第一話①「入学・愕然・セラフィメンズ」
空は青く、高く、どこまでも澄み渡って、輝いている。セフィロトの大地も、青々とした緑が生い茂り、人々の笑顔が眩しいばかりだ。
――ただし、一部を除いて。
「……ハァ」
家を出てから、何度目になるだろう。数え切れない幸せが溜め息と共に落っこちていく。
いや、きっと誰だってそうなるに違いない。
「……ぅぅ、着いちまった……」
唇を噛み締めて、歩みを止めた。……止めざる得なかった。
普通の民家と同じくらいの門扉なら、気付かなかったという良い訳だった出来たろう。
むしろ、無視して行く事だって可能かもしれない。けれど、オレの五倍はありそうな巨大な門が見えないなんて言えるはずもない。
なにせ、あんだけでっかい王の住まう城が、門越しだと屋根の先くらいしか見えないんだからたまげたものである。
まるで槍の先のように突き出たコバルトブルーの屋根。あの下にこのセフィロトの大地を守る<ハイム・ケルヴィム=セラフィム王>がいて、この東大陸で一番デッカイこの王都セラフィムを統治しているわけだ。
伊達に王都セラフィムと呼ばれているわけじゃない。王城を守るために、様々な設備や大勢の人々がいる。そして、オレが見上げる門の向こう――セラフィメンズ学園も、その一つだ。
ただ、王を守るとか言う大義よりも、それ以上に悪名の方が有名で……ちくしょう、王族がなんだ!こんな物騒な学園つくるんじゃねぇよ……!!
「―――……この学園に通う日がくるなんて、な……」
絶望感に打ちひしがれながら、溜め息と一緒に呟いた。
目の前に目いっぱい広がる地獄の門。
ああ、まさに、地獄の門だ。
左右の扉を封じる番人の如く、中心にはピクリとも動かない銀色の甲冑が威風堂々置いてあった。あんな真ん中に置いて、一体どうやって出入りするんだろう? まぁ、剣呑な雰囲気と禍々しさ醸し出しているから、それだけのための置物かもしれない。きっとこの門を造ったヒトは、通行人とかを威圧したくて仕方がなかったんだろう。……住宅地から遠いから意味ないような気がしてならないけど。
左肩に引っ掛けたリュックを背負い直し、半笑いになった唇を噛み締めた。
しかし、セラフィメンズの門の前にいる今、どんな攻撃でも笑って受け流してやる自信があるよ。あのクソ親父にだって、今なら負ける気がしない。
うん、絶対、いつか、そのうち、血祭りに上げてやる……あんにゃろぅ。
「……ここまで着ちゃったからには、行くしかないか」
今はまだ重く閉ざされたままの門を見、重いため息を零した。
……この門が開かれる時、オレの短くも長かった十五年の人生に幕が下ろされちゃったりするんだろうか、やっぱり。
……いやいや? なんといってもあのクソみたいな親父と生きて来れたんだから、そうそう人生の幕なんざ下りるわけないか……。
ただ、この門の向こうには――王族、貴族、教会、民間企業に、同業者組合等が協力して運営する世界最大規模の学園、セラフィメンズ学園なのだ。ビビらない方が人として間違っているのだ……と、思う。
しかも、そうしかもだ! この門の向こうには、セフィロトの大地に数多に散らばっている分校などではなく、王都に位置するは、本家本元まじりっけなしの本物である。
二百五十年前に設立されて以来、改築、増築を繰り返し、今では右に出る学園は無いほどの名門校だったりするのだが……――それだけならば、何を悩む事があろうか……。
……入学届けに、『死んでも文句言いません』と一筆書かせる項目があるのだ。
お察しだろう?
あぁ、逃げ出したい。
クルリと踵を返して、久しぶりに来た王都の中を見て回り、武器屋に寄って、買い物して、そのままどこかに逃走したい。――……が、それはどんなに逃げ足が速かろうが、隠れる能力が高かろうが、命をドブ川に捨てるようなものだ。
絶対に逃げたらバレる。なんでかバレる。そしてバレたら殺されるよりもひどい目に遭わされる未来しかない。
手紙の1枚だけで、当の本人に相談もなしに強制的に決めるか、フツー? だいたいオレ、同世代のヤツらと学び舎を共にするって初めての経験よ?
いくら親父の魔の手から逃げられるなら、どこだっていいとは言ったけれど、だからって選りにもよって……――セラフィメンズ学園はないだろう。
「……ハァ」
もう一度、深い溜め息をこぼし、セラフィメンズへと続く巨大な門を睨み上げた。
導入が長くなりましたが、わたくし、ラディス・ユディット15才。
足が鉛のように重く、これ以上進みたくありません。
「…………」
見てよこの門。
間近で見れば見るほど首の後ろがチリチリする。
…………か、帰ろうかな。嫌な予感しかしない。
いや、だけど王都で悠々寮暮らしは捨てがたい。
ここで逃げ帰って親父に追われるくらいなら、遥かに良物件って事は分かってる。分かってるが、どうしても地獄の門を自ら開ける勇気がでない。
……うーん。うーん。
「――おい」
「うーん」
「……おい、ボウズ? 入学希望者か? なぁ、そこの黒髪のボーズ」
しゃがみ込んで悩みはじめたオレの前方から、その無機質な声は投げかけられた。
黒髪のボーズ、つまりはオレのことだろう。
「……へっ?」
しかし、辺りを見回しても人影はどこにもいない。あるのはオレの影と、地獄へ続く扉だ。
当然だ、この場所の放つ威圧感が人を寄せ付けないらしい。だいたい、好き好んで学園前にたむろするヤツがいるか。
ああ、そうか、幻聴か……
もう、オレダメなのかもなぁ……ううぅ。
「どこに目の玉つけてんだよ、オイ」
と、今度は呆れ気味の声がハッキリと前方から飛んできた。
もう一度、両目を限界まで細めつつ周囲を見渡す。と、目に入ったのは、ドンっと構える巨大な門。いや、いや、それはない、まさか門が喋るはずはない。
いくらセラフィメンズとは言え、さすがに喋る門はナンセンス過ぎる。
───ならば考えつくことは、ただ一つ。
「生命ある鎧……?」
門の中央に存在する、頭の先から足の爪先まで、銀色で統一された、全身鎧の騎士に疑いげに視線を向けた。
「……ほぉ、詳しいな。一発目でそれかい。中にヒトが入っているとは思わねぇのかい?」
カタカタと鎧を震わせながら、門番はオレの言葉に楽しそうに応えた。
随分と擬似生命の魔導生命にしちゃ、砕けた言葉遣いではあったが、その鎧の中に生命の気配はこれっぽっちも感じられない。
「少なくとも、生きてる人は入ってないだろ?」
生命ある鎧でなければ、鎧を着た死人か、土人形と言ったところだろうが……死臭も土臭さもないし、オレの見立て通りだと思う。
最も、ホントにそうかは本人(?)と製作者にしかわからないけど。
「ふぅん。一発で見破られるなんざ、しばらくなかったんだがねぇ」
そう言って、自分の胸を叩いてみせる。カーン、と、小気味好い音が耳に届いた。
「で、なんだい? 勘のいいボウズ? ここに入学する気か? 若い命をむざむざ捨てるなんて勿体無ないぜ。ちょっとでも命が惜しかったら、さっさと帰ることをオススメするね。それとも何か? 英雄って奴になりたいわけ? 銀の英雄メルキセデクってか? やめとけ、やめとけ、鎧の俺がこんな事言うのも変だが、この御時世に英雄なんて流行んねぇって、名誉だ、栄光だ、そんなもんの為に死ぬなんて馬鹿げてるぜ、なぁ?」
「すげぇな。こんなに喋る生命ある鎧なんてはじめて見たぜ」
「そうかい? 製作者の腕がいいんだろうよ」
フルフェイスの上、無機物的な声なのに上機嫌に笑っているような調子だ。まるで本当に人が中に入っているような仕草である。入って……ないよな? 鎧は空を叩く音だったし。
しげしげと銀色の門番を眺めていると、ひどく人くさくため息をこぼす動作を見せる。呼吸なんて必要としないくせに。
「おいおいボーズ。まだ、わかんねぇのか? 俺はお前みたいな前途ある若者を無駄に殺したくないわけだ。その辺分かるだろ? お前さんだって、この学園の噂を聞かなかったわけじゃないだろう? 親御さんだって泣くんじゃないか? ここは一度帰って、きちんと親御さんと話してだな。出来れば入学なんて考え直した方がいいぜ」
「いや、その親御さんが無理矢理オレをここにブチ込んだんですけどね」
「……マジで? ……そ、それはすまない事を言った。心底同情するよ、ボーズ」
仮初めの命にすら同情されるラディス・ユディット、十五歳。
もしかして、ここは泣くべきところだろうか?
っていうか、むしろ驚きなのは学園の一部であるはずの生命ある鎧リビング・アーマーが、学園の批評をするわ、生徒を遠ざけようとするわ、そんな事して大丈夫なのだろうか?
製作者の意図から離れたら、普通は魔力イトの供給が断たれて無機物に戻るのが普通だと思うのだが……。
あ、別に今のは、意図と魔力イトを掛けたわけでもなんでもないので、あしからず。
いや、待て? つまり、製作者の意図から離れていないのか。もしくは、製作者の考えも同じか。それなら、この軽口も許されるところだろう。
まぁ……どっちにしても、この生命ある鎧リビング・アーマーがそう言いたくなる気持ちはよく分かる。
何故って……このセラフィメンズ学園に入学して、五体満足で卒業できるのは、入学者のニ割弱だからだ。辞めていくのと死んでいくのが半々という噂。
まさにここに入学すること自体……死刑宣告以外の何物でもないと思ってる。少なくともオレは。
もっとも卒業すれば王立の施設等が利用可能になるし、成績優位者に関して言えば王宮勤めだって夢じゃない。どの同業者組合ギルドでだって優遇されるだろうし、卒業さえ出来れば、食いっぱぐれる心配は無いだろう。
全国から腕自慢の若者や旨味につられて入学するものも多いと聞く。遠い世界の話だと近所の兄ちゃんの話を右から左へと聞き流していた頃が懐かしい。
「おーい、ボーズ、大丈夫か?」
「あ。……ああ、ちょっと考え事してた。……で、なんだっけ?」
「いや、この門を抜けるとすぐにログハウスが見えてくる、多分看板が出てると思うが、そこで新入生は必要な手続きを済ませる手筈になっているって親切にも教えてやったんだが。……お前、本当に大丈夫か? あれなら、日を改めるって手もあるぞ?」
出来ればここで首を縦に振って、ついでに手も振って逃げ出してしまいたいところだが、ここまできたら腹を括るしか無い。
「……開けて……ください」
悲観してても仕方ない。
こうなったら、辛うじてハッピーライフをおくれる確率の高い方に賭けるしかない。
「分かった。ちょっと離れてな」
ガシャガシャと甲冑を鳴らしつつ、学園の門番は自分の高さの三倍はあろう扉に手をかけた。
押す気らしい。この見るからに重そうな扉を。開門の呪文とか、横に抜ける扉とかないの?! とツッコミを入れるが、重たい金属音にかき消されてしまう。
人が一人余裕で通れるほどに扉を開き、そこで番人は扉から腕を放した。
「さーて、こっからが大変だぞ、ボーズ」
これだけの重量のものを動かしたくせに、疲れた様子も見せず――とっ、元々疲れるだけの中身がないんだった――親切にもオレの心配をしてくれる。それに対し短く礼を告げ、門に歩み寄る。
「くれぐれも、気を抜くんじゃねぇーぞ」
金属で出来た腕でオレの背中をぽんと叩く。本当に中身がないということが信じられないくらい気安い。
「棺桶に入ってここを出て行くことだけはしないように頑張る」
「はは、そりゃいい。せいぜい頑張れよ、ボーズ」
渇いた笑いをこぼしながら、そうしてオレは地獄のような禍々しいセラフィメンズの土地に足を踏み込んでしまったのであった。