第49話 金田さんお戻り
金田さんが尾張に出発した日から十三日間、つーくんが再出発してから六日間が過ぎたその日、暦は七月に入った。
織田信長の美濃侵攻まで一ヶ月を切った事になる。
「にゃはははは、つ~るりん♪」
綺麗に改修された屋敷の中庭に、瑠依ちゃんの愉快な笑い声が響いている。
「にゃはは、つ~るりん、つるつるりん♪」
「るいちゃん言い過……ぎ」
必死に笑いを堪えていた優理も、ついに我慢の限界に達したようだ。腹筋を崩壊させながら、涙を流して笑っている。
「よっ、おまたせ~」
伊藤さんが中庭に隣接した広間に現れた。
「先輩~、この子達どうにかしてくださいよ……さすがの自分も傷つくッス」
その広間では、優理と瑠依ちゃんに苛められているつるりん金田さんが泣きそうな顔で伊藤さんに訴えている。
「優理も瑠依も笑ったらダメだぞ。金田くんは命を捨てる覚悟で頑張ってくれたんだ。笑ったらダメ!」
伊藤さんは二人にビシっと言うと、金田さんに向き合った。
この数日間で、いつのまにか唯ちゃんと瑠依ちゃんの事も名前で呼び捨てにするようになった伊藤さん。瑠依ちゃんはどうもそれが嬉しくてたまらない様子だ。
「ホントご苦労様でした! 金田くん凄いね! ほんと凄いよ!」
伊藤さんはそう言って金田さんの肩をポンポンと叩く。
「やめて下さいよ、自分は先輩の凄さを改めて実感してきたっす」
金田さんが言うには、織田信長とその家臣の微妙なバランスを見極め、交渉をスムーズに運ぶ秘策を伊藤さんから授かったらしく、その秘策通りに事が運んで見事に成功したらしい。
伊藤さんは織田家主従の微妙な関係性を見事に予見し、織田信長という人の性格まで見て来たかのように的中させたそうだ。
「何となくは理解してたつもりだったんですけどね。あそこまで具体的に的中しちゃうと……もう神様かと思うくらいっす」
金田さんは、織田家の小牧山城で行われたやり取りを細かく報告していた。
報告を聞き終えた伊藤さんは、大きく頷くと、唐突に武士語で大きな声を出した。
「金田健二郎、大義であった!」
「ハハッ!」
金田さんも合わせて、床に両手を付いて頭を下げる。
「褒美を取らそう!」
伊藤さんはそう言うと、まだ必死に笑いを堪えている瑠依ちゃんと優理のほうを見た。
「二人とも、金田健二郎の肩を揉んで差し上げろ」
「はい!」
「はーい」
(あ~、なるほどね)
なんで金田さんの報告の場にこの子達が呼ばれていたのかを理解した。
「にゃはは、近くで見ると迫力ありますよ! つるりんさん♪」
瑠依ちゃんは肩を揉みながら金田さんの坊主頭を弄り倒すつもりのようだ。
「もう、るいちゃん。まじめにや……ぐ……ダメ無理! アハハハハッ」
瑠依ちゃんが金田さんの頭をナデナデし始めると、優理はついに堪えきれずに本日二度目の腹筋崩壊に陥った。
そんな様子を、伊藤さんは優しい目で見守っている。
「あ、殿もやってほしいですよね? 頭剃ります?」
伊藤さんが意地悪な笑みを此方に向けてきた。
「頷いちゃいそうですよそれ、割と冗談になってませんから」
冗談なのは分かっているが、現状の金田さんは羨ましい限りだ。ああなるなら、坊主頭も悪くないと思ってしまう。
(いいなぁ……)
男の欲望とは実に素直なものだと身を持って体感中だ。
つるりん金田さんの頭で遊んでいる瑠依ちゃんと、その横で転げまわっている優理。床を転がりまわる優理の着物は思いっきり捲れあがり、綺麗な太ももが容赦なく俺の視線を奪っていく。
つるりん金田さんの視線も同様に、優理に注がれていた。
(幸せそうだなぁ~金田さん)
そんな俺達を余所に、伊藤さんは廊下に出ると中庭に向って叫んだ。
「十五!」
「ハッ、お呼びで!」
伊藤さんの呼び声に、何処からともなく疾風のように十五さんが飛び出してきた。
「明朝出立する、仕度を急げ!」
「ハッ!」
十五さんはまた風のように何処かへ消えて行った。
明日の朝、伊藤さんはここを出て姉小路さんの所で本格的な同盟交渉に挑む。滞在は数日、長ければ七月中旬に入るかもしれない。
とにかくこの同盟を成功させなければ、俺達に未来は無い。織田信長さんと約束してしまっているのだ。飛騨守護の援軍と、それを活用する俺達の郡上進軍を。
「金田くん、しばらく屋敷を頼むね! 俺今からちょいと四衛門さんの所に行ってくる」
「了解っす!」
伊藤さんが広間を離れるのと同時に、つるりん金田さんへのご褒美タイムも終了のようだ。
優理と瑠依ちゃんは「それじゃお仕事してきます!」と言い残し、美紀さんが忙しそうに走り回っている炊事場へ向かった。
「石島ちゃん俺、鼻血出てない? 大丈夫?」
つるりん金田さんはまだお花畑から出れていないようだが、どうにか平常心に戻ろうと努力している様子で、なんだかとても面白い。
「大丈夫ですよ? それより金田さん」
俺は金田さんの近くに移動して座ると、金田さんに頭を下げた。
「危険なお役目、有難う御座いました!」
頭を丸めて白装束を纏っての交渉、一歩間違えればバッサリ斬られていた可能性も低くないのだ。
「そうでもしねぇとさ、なかなか信長様に取次いでもらえなくってね」
髪の毛が無くなった金田さんの表情は、少し引き締ったように感じる。本当に命を懸けて戦ってきたんだろうと実感できる程に、男前になって帰ってきてくれた。
「これから先、命懸けで行動しないと駄目な場面は沢山ありそうですね」
黙って頷く金田さんに、俺が今思っている不安を聞いてもらう。
「伊藤さんと離れるの不安なんですよね、これまでずっと一緒にいてくれたから」
伊藤さんだけではなく全員と離れ、たった一人で行動している金田さんとつーくんに比べたら、実に情けない話ではあるのだが。
俺をじっと見たまま無言だった金田さんが、突然身を乗り出してきた。
「いやぁあ~、殿! いいですね! 成長しました!」
金田さんは俺の肩をバシバシと叩きながら言葉を続けた。
「自分の不安を口にするのは勇気のいる事、それを出来たのがまず成長の証!」
そして俺の顔を覗き込むようにしながら、更に続ける。
「しかもその不安、自分のだけじゃないでしょ。女の子達が思ってる不安だよね? 口にはしないだろうけどたぶん……全員不安なんだと思うよ、伊藤先輩と離れるのはさ」
そう、俺の心配もそこだったりした。金田さんはとても満足そうに言葉を続ける。
「そこまで考えて、言葉を選んで話せるなんてさ、殿も段々と男前になってきたっすね!」
言いながら立ち上がった金田さん。
「ま、それはさておき、簡易キャンプに行ってシャワー浴びてくるわ」
広間から出て行こうとしていた。
「はい! 長旅お疲れ様でした!」
これからの事とか、金田さんとも沢山話はしたかったけど。お疲れだろうから、今日はゆっくり過ごしてもらう事にした。
夕方には伊藤さんの出発準備で女の子達が慌ただしく走り回っている。特に大変そうだったのが、お供をする三名分を含めた四名分の着替えと、道中の為の食料。
背負って行くのも大変そうな大きな荷物が二つも出来てしまったのだ。その大きな荷物を前に、唯ちゃんが少し困った顔をしていたのだが、そこに現れた金田さんが「大丈夫っしょ」と言いながら中庭に出た。
「十三ちゃん十五ちゃん、ちょっと来て!」
『ハッ! 只今!』
二人は颯爽と現れて、中庭に膝をついた。
十三さんは今年で十九歳になったそうだ。十五さんは今年で十六歳。お栄ちゃんが十三歳だから、ちょうど綺麗に三つ差が続いている事になる。
(フレッシュな感じするわ~)
十三さんと十五さんは、金田さんの指示で荷物を担ぎ上げる。俺達が思っている程、その荷物は大変ではなかったようだ。
「この程度であればご心配には及びません」
十三さんが丁寧に答えている間、俺もちょっと背負ってみようと思って荷物に手をかけたのだが。
(うわっ! これかなり重いじゃん!)
ずっしりとした重みに、荷物にかけた手をコッソリ引っ込めるしかなくなってしまった。