第7話 惚れてまうやろ
白パンツは固まったまま動かない。
堪え兼ねた中村さんが割って入り、伊藤さんに突っかる。
「ちょっとまって、どうゆうこと?」
伊藤さんは答えず、じっと白パンツを見つめていた。
また、沈黙が訪れた。
(何かあるって事か……)
その沈黙は暗に、彼女達に何かしらの事情がある事を物語っている。
「伊藤さん、なんか気になる事でもあるんっすか?」
白パンツを見つめたままの伊藤さんは、金田さんの問にも答えない。
(伊藤さん、何に気付いたんだろう)
固まったまま動かない白パンツに、何も隠し事が無いとは思えない。それは金田さんも感じているだろうし、中村さんも当然同じだろう。
不意に伊藤さんが声を発した。
「いや、悪かった。いいや、大丈夫」
沈黙を破り、この話題の収拾に回る。自分で振っておいて、とは思ったが、ここは話題を変えるのが正解だとも思う。
気にはなるけど、このままでは白パンツが可哀相に思えたし、この沈黙はちょっと辛かった。俺は伊藤さんの意図に沿う形で、話題を戻そうとした。
「俺は大丈夫なんで、普通に候補者の選考試験も受けたいと思ってますから」
「まって」
白パンツは泣いており、声は震えていた。
「言うね、言える……範囲の、事は」
何か、どことなく、決意のような物を感じる言い回しだ。
少しの沈黙が流れた。
それでもなかなか切り出せない白パンツの、すすり泣く声だけが響いている。これほど決意を込めないと言えないような事が、いったい何なのか俺は知りたい。
普段はベタ甘の中村さんも金田さんも、それについては聞きたいようで「ゆっくりでいいぞ」なんて言いながら、話すのを促していた。
人間とは、なんでこうも違うのだろうか。伊藤さんはいつもいつも、俺や中村さんや金田さんとは反応が違う。
「いや、君が話そうと思った範囲の半分くらいでいいよ」
なんだか抽象的な言い回しではあったけど、意味は理解できた。
その伊藤さんの言葉を受け、白パンツは嗚咽を漏らすほどに更に泣き始めた。この反応は、もう明らかにおかしい。
その時、俺の頭にはあの資料の制作元が浮かび上がった。
(ゲネシスファクトリー……)
それを口にすべきか否か、俺は迷うばかりで沈黙を続けていた。
白パンツが少し落ち着くのを待って、伊藤さんが続ける。
「やっぱりやめよう、そんな決意は持つべきじゃない」
そう言って、一度キッチンに行くと、何かを持ってすぐに戻ってきた。
伊藤さんが手にしていたのは、俺の時代にもある普通のキッチンペーパーだ。顔をぐしゃぐしゃにして泣いている白パンツのために持ってきたらしい。
「大丈夫、泣くなっ」
白パンツに声をかけ、続けて中村さんのほうを見た。
「なーに突っ立ってんのさ」
その傍らに立って慰める係をしていた中村さんに、半分笑いながらキッチンペーパーをロールごと丸々放り投げ、白パンツへ優しく声をかける。
「言い方が悪かったね、ごめん、別に疑っているわけじゃないよ? ただ、もし共有できる部分があるとしたら、教えてほしかっただけ、でもやっぱりやめとこっか」
優しい声でそう語りかけると、元いた自分の席に戻った。
直後、金田さんが突然立ち上がる。
「やっべえええ、先輩! 男前っす」
そう興奮気味に言うと、突然叫びだした。
「惚れてまうやろぉぉ!」
(おいおい)
完全に、空気を読み違えていると思う。待っていたのは当然ながら、痛い程に寒い沈黙である。
「あれ?」
滑った事実をどうにか受け入れた金田さんは、そのまま着席する。顔に「ごめん」って書いてあるように見えた。
沈黙を打開する役はもう、伊藤さんだと思っている俺は、本当に自分が頼りない。しかし、予想に反して沈黙を破ったのは白パンツだった。
ぐしゃぐしゃの状態で泣きながら、金田さんに向かって叫んだのだ。
「がべだざんどばがー!」
白パンツの鼻水が飛び散った。
とても可愛い女の子のこの醜態を、どう収拾してあげたらいいのかなんて、俺にはわからなかったし。モテない中村さんにも当然わからないはずだ。
今の叫びはたぶん『金田さんのバカー!』だろう。それは全員がわかったようだ。
白パンツはこの状況の所為か、飛び散った鼻水の所為か、はたまた伊藤さん質問のせいか。とうとう声を上げて、子どものようにわーわー大泣きし始めた。
「優理ちゃん、大丈夫だからね?」
(変態中年め!)
白パンツを慰めるふりをしながら肩や背中をさすっている中村さんが羨ましい。
(……俺と交代しろ! 代われ!)
俺の心に沸いた邪な欲望を掻き消してくれたのは、伊藤さんの大爆笑だった。なにが可笑しかったのか、一人でゲラゲラと笑ってお腹を抱えている。
「泣きすぎだって! お腹いてぇえギャハハハハ」
伊藤さんはまだ笑っている。俺と金田さんはその状況を口を開けて見ているだけだ。
「笑わないでくだざいおー、だっでぇ……」
もう収拾がつかない状態になっている。
(ガキだなこりゃ、完全にガキだ)
部屋中に響く白パンツの泣き声と、いいオッサンの大爆笑。
「鼻水飛ばしてやんの! ギャハハハ」
本当に可笑しそうに大笑いしていた。
可愛い女の子が顔面をぐしゃぐしゃにして泣いて。つまらないギャクにキレて怒って鼻水を飛ばした。それを憧れの人に目撃されて大笑いされるという状況、想像しただけで可哀相になってきた。
「だいたい金田くんさ、惚れてまうやろって、ここ三百年後で通じてないからっ」
そう言って、またゲラゲラと一人で笑う伊藤さん。
「あー、そうっすね、自分のギャグはもう遺跡発掘レベルっすね」
(なにその例えわかりにくっ)
金田さんは陽気で明るいが、ギャグのセンスは理解しかねる。
ようやく笑いの収まった伊藤さんは、金田さんをからかいながら席を立つ。改めて中村さんの傍らに置いてあったキッチンペーパーを手に取ると、白パンツに優しく声をかけた。
「可愛いお顔が台無しだぞ、シャワーでも浴びておいで」
まるで子供をあやす様な言い回しで白パンツを促すと、テーブルに飛び散った鼻水を掃除し始めた。