第十六話 大きな枠組み
食事も終わったので、いよいよ温泉に入る時間となった。
元族長さんには村の案内をまだしていないので、温泉というものを説明する必要があるな。
「今日はお疲れと思いますので、この後は温泉に入って頂いたあと、ゆっくりと体を休めてください」
「そうします。しょうじきからだはクタクタでして。……それで、おんせんってなんですか?」
「おゆがわいてるいずみです~!」
「あったかいいずみなので、からだをきれいにできるだけではなく、つかれもとれるんです」
「そんなのがあるのか」
元族長さんは温泉が良くわからないようだけど、ヤナさんやハナちゃんが説明してくれている。
俺からは特に説明しなくても済んだので、助かる。
あとは実際に温泉を利用してもらえば、どんなものかは直ぐに理解できるだろう。
ただ、元族長さん一人でいきなり温泉を利用するのは厳しいだろうから、俺と元族長さんと、あと何人かで一緒に入ろうかな?
「温泉の利用方法を教えますので、私も一緒に入りますよ」
「おお、それはありがたい」
「あ、わたしもなかまにいれてください」
「おれもいい?」
「もちろんおれもさんかしちゃうよ」
「わたしもいいですかね?」
ヤナさんとマイスター、それとマッチョさんと平原のお父さんも参加表明してきた。
それじゃあ、親父と高橋さんはどうかな?
「親父と高橋さんはどうする?」
「さすがに俺らも参加するには、ちょっと今の温泉じゃ狭いかな」
「ただでさえ俺ら体でかいからな。残念だけど、また今度にするわ」
「そういやそうか」
親父と高橋さんが参加したら、温泉の広さ的にちょっと厳しいな。
残念だけど、またいずれ機会があったら、にするしかないか。
それじゃ、六人で温泉に入ろう。
「まあ、温泉は女性陣を先にして、男性陣は後にする予定ですけど良いですか?」
「もんだいないです。たのしみにまちますよ」
順番は後になるけど、問題ないようだ。
それより温泉というものが楽しみなのか、元族長さんはわくわくした顔だ。
元族長さん、温泉を気に入ってくれると良いな。
◇
「タイシ、おんせんいってくるです~」
「かみのけサラッサラ、たのしみ~」
「シャンプーであたまをあらってから、リンスだったかしら?」
「いよいよ、うつくしいかみのけが!」
女性陣はシャンプーとリンスを抱えて、髪の毛サラァを想像してうきうきしている。
存分にシャンプーリンスをしてください。石鹸で洗った時と比べて、明らかに差が出ますので……。
そういうわけで、温泉には時間がかかる女性陣に先に入ってもらうことにした。自分たちの順番が回ってくるまでは、集会場で雑談でもしていよう。
元族長さんがこっちに来るまでにかかった時間や、あっちの森の状況を聞く良い機会だ。
「そう言えば、あっちの森からここに来るまでどれくらいかかりました?」
「いそぎで、なのかくらいかかりました」
「フクロオオカミをつかってもそれくらいかかりますね」
ヤナさんも補足してくれたけど、七日か……。
急ぎでフクロオオカミを使ってもそれ位ということは、普通はどれくらいかかるんだろう。
「普通に移動した場合は徒歩になるのですかね? どれ位かかります?」
「じゅうにから、じゅうさんにちくらいですかね。おとしよりがいたばあいはじゅうごにちくらいいきます」
「おとしよりがいどうするには、きびしいきょりですな」
「きゅうけいや、ねどこのじゅんびをふくめて、まるいちにちかかってそれくらいです」
なるほど……。休憩と寝床の準備を抜いた時間として、移動時間を五時間と仮定しよう。
さらに徒歩で時速三キロメートルと考えると……あっちの森までは百八十キロ程度ありそうだな。
そんな距離を移動してきて、荷車は大丈夫だろうか?
「荷車は帰りも使えそうですか?」
「ちょっときびしいかもしれません。なんだか、がたがたしてきました」
荷車の調子は良くないか。そのままなら帰りには使えそうにないかもしれない。
ちょっと高橋さんに見てもらおう。あと、木工が得意そうなあのおっちゃんエルフにも。
「そのあたりは、ちょっとこちらでも確認してみます。修理出来そうならしますので」
「おお! ありがたい。かりものなので、こわれたらちょっとこまるなっておもってたもので」
「状態がわからないので何とも言えませんが、出来るだけの事はしますので」
「おねがいします」
修理だけではなく、こっちの部品や金具をつかって改良も出来たら良いな。
そうすれば、帰りも安心して使えるだろう。
「もとぞくちょう。そういえば、あっちのもりは……しおとかだいじょうぶですか?」
ヤナさんが元族長に、あっちの森の塩が足りているか確認している。
そうか! 大勢移住したから、塩が足りていない可能性があるな。
ただでさえ塩不足気味だったのだから、真っ先に不足する物資だ。
「しおは、かなりたりてないな。こっちではだいじょうぶか?」
「こちらではしおはじゅうぶんあります。タイシさんがよういしてくれたもので」
「おお! しおまでよういしていただけたとは、すごいですね」
族長さんが目をまんまるにして驚いているけど、こっちなら塩は沢山用意できる。
族長さんが思っているほど、凄いことではないんだよな。
「まあ、こちらでは塩は沢山取れますので、むしろ簡単に大量に用意できる物資なんですよ」
「なんともうらやましいはなしです」
こっちじゃ海がすぐそこにあり、イオン交換膜法と真空蒸発缶で高効率大規模に製塩できるからね。
塩の専売も廃止され完全自由化されているので、価格競争すら起きている。
それが良い事か悪い事かは、正直わからないけど。
それはそれとして、あっちじゃ塩不足になっているのか。
言われてみれば当然の話なんだけど。
「そういやへいげんのひともきてたけど、しおとかあまってるかな?」
「あ~、その塩は私が全部買ってしまいまして、他の人に譲る話もしてしまいましたので、ちょっと厳しいかも知れません」
「それはこまった……」
子猫亭に融通するって話をしちゃったから、ちょっと難しいんだよな。
それに、四十キロの塩では、あっちの森の塩不足解消には全然足りないと思う。
……あの塩でなくても良いなら、こちらでもっと大量に用意できるから、それでいいか聞いてみよう。
「代わりと言ってはなんですが、こちらの塩を用意出来ますよ。それも大量に」
「ほんとですか!」
「ええ。あの岩塩でなくても良いのであれば、沢山用意できます」
あの塩で問題ないか、ヤナさんに聞けば分かるかな?
「ヤナさん、あの塩って、あっちの森でも問題ないですかね?」
「それはもう。あれいじょうのものをのぞんだら、ばちがあたりますよ」
よし、問題ないみたいだ。
それじゃあ、こちらの塩を用意して持って行ってもらおう。
これであっちの森の塩不足は、ひとまず何とかなるはずだ。
あとは、平原の人達の塩交易に影響を与えないかだな。
塩を持って行って交換していると聞いたから、俺が塩を出しすぎたら今度は平原の人が困ってしまうかもしれない。
「私が塩を沢山あっちの森に供給した場合、平原の人たちは大丈夫ですか?」
「だいじょうぶというと?」
「皆さん塩で交易してらっしゃるみたいなので、成り立たなくなったらまずいかなと思いまして」
「そうですね……あっちのもりはひとがおおくて、そもそもわたしらでもまかなえていませんでした」
人が多くて、平原の人達でも供給を満たすことが出来ていなかった、と。
「という事は常に塩不足になっていたと?」
「あっちのもりがずっとかかえているもんだいみたいです。わたしらのもりは、まだマシなほうだったみたいで」
「ひとがすくなかったから、なんとかなっていたんです」
族長さんとヤナさんも補足してくれた。なるほど、あっちの森は常に深刻な塩不足を抱えていたようだ。
それなら、俺が塩を用意してもなんとかなるかな?
「大丈夫そうですかね?」
「はい、だいじょうぶですね」
なら俺が塩を大量供給しても、平原の人たちが困ることはないか。
俺だって数千人もの人口を賄える塩を常に供給するのは、ちょっと厳しい。
現状では、平原の人たちの塩とこっちが供給する塩の両方がないと、全部は賄えないだろうな。
「塩の質も、平原の人達の交易も大丈夫そうなので、あっちの森の塩不足は解決できそうです。どれくらいの量が必要かは、また相談しましょう」
「たすかります! たべものはあっても、しおぶそくはどうしようもなかったもので……」
元族長さんは凄いほっとした表情だ。それくらいあっちの森では塩不足が深刻なのだろう。
食糧援助をしてもらったのだから、こちらもあちらを助けたい。持ちつ持たれつだ。
……そうだ、今回の塩は食料援助のお礼、お返しという事にして、対価は特に求めないことにしよう。
あっちの森だってこの食料援助には、けっこうな労力を割いてくれたんだ。
その気持ちに応えたい。
「塩の対価については、食糧援助をして頂いたお返しという形にします。大丈夫ですかね?」
「ええ。もんだいありません。みんなもよろこぶとおもいます」
「それじゃ、そのような感じで行きましょう」
「わかりました」
あっちの森の人たちは、こっちのエルフ達を助ける為に色々してくれたわけだ。
恩を返すことができれば良いし、これから良い関係を作っていけたらいいなと思う。
今回の食糧と塩を交換する相互物資援助が、その走りとなれば文句なしだ。
とんとん拍子に話が進んで、一安心かな。
「……」
……あれ? 平原のお父さんが何か考え込んでいる。
やっぱり問題があったかな?
「今ので何か問題がありましたか?」
「いえ、なんだかだいじなことをわすれているような……」
大事な事? 何だろうか。
「……ん? あのもりがかれてしまったので、ちゅうけいにつかっていたわたしらもあっちのもりにいけない?」
平原のお父さんが、ぽつりとつぶやいた。
……中継に使っていた?
ハナちゃん達が居た森で準備してから、あっちの森に行っていたのかな?
それが枯れてしまったら……あっちの森に行けなくなる?
「もしかして、枯れてしまった森で食料を準備して、あっちの森に行ってました?」
「そうです。でも、もりはもうないので……これはまずいかもしれませんな」
「やっぱり距離的な問題ですか?」
「そうです。あっちのもりはとおくて、ちゅうけいちてんがないとけっこうきびしいです。わたしらもしおをとどけられなくなるか、できてもちょっとくらいしかもっていけません」
ハナちゃん達の居た森は、重要な中継地点でもあったようだ。
あの森ではもう中継地点の役目を果たせないので、そうするとあっちの森にも行けなくなる。
無理して行っても、肝心の塩をそんなに持って行けなくなってしまうのか……。
――これはまずい。
平原の人の塩交易がどうのという話じゃなくなった。
交易そのものが途絶えてしまう状況になっているぞこれ。
「それって、まずくないですか? 交易そのものが途絶えますよね?」
「まずいです。あっちのもりは、わたしたちのじゅうようなしゅうにゅうげんでして」
「あっちのもりもまずい。ただでさえひとがふえたのに、へいげんのひとがこれないとなると……」
平原の人も、元族長さんも頭を抱えてしまった。
中継地点であったあの森が枯れてしまったことにより、他の森にも影響が出始めるんだ。
このままでは、あっちの森も平原の人達も困ってしまう。
皆避難できて良かったね、では話が済まなくなった。
やっぱり、森一つ消えるというのは相当影響のある出来事なんだ。
ただまあ……この中継地点問題に対する解決手段は――あるといえばある。
それには、この村にいるエルフ達の協力が必要になるけど……どうだろう?
ちらりとヤナさんを見てみる。
ヤナさんも同じことを考えたのか、うんうんと頷いている。問題なさそうだな。
「ヤナさん、行けそうですかね」
「ええ。タイシさんのかんがえたこととおなじこと、わたしもかんがえました。うけいれは、わたしたちがなんとかできるとおもいます」
ヤナさん達が受け入れをなんとかしてくれるなら、この問題は解決できる。
よし、行けるな。
――この村を、中継地点にしよう。
エルフ達の神様は割と自由に「門」をつなげられるようだから、平原の人達をこの村に誘導してもらえば良い。
とりあえずそうしようか。
平原のお父さんに、それでいいか聞いてみよう。
「この村を中継地点にすれば、あっちの森への経路として成り立ちませんか?」
「……できそうです。なかまにつたえるひつようはありますけど」
「では、ひとまずこの村を中継にして何とかしましょう」
「たすかります」
(つなげるよ~)
謎の声もつなげると言ってくれているし、平原のお父さんも出来そうだと言ってくれている。
なら、中継地点問題はとりあえず解決できる。
まあ、とりあえずの間に合わせだけど。
「なんとかなりそうですか?」
元族長さんも心配そうな顔で聞いてくる。お世話になっているあっちの森の話だから、心配も当然だ。
「ええ。大丈夫ですよ。この村を中継地点にするのは問題ありません。受け入れも、ヤナさん達が頑張ってくれるそうです」
「まかせてください」
「おれらもがんばる」
「うけいれちゃうよ」
「それはよかった……」
ヤナさんと、マイスターやマッチョさんも任せてくれって顔をしているのを見て、ほっとする元族長さんだ。
これで当面の問題は解決できるから、安心してください。
「やってみないと分からない事もあるとは思いますが、力を合わせてやれるだけやりましょう」
「ええ。がんばりましょう」
「できることがあれば、いっていただきたい」
「わたしたちも、やれるだけのことはやります」
平原のお父さんも元族長さんも、何とかなる目途が立ったので明るい表情に戻った。
ヤナさん達も乗り気だから、何とかなるだろう。
目先の問題は、これでなんとかなる。
――そう、目先の問題は。
◇
目下の問題が何とかなりそうなので、皆は安心している。
でも、俺は俺で……もう一歩先のことを考えよう。
距離が遠くて直接は行けない、なるほどそれはそうだ。
だからこの村を中継地点にして、何とかは出来る。
平原の人とあっちの森の問題を解決できて、めでたし、めでたしだ。
――でも、俺はそれだけでは、安心できなかった。
今回はたまたま、うちの村が中継地点にできただけだ。
それも、気の良い神様が頑張ってくれるから、成り立つ。
でも、そんな幸運がどこにでも転がっているわけじゃない。何時まであるかも保証できない。
これ、エルフ達の物流……それ以前に、交通を何とかする必要が、あるんじゃないか?
今エルフ達が持っている交通網では、何かあったとき、まずいのではないか?
なんとかエルフ達の交通や物流を改善する必要が――あるのではないか?
あっちの森との交易だけではなく、もう一歩先の……あの世界全体の事を考えてみる。
それも平時ではなく、有事の事を想定して、だ。
実際にあった有事、それは――森が消滅したあの出来事だ。
一度あった出来事だ。次も無いとは言えない。
もし、あっちの森や、ほかの森が衰退するような事態も起きると仮定した場合――。
今のエルフ達が持つ交通網では――まずいことになるのは明白だ。
今回ハナちゃん達の森は、上手いことじわじわと衰退してくれたおかげで、被害は最小限に抑えられた。
そして、こっちの世界との連携でその最小限もゼロに持っていくことができた。
周辺への影響も、この村を経由することで抑えられる。万事うまくいきそうだ。
だけど、それは神様か、それとも別の力かはわからない、何らかの幸運が働いた結果であるように思う。
そういう見えざる手が、次もあるかと言われたら――保証は出来ない。
たとえ、そういうものがあったとしても、自分たちで何とか出来るような努力は必要だ。
なんでもかんでも見えざる手に頼り切りでは、もしその幸運が起きなかった場合、まずいことが起きる。
そして、そういうことが起きそうな兆候を察知しようにも、移動に一週間や二週間もかかるようだと対処が難しい。
事態を知ったときには、手遅れになってしまうし、対処自体も間に合わない。
実際に、ハナちゃん達の森が枯れているのを知らずに、平原の人たちが大変な目に遭ったわけだ。
元族長さんがやった救助活動だって、すぐには実行できなかった。
今のまま安心するのは、俺には無理だ。
手を打つ必要がある。何とかなっている今のうちに。
それに気づいてしまったからには、何もせず見ていることは出来ない。
やれることを、やらなければ。
元族長さんの行動もそうだ。出来るか出来ないかではなく、やるかやらないかだ。彼の行動は、とても参考になった。
とにかく、やろう。
――さて、やるぞと決めたは良いが、実際どうやるかはこれから考える必要がある。
……あのリアカー等の輸送手段を、有効活用しようとは考えていた。
さらにそれを発展させて、エルフ達が持つものとこちらが用意できるものを組み合わせ、危機管理に使えるようなものを構築できたら……。
ハナちゃん達のような思いをするエルフを……減らせるかもしれない。
避難できずに取り残される人を――無くせるかもしれない。
うん、もっと大きな、大きな枠組みで考えよう。
ただの交通改善ではなく――ロジスティクスという枠組みで。
人や物の移動だけではなく、生産から消費、さらには全体の活動にまで及ぶ枠組みだ。
もちろんその土台は、交通なのだけれど。
交通の改善を通して――全体を変えよう。
あっちの世界のエルフ達と協力する必要があるし、時間もかかるだろう。でも必要な事だ。
そして、このロジスティクス構築の最終目標は――。
――危機管理や安全保障の土台となるようなシステムの構築、これを最終目標とする。
まあ、最初からそんなシステム構築は無理だから、もっと緩く導入できるような仕組みを考える必要はあるけど。
それを徐々に発展させていって、やがては森同士で連携し合えるようなシステムになるような、そんな計画が要る。
……大きな目標がまた一つ出来ちゃったな。
森が枯れた謎の解明に、エルフ世界のロジスティクス構築に。
ぼちぼちやって行こう。これらは時間がかかるから、急いでも意味は無い。
うちに帰ってから、じっくり考える案件だ。
大仕事になるな。でも、やる価値はある。