第30話 親分の鉄槍
親分の持つ槍は、伊藤さんが奪った槍とは見るからに違う。長さはもちろん、重さや強度にも大きな差がありそうだ。
「もう一度だけ言う、俺の子分になれ」
今度は全身から殺気を放出しながら降伏を促した。
「冗談きついって大将」
伊藤さんは講義で習ったように槍を構えて言葉を続ける。
「そこはさ? 『子分にして下さい』の間違いじゃねーの?」
俺から見えるのは伊藤さんの背中だけ。けど、今の伊藤さんの雰囲気、たぶん笑顔で言ってのけたに違いない。
「死にてぇなら仕方ねーな」
親分は腰を沈めて槍を引き付ける。その動きに合わせるように、伊藤さんの腰も少し沈む。
「死ねやぁああああ!」
怒号と共に繰り出した親分の槍は、同時に後方へ飛び退いた伊藤さんには届かない。
「まだだぁぁ!」
親分は槍の柄の末端を握ると、重そうな槍を片手でグルリと大回転させた。
その大振りを見逃さなかった伊藤さんは、一気に距離を詰める。穂先が届かない距離まで接近し、槍の柄を受けなが、一気に懐に飛び込むつもりなのだろう。
大振りに回された槍の柄を、槍を縦に持って受けながら、前進する予定。
だった筈だ。
しかし、伊藤さんの体は大きく吹き飛んだ。
(嘘だろ……とんでもないパワーだな)
金田さんは割とやせ形だが、伊藤さんは至って普通の体型だ。
あの身長なら、七〇キロ前後はあると思われる。
その伊藤さんが、まるで子供のように吹き飛んだのだ。
「いてて、鉄槍か」
伊藤さんが手にしていた槍は、親分の攻撃を受けた箇所で真っ二つに折れていた。
親分の槍が、柄の部分まで全て鉄で出来ている槍だとすれば、あの速度と鉄の重さがあれば考えられる破壊力ではあるが、それを片手でグルリと回せる親分の腕力に驚愕する。
伊藤さんを弾き飛ばした槍は、そのまま親分に操られるようにして弧を描き、伊藤さんの脳天へ振り下ろされる。
伊藤さんはそれをどうにか回避した。
空を切った槍はそのまま地面に激突したが、発せられた音は槍で地面を叩いたような音ではなかった。
まるで交通事故が起きたような、爆発音のような衝撃が伝わってくる。
「器用な事するじゃねーか、あんなに手応えがねぇのは初めてだぜ」
ニヤリと笑みを浮かべた親分は、その巨体に似合わない俊敏な動きで伊藤さんとの距離を縮める。槍の届く範囲に入ると、まるで地面ごと削り取るように槍を振り回す。
(ヤバイのか?)
あの重さと速度で振りぬかれる槍の穂先に少しでも触れれば、大けがじゃ済まないダメージを受けるだろう。
伊藤さんはどうにか前方へ飛び込む事で穂先を躱したが、その柄に思いきり弾き飛ばされる。
また派手に吹き飛ばされ、テーブルをなぎ倒しながら落下した。
「んぅ、いってぇ……」
テーブルを押しのけながら伊藤さんが起き上がる。
「ほう、起き上がるか、ますます惜しい」
「タフなのが自慢でね」
折れた槍の先半分を右手に持って立ち上がる。
「石島くん小屋に入って! 金田くんと須藤くんは少し離れて! 手を出さないでね!」
伊藤さんは此方を見る事無く声を上げた。
親分は特に息を荒げるでもなく、一歩、また伊藤さんに接近する。伊藤さんの指示通り、金田さんが伊藤さんと親分から距離を取る。
「石島ちゃん、入ったら美紀ちゃんを手伝って!」
金田さんは俺に小屋に入るよう促し、つーくんは木の棒を片手に、一定距離を保ちながら隙を伺っている感じだ。
「そろそろ終わりにしようか」
親分はその一言を終えると、立て続けに槍を繰り出す。伊藤さんは見事としか言いようがない、一定距離を保ちながら全てを避けきった。だが、伊藤さんは既に肩で息をしている。
「グハハハ! 息があがってるなデカイの!」
小屋に入った俺は、窓を開けると顔を出した。窓の高さは地面からだいぶ高く、槍でも投げ込まれない限りは安全だ。窓から身を乗り出す様に状況を見つめる俺は、背中の辺りの服を掴まれた。同じく窓から状況を見ていた優理だ。
(そうだよ、俺がしっかりしないと!)
室内を見ると、うずくまる瑠依ちゃんを唯ちゃんが抱きしめるようにしている。美紀さんは、何故か台所にいるようだ。
またさっきの爆発音のような、槍で地面を叩き壊すような音がした。
伊藤さんはもうフラ付いてる。
山賊達の返り血なのか、伊藤さん本人の流血なのか区別がつかない。全身血まみれで、かなり苦しそうだ。
「グハハハハ、よくやったよデカイの。俺の槍を受けて無事なわけがねぇ」
良く見ると、伊藤さんの右腕はダランと垂れ下がり、左手には武器を持たず、左の脇腹より少し上あたりを押さえている。
(槍で吹っ飛ばされた時に折れたのか)
「終わりだ!」
親分が一歩踏み込んだ瞬間、さっきまで垂れ下がっていた右手が突然親分に向けられ、何かを投げたようだ。
親分の動きが停止した。
次の瞬間、伊藤さんは壊れたベンチの部材を両手で持つと、親分目がけて振り込む。
狙いは、槍を持つ手だった。ベンチが当たる音と、親分の叫びがほぼ同時にあがる。
「あがっ……て、殺す!」
その目には、べっとりと血が付いている。
伊藤さんは拳の中に血を溜める為、わざと右手をぶら下げていたようだ。そして、ある程度たまった血の塊を親分の目に投げたらしい。
親分が鬼の形相とでも言うのか、恐ろしい表情に変わった。しかし、鉄の槍は一度地に落ち、親分の右手の指があらぬ方向を向いている。
伊藤さんは既に落ちた槍を拾うと、小屋の方に向って思い切り投げ飛ばした。