第一話 ただの溝だったのだ
翌朝、目が覚めると親父は既に起きているようだった。ヤナさん達はまだ爆睡中だ。夜更かししたし、もうしばらく寝かせてあげよう。
俺は集会場から出て、炊事場まで歯磨き用の水を汲みに行く事にする。
「お、大志。起きてきたか」
集会場の前では、親父が歯磨きしていた。
「おはよ」
「ああ、お早う。大志も歯磨きか?」
「うん。水汲んでくる」
朝の挨拶をして炊事場に行こうとしたが、ふと思いついたことがあった。
「なあ親父、いくつか井戸があるけど、あれ解放できないかな」
村には井戸が数個設置されている。それを解放できれば、水汲みももっと楽になると思いついたのだ。
「ああ、井戸な。しかし、数年使ってないからすぐにとは行かないな」
「水質検査はしないとね。あとポンプの補修か」
井戸水の水質検査は業者さんにやってもらうのだけど、結構時間と金がかかる。全項目検査で、大体十営業日かかり、お値段五万円程度。発注すると井戸水のサンプルを入れる容器が送られて来て、それにサンプル採取して返送する日数も含めると、一ヵ月近くかかる。
「一気にやると、井戸水のサンプルを取り違えたりするかもしれないな。一つ一つやってけ」
できれば一気にやりたいところだけど、親父の言うとおり手違いが出ると困る。言うとおりにしよう。
「わかった。なんにせよ時間はかかるか。家庭菜園用の農業用水としては使えるかな?」
「検査が終わるまで飲まないように注意しとけば、使えると思うぞ」
「何にしても、また今度になるか」
「今日は無理だな。ま、慌てるこた無いさ」
「そうだね。ゆっくりやるよ」
井戸の話は切り上げて、水を汲みに炊事場に行くとするか。
炊事場から水を汲んで来て集会場の前で歯を磨いていると、ヤナさん達が起きてきた。
「おはようございます」
「よくねむれたな」
「あのタタミってやつ、ねっころがるときもちいいよな」
割と夜更かししていたのだが、翌日に引きずる事なく、すっきりした顔をしている。俺は口をすすいでから、ヤナさん達にあいさつする。
「お早うございます。よく眠れたようで、良かったです」
「ええ、たまにはざこねもいいものですね」
「だな」
「たのしかった」
和やかに朝の会話をする俺たちだったが、ふとヤナさんが歯ブラシを見て問いかけてきた。
「それ、はをみがくどうぐですか?」
歯ブラシが珍しいようだ。そういえば、エルフ達は歯のお手入れをどうしているのだろうか。歯ブラシの説明がてら、聞いてみよう。
「ええ、これは歯ブラシと言いまして、ヤナさんの言うとおり歯を磨く道具ですよ」
「ほほう」
「べんりそう」
「はをみがくの、たいへんなんだよな~」
ヤナさん達はそう言いながら、またどこからか木の枝みたいなものを取り出した。先がほぐれている。
「わたしたちは、これではをみがいているんですよ」
なるほど、これは大変そうだ。親父はそれを見て、思い出したように言った。
「房楊枝ですか。こっちも昔はそれで歯磨きしてましたよ。爺さんに聞いた話ですがね」
「そうなんですか」
親父とヤナさんがそんな話をしている。俺が生まれたときはもう歯ブラシだったから、房楊枝の使い心地はよくわかんないな。
まあ、折角だからエルフ達にも歯ブラシを使ってもらうか。そんなに値が張るものじゃないしな。
「今度、皆さんにも歯ブラシを持ってきますよ。歯磨き用具一式をそろえて」
「ほんとですか」
「それはありがたい」
「たのしみ」
こうして、五人で歯磨きや雑談をしながら朝を過ごしたのであった。
歯磨きも終わり、五人で車から園芸用品や農機具やら種やらを集会場の前に運んでいると、ぽつぽつと人が集まりだす。
「タイシ~おはようです~」
「おはようございます」
「ふがふが」
ハナちゃんも家族と一緒に、元気よく集会場に現れた。カナさんが声をかけてくる。
「きのうは、うちのヤナがおせわになりました」
「なりましたです~」
しゃなり、とお辞儀するカナさんと、ぴょこんと真似をするハナちゃん。和やかだ。
「いえいえ、こちらも楽しかったですよ。たまには雑魚寝も良い物です」
「よいものですか」
「ハナもそのうち、まぜてほしいです~」
そんなやり取りをしているうちに、全員が集まる。まずは朝食と行きますか。
「皆さん集まりましたので、朝食にしましょう。何が良いですか?」
「「「ラーメン!」」」
エルフ達のご要望に応えて、朝からラーメンだ。まあ手っ取り早くて良い。そろそろラーメンも少なくなってきたから、また買い足さないといけないな。
そんなことを考えながら、皆で炊事場に移動した。
◇
朝食も終わりおなかが膨れたところで、皆に声をかける。今日は野菜栽培の講習会だ。俺は皆に声をかけた。
「それじゃあ皆さん。今日は育てるのが簡単な野菜の、栽培方法を教えたいと思います」
「「「はーい!」」」
俺はまず、種の説明をしようと思い、野菜の種が入ったパッケージを地面に並べた。
「この袋に入っている種が、今回皆さんに育ててもらいたい野菜となります」
「えがかいてある」
「すげえ、いろついてる」
「わたしのじまんだったきぼりのえは、ただのみぞだったのね……」
あれ? カナさんがパッケージの写真を見て、むっちゃくちゃヘコんでいる。カラー写真と比較したら、そりゃそうだけど、木彫りの絵が自慢だったのか。意外な趣味だ。
でも、ただの溝だったと落ち込むことはないですよ。これは写真なので、比較するには不適切ですよ。
……そう言おうと思ったが、カナさんの雰囲気から、何かめんどくさいことになりそうな予感がしたので止めた。
どんよりしているカナさんはとりあえず放置し、説明を続けることにする。
「え、えーと。中に入っている種を育てると、この袋の写真……というか絵と同じ野菜が育つわけです」
「わかりやすいです~」
「このはっぱがそうなのね」
「このねっこ、たべられるの?」
各々パッケージを手に取り、感想を言うエルフ達。カナさんもパッケージを手にとっては、写真を見るたびにどんよりしている。今度その木彫りの絵を見せてもらおう。何かフォローできるかもしれない。
……いや、それで本当にただの溝だった場合どうしよう……。「独創的な溝ですね」とかうっかり言って致命傷を与えかねない。
……まあ、それはそれとして、今日は野菜栽培の講習に集中しよう。俺は種と野菜の名前を説明していった。
一通り説明したところで、実際に畑に植えることにする。とりあえずヤナさんちの畑で実演し、同じことを各家庭でもやってもらう。自分の家の庭で育てる、家庭菜園。野菜が育ってきたら楽しいだろうと思う。
「では、まずヤナさんの家にある畑で実際にやってみましょう」
そう伝えて、集会場の倉庫に置いてあった肥料や石灰、農機具を皆で抱えてヤナさんの家に向かう。道中、ヤナさんが聞いてきた。
「はたけですか。そんなものがあったのですね」
そうか、各家庭の畑は特に手入れをしていないから、草だらけで一見畑には見えない。わからなくても当然だ。説明しておこう。
「ええ、今は手入れをしていなくて草だらけですが、各家庭の裏に大きめの畑を用意してあるんです」
「ほほう」
「あのおうち、たべものもつくれるとか、すてき」
「おれのいえのなかにも、きのこがたくさんはえてきたことあるぜ。しかもそれひかるんだよ」
マッチョさん……。家の中にきのこが生えてくるのは、大変まずいと思います。……でも、光るのは便利そうで良いかもしれない、とちょっと思ってしまった。
しかし、マッチョさんは「食べられる」とはその後一言も言わなかった。
◇
全員でヤナさんの家にある畑に到着した。各家庭にある畑は、三十坪ほどあり、家庭菜園というには若干規模が大きいものだ。これは、連作障害を起こさないために植える場所を変えられるよう、大き目に土地を確保してあるためである。今回は五坪ほどの小さな家庭菜園を構築する予定だ。
俺は畑を指さして説明する。
「ここが畑です」
「はらっぱですな」
「くさはえすぎです~」
何の手入れもしていないので、草だらけだった。なので、草むしりから始めることにする。
「では皆さん、まずは畑の草むしりからやりましょう」
「わかりました」
「あい~」
「みぞ……ただの、みぞ……」
ヤナさん始め、ハナちゃん一家が元気よく返事をする。約一名まだ引きずっている人がいるが……。
俺が草むしりを始めると他のエルフ達も加わり、ぶちぶちと草をむしり始める。人数が多いから作業が早い。
刈り払い機で一掃しても良いのだけど、根っこは結局手で抜くことになる。結果、人力で作業する量は大して変わらないので、手でやることにした。
全員でぶちぶちと草をむしり、三十分ほどでむしり終わる。次は、土を耕す番だ。
俺は鍬で土を耕してみせる。
「では、次に土を耕します。こうやって、土を掘って軟らかくします」
「たいへんそう」
「じゅうろうどうだべな」
「かっこいい」
土を鍬で耕すのは確かに重労働だが、疲れないコツがある。これはやっていれば自然に身につくものなので、特に教えることはしなかった。
本来なら耕運機でも持ってきて一気にやりたいところだけど、エルフ達は常に耕運機を使える環境にいるわけでもない。それに、手で耕すやり方を知らなければ、耕運機も使いこなせない。なので、まずは人力でやってもらった。
エルフ達は鍬を使って、俺と一緒にえっちらおっちら土を耕していく。ある程度耕せたら、苦土石灰と肥料を混ぜて、また耕す。
面積も大したことは無いし、人数も大勢なのでそれほど時間もかからず畑は耕せた。
土を耕せたら、畝づくりだ。
「土が耕せたので、今度は畝を作りたいと思います」
「うね? ですか?」
ヤナさんが聞いてくる。俺はまず畝づくりを実演してみせることにした。
「土をこのように盛って、小山を作ります。こうすることで野菜が大きく育ち、さらに収穫もしやすくなります」
「ほほう」
「あとは、畝の所に種を植えるので、間違って踏むことが無くなります」
「たしかに」
そう説明しながら、ざっくざっくと幅四十センチ、高さ十センチ程度の畝を作って見せた。
「これがうねですか」
「ええ、皆さんもやってみて下さい」
エルフ達も、真似して畝を作り始める。まあ難しいことは何もないので、程なくして畝が完成した。これで種まきの準備は完了だ。いよいよ二十日大根とサラダミックスの種を撒くことにする。
「本当は畝を作ったら七日か十二日くらい寝かせるのですが、時間も勿体ないのでもう種を撒いてしまいます」
「ふつうは、それくらいねかせないとだめなんですか?」
寝かせることにより土が落ち着き、密度があがる。これで根が張りやすくなる。さらに肥料や石灰もなじみ、それらを栄養とする菌も安定するため、できればやった方が良い。でも今回撒くのは二十日大根だから、それほど気を使うことも無い。多少収穫量が変わるだけなので、気にしないことにする。
「ええ、でもそんなに待っている時間もないので、撒いちゃいましょう」
「わかりました」
「では、まず畝に種を撒くための準備をします」
畝に一センチ程度の溝を掘ってみせた。
「まずはこうして、種を撒くための溝を掘ります」
「みぞ? みぞ……」
あ、カナさんが溝という言葉に反応した。おもむろに鍬を手に取ったカナさん、ずりずりと的確に溝を掘っていく。さすが溝掘り職人、正確だ。まあ鍬を使わなくて良いんだけど……。
こうして職人のおかげで無事に溝が出来上がったので、一センチ間隔で種をまいていく。二十日大根は色々品種があるが、今回は普通の大根を小さくしたような品種にした。味も似ている奴だ。
「こうして、これくらいの間隔で種を撒いたら、軽く土をかぶせます」
「せんさいなのね~」
「ここまできをつかうんだな」
「てまかけてる」
エルフ達も同じように、カナさんが掘った溝に種を撒いて行った。簡単な作業だし、特に問題は無い。あとは収穫時期を説明しておくか。
「これで、あと数日で芽が出てきます。その後二十日くらいで収穫ができます」
「けっこうはやいですね」
「そういう野菜を選んできましたから。あとは、三日か五日くらい空けて、他の場所に種を撒いて行けば、ほぼ毎日収穫しつづけられますよ」
「それはすばらしい」
連作障害もあるから、ある程度収穫したら新しく畝を起こして別の場所に撒く必要はある。だけど今は良い。芽が出てきたら間引きも必要だけど、これも芽が出てきてから教えよう。以上で二十日大根は終了かな。
次はサラダミックスの説明でもするか。こいつは簡単だから適当でいいや。
「次に、サラダミックスの種を撒きます。同じ畝にこうやってぱらっと撒いて、軽く土をかぶせればそれでいいです」
「いっきにかんたんになった」
「はつかだいこんとの、あつかいのさ」
「おとうさんの、おうちでのあつかいとにてる」
あまりに適当なやり方なので、落差にエルフ達もあっけにとられている。しかしそこのお子さん、お父さんのおうちでの扱いって……。
まあいいか、これで簡単野菜栽培の講習は全部できたかな。あとはもやし栽培の説明をすればいいな。こいつは簡単だからすぐ終わるだろう。俺は野菜栽培講習の終了を宣言する。
「これで、簡単な野菜の栽培方法は終了です。皆さんも各ご家庭で家庭菜園を作って、やってみてください」
それを聞いたハナちゃん一家、やる気十分で返事をする。
「わかりました」
「いっぱいつくるです~」
「ふがふが」
「みぞ、ほりますね……」
カナさん……。