② 勇者っぽい人現る
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正門を抜けると、広がるのは広大な敷地。
多くの人たちがこの道を歩いたのだろう、敷き詰められた花巌石は角が取れ鈍い光を反射している。
真っ直ぐ本校舎へと伸びる道の脇、生命ある鎧が言った通り、『新入生受付』の看板を出している丸太小屋が目に入った。
なんというか急拵えで作られたような感じで、ちょっとこの風景に溶け込む事ができていない気がする。とは言っても、木材で組まれたその小屋は簡素ながらもしっかりとした造りで、受付の為だけに建てられたとしたら十分すぎるくらい立派なものだった。
しかも、その小屋の周りには今の時期には咲くはずのない花々が咲き乱れ、鮮やかな色をした蝶々が舞っていた。
ちょっとファンシーさすら感じる。
あまりにオレの想像したセラフィメンズの想像と異なる景色にいささか拍子抜けする。てっきり、門を抜けたら怪物のオンパレードとか、血の海とかが広がっているもんだと勝手に予想していただけに、天と地の差ほどあるギャップに呆然となる。
そして、ふっ、と、走馬灯のように脳裏を過ぎる親父と過ごした過酷な日々を思い出したが……――なんとか泣きたくなる衝動だけは精神力で押さえ込んだ。
「ははは~、お花が綺麗だなァ」
花のいい香りにつられて、顔を近づけようとした、その時――……
「あ、そこのキミ。その花にはあんまり近づかない方がいいよ」
現実から逃避しようとするオレのすぐ後ろから、若い男の声が投げかけられた。
振り向いたオレの視界に入ったのは、一人の風姿の優美な男だった。
金の額当て、濃紫の外套に、兜は着けてないものの明からに動きにくそうな――これまた、銀色の重鎧。しかし、青年の足は軽やかで、鎧の重さなど微塵も感じさせなかった。
……ふっと銀の英雄の物語が頭をよぎる。
世界を救った英雄。ほんの三百年前のことらしいが、現在を生きるオレ達の認識といったら「世界を救ったって話もどこまでが本当の事なのか……」くらいなもんだ。
一般市民にとっては寝る前の子守唄代わりの昔話。ただこの英雄譚のおかげか銀ってのはどこか神聖視されているのは事実だ。
……実際鎧とかもやっぱり銀色が多いし。
まぁ、なんにしろ、目の前にいるようなタイプの人が英雄だの、勇者だのに名乗りをあげるのだろう。なんか、いやにキラキラしてるし。
「……えーと」
「その花はヒトの血を啜って咲き誇る、美しくも恐ろしい食人花なのだから」
ただこの芝居がかった言い回しのせいで正確な年が読み取れない。おそらく、オレと年はそんなには変わらないだろうが……何故か少年とは呼びずらい。
そんなオレの内情を知ってか知らずか、この勇者サマはニコリと笑いながら、
「この間も、新入生が二人ほど飲み込まれてね。幸い、二人には大事は無かったんだけれどね。あのまま飲み込まれていたら、ゆっくりじっくり骨まで溶かされていただろうね? けれど、彼女たちだって美しく咲き誇るためには栄養が必要なのだから、大目に見てもらいたいと言うものだよ。それに、近づかない限りは、目の保養には申し分ないだろう? ……ああ、そんな目をしないでおくれ。つまり、僕が何を言いたいかと言うと、そこのキミも十分に気をつけてね、と言う先輩からの忠告さ」
そう饒舌に食人花についての補足を丁寧にも付け足してくれた。そして、口許には恍惚とも言える微笑を浮かべ、風になびいた青い髪をかきあげる。極めつけは、白い歯をキラリと光らせ、静かにこう続けた。
「それに、僕が育てている花で民間人に死傷者は出したくないしね」
――民間人でなければよいと?!
この勇者サマもどき、笑っちゃいるけどこれ以上ないほどに目がマジだ。
「さぁさぁ、新入生君……――新入生だよね?」
この人の持つ独特の雰囲気にすっかり呑まれツッコミは言葉にならなかった。
辛うじて投げかけられた質問に頷くことは出来たが、正直頷いてしまってよかったのだろうかと疑問が首をもたげる。
「そうか、それなら早く受付を済ませてしまった方がいい。そうすれば民間人ではなく、セラフィメンズの栄えある生徒ということになるのだから」
再度、白い歯をキラリと光らせるように笑う。見ようによっては爽やかな笑顔、と思えなくも無いが、そんなのどうでもいい。そんなことよりも今の口ぶりから言って――この人、オレをこの花に食わそうとしてねぇか?
急に不穏な空気が立ち込めたような気さえする。数分前に拍子抜けとか言っていた自分を殺してしまいたい……。
「さぁさぁ新入生君。そんなところにボーと立っていると、お花さんだけでなく蝶々さん達にまで肉を食い漁られてしまうよ」
反射的に花と蝶を返り見る。花の上を飛び交う蝶々たち……それはいっそ幻想的と言ってもいい……――しかし、通常は蝶にあるはずのない鋭い牙がキラリと光る。
いや、それどころか、数羽しかいなかったはずの色鮮やかな蝶が、いつの間にやら花の周りに蠢くように集まってきている。
中でも一番でかい宵闇色の羽をした蝶がオレの前にフワリと躍り出る。笑うはずのない蝶がニヤリと笑ったような気がして、オレは惨めにも脱兎の如く駆け出した。
「な、なッ、なんッ、なんだよっ!?」
そうして、受付小屋のドアに手をかけている勇者サマの側までかけ寄った。
「麗しきルビールさん、迷える子羊を一人お連れしましたよ」
オレの怯える様子など無視し、男はコンコンっとドアを二度ノックする。その様子は手馴れたもんで、口調などまるで女を口説くような感じである。
「あら、ハッシュ君じゃない。どうしたの? あ、学園の見回りかしら?」
少し間を置いて、ドアが開く。続いて現れたのは、少しばかし化粧が濃い二十半ば頃のお姉さんだった。スカイブルーのスーツに身を包んだお姉さんは、ハッシュと呼んだ勇者サマの存在を認識すると真っ青に塗った唇を嬉しそうに綻ばせた。
「確かに、ジノーム教官に見回りを仰せつかったけれど……そんな命令が無くとも、ルビールさんに会いに僕はきっと来ましたよ」
「ふふふ、やぁねぇ、ハッシュ君たらぁ。相変わらず口が上手いんだから」
なにやら会話についていけなさそうなので、オレは花のほうに視線を移す。例の蝶々たちはオレと言う獲物が近場からいなくなると、鱗粉を撒き散らしながらその大半が青空へと帰っていったようだ。
蝶々達以外の一点の曇りもない空の青さは、オレの目にはものすごく痛かった。
「ハッシュ君……ダメよ、お姉さん困っちゃうわ」
「ルビールさんを困らせたくはないのですが、貴女の美しさを思うと僕の心は」
いつの間にやら、随分と会話が進んだらしい。スカイブルーのスーツのせいか余計に顔がやけに赤らんで見える。いや、十分に熱に浮かされたような表情だ。……二人だけの世界をいい加減止めないと、オレの存在を延々無視し続けるだろう。
人の話に割り込むのは気が引けるが、このまま二人の世界がずっと展開され続けると……色んな意味で精神的にとっても、困る!
「あのぉ……盛り上がってるところスイマセン、受付の手続きしてもいいですかー?」
「……――ッ!? あ、ご、ごめんなさい! あら、新入生ね? おほほほ……」
オレの存在がまったく視界に入ってなかったらしいお姉さんは驚いた表情を浮かべながら、不自然な笑いをこぼした。しかし、そこはさすがセラフィメンズに関わる人だ。一瞬で自分のするべき事を思い出したのだろう。踵を返しすぐに仕事に取り掛かる。
書類やら本やらが積みあがった机に向かい、その中に埋もれるようにしてあった小型集積回路を引っ張り出す。
手のひらサイズのそれは電源を入れると空間に数字の羅列が浮かび上がり、ピコンっ、と、一度だけ軽快な電子音が鳴った。
骨董遺物と呼ばれるそれは、おいそれとお目に掛かれるものではない……のだが、それが埋もれてるって……このお姉さん、もしかしてだいぶズボラか??
オレが数字の羅列を睨み付けていると、
「あ、それじゃあ僕はそろそろ見回りの続きに行くよ。またね、ルビールさん」
そう言って、ルビールさんと呼んだ受付のお姉さんの元まで行くと足を止め、その場に膝をつく。そして流れるような動作で相手の手をとり、チュっと、音を立てて唇を落とした。
一方のお姉さんといえば、「まぁ……・」と、短い感嘆の声を上げ、うっとりとキザな事をやらかした男を見つめていた。
その行動が様になっているから救いではあるが、二人を取り囲むのは今にも崩れそうな資料と本の山。男の方など膝をつく場所がなくて、書類らしきものを踏んでいる。
常識人なオレから言わせてもらうなら、もう少し場所を考えてしてもらいたいものだ。
特に、傍観者がいる場合は控えてもらわねぇと、見ているこっちが恥ずかしすぎて死ぬ。恥死する。
「そっちの新入生のキミも、また機会があったらお茶でもご馳走するよ」
立ち上がり、膝についた埃を払い落としたのち、そう言った。
オレの存在を無視していたワリには、オレの存在を覚えていたらしい。さっさとオレの横をすり抜け、もう一度だけ受付のお姉さんに微笑みかけると、そのまま外套を翻しドアから出て行った。
さすがに男のオレには別れの挨拶は言葉だけだったのだが、最後の最後まで演技がかったヤツだった。そして、すごく見ていて疲れる勇者サマだ。もしもあれが素だというのなら……――あぁホント、都会って恐いところなんだなぁ……と、思うしかない。
噛み殺せなかった溜め息を、深く吐き、
「……スイマセン、お姉さん。さっさと受付け済ましちゃっていいですか?」
疲労の色を隠すことなくオレは、本に埋もれているお姉さんに一言声をかけた。
「……――はっ! ご、ごめんなさい! お仕事お仕事」
うっとりと、ハッシュと呼ばれた勇者サマの出て行ったドアを見つめ続けていた受付のお姉さんだが……すぐに仕事を思い出したらしい。
オレにはあの勇者サマもどきにうっとりする意味が分からないのだが。けしてモテないひがみなどではない。
「えーと、お名前をお伺いしてもいいかしら?」
「ラディス。……ラディス・ユディット」
そうオレが告げると、軽快に音を奏でていた指先がピタリと止まった。
「――ユディット? あ、ラディス・ユディットさん、ですね。少々お待ちください」
お姉さんの顔が一瞬だけ、顰められたと感じたのは、おそらく気のせいではないと思う。しかしながら、オレは知らないお姉さんにそんな顔をされるいわれはない。
あるとすれば、それは――……いや、憶測でモノをいうのはやめておこう。怖いから。
「新期生ラディス・ユディット――確認。入学者番号SA12010108……認証」
真っ青な口紅を引いた唇を、早口に動かす。
忙しなく動いていた手が止まり、ピーッ、と、完了の合図らしい電子音が狭い小屋の中に鳴り響く。それと同時に、隣接していた印字機がガションガションと奇怪な音を立てはじめた。
「……・こ、壊れてません?これ?」
そう思わせるほど、随分と無理をさせている音だ。激しく印字機本体を揺らしながら、しまいにはガガガガガッと言う音と共にプスプスと白い煙を上げはじめる。
「壊れてなんかいませんよ、いつもこんな調子ですからお気遣いなく」
やっぱり壊れてるんじゃ……と思ったが、ニッコリと営業スマイルを向けられ、それ以上は何も言えなくなった。
しばらくすると印字機の揺れも止まり、変な音も鳴らなくなる。それを確認したお姉さんが、印字機の上蓋を取り外し中から何かを取り出した。
そして、オレに手招きをし、
「はい、これは無くさないで下さいね」
と、言って、小さい銀の板と細い鎖を手渡した。
「このセラフィメンズ学園の生徒であることの身分証明書ですので。それから、これがあれば、この学園と提携を結んでいる市町村での物資の調達が格安で受けられることになっています。課外授業、補講課題などの時に便利なので、是非に利用ください。もちろん、王都内に存在するお店でも利用可能です」
「へぇ、こんな銀の板一枚で随分といい待遇なんですね」
マニュアルのようなお姉さんの説明を、頭に叩き込みながら手の中でキラキラ光る銀の塊を摘まんで宙にかざす。なにやら小さい文字が明記されているようだが、よくよく見れば、名前とさっき言っていた入学者番号のようだった。
「この学園の生徒である間だけですけれどね。学生の特権をフルに活用してください。あと、これにはもう一つ利用の仕方があるのですが……そちらについては、のちほど担当教官から詳しい説明があると思いますので、ここでは控えさせていただきますね」
そう言って笑うお姉さんの顔から視線を外し、その手にある銀の板を見やる。今までの説明からすると、この銀の板、銀貨ほどの大きさのクセに、銀貨以上の働きをするときている。
便利なのは嬉しいのだが、こんな感じのものをオレは知ってる。
「――……犬の鑑札みてぇ」
もしくは迷子札。ボソリと口の中で呟き、細い鎖を首に引っ掛ける。胸元でキラキラ光る銀の板は悪くはないが……どうにも落ち着かない気分だ。
「あ、無くしたらどうなるっんスか?」
「紛失した期間と再発行中の帰還は特権が使えなくなります。それから持ち物の管理不足ということで担当教諭からペナルティーの課題が出されますね。……お分かりでしょうが、無くさない方が身のためですよ?」
「……はい」
お姉さんの目が、命は惜しいでしょ? と語っているように見えて仕方がなかった。
「それでは、次の説明に移りたいと思います――……あぁ、寮生なんですね」
空中に浮かび上がった文字の羅列を片手で送りつつ、覗き込むようにしてお姉さんが言った。
「多分、手続きとかは済ましていると思うんですけど……」
なにせ、あの親父が勝手にしちゃったんですけどね。
これで処理されてなかった、ここから立ち去る大義名分を得るわけなんだが、人生そう上手くはいかないらしい。
「えぇ、ちゃんと受理してありますね。――部屋番号は204。オッズ・メルカーバ君と同室です。寮の案内、学園の案内、地図等については、こちらのパンフレットをご覧下さい」
そう言って、山積みになっている本と本の隙間から、上に乗っかっているものを落とさないように気を付けながら、器用にも一冊のパンフレットを引き抜いた。
「担当教諭、チームメイトの名簿は寮の方に張り出してありますので、そちらで確認して下さい。御不明な点がございましたら係の者にお尋ね下さいませ」
「……えーと、先生はともかくチームまで決められてんスか?」
「入学したばかりですと知り合いも少ないでしょうから、コチラで適当に割り振らせて頂きました。もちろんこの先のチームメンバーの交換は可能です」
「あぁ、なるほど」
一通りの説明が終わると、手にしていたパンフレットを渡された。
「それから、最後にラディス・ユディット君は『卵』を孵しましたか?」
「……卵?」
「えぇ、『セフィロートの卵』です」
……タマゴ? 疑問が脳内を駆け巡り、そう言えば王都に来るまでの山道、卵なんざ食べれなかったなぁ~―――…………まぁ、お姉さんが言ってる『卵』とは違う事は分かっているけど。
「……いや、孵すもなにも、実物を見たこともないですから、オレ」
「そうですか。でも、知識としては『セフィロートの卵』はご存知ですか?」
「波長の合う人が触れると孵化するってことくらいしか……」
「いえ、それで十分です。あとは――」
チラリと視線を窓へと移す。自然とオレもそれにつられて目をやる。本棚と書類に埋まりそうになりながらも、辛うじて光源の確保は出来ている窓の外には、ドーム状の建物らしきものが見えた。
「放送がかかりましたら、あちらの講堂へどうぞ。このセラフィメンズ学園の仕組みと『セフィロートの卵』について、教員が詳しく説明しますので」
そう言って、外に見える楕円形の屋根らしい部分を指差した。
「以上、簡単な説明はここで終わりますが、他に疑問点、ご質問はありますでしょうか?」
「んーと、その説明って今日聞かないと、もう聞けないんですか?」
「いいえ。入学者に向けて半年に一度、同じような内容で講義をしております。ただ、今日はジノーム教官と……その、先ほどいらっしゃったハッシュさんが進行役なので……お聞きになった方が……ほら、いいかなって……」
見る間に頬を染めるお姉さんに、やや引き気味のオレ。
「……そ、そうなんですね……。はは、色々ありがとうお姉さん。えーと、じゃ、オレはこの辺で」
このままここにいたんじゃ、この不穏な空気に呑まれてしまいそうで……オレは足早に、その場を去ろうと行動に移した。……――が、
「あっ、ちょっと待って、ラディス・ユディット君!」
ガタンっ、と、お姉さんがオレの腕を掴んだ拍子に、椅子が倒れる。それから、バサバサーっと、椅子の後ろに山積みになっていた本や書類も巻き添えをくったようだ。
にしても、華奢な見た目にしては、掴んでいる力はそこそこ強い。
「……まだなにか……?」
「とぼけないの。大切なもの、くれてないでしょ?」
下唇を突き出して、お姉さんは薄ら笑う。
言われなきゃそのまま押し通しちゃおうかなぁ……なんて、思っていたわけですが、やっぱり気付かれていましたか。
「手順が逆になっちゃったけど、入学証明書を提出していただけませんか?」
「だ、出さなきゃダメ?」
「ダメです」
催促するように、差し出された左手に、ジャケットの内ポケットでクシャクシャになった入学証明書を――……置いた。置いてしまった。
「はい。確かに、受理いたしました」
お姉さんが満足そうにニッコリと笑い、オレは床に散らばった書類の方へと視線を落とし薄ら笑う。
……いよいよこれで本格的に逃げ出せなくなったわけだ。
卒業するか……もしくは、人生から退場するまでは。
どうか、これからの学園生活……無難にやり過ごせますように。




