第二話 巳
ここはとある世界の、とある大寒波の真っただ中。
おひい様を救出すべく、三人と五人の精鋭部隊が幕営をしておりました。
「こ、ここ今年は寒すぎるわね……」
「おおおおかしいよ~。こんな寒さああありえないよ~……」
「かか髪の毛が凍ったね……こここれは酷いね……」
故郷の森に近づくにつれ、異常な寒波が部隊を襲います。
暑さにも寒さにも強いドラゴンさんたちですが、さすがにこれは厳しいみたい。
吹き付ける強風に行く手を阻まれ、大きなテントの中で震えておりました。
いつ荒れ狂うか読めない吹雪のせいで、ネコちゃん便も飛ばせません。
あっちの森で慌てて何度か飛ばしたネコちゃんたちも、戻っては来ませんでした。
通信を封じられ、連絡も取れずみんなは困ってしまいます。
「でも、おひい様たちも、じわじわ移動しているわね」
「あと三日くらいで、落ち合えそうだよ~」
「もうひと踏ん張りだね!」
そんな中でも、救いはありました。
おひい様たちは、遅い歩みながらも進んでいたのです。
水晶玉の中でぼんやり光る点は、じわじわと中心に近づいているのでした。
「なんとか、落ち合えれば……」
「移動が速くなれば、戻るころには冬から逃げられるよ~」
「急がなきゃだね!」
こうして気合が入った精鋭部隊は、吹雪が治まるのを待って、また移動を始めるのでした。いつもの通り、冬が移動することを期待しながら。
ただそれは、いつもの通りだった場合のお話です。
残念ながら、森が灰色になったとたん、あの辺の気候はもうめちゃくちゃになっていて……。
“……過去に実績があるとは言え、今回の事態に完全に当てはまるとは言えません”
このおひい様の懸念は、当たっていたのです。
優秀なはずのお世話係の人たちが自信なさげだったのも、なんとなく……この結末を予感していたから、だったのかもしれません。
彼女たちは、優秀過ぎたのです。何も奥の手が無ければどうなるか、という行く末を、直感でわかってしまうほどには。
◇
二日後、精鋭部隊の足が止まってしまいました。
「な、なんでこんなところに川があるの!?」
「前来たときは無かったよ~!」
「こんなのあんまりだね! 船なんて持ってきてないね!」
この極寒の世界に、凍らず流れる川が出現していたのでした。
どうやら上流の地域は、春か夏のようです。そこで溶けた氷が、大量の水となって流れているのでした。
しかしこちらのエリアしか把握していない部隊のみなさんは、そんなことはわからなかったのです。
「渡れそうなところを、探さないと……」
「少しでも浅い所じゃないと、アレするよ~」
「川幅が狭くて、浅いところだね! 探そうね!」
でも彼女たちは諦めません。なぜなら、おひい様たちもこちらに向かっているからです。
あらかじめ渡れるところを探して、合流しなければならないのでした。
「みんなで手分けしましょう」
「人手が足りないよ~」
「この子たちにも協力してもらおうね! 寒いけどごめんね!」
「~」
「ミュミュ~」
「ガア」
部隊は総勢八人しかおりませんので、ネコの手も借りたい状況です。
なので本当にネコちゃんやクモさん、カモノハシちゃんの手も借りました。
通信や防寒、そして移動中の水源探しのために連れてきた虎の子たちですが、泣く泣く動員したのです。
「ごめんね、ダメだったら戻って来るのよ」
「~」
「見つけたら、教えてね。無理しちゃだめだからね」
「ミュミュ~」
「水の中に入っちゃだめだよ~。気を付けるんだよ~」
「ガア」
三人がそれぞれ自分の子のように育てた存在を、断腸の思いで解き放ちました。
それくらい、切羽詰まった状況だったのです。
ですが、どうにもなりませんでした。
「……戻ってこないわ」
「どうしちゃったんだね! なんで戻ってこないんだね!」
「この吹雪じゃ探せないよ~! こんな時に天候が荒れるとか無いよ~!」
お手伝いをお願いした子たちは、戻ってこなかったのです。
天候が落ち着いた時を狙ったのに。
遠くに行かないよう気を配っていたのに。
たまに呼び掛けていたのに。
一瞬にして荒れ狂い始めた吹雪が、全てを飲み込んでしまったのでした。
「泣いてる場合じゃないわ。何とかしないと」
「そうだよ~……頑張らないといけないよ~」
「おひい様と落ち合わないとね! あの子たちの努力を無駄にしちゃいけないね!」
しかし涙も一瞬で凍るこの状況でも、三人は当初の目的を果たすため前を向きました。
顔を上げ、ぱらぱらと凍り付いた雫が落ちて行くその表情には、決意が見られます。
周りの五人の精鋭たちも、気持ちは同じでした。
「……ギニ~」
「あら? 今何か……」
「どうしたんだね? 何かあったのかね?」
「今、あっちに黒い何かが居たような……」
「あっち、みてみるよ~」
顔を上げたシカ角さんですが、吹雪の中で何かを見たようです。
三人で、きょろきょろと指さす方を探していると……なにか、影が見えました。
「お、おひい様!?」
「吹雪で良く見えないよ~」
「声も聞こえないね!」
吹雪で真っ白な中、ぼんやりと対岸に見えたそれは一団のようです!
みんな一生懸命手を振って声を張り上げますが、全てはごうごうと吹く雪と風によってかき消されてしまって……。
その時の事でした。
『きこえますか? きこえたら返事をしてください』
「え? まさか!?」
便利なやつからか、声が聞こえました。
シカ角さんが、慌てて懐から水晶玉を取り出します。
「お、おひい様ですか!?」
『はい。私ですよ。川の対岸に、みなさんいらっしゃいますか?』
「そうです! 迎えに来ました!」
『ご迷惑、おかけしてしまったみたいですね……』
「これくらい何ともありません!」
声の主は、おひい様でした。
何故か通信が出来なくなった便利なやつですが、これくらい近いとギリギリ声が届くようです。
「今、川を渡れそうな場所を探しています! もう少しお待ちください!」
『……私たちも、探していましたが……あなたたちもですか』
「はい!」
どうやらおひい様たちも、この川に行く手を阻まれてしまったようです。
お互い、渡れそうな場所を探していたのでした。
『残念ながら、これほどの川幅だと、無理なようです』
「そ、そんな……」
しかしおひい様から、無理という判定が出てしまいました。
少なくともここから移動可能な範囲には、良さそうな場所は無いようです。
『雪で埋めて橋を作ろうとしましたが、凍ってしまい危険すぎてやめました』
色々試したようですが、確かに足を滑らせて川に落ちてしまったら……。
ですがこの川を渡れなければ、未来はありません。
「ど、どうしたら……」
『そこで奥の手やね』
「はい?」
『なんでもございませんよ』
渡河が無理とわかって愕然とするシカ角さんですが、おひい様はまだあきらめていません。
そういえば、奥の手とか言ってましたね。
『この巻物によると……どうやら、安全な場所があるようです』
「ほんとですか!」
『はい。どうにもならなくなった時には、ここに行きなさいと書いてあるんや――あります』
「あるんや?」
『なんでもございませんから』
どうやら、安全地帯があるようです。巻物には、その場所が記載されているようですね。
「その場所とは、いったいどこですか?」
『いくつかあるようです。そっち側だと……ほら、あの祠があるその辺の横にあった可能性が高いそこです』
「旅人が風雨を凌ぐときに使う、あの洞窟ですね」
『そうそう、そこです。一日くらいで行けますよね』
「はい」
その案内で場所が判るってエスパーですかね?
たまにいますよね、どうしてあの要領を得ない質問から、ドンピシャな回答出来るのって人が。
『そこに行けば、こことは別のどこかに出られるようですよ』
「本当ですか?」
『信じるしかありませんが、この巻物はほんと凄いものでして。信じる価値はあるんやよ』
「んやよ?」
『気のせいです』
ともあれ、救出部隊はこれで何とかなりそうです。
「おひい様は、どうされるのですか?」
『こっち側にも、半日くらいのところに、お勧めの所があるそうです』
「お勧めですか」
『はい、こういう場合でもそのうち再会できるから、お勧めと書いてあるのですよ』
「そうなのですか」
その奥の手を信じて大丈夫なのかは、とても不安ですよ。
しかし、今出来るのはそれくらいしかないのも事実です。
『たぶんですが、こちらの場所も、どこかに出られると思います。もしかしたら、みなさんと落ち合えるかも』
「それに賭けますか」
『そうしましょう』
最後にそう付け加えて、お互いの行動は決まりました。
「では、私たちはそちらに向かいます」
『こちらも、行動します』
おひい様部隊と救出に来たけど遭難している部隊は、それぞれ動き始めます。
「それでは、またお会い出来ることを祈ります」
『こちらも再会を祈ります』
こうして、川越しに出合った二つの部隊は、再び別れたのでした。
――そして翌日、三人と五人の部隊は……目的地に到達!
「ここが、おひい様の言っていた……」
「この洞窟、こんなに奥は深くなかったはずだね……」
「どこまで続くのかわかんないよ~」
果たして、おひい様の言う通り洞窟はありました。
ただし、旅人から聞いた話より、ずっとずっと深かったのです。
三人と五人のドラゴンさんたちは、恐る恐る奥に進んでいきました。
「……寒さがおさまったわね」
「不思議だよ~。あったかいよ~」
「何が起きてるのかね? 怖いね……」
外から見た大きさとは全く違う内部を、こわごわ進んで、行きついた先は――。
「ここは、どこ?」
「森の中みたいだよ~」
「夜みたいだね。あっちにかすかに、明かりが見えるね」
どこかの、森の中でした。今は夜みたいですね。
かすかにですが、明かりも見えるみたい。
「手分けして、周囲を調べましょう」
きょろきょろと見回すみんなに、シカ角さんが指示を出しました。
ドラゴンさんたち、暗いところでもよく見える目を持っています。
ネコちゃんみたいな瞳を持っていて、この暗闇でもへっちゃら。
ずりずりきょろきょろと、調査を開始しました。
「ちいさな森みたいね」
「あっちには池があったよ~」
「こっちには、建物があるよ!」
そんなに大きな森ではないようで、すぐに抜けてしまったようです。
周囲には池や、建物があるみたいですね。
みんなはとりあえず、一番近くの建物に向かいました。
「……あら? 石を加工したものがあるわ」
「鳥居もあるね! 形はちょっと不思議だけどね」
「周りにも、見たことが無い建物があるよ~。田んぼもあるよ~」
その建物の傍には、鳥居があったり石柱があったりしました。
すぐさま詳しく調査にかかる皆さんですが――。
「……何これ、漢字っぽいわよ」
「よく似た文字だね! 不思議だね!」
「この暗さじゃ読めないけど、それっぽいよ~」
そしてその石柱には、「倭迹迹日百襲姫命」という文字が刻まれていました。
◇
「あとから聞いた話では、『箸墓古墳』という場所だそうです」
「箸墓古墳!?」
ドラゴンさんたちが森の灰化により大移動をしたが、肝心のおひい様たちが重量過多により移動に手間取ってしまい、見事遭難した。
それを助けようと向かった救助部隊も二重遭難し、双方危機的状況に陥る。
そこまでは「大変だったのだな」としみじみ聞けたのだが……洞窟をくぐった後の出来事で、爆弾発言が飛び出したわけだ。
「大志、箸墓古墳って奈良県桜井市にあるものだわ」
「なんで奈良に……」
お袋もびっくり顔だが、俺も凄く驚いた。
どうして奈良県桜井市に、異世界との通用門があるのだ。
そしてなぜウチに繋がっていない。何が起きているんだ?
「どうして奈良県に出たかとかは、わかっている事ありますか?」
「全然ですね」
「それよりこのおにぎり美味しいよ~」
「この燻製も凄い出来だね! 売って欲しいね!」
ダメ元で聞いてみたが、案の定ダメだった。
その辺どうでもいいのか、シカ角さんは瓶ビールをラッパ飲みし、残りの二人は片っ端から料理を食べておる。
「……なんか、聞いたことあるのよね。あのあたりにまつわる、変わった説があったような」
ご本人たちはダメなのだが、お袋は何か調べものを始めたようだ。
端末をいじくって、検索している。
「え~っと、箸墓古墳といえば卑弥呼のお墓説があって……とくれば関連資料は……と。あ! これ! これよ! 大志これ見なさい!」
やがて見つけたのか、画面を俺に見せてきた。
どれどれ、画面には――。
“名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年巳長大無夫婿有男弟佐治國”
と表示されているのだが、意味が分からん。なんぞこれ?
「お袋、これなんなの?」
「これは魏志倭人伝の原文よ」
「なるほど、わからん」
「現代文に適当に訳すと『卑弥呼って名前で、シャーマニズムしててみんなの心を掴んでてつおい。既に高齢で旦那はいないかな。でも弟がいて国の政治を補佐してくれてるよ』なの」
なるほど、卑弥呼さんの事なのね。
「それで卑弥呼さんがどうかしたの?」
「この原文の漢字が変だなって話があるのよ」
「どこが? さっぱりわからないけど」
「これよ」
そういってお袋が指さしたのは「巳」の文字だった。知らんがな。
「うん、わからん」
「まあこれ、書き間違いだよねってことでスルーされてるんだけどね」
「書き間違い?」
「ええ、『年巳長大』で『巳』という漢字は変なのよ。本当は『已』が正しいの。写本では文字を直されているわ。でも原文はそうなの」
そんなミリ単位の違いとか、書き間違いだよね。
「なるほど、書き間違いで終了だね」
「思考放棄により大志は有罪とします。原文は大陸の方で正史として扱われた物なのよ? 書き間違いはアウトなの。でもそのままだったのね」
お袋に有罪判決を出されてしまった。まあ公文書みたいなものだとそうかもね。
でもほんとにそのまんまかの保証は無いよねえ。
「あのね、『巳』は『蛇』って意味なのよ?」
「まあそうだね」
「つまり『干支で言うなら蛇で、長大かな』というのを察してほしくて、わざとやったって話があるのよ」
「何それ? 意味わかんないよ」
「『長い蛇である』を暗に意味しているの」
年齢に関する記述かと思いきや、たった一文字の、さらに数ミリの違いでそんな意味になるの?
なんでそんなことしなきゃいけないのだろうか。
「なんでそんな面倒なことを」
「そりゃあ、『倭の女王は長い蛇っぽい人でした』とかストレートに書いたら頭疑われてクビになるでしょうが」
「だから、信じてもらえないのをわかったうえで、それとなく暗喩したと」
「かもねっていう話だけどね。でも、卑弥呼じゃなくて蛇子じゃないのって話もあるのよ。『巳』って読むし」
「そうなの?」
「まあ……姫巫女でしょ、という説もあるけど。でもこれだと『おひい様』がそれっぽくなるわ」
「さようで」
ここでお袋がヒートアップし始めたが、まあ確かに記憶にある神話では、蛇と言うか龍と言うか良く絡んでくるな。詳しいことは忘れたけど。
個人的には、こじつけるなら姫巫女のほうがロマンあるけど。
「かつて存在した龍たちは、大陸の先進知識を伝えたり、星占いを良くやってたとは聞いたよ」
「え? ホントですか?」
「人前にほとんど姿を現さなかったので、聞いた話さね」
俺とお袋の話を聞いてか、加茂井さんちのお婆ちゃんが当時の証言をしてくれた。
それでも伝聞らしいけど。
「星を読んだり天気予報が得意って話だったから、もしかしたら巫女に祭り上げられてたかも、とは思うさね」
「お天気ですか?」
「当時はある程度先の星や天気が読めたら、国を支配出来たさね。数千年前じゃ、魔法に近いほどの超最先端技術だよ」
「そう言われれば、そんな気も……」
狩猟採取でも農耕でも、天気が読めたら最強であることは確かだ。現代でも、予報の確度は国家すら左右する。
けっこう先のお天気まで予測して当てるということは、ある種の未来予知ではあるのだ。当たり前のように感じてはいるが、実は凄いことである。
そしてこれまでの情報を総合すると――。
「もしかして、彼女たちの祖先は……卑弥呼であった。もしくは関係者だったかも、と」
「もしかしてだけどね。でも奈良に出てきたあたり、怪しいわよこれ」
「可能性はあるさね」
まるで予想外の方向から、今は酒をかっくらって料理をがっついているドラゴンさんたちが何者か、という話が出てきた。
当の本人たちはどうでもいい感じだけど。
「むつかしいはなし、してるですね~」
「私ももうついていけないから、一緒にお肉食べようね」
「あい~」
そしてハナちゃんとユキちゃんも、魏志倭人伝よりお肉優先である。
圧倒的に正しい。
「まあ、その辺はおひい様が資料を持っているかもです」
「おひい様ですか」
「はい。連綿と続く資料を、ご先祖様から引き継いでいるらしいので」
「その資料が多すぎて、遭難の原因になったわけですね」
「資料の引継ぎと参照も、おひい様の仕事でして。置いて行くわけにはいかなかったのです」
「なるほど……」
自分の命が危なくとも、資料を引き継がなければならない。おひい様は、重大な責任を負ってたんだな。
ただ、現時点では仮説の域だな。
それはお袋に丸投げするとして、彼女たちは奈良に抜け出たあとどうしたかだ。
その辺も、詳しい話を聞かなければならない。
「それで話を戻しますが、こちらに出たその後はどうされたのですか?」
「まず警備員さんを捕獲しました」
なぬ?