言って……!

 私はそう願いを込めて隊長さんに詰め寄る。

 そんな私の勢いに少し驚いたように瞬きしたものの、すぐに安心させるようにしっかりと頷いてくれた。


「大丈夫だ。城に戻ったらゲートに連絡を取ることができる。なに、ここからなら半日程で着くだろう。一緒に行こう」


 その言葉に、ほっと全身の力が抜けた。


 助かった……! よかった。気を失っていた時間がどれだけか分からないけど、きっとお母さんは心配してるだろう。思えば会社の名前は伝えたけれど、電話番号とか教えてなかったし。


 ……失踪届とか出してたらどうしよう。なんとか五條さんが気づいて、誤魔化してくれたらいいんだけど。


「ありがとうございます……!」

「では行こうか。アリリオ頼む」


 そして目の間でドラゴンの姿へと身を変えた紅顔の……違う、アリリオ君は、ぱっと後ろに下がると大きく真上に飛び上がった。


 昨日のおじいちゃんドラゴンと違って、それは一瞬。空を覆うように長い翼を広げて、浮いていたのは確かに先ほど見た緑青色のドラゴンだ。それにしてもデカい。空にいた時も大きいと思ったけれど、すぐ目の前にいるせいか余計に大きく見えた。


 それを見た私は、反射的に一歩どころが、三歩くらい後ずさる。さながらエビである。


 微妙な間が空き、ぎょろりとした爬虫類の目と、隊長さんのにわかに丸くなった目が私に向けられた。気まずい。


「……怖いのか?」

「あ、え……っと」 


 ヤバい。ちゃんとフォローしなきゃ……! と焦って言葉を探すけれど、それ以上に、昨日の光景とガザ様が暴れたあの時のことがフラッシュバックしてしまった。

 さぁっと血の気が下がっていくのが分かる。


「き、きのう。そのっ……ゲートで暴れる方を見てしまったので……」


 うわ、私最悪だ。

 親切にして貰ってるのに、怖がって嫌がってるとか……!


「あの、街の方向さえ教えてくれれば、一人で大丈夫です。あ、でもお水だけ分けて貰えたらなんとか」


 なる、か? と自分でも疑問に思いつつも、いたたまれない空気に言葉を重ねると、隊長さんが一歩前に出た。


 近い距離にまた後ろに下がりたくなったのを我慢すると、目の前に大きな手がにゅっと伸びてきた。うわ、と構えて数秒後、思いの外優しい手つきでポンと頭に手を置かれた。

 

「こんな小さなお嬢さんを放っておくなんて出来ない。ちょうど明日から休暇なんだ。この辺りにちょうど知り合いが住んでいる村があるし、挨拶がてら、久しぶりに歩いていくとしよう。なに、そこで休憩しても三日もあれば到着する」


 隊長さんの言葉の終わりに、ふわっと風が立った。隊長さんが私を庇うようにして身体を動かす。


「しかし隊長。報告は……」


 隊長さんの言葉に驚きの声を上げたのはアリリオ君。さっきの風は彼が人間の姿に戻ったせいかもしれない。


「お前が報告にいけばいい、と言いたいところだが、まぁ番持ちのお前もいた方がいいだろうな」

「しかし……」


 ちらりと私を見るアリリオさんの瞳は、なんとなくもの言いたげに見える。


「すみません……本当に、ご迷惑お掛けします」


 本当は一人でも大丈夫です、もう一回言うべきなんだろうけど、正直ここで彼等と別れたら死ぬ予感しかない。三日掛かる場所に食糧も持たずに歩き続けるなんて、ひ弱な現代っ子には無茶ぶりすぎる。


 あ――……私がドラゴンに乗れたら早いんだろうけど。正直、怖い。

 ガザ様と違って人間型は怖くないんだけど、ドラゴン姿だと圧倒的な力というか、そういう本能的な強さを感じてしまう。こう、ふとした動作や気まぐれにぷちっと潰されてしまいそうな――そんな危うい感じがするのだ。


 だけどさすがに申し訳なくなって私は平謝りする。

 するとアリリオ君は、はっとしたように顔を上げ首を振った。


「申し訳ありません。貴方に非はないのです。こんな状態でこの場所にいることを考えれば、ドラゴンの姿に恐怖を覚えることなど当然です。お許しください」


 申し訳なさそうにそう言って、私に向かって深く頭を下げてくれる。

 ……それもなんか違うんだけど……と首を傾げると、アリリオさんはいっそう痛ましげな顔をして頷いた。……あれ? なんか確実に誤解されてるよね。


「……分かりました。それでは私の鳥を飛ばしましょう。隊長に女性のお世話が出来るとは思えませんし、私もご一緒させて頂きます」

 上司に対して結構な物言いだ。だけど隊長さんは全く気にする様子もなく、大らかに笑って「頼む」と頷いた。


「本当にすみません……」

「いいえ。貴方が謝る必要はありません。そもそも僕達の仕事の中に異世界人の保護というものも含まれていますから」


 にこっと笑ってくれたアリリオ君に、ほっとする。

 それにしても保護、か……仕事の中に含まれる、っていうからには、弱肉強食っぽいドラゴン世界の中でも、警察みたいな機関があるということだろうか。


「あの、お仕事は、ってお聞きしてもいいですか」


 おずおずと質問したら、隊長さんは爽やかに笑った。


「我々は辺境警備隊だ。ちょうど王都に定期連絡に向かう途中でな。私が隊長のテオで、こいつが……さっきも言ったが、アリリオだ」


 テオさんと、アリリオ君。……ドラゴンって案外名前が短い人が多いよね。覚えやすくていいけど……あれ、五條さんって、なんで五條さんなんだろう。


「タチバナ」


 考え込んでいると、名前を呼ばれたのと同時にひょい、っと抱き上げられた。

 お姫様抱っこじゃなくて、小さな子供のような縦抱きである。

 太い腕にお尻を乗せられて、驚くほど硬い腕の筋肉にどきりとする。そして急に上がった視界に驚いて、思わず首に手を回してしまった。


 けれどすぐに我に返って、身体を引きテオさんの顔を覗き込んだ。


「あの、歩けますっ」

「遠慮するな。そもそもお嬢さんの足で歩くと日が暮れてしまう。ドラゴンの姿を見ただろう? 本体はあれなのだからタチバナを抱えて歩くくらい何とも感じない」


 ……確かにあの姿なら、私一人くらい言葉通りどうってことはないのかもしれない。

 なによりここでこれ以上押し問答していても、時間の無駄だろう。

 気絶している間に何時間が経ったのか分からないし、何より私は出来るだけ早く帰りたいのだ。


「じゃあ、あの……よろしくお願いします」


 申し訳ないと思いつつも、いいアイデアが思う浮かぶ訳もない。観念して私がそう言うと、隊長さんは「ああ」と頷いて私を抱え直した。


「じゃ、行くぞ」


 その言葉と共に走り出し……景色はすごい勢いで流れていった。


 風が剥き出しの頬を叩き、その音も凶暴なくらいに大きく強い。私を抱っこしたままテオさんは、川を突っ切って崖を飛び、さながらジェットコースターのあの嫌な浮遊感をこれでもかというほど味わうことになった。しかも後ろ向きで。


 その結果。


 隊長さんが言っていた村に着くなり私は。




『タチバナ?』

『え、うわ……っ! 大丈……隊長、顔色が真っ白です……!」

「タチバナ!? おい、死ぬのか!? 早く医者を……』



 盛大に吐いてしまったのである。


 ――ただの乗り物酔いです。

 そう呟いた声は、おそらく彼らには聞こえていなかっただろう。




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