第十四話 アダマン仮説
子猫亭で打ち合わせた後、大将のご厚意でお料理を出してもらえた。
お昼ご飯だね。
「おにく、おいしいです~」
「このロシア風ハンバーグ、ふわっふわですね!」
「わきゃ~ん! おさかなも、おいしいさ~」
みんなで美味しいお昼を食べて、ほくほく笑顔だ。
優雅な昼食を、もりもり頂く。
「ちなみにこれらの料理は、例の新素材調理器具で作ったやつだぞ」
「お店で出せる水準には、調理可能なところまで来てます」
そんな俺たちに大将と息子さんが、今食べているお料理について教えてくれた。
アダマン調理器具で作られているようだね。
「あとは使い勝手と、例の謎現象をなんとかすりゃあって所だな」
大将がさらに補足してくれたけど、ほんとあと一歩ってところか。
使い勝手のほうは、いずれ満足する出来にはなるだろう。
そこは特に問題ではないと思っている。
問題は――アダマン調理器具で起きる、謎現象についてだ。
この新素材の調理器具を使うと、油が触媒反応を起こすらしいことが分かった。
この怪奇現象について、調べる必要がある。
数多の謎を放置し続けている、とても確かな実績のある我々が、なんとかしないといけないわけだ。
「油があれこれして水蒸気が出てくる謎現象については、調べる必要があるね」
「どうやって、しらべるです?」
調査をしようと話すと、ハナちゃん興味津々なお目々で俺を見上げてきた。
では、その調査方法を教えましょう!
「業者に丸投げするんだよ」
「あえ? まるなげです?」
「うん。そう言うの得意なお仕事しているところに、お願いしちゃうよ」
「あや~……タイシらくするきです~」
「そうとも言う」
今回のは未知の化学反応であるわけで、お化学が専門では無い俺では推論どまりになっちゃうわけだ。
何が起きているかの特定をするには、延々と試験管や遠心分離機、ガスクロマトログラフィーやらスペクトル計とかと向き合う羽目になる。
さすがにそこまでのめり込む時間がないし、設備もないのだ。
一般的な家庭にはガスクロマトログラフィー位はあると思うけど、うちは農家なのでそういうしゃれた機械は無いわけでね。
「ユキちゃんちも、調査はちょっと厳しいよね?」
「出来なくはないですけど、業者さんよりは時間がかかってしまいますね」
「だよね」
というわけで、いつもの口の堅い会社へお願いしちゃおうと思う。
ただし、ある程度の当たりはつけておくのが望ましい。
「何が起きているかって仮説の構築と、出来そうなら多少の実験はするけどね」
「仮説は立てられるのですか?」
「わきゃん? わかっていること、あるのさ~?」
仮説は立てると言うと、ユキちゃんと偉い人ちゃんが反応した。
興味ある感じだね。
「ぼんやりと、『こうじゃないかな?』という見当はついているんだ。ただ、少し資料を見て検証はしたいね」
「調べ物ですね」
何せ俺は理学の専門家では無い。専門は工学だ。
さすがにこの謎については、頭の中の知識だけでは不足する。
というわけで、だ。
「今日は図書館に行って、調べ物をしようと思うよ」
「あや! としょかんです!?」
「そうそう。そこで小難しい本を読んで、頭を抱えるお仕事をするよ」
自宅の蔵書で化学の本は品揃えが偏っているし、インターネットで検索しても情報はだいたい端折られている。
やっぱり、こういうときは図書館に行くのがベストだね。
「タイシタイシ~! ハナもとしょかん、いきたいです~!」
と、ハナちゃんがしきりに図書館に行きたがった。
去年の秋頃、楽しく過ごした思い出があるからかな。
せっかく行きたいと言っているのだから、一緒につれていこう。
「じゃあ、ハナちゃんも一緒に図書館へ行こう」
「わーい! タイシありがとです~!」
ハナちゃんも図書館にお誘いすると、エルフ耳をぴこんと立てて、キャッキャ状態だ。
楽しみでしょうがないみたいだね。
「もちろん、私もお付き合いします。お手伝いしますね」
「ユキちゃんもありがと」
「いえいえ」
ユキちゃんも調べ物を手伝ってくれるようなので、ありがたやだね。
お礼を言うと、うかつにもホワイト耳しっぽをぽわっと顕現させて、ニコニコだ。
うん、見事な冬毛ですね。真っ白ふわふわで、なんか無性にブラッシングしたい!
「わきゃん? としょかんって、なにさ~?」
ふわふわキツネさんの毛並みにうずうずしていると、偉い人ちゃんが首をかしげて聞いてきた。
そういや、ドワーフちゃんは図書館に行ったことが無いんだよね。
軽く説明しておこう。
「様々な分野の資料が大量にあって、自由に閲覧出来る施設ですよ」
「わきゃん!? そんなこと、かのうなのさ~? ちしきは、ざいさんさ~?」
「その財産を誰でも気軽に閲覧出来るようにして、多くの人の知識水準を向上させるためにやってます。そうして、社会全体を良くしようって試みですよ」
「すすす、すごいさ~!」
図書館について説明すると、偉い人ちゃん黄色っぽいしっぽをぴしっと立てて、すっごい驚いている。
彼女は為政者側なだけに、そう言った福祉行政の大変さと地道さ、しかしないがしろに出来ない大切さを知っているんだろうな。
確かに、図書館やインターネットが無かったら、この世界全体の生活水準ももっと低くなっているだろう。
問題解決の糸口となる知識を、短時間かつ低コストで得ることが難しいからね。
知りたいことをすぐに調べることが出来る、これは凄まじい恩恵なのだ。
「う、ウチもいきたいさ~!」
「もちろんですよ。一緒に行きましょう」
「ありがとうさ~!」
当然偉い人ちゃんも参加希望だね。断る理由はないので、一緒に行きましょうだ。
「では、昼食を終えて一休みしたら、行ってみましょう」
「あい~!」
「たのしみさ~!」
さて、アダマンが起こす謎現象、せめて仮説だけでも組み上げられたら良いな。
がんばって調べてみよう。
◇
――現在地、この辺で一番デカい図書館。
雪がちらつく中、ハナちゃんたちを車に乗せてやってきた。
この施設なら、何かとっかかりだけでも得られるだろう。
「はい、図書館に着いたよ」
「でっかいです~」
「おおお、おもってたより、すごそうさ~!」
駐車場に降り立ったハナちゃんと偉い人ちゃん、建物を見てはしゃいでいるね。
ここは学術資料の蔵書が充実しているところで、学生時代に良くお世話になった。
またまたお世話になりますよっと。
「二人とも、寒いから中に入りましょうね」
「いくです~!」
「うわきゃ~ん」
ユキちゃんが二人を引き連れて、図書館へ歩いて行く。
俺も後に続いて中に入ろう。
「あや~、もうなんか、すっごいほんがあるです~」
「すごいさ~」
移動中にあらかじめ図書館内では静かにしようねって伝えてあったので、ハナちゃんと偉い人ちゃんは驚きつつ声は抑えめだ。
二人とも、しっかりしてらっしゃる。
「大志さん、この席で調べ物をしましょうか」
「そうしよう」
キャッキャわきゃわきゃと本を見上げる二人をよそに、ユキちゃんがよさげな場所を見つけてくれた。
ひとまず、この席を拠点として調べ物を始めよう。
「それじゃ、自分は化学関連書籍のコーナーに行くね」
「私はハナちゃんたちを見てますね」
「二人をよろしくお願い」
「わかりました」
ユキちゃんは、ハナちゃんたちに付き合ってあげるようだ。
図書館案内や、読みたい本の場所を調べたりしてくれるんだろう。
この辺はありがたくお願いして、俺は自分の仕事をするかな。
「えっと……脂肪酸関連と、触媒関連と……」
さっそく化学関連コーナーへ行き、目的の書籍をピックアップする。
基本的な資料と、応用技術などいくつか見つけ、席に戻る。
「あや~……あれは、ようかいのせいだったですか~」
席に戻ると、ハナちゃんが妖怪○ウォッチの絵本を読んでいた。
そうそう、なんでも妖怪のせいにするやつだね。
リモコンを隠すやつとか、コードがなぜか絡まるやつとか、同じ本を二冊買ってしまうやつもある。
みんな妖怪の仕業だ。
特に朝の出がけにエアコンのリモコンが見つからないとかは、ほんとやめてほしい。
妖怪スマホ隠しも、なかなかダメージでかいね。
ちなみに部屋を片付けると、それらの端末隠し系妖怪は出て来なくなる。ふしぎ!
「たしかに、こころあたりあるです~」
おや? ハナちゃんは「お母さんに『これ美味しい』って言うと、数日そればっかり出てくる妖怪」に心当たりがあるらしい。
俺も経験あるよ。一週間チャーハンだったりしたね。
そのとき初めて、ものには限度があると知ったよ。
「あややや! これもそうだったですか~!」
タンスの角に足の小指をぶつける妖怪も、心当たりがあるようだ。
ハナちゃん、なかなかマーフィーの法則を経験しておられる。
「あや~。むぎちゃとまちがえて、めんつゆのむのも、そうだったですか~」
ハナちゃん……。それは単なる罠だよ。
主におばあちゃんが、紛らわしい容器に入れるから起きるんだ。
俺も麦茶と間違えて、めんつゆ一気飲みしたことあるよ。気持ちはわかる。
とまあ、ハナちゃんはちたまに溢れるいたずら妖怪に関して、知識を深めているね。
さて、それじゃハナちゃんの隣に座っている、偉い人ちゃんはどうかな?
「わきゃ~ん……これは、ためになるさ~」
偉い人ちゃんは、なんかすっごく真面目だ。
なんか海上交通安全法の本を、漢字辞書片手に読んでいる。
たしかに、ドワーフィンに船をばらまいて一般的に普及したら、そう言うのが必要になるよね。
さすが偉い人だ、まず交通ルールの調査から始めるとは……。
「よく、かんがえてあるさ~。これをまもれば、あんぜんさ~」
ほかにも、海難審判の凡例なども積み上げてあるね。
明らかにドワーフィンで船が普及した先のことを、考えている。
伊達に一つの湖で、行政トップをやっていたわけじゃないってことか。
「あや~、これもようかいのせいです~」
「わきゃ~、こんなじこがおきるのさ~?」
とまあ、ハナちゃんと偉い人ちゃんは、それぞれ自分の世界に入っているね。
二人はそっとしておいて、俺も仕事を始めるか。
そうそう、ユキちゃんにも手伝って貰おうかな?
「フフフ……育児も大事よね」
と思ったら、ユキちゃんはなんか、たまごとひよこの倶楽部的な雑誌を読んでいた。
未婚の若い娘さんがそれを読んで、どうするのだろうか?
「子だくさんというのも、良いかもしれないわね……フフフ」
……そっとしておこう。なにか危険な香りがする。
俺は危機管理に自信があるからね。
結局一人で調べ物となったけど、まあ地道に行こう。
まずは、脂肪酸についてだ。
ペラペラと本をめくり、化学式を確認してみる。
「……うん、この辺は知っている内容に間違いは無いね」
見たまんま、長鎖炭化水素一価のカルボン酸で、まあ要するに炭化水素だね。
さらにそこから種類が分かれ、骨格となる炭素がすべて飽和結合したのが飽和脂肪酸、一部に二重結合――いわゆる不飽和結合しているのが不飽和脂肪酸というわけだ。
不飽和脂肪酸はさらに分かれて、二重結合を一つだけ持つものが、一価不飽和脂肪酸。
二つ以上あるものを多価不飽和脂肪酸と呼ぶ。
この辺が基本だね。
「お、脂肪酸がエネルギー源となる理由も書いてある。これは知らなかった」
資料にはさらに詳しく書いてあり、なぜエネルギー源になるかの理由があった。
なるほど、飽和脂肪酸と一価不飽和脂肪酸は科学的に安定していて、貯蔵に適していると。
それゆえ、エネルギー源として活用されるわけか。
多価不飽和脂肪酸は科学的に不安定で、過酸化物質になりやすく貯蔵に向かないそうだ。
ただ、多価不飽和脂肪酸は、DHA――いわゆるドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸など必須脂肪酸も多い。
なんにせよ、脂肪酸は体にとって重要な物質というわけだ。
――さて、脂肪酸の基礎知識と化学式が分かったところで。
どうやってこれを、生成物として水が出るような反応をさせるかという点だ。
手法は色々あるようだね。
まずエステル化、すなわち脱水縮合が挙げられる。
アルコールと反応させ水分子を一つとっぱらい、エステルに変換する。
そうするとカルボン酸エステルが出来るので、こいつに高温高圧をかけて水素化すると、アルコールと水に分解する。
めっちゃコストかかる方式だね。
ただこれだとお金がかかってしょうがないので、カルボン酸を直接水素化したいと思うのは人のサガというものよ。
そして、カルボン酸の直接水素化を実現する方式が――触媒反応、なわけだ。
理想では、カルボン酸をほんとに直接水素化し、アルコールと水だけ取り出したい。
そうすれば、世の中にたんまりある脂肪酸を、いろんな応用が利くアルコールに安価に変換できて夢広がりまくり。燃料も生み出せるすごい技術、というわけだ。
現代ちたま化学の、夢がここにあるって感じだね。
今のところ、あと一歩の所まで来ているようだ。
もうちょっと温和な条件で、かつ余計な物質が出ないような触媒反応を見つけたい、という段階らしい。
「……ふむ、こんな所かな」
ノートに化学式を書き殴り、脂肪酸の基本的な化学反応パターンは一応理解した。
そしてここまで資料を読んで、大方の仮説が出来上がる。
つまりアダマンフライパンとサラダ油で起きていた現象とは、これなのだ。
それは、カルボン酸の――直接水素化。
ちたま化学ではまだ到達していない、奇跡が起きていたと仮定できる。
ただ分からないのが、水蒸気しか出ていなかった点だ。
アルコール臭もしなかったので、本来なら発生してしかるべき物質が出来ていないことになる。
これはなんでだろう?
……ここで一つ、仮説を重ねる。
もしかして、水蒸気以外にも……二酸化炭素が出ていたとしたら。
これは目で見てわからないし、匂いを嗅いでも分からない。
要するに、気づかなかったと仮定してみる。
すると、もう一つ面白い事が見えてくるのだ。
すなわち――カルボン酸の直接水素化で出来たアルコールも、出来たそばからアダマンと触媒反応を起こしていると。
水と二酸化炭素、そして熱に変換されちゃったのでは? と。
ようするに、ドワーフィンに存在するアダマンタイトとは――炭化水素をとことん分解する、すごいやつ仮説が出来上がる。
ちたまには存在しない、とんでもない高性能触媒、それがアダマンタイトであると。
そんなストーリーが浮かび上がる。
フェアリンクッキーの味が変わってしまうのも、調理中材料に含まれる脂肪酸がアダマンにより触媒反応を起こして組成が変化したからかもしれない。
なんにせよ、強力な触媒と仮定できるわけだ。
「――よし、仮説は出来上がった」
「あえ? タイシなんかわかったです?」
「わきゃん!? もうできたのさ~?」
「どのような仮説ですか?」
ノートを閉じて仮説の構築完了を宣言すると、三人が顔を上げた。
ちょっくら、まとまった内容を説明しておくか。
「アダマンを使えば、ハクキンカイロで使えなかった油でも、安全な熱源にできるかもって仮説が出来ました」
「わきゃん! ほんとさ~!?」
「まだ仮説ですが、もしかしたらですね」
軽く仮説を伝えると、偉い人ちゃんが食いついてきた。
まあ、まだ仮説だ。証明するには、実験や検証が必要になる。
ひとまず、どのように実験するかを考えようかな。
あと、口の堅い会社さんにも、調査を依頼しよう。
「いろいろ調べたり実験したいと思いますので、ご協力いただければと」
「もちろん、きょうりょくするさ~!」
「ハナも、おてつだいするですよ~」
「私も、お力添えが出来たらと思います」
協力をお願いすると、三人ともやる気十分だね。
ではでは、色々実験してみようじゃないか。
そしてこの仮説が正しければ、今度こそ夢が叶う。
そう、白金ではなくアダマン触媒を使った――アダマンカイロだ!
あの毒の油だって、調理後の酸化しまくった廃油だって、なんだって使える。
みんな水と二酸化炭素、そして熱に変えちゃう。
そんなすごいアイテムが、作れるかもしれない!




