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城の塔

 外へ出た瞬間、姫の頭から若者の忠告は消し飛んだ。

「それーっ!」

「待ってください!」

 若者が止めるのも聞かず、姫は庭をかける。それでも、いばらが襲いかかってくることなはなかった。

 けれども、姫が期待したほどの明るさは空になかった。重そうな灰色の雲が天を覆っている。広い前庭には、兵士たちがいたるところに転がっている。王妃ご自慢の花々も、息をひそめるようにすぼまり下を向いていた。城門の向こうは、いばらが生い茂っているせいで見通すことができない。いばらは城壁にも絡みつき、森との境界をあいまいにしていた。姫が憶えているかぎりでは、城の周りにそんな森はなかった。すべては魔法がなしたことだろう。

 姫はすっかり見違えた庭で、ゆっくりと城をふり返った。

 居城の下から奥の高い塔のてっぺんまで、黒々とした緑がのさばっていた。姫は息をのんだ。

「まるで幽霊屋敷ね!」

「実際、そう思っている人もいるようです。ここに来る途中で村人に聞きました。ほかにも、魔女が集会を開いているとか、人食い鬼が棲んでいるとか、怖ろしいうわさのオンパレードでしたよ」

「無理もないわ……あっ!」

「どうしました?」

「いま何か、黒い影が飛んできたわ。ほら、塔のてっぺんよ」

「何もいませんよ」

「もう中に入っちゃった。わたしが眠っているあいだに、よそ者がすみついたのかもしれないわ!確かめなくちゃ!」

 姫は居ても立っても居られず、塔に向かって駆け出した。

「離れないでと言ったのに!」

 若者も慌てて追いかける。

 姫は居城のわきを通り、裏庭のほうへまわった。例の塔への最短の道である。

 近づけば近づくほど、塔は高くなっていくようだった。いばらでがんじがらめになっていたが、若者が近寄ると、扉に巻きついていたツルはするすると逃げるようにほどけた。

「ひどい嫌われようね」

「だけど便利でしょう?」

 姫は扉を開け、果てしなく続くらせん階段を上りはじめた。

「てっぺんまで行くんですか?」

「当然でしょう」

 若者は硬い表情をしていたが、すぐに姫のあとに続いた。

 コツコツと軽快な足音が塔の中に響いた。

「どうしても確かめないとならないのですか?」

「あなたが聞いた不気味な噂の原因をつくっているものかもしれないのよ。城主としては放っておけないわ」

「城主ですって?」

「今はわたししか起きていないんだもの。わたしにしか務まらないでしょう?」

「私を新しい城主として迎えるというのはいかがでしょう?そうしたら、喜んで先陣を切って歩きますよ」

「まだいっているの?お断りよ。わたしは理想の王子様が現れるまで、ベッドに戻って寝たふりを続けることに決めたの」

「そうですか。早く現れることを祈りますよ。なにしろ、もう姫様の呪いは解けて、ふつうの人と同じように年を食っていくのですからね」

「嫌な言い方するわね」

「忘れているかもしれないと思ったので」

 若者は上を見上げた。

「でも、命を危険にさらすことはないと思いますよ。もし本当に人食い鬼が出たら、私は一目散に逃げますからね」

「頼りがいのない王子様ね」

「姫様を助けるために犠牲になったところで、私には何の得にもなりませんから」

「あるわよ。命がけで姫を救ったという名誉が与えられるわ」

「そんなものは無意味です。私は地位とお金が欲しい。できれば姫様も」

「わたしをおまけ扱いするなんて、失礼しちゃうわ!」

 姫は階段を2段飛ばしで駆け上がった。

「まったく、どうしてそんなに元気なんですか」

 若者は息を切らしてついていく。

「寝る子は育つっていうでしょ」

「いいえ。姫様は何か目的があるから気が急いているに違いありません。きっと、何者かがお城へ侵入したことよりも重要なことが。もしかして、先ほど見たという黒い影に心当たりがあるのではないですか?」

 姫は立ち止まる。急なことだったので、若者はつんのめって転びそうになった。

「そうよ!思い出した。わたし、あの人と会ったことがあるわ」

「もしかして、私が指摘するまで気づかなかったんですか?」

 若者があきれるのも気にせず、姫は遠い記憶をさぐる。

「そう……たぶん、わたしが眠りに落ちる直前だわ」

「つむに指を刺したという、あのときですか?」

「あの日、城にはお父様もお母様も不在だった。ふたりして旅行に行っていたの。わたしは、生まれたときに不吉な呪いをかけられたとかで、お城の敷地の外に連れて行ってもらえることはまずなかった。だから、あの日も侍女たちの目を盗んで、城のあちこちを探検していたわ」

「広いから探検のしがいがありますね」

「ええ。おそらくわたししか知らない秘密の通路もたくさんあるわよ」

「それを利用して侍女を出し抜くわけですね」

「あの人たち、過保護でうっとうしいの。お父様からいいつかってのことだろうけど。それで、裏庭を散策していたら、カラカラ、コロコロと不思議な音がしたの。気になって音の出どころを探していたら、この塔に行き当たった。塔の階段を上るごとに、音は大きくなった。そしてとうとうてっぺんの小部屋にたどり着いたの。

 小部屋にいたのは、ひとりのおばあさんだった。カラカラ、コロコロというのは、その人が糸車をくるくる回して、糸を紡いでいる音だったのよ」

「なるほど、ちょうどこんな音ですかね」

 若者は耳に手を当て、ちょっと上を見上げた。すると、カラカラ、コロコロというかすかな音が降ってきた。

「これよ!まさにこの音だわ!」

姫は飛び上がって叫んだ。

「きっとあのときのおばあさんが、また糸を紡いでいるのよ!」

「ははあ、そうなると用心しなければなりませんね」

「どうして?なんとなく、とても感じのよさそうなおばあさんだったと思うけど」

「見た目に惑わされてはいけません。姫様、そのおばあさんに会ったとき、なにか話をしましたか?」

「ええ、したわ」

 姫はその時のことを詳しく思い出そうと、目をくりりと回した。

「たしか……わたしが『こんにちは。こんなところで何をしているの?』とたずねたら、おばあさんは『見ればわかるでだろう?糸を紡いでいるところだよ』といった。でもわたしは見てもわからなかったの。だって、生まれたときにかけられた呪いを恐れたお父様が、この国じゅうの糸車という糸車をすべて壊して焼き払ってしまったから。糸繰りをするところを見るのは初めてのことだった」

「親バカもいいところですね。この国ではどうやって服を生産していたんですか?」

「知らないわ。でもきっと輸入品だと思う。お母様はお抱えの仕立屋にドレスを作らせるのが大好きだったけれど、糸や生地はよその国から取り寄せなくちゃならないとよく愚痴っていたから」

「話の腰を折りました。続きをどうぞ」

「わたしはおばあさんに、『ちょっとやってみてもいい?』と聞いた。おばあさんは快くうなずいて、場所をゆずってくれた。それからやり方を教えてもらって、しばらくは糸車を回してた。いい退屈しのぎになったわ。でも」

「でも?」

 姫はきまり悪そうに目を背けた。

「……慣れないことだったから、仕方ないのよ」

「何をしたんですか?」

「途中で糸が絡まって、無理やり引っ張ったら……」

 壊れちゃった、と姫はそよ風のような声でつぶやいた。

「なんという馬鹿力でしょう!」

 若者の声は雷鳴のごとく響いた。

「ひどいわ、気にしてるのに」

 姫は冷たい石の壁に背中をくっつけた。

「すみません、言いすぎました。姫様は匙より重いものは持てないのですよね」

「失礼ね、石臼ぐらいならちゃんと持ち上げられるわよ」

「なんて馬鹿力だ……」

 若者は咳払いして、ひとつ階段を上がった。

「しかし、糸車が壊れてしまったのでは、呪いが成立しないのでは?」

「わたし、慌ててバキバキになった木片を拾い上げようとしたの。そうしたら、指に棘が刺さって血が出てきて……」

「バキバキ、ですか」

「そこはもういいでしょ。それから、急に眠くなってその場でくずおれた。おばあさんが駆け寄ってきて何かいった気もするけれど、よく憶えていないわ」

「ふむう、なるほど」

 若者はあごに手をやる。

「やはりそのおばあさん、怪しいですね」

「とても親切にしてくれたわよ」

「よく考えてください。王様と王妃様がいないすきを見計らって、寂しい塔のてっぺんで糸車を回していたんですよ。それも、国中の糸車が処分されていたのなら、わざわざ持ち込んだことになります。怪しすぎです」

「もしかして、あの人がわたしに呪いをかけた魔女だったといいたいの?」

「その可能性も十分にあるということです。姫様が純粋な心をお持ちなのはよくわかりますが、ここは冷静になって…」

「あの女がわたしをはめたのね!!」

 姫は切り替えの早い性格だった。

「あいつのせいでわたしは100年間も眠りつづけ、さんざん期待を持たせるような夢を見させて、100年後に現実を叩きつけられた。ぜったいに、ただじゃおかないわ!!」

「いったいどんな夢を見ていたのか気になるところではありますが、姫様、ここはいったん落ち着いてください。相手が本当に邪悪な魔女ならば、私たちは慎重に近づかなければなりません」

「そんなこといってるから、いつまでたっても本物の英雄になれないのよ。悪いことしたやつはこらしめてやらなきゃ!さあ、その腰の剣を貸してちょうだい」

「いやです。姫様にこんな物騒なものを持たせたら、悪い魔女より100倍も危険な人物になってしまいます」

「どういう意味かしら」

「そのまま、素直に受け取ってください」

「わたしに、丸腰で戦えというの?」

 両者は、じっとにらみ合う。

「その腕力があれば十分立ち向かえるでしょう」

「いくらなんでも不安だわ。相手は血も涙もない悪い魔女なのよ」

「私だって素手で戦うのは勘弁ですよ」

「よこしなさい!」

「いやです!」

 姫は剣を奪おうと飛びかかったが、若者はひょいとかわした。姫は勢いあまって階段を3段転げ落ちた。

「いたた……なんなのよ!」

 姫はひざにできた青あざをおさえた。

「そんなに魔女が怖いなら、あなたは下で待っていればいいじゃない。そのあいだに、わたしは剣を借りて魔女を倒してくるわ」

「姫様ひとりを危険にさらすことなどできません」

「今さらヒーローのふりしようとしても遅いわよ」

 若者はうずくまっている姫の正面にしゃがみこんだ。

「使い慣れていない武器を振り回すことは、姫様にとっても危険なことです」

 そして革袋から液体の入った透明の小ビンを取り出し、姫の手に握らせた。

「これは来る途中で村人にもらった聖水です。魔女にふりかければ嫌がるかもしれません。いざとなったら、そのすきをついて逃げてください」

「あなたはどうするのよ?」

「こう見えて剣術の腕は立つほうです。突然のことに魔女が混乱しているところをねらえば、勝算はあります。姫様は丸腰ではありません。私という盾があるのだと思って、強気に進んでください」

「……さっきは人食い鬼が出たら一目散に逃げるといっていたわよ」

「そのつもりでしたが、姫様を見ていてある作戦を思いつきました」

「作戦?」

「ええ。相手がこちらに突進してきたら、わきによければ勝手に階段を転がり落ちてくれます。勢いがよければ、青あざではすまないでしょう」

「遠回しに馬鹿にされているのかしら」

「むしろ、ほめています」

「嘘おっしゃい。口の端が笑っているわ」

 若者は立ち上がった。

「どうです、婿に取ってくれる気になりましたか?」

「いちいち腹の立つことさえ言わなければね」

 姫も立ち上がり、ドレスについたほこりをはらった。

「先を急ぎましょう。まだ半分も上っていないわ」

「なんてことだ……いったい何のためにこんなに高い塔をつくったんでしょう?」

「権力を誇示するためじゃないの?この塔は特別古いから、詳しいことはよくわからないわ」

 姫と若者は再び階段を上りはじめた。足取りは先ほどよりもいくぶん軽くなっていた。



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