第86話 大原兄弟
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◇1567年 8月6日未明
飛騨国
大原村西側 山中
「あっ、綱義くん無事だったんだ~! 良かった」
綱義率いる捜索隊は一兵の損失も出すことなく戦闘を勝利で終えると、直に松明を追って山中を進んだ。途中で見失うも再発見して追いかけ、夜が白み始める頃ついにこの場所までたどり着いた。
出迎えてくれた瑠依に小さく頷くと、綱義はその視線を少し先にいる集団に向けた。
(伊藤様!?)
その集団の中央には優理が地べたに座っており、その優理に背を預けるようにして一人の男が倒れている。
(十五は何をしておったのだ!)
綱義は駆け寄った。
集団のいる地点まで綱義が駆け寄ると、そこには綱忠の姿もあった。
そして、倒れている男が伊藤である事を確認した。
(なんという事だ……)
伊藤の身体は既に甲冑を取り外されて軽装となっているが、目に入る範囲を見ただけでも複数の矢傷を受けているのであろう事が分かる。
「兄者」
綱忠が無意識のうちに綱義に声をかけたが、その声に対する返事は言葉ではなく、拳であった。
綱義に殴られた綱忠は、大きくもんどりうって背中から倒れ込む。
「やめてっ! 今はそうゆう事やめて……」
綱義を静止したのは優理であったが、その声は既に涙で震えていた。
誰にぶつけたら良いのか分からない悔しさで自分の体が震えだした綱義に、松明を持って走っていた女性が声をかける。
「手当は済んでおります」
既に止血が施され、このまま息絶えるような事にはならなそうな雰囲気であった。
その時、倒れていた伊藤が言葉を発した。
「じゅうさん……よく……来てくれたね、ありがとう」
弱弱しくも、慈愛に満ちた声音であった。
「なんのこれしき! 造作もない事でございます!」
その伊藤の姿に、綱義は自然と涙が込み上げてきた。
伊藤は弱弱しく言葉を続けた。
「じゅうさん、だめだぞ、しっかり、じゅうごを抱きしめてやらないと……あいつ、ほんと凄かったんだから」
まだ明るくなり始めたばかりの空では、はっきりと見て取る事は出来ないが、伊藤の顔色は青白く感じられた。
「ハッ、お役に立てたのであれば」
綱義はゆっくりと立ち上がり、まだ倒れ込んで動かない綱忠の元へ歩み寄った。
綱忠はすっと身体を起こすとそのまま綱義に向って平伏し、大声で喚きたてた。
「俺の非力さはよう分かっておる! 俺が非力であるが故に、伊藤様にこのようなお怪我を負わせておる。俺は非力だ! 兄者、俺はどうしたらよい、教えてくれ! どうしたら……」
その声は完全に涙に震えており、魂を吐き出すよう叫びだった。地に置かれた両の拳は硬く握られ、地に伏せられた顔の両脇で小刻みに震えている。
「十五、うぬが守りきれぬような厳しい戦であったならば、この十三では尚更、守れなかったぞ」
綱義は地にうずくまる弟の肩に手を乗せると、その両目から涙を流していた。
「ようやった、ようやったぞ! それにな、よくぞ、よくぞ生きて戻った! 十五、ようやった!」
兄に縋り付いて子供の様に泣きじゃくる綱忠の姿は、その歳に相応とでも表現すべきであろうか。ここ数日、ずっと背伸びをし続け、歴戦の勇士達からも一目置かれる存在としての振舞いを続けて来た。
そして今、生死をかけた緊張の糸が緩んだのであろう。
「まったくぅ~、まだピンチ継続中ですよ?」
瑠依の言葉を理解できた人間は伊藤と優理だけであったが、そのおどけた雰囲気と瑠依独特の口調は、その場にいた全員の気持ちを温かい物に変換していく。
綱義は涙を拭くと、松明を持って逃げていた女性に向き合った。
その女性と、その後ろに待機している三名の女性は、皆同様に襷を掛け動きやすいよう身なりを整えており、女だてらに脚絆を履いては、その手に薙刀が握られている。
「事の子細を伺いたいが、追手の事を考えれば直に大原へ戻らねばならぬ。今しばらく共に参れたし」
そんな格好をしているのであるから、それなりの心得はあるのだろうと考えた綱義は、伊藤の護衛を継続して頼むことにした。
先程、松明で敵を引き付け、その隙に綱忠が弓を射ったのかもしれない。
(この女達は囮をこなすのか)
綱義にしてみれば、伊藤を搬送するのに敵の目を引き付けてくれる存在があれば嬉しい、という程度ではある。
綱義に声をかけられた女性は優しく微笑んだが、その女性の後ろにいる別の女が露骨に嫌な顔を見せると、一歩前に出ようとした。
「静、おやめなさい」
それを制した女性は、美しい口元から涼やかな声で言葉を発した。
「当然で御座います。わたくし共は伊藤様に助けられてここまで参りました」
そう言って優理が抱きかかえる伊藤の横にしゃがみこむと、その手にそっと触れた。
「わたくしの命、伊藤様の物で御座います」
短く言い終わると立ち上がり、今度は自身の後ろに待機していた三名の女性に目線を移した。
「この者達はわたくしが幼少の頃より付き従ってくれている者、わたくし同様、その身を以ってでも伊藤様に尽くす事を厭わぬ者達で御座います」
(やはり、喜んで囮になるという事か、それは助かる)
どうしようもなく敵に接近された場合、やむを得ずではあるが女を囮にする事が出来るというのは武器になる。
敵が女に群がってくれていれば時間が稼げるのだ。とは言え、優理や瑠依を囮にする訳にはいかないので、この四名の囮は綱義にとって頼みの綱となりえる。
「有難い、名を聞こう」
綱義のその言葉に、静と呼ばれた女が収まりきらぬ様子で怒気を爆発させた。
「無礼者! 控えろ!」
「静! おやめなさい!」
静の怒気に一瞬怯んだ綱義は、目を丸くして驚いていた。
静を三歩下がらせた女性は「ご無礼を致しました」と軽く一礼すると、優しい目で綱義にその名を告げた。
「わたくしは香と申します。出自は美濃北方、父は安藤守就で御座います」
「んなっ!?」
綱義は、丸くしていた目を更に見開いて驚いた。
そんな綱義に、香の言葉が続いた。
「昨日までは遠藤慶隆の妻。離縁となり行く宛の無い所を伊藤様に拾うて頂き、足手まといにも関わらず郡上八幡からの落ち延びをお供させて頂いております。それ故に今は伊藤様の侍女と言ったところでしょうか」
香は笑顔で締めくくる。
(こ、これは無理じゃ……囮になど出来るものか)
「香様、御無礼をお許しください」
綱義は香に深々と頭を下げると、女を囮にするという作戦をその思考回路から消去した。
「わたくしの我儘で、好んでこの場におるのです。頭を下げねばならぬのはわたくし共の方なのですよ」
二人はこの会話を終えると、直に大原に向けた下山についての会話を始めた。
少し高台に出る場所まで瑠依が駆け、大原までの距離と方角を測定する。短い休息ではあったが、捜索隊の面々もいくらか力を取り戻していた。
「直に発ちましょう。夜が明ける前に敵との距離を離しておきたい」
綱義の提案に、香はゆっくりと頷いた。
「お任せ致します。わたくし共はただ、伊藤様をお守りするだけで御座ます」




