⑤告白タイム♡
……もう充分だ。
これ以上、自分の醜さを照らしだされたくない。
急いで瞼を閉じ、タニアは目を奪いすぎる光景を視界から消した。
手探りでシャンプーを取り、する意味も怪しい洗髪を始める。
昨日までのタニアは一〇分近く時間を掛け、自慢の御髪を浄めていた。入念な手入れに呆れたマーシャが、リンスを始める前にお風呂から上がってしまっていた。でも今日は、高価なシャンプーがロクに泡立たない内にシャワーを取る。
泡が入らないように目を閉じていると、瞼の裏に浮かび上がる。
鮮烈に焼き付いたあの金髪が。
これ見よがしに高貴な光は、必死にシャンプーと格闘するタニアを嘲笑している。お前が馬鹿丁寧に洗っているものは何だ? 卑しく錆びた針金ではないか。
消えろ! 消えろ!
瞼の裏を洗い流したい一心で、限界まで出したシャワーを脳天に浴びせ掛ける。
頬がふやけても、前髪から滝が流れ落ちても、一等星のような輝きは微動だにしない。ただ頭皮を集中放火する水滴が、雨晒しにされたような惨めさを募らせていく。
「……私ね、目指してるの」
堪えきれずにこぼした声が、シャワーの水音に掻き消される。返して欲しいのは定型の励ましなのか、それとも嘲笑混じりの現実論なのか、口にしたタニア自身にも判らない。
「私、〈姫〉になりたいんだ」
爆笑されても文句の言えない告白をすると、上唇と下唇が緩慢に距離を取っていく。ぎこちなく目が細くなっていくと、目の前の鏡にぼやけた笑みが映った。
曖昧に歯を覗かせた鏡像は、遠慮がちに胸を弾ませているようにも、笑えない冗談を言っているようにも見える。吐き気がするほど小狡く、醜悪なそれを眺めていると、つい邪推してしまう。あえて自分を挑発し、鏡を殴らせようとしているのではないか。
背筋を伸ばせ!
前を向け!
はっきり宣言しろ!
卑屈な顔に辟易としたタニアは、怒鳴るように自分を捲し立てる。何度も何度も発破を掛け、自分自身に行動を促す。
出来ない。
煽動されるまま顔を上げようとすると、未来からシロの失笑が聞こえてくる。芯から身体が冷えて、伸ばすはずだった背中が無様に丸まる。
叶うわけがない――。
〈姫〉になれるのは、一握りの選ばれた人だけだ――。
タニアが将来の夢を語る度に、人々はお決まりの答えを口走った。聞き飽きた返事を耳にする度に、タニアは沸騰した鼻息を、荒げた声を使い、雑音を掻き消してきた。
だがタニアはシロを見た。黄金を縒ったような髪が、純白の肌が存在することを知った。タニア・ミューラーが道端の小石に過ぎないことを理解してしまった。
今はもう真っ赤な顔で反論するどころか、駄々っ子のように泣き喚くことも出来ない。きっと、こういう状態をぐうの音も出ないと言うのだろう。薄々感付いてはいたが、雑音と強弁してきた周囲の意見はやはり正論だった。
案の定、タニアの世迷い言に耳を疑ったのか、シロはまばたきを繰り返している。
タニアはシロが口を開くのを待たない。待てない。
唇の形がどう移り変わるにしろ、シロの口からタニアの心を削る言葉が放たれるのは確定している。お行儀よく返答を待ったところで、鏡の中の笑顔が歪むだけだ。
「だから結構、髪とか気にしてるの。〈姫〉の試験って外見も選考基準になるんでしょ?」
質問を受けたシロは、気泡作りに腐心していた口を水面の上に出す。同時に濡れた唇を軽く拭い、シロは母性的に微笑んだ。
「外見だけが審査されるわけじゃないですよ。って言うか、内面のが全然重要です」
訂正した途端、シロは「ん?」と眉を寄せる。立て続けに大きく首を傾げると、シロは水面に映った自分自身と見つめ合い始めた。
違和感を丸出しにした顔は、薔薇の品評会にペンペン草が並んでいるのを見付けたかのようだ。じっくり見ていると、否応なくシロの心の声が聞こえてくる。コイツ、何で交じってんだろ?
「……ありきたりだよ、そんなの」
独りでにかかとが床を擦り、きゅっと女々しい音が鳴る。
「〈姫〉さまたち、みんな綺麗だもん。〈荊姫〉さまなんかお星さまみたいだったんだよ。眩しくって、顔を見るだけでドキドキして、一回もまともに見られなかった」
「お星さまなんて、そんなあ!」
シロは裏返りすぎて野太くなった歓声――いや雄叫びを上げ、水面を連打する。滝壺も真っ青な勢いで飛沫が迸り、壁のペンキ絵を滅多打ちにした。
何が彼女を極限の狂喜に導いたのだろうか?
一㍉も理解出来ない状況が、タニアの口を真ん丸く開かせていく。
唖然とするタニアにシロが目を止めたのは、実に三分後のことだった。
「あ、いや、ごめんなさい。調子に乗りました」
決まり悪そうに謝罪し、シロは口元に手を当てた。神妙な咳払いが終わると、にへら~っと緩んでいた口角が引き締まっていく。
「歯並び直して、ホワイトニングして、エステ通って、専属のメイクさん付けて、スタイリストさんにコーデしてもらってるんですよ? 美人にならないほうがヤバいです。アイちゃん……いえ〈人魚姫〉さんなんて、昔はこーんな顔してたんですから」
手を使い、大きく目尻を吊り上げ、シロは鬼瓦のように顔を顰める。
「……ウソだよ。最初っから私なんかとは違うんだ」
〈ロプノール〉に引き取られてからずっと――そう、本当にずっとだ。台風の日も高熱のせいで眩暈がする日も、タニアは毎日ジョギングをしてきた。入浴後には欠かさずボディクリームを塗り、パックもしている。
何もかも無駄な努力だった。
〈姫〉を志望する女の子たちはおろか、どこの馬の骨とも知れない行き倒れより圧倒的に醜いのだから。
情けなさが、汗の量を簡単に裏切った努力への憎しみが、タニアの視界を滲ませていく。咄嗟に唇を噛み締めると、小振りな水滴が膝を打った。天井から結露が垂れたにしては、やけに生温い。
「私ね、それなりに自信あったんだよ。クラスの男子に告られたことも何回かあったし。ホント、ヤな奴。自意識過剰。世間の基準で言ったら、私なんか下の下だよ」
自嘲するタニアを見たシロは、浴槽の真ん中から洗い場の方向に駆け寄る。
「そんなことないです! タニアさんはちっちゃな頃の私なんかより全然……」
「……適当なこと言わないで」
欺瞞に満ちた励ましを掻き消したのは、呻くような低い声。
言おうと思う前に出た音を皮切りに、限界まで吊り上がった瞳がシロを睨め付ける。さも本音だとばかりに浴槽から身を乗り出した様子が、酷く鬱陶しい。
判っている。
シロはタニアを侮辱したわけでも、嘲笑したわけでもない。充血した瞳を向けるなど、八つ当たり以外の何でもない。勿論、カン違いの原因になったからと言って、告白してきた男子たちに恨み言を吐くのもお門違いだ。
責められるべきはただ独り、タニアだけ。
自分に好意を持つ男子の評価ほど、当てにならないものはない――理解していながら調子に乗った。いい気になりたいと言う欲求に負け、優越感と言う幻想に飛び付いたのだ。お手軽な利益を欲した挙げ句、報いを受けたと言う点では、大金に目が眩み、ネズミ講に引っ掛かる連中と何も変わらない。
仮にシロの言う通りだとしても、タニアが〈姫〉に選ばれることはないだろう。外見以上に重視されると言う内面が、救いようのないほど愚かなのだから。
自分自身の出した結論が背中にのし掛かり、タニアを俯かせていく。滲んだ視界を床が埋め尽くすと、涙と一緒に粘っこい鼻水が溢れた。
啜り泣きを聞いたシロは、唇を結び、水面と見つめ合う。
下手に口を開いて、また当たり散らされるのが嫌なのだろうか。一方で細い顎に手を当てた姿は、何かを考え込んでいるようにも見える。




