第5話 恩人
説明を聞いた結果、さっき伊藤さんと中村さんがしてくれた説明がほぼ全てだった。という事実を知るだけだった。
全員がテーブルを囲んで座っている。
俺の言葉を待っているのだろう。待たれても困る、そもそも納得するつもりなんて無い。
(分からん、やっぱ帰ろう)
面倒な事は嫌なのだ。そもそも生きるのが面倒で飛び降りようか迷っていたのだ。ちょっとアクシデントがあったとは言え、実際落ちるとこまでいったのに、今こうしてここに座っている。
「佐川さん、悪いけど俺帰るわ」
やろうとしている事は命がけらしい。別に死にたくないってわけでもないけど、命がけで何かに取り組むとか面倒すぎる。
「困りました。途中棄権はさっきの広間でしか認められていませんので……」
俺は立ち上がり、テーブルに思いきり手を付いついた。
「そんな事、そっちの都合だろ! 説明もなしに連れて来ておいて、今更それはねーよ!」
もう全部が嫌だった。
帰ったところで何も変わらないだろうが、自分の理解が及ばない状況に、だだひたすら我慢がならなかった。
困り果てた白パンツを見かねてなのか、俺がテーブルに勢いよく手をついたのが気に入らなかったのか、伊藤さんが怖いオーラを発して口を開いた。
「石島洋太郎くん、君さ、落ちて死ぬところだったんだろ?」
「え?」
戸惑う俺に、更に言葉を続ける。
「死んだと思ってやってみなよ。優理ちゃんは命の恩人なんだからさ、困らせたら駄目だよ」
「そう……ですかね」
伊藤さんはゆっくりと頷いて、俺の肩に手を置いた。
「戻りたい理由があるなら、俺も優理ちゃんの説得に力を貸す。けどさ、ここが嫌だとか、これからの事が嫌だとか、その程度の理由だったら、俺は君を全力で説得するね」
少し痛いくらいに肩を掴むと、そのままぽんぽんと叩いて笑顔を見せた。
「なっ? 戻りたい理由なんて無いんだろ? やってみようぜ」
確かに戻りたい理由は無い。
むしろ、あの日常から逃げ出したかったのは事実だ。
ここを非日常として楽しんでしまえるのであれば、それはそれでありかもしれない。そんな風に思い始めている自分がいた。
「そう……ですよね。分かりました、やってみます」
俺のその言葉に、白パンツは心底ホッとしたような表情を見せた。
一夜明け、俺達は選考会に向けた講義を受けている。
伊藤さんに見事に言い包められ、流れのままにちゃっかり選考会とやらの準備に参加している。
我ながら、情けない程に流されやすい性格である。
最初の講義は、当時の文化や習慣についてだ。
これから二日間、当時の政治の事や謀略についてや、武芸のお稽古まで目白押しとなる。
『人は生まれながらにして知ることを欲する』なんてよく言ったものだ。新しい知識は勇気をくれる。
その日の夕食後、会話の中心は珍しく金田さんだった。実は金田さん、自称ではあるが戦国時代マニアらしく、誰が何処でどうなったとか、色々と話してくれていた。
俺は登場人物の名前さえほとんど分からない状況で、中村さんはメモまで取りながら聞いている。伊藤さんは、キッチンで煙草を楽しんでいるようだ。
戦国時代の話に興味がないのだろうか。
金田さんの話は、織田信長の生涯についてに移っていた。
どうやら戦国時代に行くことになりそうなので、聞いておいて損はないはずである。が、それにしても難しい。
俺の隣で聞いていた白パンツは「へー」とか「え、すごい!」とかいちいち反応していた。
二時間くらい話し通した金田さんがシャワーを浴びに自室へ戻ると、伊藤さんが入れ替わるようにリビングに現れた。いつの間にか自室に入っていたようだ。
普段のスーツ姿ではなく、一応用意されていた寝間着っぽい緩めの服に着替え、並んで座っている俺と白パンツに声をかけた。
「昨日も思ったんだけどさ、ココのシャワーすげえよね」
子供の様に目をキラキラさせ、両手で状況を再現する。
「両側からこうさ、びゅわ~! ってさ」
どうやら本気でシャワーに感動している様子だった。
(いい大人だろうっ! 子供かっ!)
心の中で突っ込んでみたが、その気持ちは分からなくもない。確かにシャワーがすごい。ここが未来だと信じさせてくれる数少ないアイテムの一つに、間違いなくシャワーを上げる事ができる。
「なんですか『びゅわ~』って、アハハハッ」
伊藤さんのコミカルな動作に、白パンツはたまらず笑い転げた。ちょっと悔しかったけど、とても楽しそうな天使の笑顔にドキドキしてしまう。
「それにしてもさ、ベッドルーム何にもなくて暇だよね」
湯上り伊藤さんは、言いながらキッチンの方へ向かうと、備え付けの戸棚をゴソゴソと物色し始めた。
「おっ」
何かを手に取ると今度はリビングの中央へ移動し、そのままソファーに寝ころぶ。その手の中でカチカチと音を立てていたのは、暇つぶし用に置かれているルービックキューブだった。
「こんなん出来るヤツの気がしれん」
楽しそうに言いながら、小さな四角系の物体と戯れている。
そんな伊藤さんを眺めている白パンツの瞳は、これぞ正しく熱い視線ってヤツで、妙に色っぽく見えた。別にヤキモチを焼くような間柄ではないのだが、どことなく胸がチクっとした。
興味をこちらに引き戻そうと、会話を作る努力をしてみる。
「佐川さん結構ちゃんと聞いてたよね、金田先生の話」
白パンツは視線を俺に移すと、優しい笑顔で答えてくれた。
「ん? 一応は勉強してあるしね、知らないエピソードとか聞けて面白かったよ?」
そういって右手でピースサインを作って微笑んだ。
(や、やっぱ可愛いな……)
天使のピースサインに心を奪われながら、どうにか平常心を保ち会話を続ける。
「それ、金田さんに言ったら泣いて喜ぶよきっと」
そこそこいい感じに、軽い笑いが漏れる会話を始める事ができた。
「えー、やだなー。泣かれたらちょっとメンドクサイから言わないでおこーっと」
(コイツ……)
自分がかなり可愛いと自覚しているんじゃないだろうか。
ころころと変わる表情はどれも魅力的で、見せ方を知っているのではないかと疑いたくなる。
男を口説く訓練でもしてあるのかと思えるほどに、俺の心は容赦なく引きずり込まれっぱなしである。男を惑わすの魔性か、それともとびっきり上等な美女か。
心にグサっと刺さるような、そんな魅力を放出しておきながら。不思議なことに、わざとらしさは微塵も感じない。
実際、白パンツの視線や行動は隙だらけで、とても訓練を受けているようには思えない。
今も、そう。
たった二言の俺との会話を終えると、視線は再びあのソファーに釘付けになっている。
(分かりやすいなぁ)
悔しいけど、伊藤さんと張り合っても勝てる気がしないのは事実。若さとイケメンっぷりじゃ負けてないと思うけど、人として、大人の男として、総合的には勝てない自信がある。
「伊藤さんは十五名の候補に残りそうだよね」
ちょっと小声で話しかけてみる。
「うん……残るよ、絶対」
白パンツもちょっと小声で返事を返してくれた。
ただし、ソファーでルービックキューブと格闘する伊藤さんを見つめたまま、こちらを向かずに頷いていた。