私の事情と採用試験
会社の顔となる受付嬢は見目麗しいのが望ましい。若いのならば尚更良し。
「っだぁああああああ! 若くなくて悪かったなぁぁああ!」
酔いも冷めるほどの大音量、とはいかないのが現代日本の住宅事情。私は狭いアパートの一室で枕を顔に押しつけて叫んでいた。
もちろん、女子社員が若くないとダメなんて会社の人間が言おうものなら、社内コンプライアンスに引っかかって問題になる。だけど態度や空気感を規制することなど不可能なのだ。
縁故で途中入社し、何かと理由をつけては遅刻しまくる後輩を注意したら、父親である専務に泣きつき、そこから嫌がらせが始まった。もう怒濤のパワハラ。重要な連絡事項すら回してこず、『やだもう先輩ったら物忘れだなんてもう更年期ですかぁ?』に、キレた。それはもう盛大に。
……ついでに言うと物忘れは更年期のその上だ。天然か馬鹿かあるいはワザとならば万死に値する。
そしてそれを発端とする諸々の騒動が起きーーもうこれ以上この会社にはいられないと退職願いを出した。
ちなみに若い云々は会社に荷物を取りに行った時に、わざわざ顔を見に来た専務に言われた言葉だ。奥さんに銀座のホステスさんと仲良くやってるのをさりげなくリークした事に気付いたのだろうか。
まぁ敗者の弁として聞いてはやったが、腹が立つのは間違いない。出張でいないものだと思いICレコーダーを家に置いてきたのが悔やまれる。
とりあえずあの親バカのパワハラ専務も勘違い娘も、知っててそれを放置している会社も潰れてしまえ……!
――なぁんて腐った日もありましたが。
私、橘万里は本日も求職活動中です!
「前職を退職した理由ですか? それはもう私の力不足です。ですが、この休職期間中にその力不足を補えるように自己スキルの向上として――」
爽やかながらも控えめな笑顔を意識して答える。
再就職に前の会社の文句なんて言うヤツは採用されないのは常識である。そうたとえ、これっぽっちも自分が悪いとは思っていなくても、だ。
今回こそ決めなければ、後はもうバイトしかない。今はもろもろの事情で実家暮らしだけど、通帳の残高は生活費と引っ越したその月の払わなきゃいけない家賃合わせて来月分ギリギリしかない。一言で言うとお金が無い。
もちろん、売り言葉に買い言葉で前の会社を辞めちゃったのは確かだったけれど、そこまで考え無しだった訳じゃない。一人暮らしのまま一応三年くらい切り詰めればなんとか生活出来るほどの貯金はあった。
その間に職安経由で失業手当を貰いながら、ずっと気になっていた資格を取りに行き、スキルアップしてから再就職に望む――はずだったのに、だ。
愚弟の存在だけが大誤算だったのである。
『借金、だぁ……?』
『ねーちゃん、利子分だけでもマジ頼むよぉ。あんな大っきな会社勤めてんだからさぁ、金あるよね?』
妙に顔だけはいい愚弟が友人の肩代わりとなり、こさえた借金は、私の貯金と退職金を合わせたものとほぼ同額だった。
しかもソレを知ったのは、ちょうど有給を消化して離職票も受け取り完全に会社と縁が切れた直後という間の悪さ。
もちろん簡単に貸せる金額でも無いし、何より会社を辞めた後の自分の生活費だってあるのだ。弟を殴り飛ばし逃走防止の為に簀巻きにした後、私は死ぬほど考えた。…… 私が断ればこの愚弟は母親を頼るに違いなく。
女手一つで私と弟を育ててくれ、今はおばあちゃんの介護で忙しい母親は、半年前に一度倒れていた。
幸い軽いもので入院に至るまでもなかったものの、これ以上バカ弟の借金なんかで負担は掛けたくない。
決めた後は即行動。私は弁護士同伴の元(調べて貰ったら本人も把握していない借金があった)、母親にはナイショで愚弟の借金を清算したのだ。
その後は、私も節約のために独り暮らしをしていたアパートを出て実家に戻った。
弟には今度借金をしたら絶縁するという念書(血判入り)を書かせ、腐った根性をたたき直すべく、母方のおじさんがやっている北の大地の牧場に叩き込んだ。
本気でマグロ漁船も考えたが、普通にネットで調べたら意外な事に人気職! タイミングが悪い事に空きも無く舌打ちしながら諦めた。(その後ろで芋虫状態で転がっていた弟は泣いて喜んでいたので、軽くシメておいた)
とまぁ、そんな事情もあり再就職まった無し! なのである。だけど、世の中そう甘くは無かった。
前職を辞めて三ヶ月とちょっとで届いた不採用通知は二桁超。
応募したのが、土日休みの一般事務ばかりだったのが悪かったのだろうか。
人と関わること自体は好きだから、販売業でもいいんだけど、そうすると土日におばあちゃんの介護を手伝えなくなってしまう。
……弟に面倒を見させろ、と普通なら思うかもしれないが、コイツがまた全く人の世話を焼くという事が細胞レベルで出来ないヤツなのである。
その上妙な天然と愛想の良さで、おばあちゃんをだまくらかし小遣いを貰っていた過去もあるので、私が思わず口汚く愚弟などと呼んでしまう最悪具合は分かって頂けるだろうか。
母親に相談すれば、土日の介護ももちろん大丈夫だと言ってくれるのは分かっている。
だけど母親は介護の合間、土日の手芸屋さんのパートに出るのを楽しみにしているのだ。もともと手先が器用で、編み物なんかはプロレベル。家にこもりきりになる介護の良い気分転換になっているようで、娘としてはそのまま続けてもらいたいと思っている。
そんな事情で、背水の陣で挑んだ今回の面接。
雑居ビル六階の一室にあった会社名は、聞いた事もなかったけれど、新聞に求人広告を乗せている位だから、そこそこ景気は良い会社に違いない。
新聞広告と言うのは、どんなに小さなスペースでも、かなり広告費が高いのだ。
エレベーターを降りて一番最初の扉にあったのは、会社名の入った銀のプレート。
そこのチャイムを押して部屋に入れば、そこは店が入る前のテナントらしきがらんとした空間だった。一面はカーテンで覆われて、窓は上の方の明かりとりのみ。
端の方にソファセットが置いてあり、既にお茶が用意されていた。
「――よく分かりました。橘万理さん」
面接官は三十を少し過ぎたくらいのインテリ風の男性で中肉中背、三つ揃えのスーツを着ていた。今若い人の間で流行っているけれど、一般企業ではよほど役職が上じゃないと、まだまだ見かけない。
だけどそれが細めのチタンフレームの眼鏡とバランスがよく、地味な印象はあるものの似合っていた。よく見ればなかなかのイケメンだ。
仕事は出来そうだけど冷たそう、というのが第一印象。そして何かと鋭く答え辛い質問をしてく現在もそれは拭えていない。
最初に渡されて、机に置いている名刺には五條毅と書かれていた。なかなか固い。風貌にぴったりと合った名前だ。
そんな彼の説明によると今月いっぱいで辞める受付の後任らしい。
面接官――五條さんは、履歴書をファイルに戻すと、つと、私を見つめた。
日本人にしては少し薄い茶色の瞳が静かに私を映し、何か意図がありそうなその奇妙な間に首を傾げる前に、目の前の彼はふむ、と頷いた。
「当社としてもあなたのような真面目な方にぜひ働いて頂きたいと思っています」
「有難うございます」
お。なかなかの好感触じゃない?
悲しいことに幾度となく面接を受けていると、大体雰囲気で察する事が出来る様になるものだ。
「それでは――」
次の面接日の連絡か、はたまた採用決定宣言か。
緊張の一瞬に唾を呑みこみ、私は五條さんの口元を凝視した。
「あなたをドラゴン《異世界03》ゲートの受付係に任命します」