⑦演説タイム♡
「逆に言えば、見た目なんて少しの工夫や注意で繕えちゃうんです。カラコンとか寄せて上げるとか、女子には大っぴらに出来ない外法が山ほどありますし」
「あの〈姫〉さまたちが外見に気を配ってるの? 信じられないよ」
「バカなこと抜かさないで下さい!」
シロは激昂し、喉の奥をさらけ出し、洗い場の方向に突っ込んだ。荒々しく水面を切り裂く姿は、まさに海底から浮上した怪獣王。タニアの脳内ジュークボックスがあのテーマ曲を奏で始めた瞬間、内側から体当たりを食らった浴槽が大量のお湯を嘔吐する。
「もう必死ですよ! 体重計との死闘は涙なしには語れません! 〈灰被り姫〉さんなんて、『ホックがしまらねぇ!』ってヨガの行者みたいな呼吸法実践してましたよ!」
縦横無尽に血管を走らせ、紅蓮に染まった双眸――。
顔面を圧縮するように寄り、凶暴な影を蓄えた眉間――。
三日間エサを抜いたドラゴンだって、今のシロよりは近寄りやすい顔をしている。
喰い殺される!
直感したタニアはシャワーを棍棒のように振り上げ、洗面器を頭に被る。
果たして五体満足なまま風呂を上がれるだろうか?
絶望的な状況に歯がガタガタと鳴り、心の筆が遺書を認めだす。
「すみません。つい取り乱してしまいました。何せ死者が出てもおかしくない戦いだったもので」
厳粛な口調で詫びると、シロは両手で掬ったお湯を顔面に浴びせ掛けた。続けてシロは円を描くように顔をゴシゴシし、締めに長く息を吐く。
冷水でなくても、昂ぶりを鎮める効果があるのだろうか。一通り洗浄作業が終わると、シロの顔から火葬場を予感させる気配はすっかり消えていた。
「あ、あのですね、見た目が求められるって言っても、選考基準はかなり曖昧らしいです。〈灰被り姫〉さんがしみじみこぼしてました。『私の時は大人の女性と対等な関係を築ける審査員が多くて、ラッキーだった』って」
興奮したせいで熱くなってしまったのか、シロはタニアに背中を見せ、浴槽の縁に腰掛けた。
硬いタイルに乗った途端、腰の下から太ももへと続く曲線が、ふにっと撓む。あどけなさを残す横顔とは裏腹、濡れ髪から垣間見えるうなじは怪しげな色気を漂わせている。桜色に上気した肌には、同姓のタニアでさえ少しドキッとしてしまう。
「〈姫〉を〈詐連〉上層部の広告塔って揶揄する人も少なくありません。実際、本心に反した言動を求められることも多いです」
シロは軽く唇を噛み、自分に言い聞かせるように続ける。
「〈姫〉が人々の希望である以上、ある程度は世間が望む振る舞いをしなきゃいけない。ご飯代や衣装代は皆さんの税金ですしね」
シロはやんごとなき〈荊姫〉さまを、遠回しに「お飾り」と断じた。
すかさずタニアは助走を付け、不心得者に飛び蹴りを食らわせる――そう、一一年間狂信者を見て来たタニアに言わせれば、脊髄反射的に制裁するのが当然の場面だ。
にもかかわらず、現実には血流にも鼓動にも、誰かへの攻撃を促すような獰猛さは感じられない。それどころかシロの後頭部に直行するはずの足は、お行儀よくつま先を揃えている。こんな自分を見るのは、幼稚園の面接の時以来だ。
「でも広告塔って皮肉られるのは、影響力を持ってる証拠でもある。『力』の手足になって操り人形のままで終わるのか、『力』を道具にして本名では出来ない行為を成し遂げるのか、結局は当人の意志次第なんです」
「……権力を振り翳すのはよくないって、〈詐校〉で教わったよ」
「その通りです。権力を後ろ盾にして自分の意見を世界に押し付けるなんて、絶対に誉められた真似じゃない。結果が誰かの笑顔だったとしても、正義にはなり得ません」
にべもなく自分の思想を批判し、シロは胸の前に作った拳と睨み合う。
静かに笑みを湛えた口元は、歴戦の世界王者さながら自信に満ち溢れている。一方で歪に潰れた瞳は、根深い憂いと疑念に支配されているようにも思える。
シロがまんじりともせずに見張っているのは、爆弾なのかも知れない。
それも扱いを間違えた瞬間、街一つ焼き払う爆弾。
無二の力を誇るのも当然だが、同時に危険視するのも無理はない。
「ただ、ただね、お腹の悲鳴を止められるのは、あったかいスープと材料を買うお金だけなんです。助けを求める手を掴めるのは、実体を持つ手以外にない。正しいだけの正義や一イェンにもならない信念なんかじゃ、迷子さん一人笑顔に出来ないんです」
やはり権力を使うことを肯定しきれないのか、シロは自分の発言を嫌悪するかのように顔を歪める。だが同時に背筋を伸ばし、垂直な胸を張る姿は、気持ちいいほど晴れやかだった。
「考えてみて下さい。私が世界中に罵られるだけで、涙が笑顔に変わるんです。こんな上手い話ないじゃありませんか」
最後の音を発した瞬間、シロの唇が唐突に固まる。
何か大きな驚きを感じているのだろうか。
緩慢に目を見開くと、シロはしばらくの間、水面を眺め続けた。
「……どしたの?」
「いえ、私の中にもまだそんな言葉が残ってたんだなって」
戸惑い気味に答えると、シロはか細く笑みを漏らす。
シロが何を言っているのか、タニアにはさっぱり判らない。
そしてそれ以上に理解不能なのが、胸を締め付けられるようなこの感覚だ。
自分を嘲るようなシロを見ていると、素性の判らない苦しさがこみ上げてくる。笑顔にしては薄暈けた瞳が悲しくて、無理矢理覗かせている歯が切なくて、油断すると涙をこぼしてしまいそうだ。
「はあ? 何言っちゃってんの?」
タニアは汗を払い落とすフリをし、薄く滲んだ瞳を拭う。
この気持ちが何であれ、シロには悟られたくない。
自分を悲しませていると知れば、シロは今以上にシロを軽蔑することになる。
なぜそんなにシロを思いやるのか?
自分に問い掛けると、作っている最中の呆れ顔が予定以上に眉を顰めていく。
「つーかお前、〈姫〉さまでも何でもねーじゃん。ただの行き倒れじゃん。どこの馬の骨とも知れないパンピーを非難するほど、世間様は暇じゃねーっての」
「……そうですよね。変ですよね、私」
これ以上会話を続けたくないのか、シロは苦そうに笑い、そそくさと湯船に浸かる。弱々しい波紋が水面を撫で、急に熱いお湯に沈められた肩が凍えたように震えた。




