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第116話 木下小一郎

◆◇◆◇◆


◇1568年 9月

 美濃国

 岐阜城 織田家



 織田領内に発せられた陣触れに応じる形で、尾張・美濃の精兵が次々と岐阜城に集結し始めていた。

 更に、既に美濃へ入ったとの報告が上がった三河の援軍も、間もなく合流予定である。


 既に出発した柴田勝家率いる先発隊は、近江国境付近で近隣への地ならしを開始しており、壮絶な情報戦が展開されていた。


 彼らは、未だ態度を鮮明にしない南近江六角氏の動向を監視しする役目の傍ら、六角氏に味方しようとする勢力を尽く懐柔するというを役目も負っている。



 いよいよ出立の時を控えた岐阜城の一角に、その見た目において不釣合いな兄弟がいた。

 兄は小柄で猿のような面相を持ったいかにも身分の低そうな人物であり、弟は大柄で整った顔立ちをしており、温和さを漂わせ落ち着き払った風貌はどこぞの貴人と見まがう程である。


 その不釣合いな兄弟も、この上洛に同行する予定であった。


「兄者、我らも支度を」


 弟が兄に声をかけた。

 特別な役目を与えられずにいる事に焦る木下藤吉郎は、弟である小一郎に宥められるようにして重い腰を上げる。


「石島の次は明智ぞ。ワシらの働きが認められるのは容易な事ではないと思うてはいたがな、面白うない!」


 事実、この木下藤吉郎は大いに躍進している。

 その事を面白くないと思う織田の将は少なくない。

 それでも尚、この木下藤吉郎の飽くなき出世欲は留まる事を知らずにいた。


(兄者は何を焦っているのだ)


 秀才として知られる竹中半兵衛重治を傘下に加え、木下の一隊は織田家中でもそれなりの規模を持っている。

 単に雑兵として参加した桶狭間や、辛うじて一隊を率いる事が出来た稲葉山攻めとはわけが違う。


 木下隊は織田信長率いる上洛軍の本体に組み込まれ、戦となる見込みの南近江では十分な活躍の場を与えられるであろう。


「小一郎よ、わしゃやるぞ」


 小さな体を具足に収めた藤吉郎は、勢いよく駆け出すと自分の隊へ向かって大きく叫んだ。


「皆の衆! いよいよじゃ! ええな!」


『応!』

『応!』


 隊の士気は高い。しかし、やる気を漲らせる兄に対して弟は懸念を抱いていた。


 実はこの兄、戦があまり得意ではない。


 稲葉山攻めにおいても、状況判断や陣頭指揮は弟である小一郎や、実践経験豊富な家臣である蜂須賀正勝に頼っていた部分が大きい。


(衆を良く率いる才なれば、兄者は天下一品の才覚を持っておるのは間違いない)


 小一郎は兄の才覚を誰よりも買っている。それ故の懸念である。


(こんな小さな隊を預けられて活躍するような蛮勇の才ではない。もっともっと大きゅうなって貰わねば困る)


 現状で与えられている役割では、兄はその才覚を存分に発揮する事は出来ないであろう。少なくとも一城の主として、多くの人、土地、兵を率いてこそ発揮される才覚であると確信しているのだ。


 こんな小さな部隊では、兄の勝気が裏目に出て大失態を演じかねない、という心配さえあると思っている。


「小一郎様」


 そんな心配顔の小一郎に、竹中半兵衛が声をかけた。


 声をかけられた小一郎が振り向くのと、半兵衛が次の言葉を発するのがほぼ同時であった。


「ご心配には及びませぬ。そのための我らではありませぬか」


 自身の心中を鷲掴みにされたかのような一言に、小一郎は一瞬の焦りを覚えた。


「竹中殿には適いませぬな、我が心中をお察しとは」


 小一郎が抱いた焦りは一瞬の事で、その驚きはすぐに安堵へと変わった。小一郎は、兄が口説き落としたこの秀才に対し、全幅の信頼を寄せている。


 確固たる実績があるわけでもなく、目の前でその才覚を披露されたわけでもない。にも関わらず信頼する根拠は、半兵衛ではなく兄藤吉郎に対しての信頼である。




 半兵衛が藤吉郎の元に出仕し始めてから数日後の事であった。


 藤吉郎が突然連れてきては師のように拝む半兵衛に対し、蜂須賀正勝を始めその武勇を持って藤吉郎を支えてきた将からは不満の声が上がった。


 その不満を一掃したのが小一郎である。


 小一郎は、兄の人を見る目に絶対の信頼を置いていた。


 半兵衛に限らず、不満を噴出させた将兵も、そして己自身も、藤吉郎が必要としている人間に凡夫は存在しないと確信している。


「皆様方とて兄者が恃むに値すると思うたからこそ共に戦い、こうして立身の機会にも恵まれたのではないか。竹中殿の才覚も、皆様方の武勇も、兄者にしてみれば同じ事ぞ」


 小一郎がこう言って将兵を窘めたという話は、当然のように藤吉郎にも半兵衛にも伝わった。


 藤吉郎は『出来た弟である』と感心し、半兵衛は小一郎の非凡な才に瞠目した。


 半兵衛自身、誰よりも己の才覚を頼みとしている。他人から称えられるその知略を以て、主を支えらえる事に喜びを見出そうとしてた。

 しかし、そんな己の才覚を他者は妬み、容易には受け入れない事も承知している。出仕したばかりの己に対し、当然出るであろう不満や妬みにどう対処するべきか、頭を悩ませていた矢先の事であった。


(衆の手を取り導く兄、その衆の背を押す弟……か)


 非凡な才覚を備えているという点では、その分かり易さにおいて兄藤吉郎が織田家中でも注目の的である事は間違いない。


 しかし半兵衛の目には兄を支える小一郎もまた、実に非凡なる才覚を備えているように見えるわけだが、当の小一郎はそのような素振りを見せる事が無い。


 決して誇らず、驕らず、謙虚に献身的に兄を支えている。


 そんな小一郎に対し、半兵衛は尊敬に近い念を抱いていた。




 苦笑いを浮かべている小一郎に対し、半兵衛はその美しい容姿に笑みを作って答えた。


「察しているのではありませぬ。同じ想いを抱いているだけで御座いますよ」


 そう言った半兵衛の目線は、配下の間を忙しく飛び回りながらくまなく声を掛けて回る藤吉郎に向けられていた。


 それに気づいた小一郎の目線も、釣られるようにして藤吉郎へと向けられる。


(同じ想い、か。多くを語らぬ故に多くを信じられる)


 木下小一郎、竹中半兵衛、両者はこの後も多くを語り合う事はなかったが、互いに全幅の信頼を置き続ける事になる。

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