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「……一人になっちゃった。というか、この姿でこの時間帯、一人歩きはマズくないか?」
そうなればすぐに琴未の家に行かなくてはならない。
運が良かったのか、大人に見つかることなく俺は琴未の家にたどり着くことができた。
女の子の小さな体で夜中出歩くことが、こんなに怖かったとは思わなかった。
大人に見つかったら一発で終わる。
恐ろしい時代に生まれてしまったものだ。
これから数日間はお世話になるであろう玄関に安堵しつつ、俺はチャイムを鳴らしてしまった。
よく考えると、今は『琴未』なのだからチャイムを鳴らす必要がないのだ。
「やっべー……早速ミスったか」
しかし、鳴らしてしまったものはしょうがない。
今ならまだ間に合うかもしれない。
そう思った俺はドアノブに手をかけて、回す。
しかし、ドアノブは回るだけでびくともしない。施錠されている。
「これならチャイム鳴らしても変に思われなさそうだな……」
仕方なく、俺は玄関の外で誰かが来るのを待っていた。
夕方訪問した時と同じように、パタパタと足音がする。
この足音からして、来る人物は……。
その人物は施錠を解除させて、扉を開け放った。
「琴未ちゃん!」
開いたドアから覗かせたのは沙里ちゃんだった。
彼女はワンピースの上からエプロンを着用していた。
恐らく夕飯の準備なのか……?
でも、そういうのは親がやるのが普通なんじゃ……。
そんな疑問が浮かび上がりながら、俺は苦笑いをしてこっ恥ずかしい言葉を喋ってみたのだった。
「さ……沙里ちゃん。ただいま」
「無事だったんだね琴未ちゃん!!」
「うおうっ!」
沙里ちゃんは涙を溜めて、俺に抱きついてきた。
お風呂にはもう入ったのだろうか。
彼女のロングヘアーからは柑橘系の甘く優しい匂いが鼻をくすぐる。
そして、初めて彼女の温もりを感じることができた。
彼女の小ぶりだが確かな胸が俺に当たる。
沙里ちゃんは意外と成長していたようだった。
し、知らなくていい情報を知ってしまった……!
ギューっと抱きついて離さない沙里ちゃんは、嗚咽を混じらせながら言葉を紡ぐ。
「公園で戦うって言ったきり連絡がないから心配したんだよ……!? どこに行ってたの?」
「あ……あー……」
こういう時、どう言えばいいのか。
素直に真実を話した瞬間、俺の人生は小悪魔によって終わりを告げられる。
よし、ここは逃げたということにしておこう。
それが一番いいはずだ。
「ご、ごめん。ちょっと逃げちゃって……」
「逃げたの? 琴未ちゃんが逃げるほどの怪物がいるとは思えないけど……」
「ア……アハハハハ! オレだってたまには逃げちゃうさ!」
俺の空回り気味な笑い声と共に言い放った言い訳。
沙里ちゃんは安堵ともため息ともつかないような息を吐いて俺から離れた。
それから彼女は俺を招き入れて玄関の扉を閉めて施錠を行った。
「とにかく無事で良かった。もし琴未ちゃんに何かあったらお父様とお母様に何て言えばいいのか……」
沙里ちゃん。もう手遅れかもしれない。
それはそうと、この二人にはやっぱり親がいるようだ。
だったら何で小学生をこんな家に置きっぱなしにしてるんだ?
「沙里ちゃん」
「どうしたの? 琴未ちゃん」
「お父さんとお母さんは今どこにいるの……?」
ちょっとおかしな質問になってしまっただろうか。
でも、俺としては把握しておきたい情報でもあった。
もし親がいないのならそれはそれで大変なことになる。
しかし、沙里ちゃんが出した答えは俺の思惑の斜め上を行っていた。
「お父様とお母様なら今頃ランダミット王国に出張へ向かわれているはずだよ」
「……何だって?」
「お父様とお母様なら今頃ランダミット王国に出張へ向かわれているはずだよ」
「そのー……らんだみっとおーこくってどこの国?」
目を丸くして沙里ちゃんの言葉を聞いていた俺がおかしかったのか、彼女はお腹に手を当てて大笑いし始めた。
「アハハ! 何言ってるの琴未ちゃん! この世界にはないよ!」
「は……はあ」
どうやら、琴未の言っていたことは本当だったらしい。
俺の知らない別の世界。
もう、俺の頭は限界に達している。
「もー。琴未ちゃんは地理のお勉強も必要なのかなー? とにかく早くお風呂に入ってよ。夜ごはん一緒に食べよ」
「は……はーい」
靴を脱いで、俺は家に上がる。
すでに夕食の下準備は出来ているようで、煮物の匂いが食欲をそそる。
ああ、家庭的な匂いだ。
……っと、早くお風呂に入らなければ沙里ちゃんを待たせてしまう。
俺はそそくさとお風呂場へと足を運んだ。
脱衣場にはすでに俺の……いや、琴未の替えの下着が置いてある。
無感情で、すかさず俺はジャケットとTシャツを脱ぐ。
「ナニモカンガエルナ……。オレハケッシテエロイコトハカンガエナイ。イイネ?」
片言の日本語を自分に言い聞かせて、デニムスカートを脱ぐ。
すると、目の前には下着姿の琴未が鏡台に映っていた。
目が若干死んでいるのは俺が何も考えていない証拠だろう。
下着はお揃いの☆がペイントされた柄で揃えてあった。
胸を覆っている下着は、これは何なのだろうか。
ブラジャーのような形をしているがブラジャーとは違う。
この下着は胸から背中の間を布で覆ってくれていた。
まるで、タンクトップの上半分のような感じだ。
体にフィットしたこの下着は俺が動くと伸縮してくれる、とても動きやすい形状だった。
今時の女の子はこんな下着を着ているのかあ……へえ……。
……あああああああああああ!!
心の中で絶叫しながら、俺は下着も無造作に脱ぎ捨てる。
何彼女の体を観察してんだよ俺は!!
ただの変態じゃないか!!
小学生の体を観察してしまって恥ずかしくなった俺はすぐに風呂場へと入ろうとする。
しかし、後ろで沙里ちゃんに呼び止められてしまった。
「琴未ちゃん! ポニーテール崩してないよ?」
「へっ?」
ポニーテールで縛っている髪型を無視して風呂に入ってしまったのが悪かった。
沙里ちゃんは困り笑いしつつこちらにやって来る。
ああっ! 来てはいけない!
今の俺は裸なんだぞ!
「だ、ダメだ!」
「え? どうして?」
この時ばかりは女の子のようになってしまったのかもしれない。
俺は前かがみになりながら素肌を手と腕で出来るだけ隠した。
「は、裸だから!」
「えー? 何度も入ってる仲でしょー? 今更気にする必要ないよ」
「何度も入ってる!?」
俺の叫びにお構いなしにと、沙里ちゃんは俺の背中で立ち止まった。
そして、ポニーテールに結ばれていた髪の束を解いてくれたのだった。
「はい。これで終わり」
「あ、ありがとう沙里ちゃん……」
フフッと笑って、沙里ちゃんは脱衣場から離れていく。
ここまででおかしなことばかりやらかしている気がするが、沙里ちゃんが疑問に思わないのは琴未の日頃の行いのおかげなのだろうか。
あのおてんば娘はこうしていつも沙里ちゃんを困らせているのだろう。
そんな娘だからこそ、今のやりとりも単なる遊びだと沙里ちゃんは捉えているのだろう。
……今回ばかりは礼を言わせてもらうぞ、琴未。
ってか、あいつが諸悪の根源なんだから礼を言うのはおかしいか。
…………。
………。
……。
…。
「……ふぅー」
目を瞑ってしまえば、彼女の裸体を拝むことはない。
必要最小限で目を開けながら体と髪の毛を洗った俺は、浴槽で一息ついていた。
ちょっとだけ屈まないと、鼻辺りまで浸かってしまうことで子どもの体になってしまっていることを改めて実感する。
だが、子どもの時はこんなに浴槽が広いとは思わなかった。
小さい体の役得だろうか。
足を一杯に伸ばしても浴槽の端に届かない。
ある程度大人になったら家の浴室だと足も伸ばせないだろう。
無意識に手でお湯を掬ってはみたが、小さな手はお湯をすぐに浴槽へと逃がしてしまう。
華奢で小さな子どもの手が、今の俺の手となっている。
こんな体になって、これからどうすればいいんだろう。
お風呂だって毎日入らないとダメだし、沙里ちゃんとも暮らさなければならない。
大変なことはそれだけじゃない。
小学生として授業を受けなければ。
ああ……早く元の体に戻りたい……。
「琴未ちゃーん!」
「へぁ!? は、はい!?」
ボーっとしてただただお風呂の気持ちよさに酔っていた俺を、沙里ちゃんの声が現実へと引き上げる。
さすがに扉を開けて浴室には入ってこないが、沙里ちゃんは扉の半透明のガラスから顔を覗かせているようだった。
「まだお風呂に入ってるのー?」
「あー今出るよー!」
そうだった。この後晩ごはんが待っていた。
俺はこれ以上沙里ちゃんを待たせるのも悪いと思って、彼女にすぐ出るよう言った。
ザバッと浴槽から上がって浴室から出る。
そして冷えない内にタオルで体を拭いて、下着と上着を着用したのだった。
特に助かったのがブラジャーのようでブラジャーじゃないあの下着だった。
もしブラジャーだったら付け方が分からず悪戦苦闘するところだった。
まだポニーテールにどうやって結ぶかという問題があるが、もう夜だし寝ることも考えてこのままでも大丈夫だろう。
そんなことを考えながら、俺は姿見で自分の姿を映した。
デニムのジャケットとスカートはいつもの琴未のままだ。
だが、彼女の髪型はポニーテールではなく、ロングヘアーだ。
今まで典型的な子どもだと思っていた琴未が、ポニーテールを崩した今だけはどんな子どもより大人びて見えた。
いつも見慣れていないからだろうか。
今、鏡に映っている人物がガムパッチンなんて冗談をするように見えないのだ。
どちらかというと優等生的なポジションで、いつも大人しくて天使のほほ笑みでクラスメートを癒やしてくれる。
そんな存在に彼女はなっていた。
「はっ! いけないいけない。早く沙里ちゃんのとこに行かないと……」
髪を乾かし終わった俺はすぐに沙里ちゃんの待つリビングへと向かった。