②プリンセスゴールド
……相手はあの〈姫〉さまだぞ? よしんば再び顔を合わせたって、投げ掛けられる言葉は決まっている。「始めまして」だ。
憶えてくれていると信じ切っているのが滑稽だったのか、頭の中に世間の声が響く。冷笑にお墨付きを与えるように、壁のポスターは何重もの人垣に囲まれていた。
日々あれほどの人々と顔を合わせる〈荊姫〉さまが、六年も前に逢った少女を憶えているか?
問い掛けてみると、口を噤みそうになる自分がいる。
「……忘れてない。絶対、絶対に憶えてる。憶えてくれてる」
タニアは声を絞り出し、世間の冷笑を掻き消し、小刻みに震える唇を噛み締めた。落ち着け! 落ち着け! 不安げに鳴る心臓を繰り返し宥め、写真立てを強く抱き締める。
暗黒の世界に光を色を呼び戻した鼓動。
毛布にはお手上げだった寒さを、身体の外に叩き出してくれた温もり。
印画紙にはどちらもない。
〈荊姫〉さまの笑顔を胸に押し当てても、プラスチック製のフォトフレームが無機質に呻くばかりだ。
世間の人々がせせら笑うのも無理はない。
〈姫〉さまと言えば、〈世界詐術師連合〉の君主。
〈詐術師〉と聞いた時、名だたる有名人を押し退けて一番に出て来る顔だ。
〈詐連〉の人々が〈姫〉さまたちに抱く崇敬は、人間がカミサマに抱く信仰心に勝るとも劣らない。
とは言っても、具体的に権力を持っているわけではない。
〈姫〉さまたちのカリスマ性は、人々の精神的拠り所としてのみ活かされている。シロも言っていたが、主な役目は慰問や祭典に顔を見せ、人々を盛り立てることだ。
〈KHM〉はまた異質で、〈荊姫〉さまたちがステージ上で活躍していたのは、〈姫〉の人気が落ち込みつつあった時期らしい。何をトチ狂ったか、〈詐連〉のお偉いさんに相談を受けた大手広告代理店が、アイドル的な活動で人々の――特に若者の支持を取り戻そうとしたそうだ。間違っても、悪い大人たちがギャルの太ももで一財産作ろうとしたわけではない。
パンティラしながら歌ってた――なんて聞くと、〈姫〉を知らない人間たちはえらく世俗的な印象を受けるかも知れない。その実、神秘性を高めるためか、〈姫〉さまたちの出身地や本名は一切公表されていない。
ただそうは言っても、ネットで検索すれば声優さんが男と映ったプリクラが、幾つもヒットするご時世だ。公権力がひた隠しにしたところで、一時間もあれば〈姫〉さまたちの素性はおろかスリーサイズまで調べられてしまう。
タニアが〈ブロッケン〉と言う地名に鼻息を荒くしたのも、〈荊姫〉さまの出身地(からお風呂場でどこを一番先に洗うかまで)を調べ上げたから。当然、本名も知っている。薔薇のように甘い香りにピッタリの、麗しいお名前だった。
〈姫〉が政治に介入してはならないことは、〈詐連〉の憲法にも明文化されている。
国政を担う〈枢機卿〉を決めるのは、全〈詐術師〉による投票だ。選挙権は二〇歳以上の男女に、出身地、人種の区別なく保障されている。
被選挙権――〈枢機卿〉に立候補する権利にしろ、下院の場合は二五歳、上院の場合は三〇歳で全〈詐術師〉に与えられる。
一方で精神的支柱である〈姫〉が、並の政治家など及びも付かない影響力を持つのも事実だ。
〈姫〉さまたちが一声掛ければ、世界中から〈詐術師〉が、特に生身の女子には微笑んでもらえない哀・戦士たち(リュックにポスターのビームサーベルを装備)が、釘バットだの木刀だの片手に馳せ参じる。〈荊姫〉さまが躓いた砂利道が、半日後には舗装されていた――タニアたち親衛隊の間では有名な話だ。
そんな風に敬われているとは、さぞ特別な血筋なのだろう。
――とカン違いしがちだが、真実はまるで逆だ。
〈姫〉さまたちは元々、市井の一少女でしかない。
高貴な家柄?
凡夫にはない超能力?
一切ない。
選抜試験に合格すれば、貧乏定食屋のじゃじゃ馬娘だって〈姫〉になれる。
選抜試験の受験資格はただ一つ、「♀」であることだけ。
年齢や家柄は一切問われない。
事実、最年少記録保持者の一五歳から最年長記録保持者の二三歳まで、〈姫〉さまたちが合格した時の年齢には開きがある。出身地にしても〈荊姫〉さまや〈人魚姫〉さまはヨーロッパだが、〈乙姫〉さまは極東の生まれだ。
慣例と言うことで皆納得しているが、実のところ、君主が女性に限られる理由ははっきりしない。
①〈詐術師〉の才能は男性より女性に強く出るから。
②〈姫〉制度のきっかけを作った〈白雪姫〉さまに性別を合わせた。
――とタニアが調べた時にも、参考書によって違う学説が載っていた。銭湯でシロが言ったように、「むさ苦しい野郎より若いねーちゃんに微笑んでもらったほうが嬉しいから」が真実な気もしないではない。
それにしても、なぜ一介のパンピーに過ぎなかった小娘が、精神的支柱などと持ち上げられるのか? 家柄や血筋を重んじる人間は、さぞ不思議がることだろう。
秘密は「♀なだけで受けられる試験」の合格率にある。
〈姫〉制度及び選抜試験が始まったのは、〈詐連〉が設立された二五〇〇年前。現在〈姫〉さまは八人いるが、受験していないのは制度設立の立役者となった〈白雪姫〉さまだけだ。
そして知力、体力の両面を審査する試験は、開始以来二五〇〇年間欠かさずに行われている。つまり合格者が出る確率は、およそ三〇〇年に一人となる。
極東の新弟子検査みたいに、毎年一人くらいしか志望者が来ない?
いいや、選抜試験の折には一〇〇〇以上の志望者が、会場のある〈詐連〉の首都〈アルカディア〉に集う。試験の開催される一二月には、受験者本人に加えて付き添いの滞在が好材料となり、観光業界や外食産業の売上が倍増するほどだ。
〈白雪姫〉さまは最悪の争乱から全世界を救った英雄だ。後進の〈姫〉さまたちも、二五〇〇年間に渡って先人の名に傷を付けない振る舞いを徹底してきた。
当然のことながら末席に加わる新参者にも、栄光の歴史に泥を塗らないだけの品格、能力が要求される。無条件に尊敬の対象となる分、世間の目も厳しい。〈乙姫〉さまを最後に五〇〇年以上合格者が出なかった時期にも、試験の難度を下げようと言う声は挙がらなかったそうだ。
ただし、伝統や格式だけが門を狭くしているわけではない。
〈詐術〉には〈月蝕〉と言って、「時の流れを別の生き物に押し付ける」技術がある。
この術を施された生物は、以後完全に歳を取らなくなる。その代わり「時の流れを押し付けられた」相手が、前者の分も老いていくと言う寸法だ。
仮にヒトが「押し付けられた」なら、本人が過ごした時間に加えて、「押し付けた」相手の分も歳を取る羽目になる。早い話、常人の倍速で老いていくわけだ。
勿論、他人に老いを押し付けるなどと言う反倫理的な行為は、〈詐連〉の法律で禁止されている。〈月蝕〉を使う場合はカメやゾウのように寿命の長い動物、または一世紀以上に渡って育つ大樹などに肩代わりしてもらうのが一般的だ。
八人の〈姫〉さまには、もれなく〈月蝕〉が施されている。
時の流れを押し付けた相手が朽ちない限り、〈月蝕〉を受けた生物が寿命によって死を迎えることはない。命を落とすのは病に冒されたり、殺されたりした場合だけだ。
〈詐連〉の宝である〈姫〉には、凄腕の医師団や手練れのSPが常に同行している。この点を踏まえるなら、「〈姫〉さまたちは不老不死である」と言っても差し支えないだろう。
実際、二五〇〇年前に〈姫〉になった〈美髪姫〉さまは、現在も当時の姿のままだ。それどころか、後輩たちより積極的に慰問を行っている。〈荊姫〉さまにしても、タニアが出逢った時点で二〇歳を超えていたはずだが、背丈にしろ体型にしろ「女児」そのものだった。
〈月蝕〉を受けているのはほぼ〈姫〉さまたちだけで、多くの〈詐術師〉は人間と同じように歳を重ねている。平均寿命は男性八〇歳、女性八七歳。岩塩の層にでも閉じ込められたりしない限り、二五〇〇年先の景色を見る機会には恵まれない。
だからと言って、不公平だと訴える声が挙がったことは一度もない。
権威への萎縮や不当な弾圧が、言論の自由を封じている?
いや、単純に羨ましくないだけだ。
〈月蝕〉には二つ、致命的な欠陥がある。
第一に時間の流れと言う強大な力に抗うそれは、術を施された〈詐術師〉の〈発言力〉を大量に、しかも永続的に奪い取る。よくて杖を付かなければまともに歩けない状態。常人なら間違いなく、「永遠」に寝たきりになる。
寿命のある人々と遜色のない生活を送りたいなら、活力を高めるための厳しい鍛錬が欠かせない。特殊部隊の訓練を視察した〈荊姫〉さまは、「お遊戯ですか?」と真顔で発言したらしい。




