第二話 それっきり
夏の定番
みーんみんみんみんみー。
みーんみんみっ。
セミが増えました。
それはさておき、今日はそれほど暑くありません。
高原ならではのカラっとした陽気です。
異常気象がなければ、この村の夏は本来こんな気候なのかもしれませんね。
そして、わりかし良い感じの陽気の中。
ハナちゃんは昼下がりから、のんびり過ごしておりました。
「今日はまあまあ、過ごしやすいです~」
「ギニャ~」
「ミュ」
おうちのテラスで、麦茶片手にご機嫌です。
爽やかな夏の風景に、そよそよとそよぐ風、そして美味しい麦茶。
のんびりゆったり、夏を満喫していますね。
「麦茶、冷たくて美味しいです~」
そうして水筒に入った麦茶をグビグビ飲んでいます。
お婆ちゃんが量産した麦茶を、孫が後先考えずに大量消費。
とても正しい、日本の夏のありかたですね。
そうしてのんびりしていたのですが……。
「あえ? オオカミさん来たです?」
森から、ボスオオカミがやってきました。
トテテテとまっすぐにハナちゃんの方に歩いてきます。
一体どうしたのでしょうか?
「オオカミさん、どうしたです?」
「ばう、ばうばう」
ボスオオカミはばうばうとお返事すると、体をゆさゆさ揺すりました。
そしてフクロから――ぽろっと何かが出てきます。
「あえ? これ何です?」
「ばう~ばうばう」
「あ、ユキの忘れ物です?」
「ばう~!」
フクロから出てきたのは、一つのトートバッグでした。
昨日雪恵が森でちらちらしていた時に、持っていた物です。
忘れてっちゃったのですね。
「オオカミさんありがとです~。飴をあげるです~」
「ばう~」
忘れ物を届けてくれたボスオオカミに、飴玉をあげるハナちゃんでした。
甘い物を貰えたボスオオカミは大喜び。
ばうばうとご機嫌で森に帰っていきました。
「……これ、どうするですかね?」
「ギニャ?」
手を振ってボスオオカミを見送ったハナちゃんですが、受け取った忘れ物を持て余しました。
受け取りはしたものの、それをどうするかまでは考えていなかったのですね。
「……人目に付く、棚に置いとけばいいですか~。『仕舞う』と忘れそうです~」
人目に付く場所に置いて、ハナちゃんが忘れても誰かが気づくようにするみたいですね。
ハナちゃんはおうちに入っていきました。
ぽてぽて。
おうちに入ったハナちゃん、台所に一直線です。
棚があるので、仕舞えない物や扱いに困った物を置いておく定番の場所となっています。
どこのご家庭にもある、魔窟の一つになりつつありますね。
「ここに置いとけば、目立つです~。――あや!」
棚に忘れ物のトートバッグを置いて――おっとと!
中身が偏っていたのか、ドサッと落ちてしまいました。
「あや~……落っことしちゃったです~……」
そろりそろりと、落ちてしまったトートバッグの中身を出して確認するハナちゃん。
耳がカチコチに張り詰めています。
「何か壊れてないですか~……」
ハナちゃんちょっと焦っていますね。
なぜかと言えば……大志達の持ち物は、不思議な道具が多いのです。
使い方すら分からない謎道具がいくつもあるので、大志から説明が無かったり使用許可が出ていない物は、なるべく触れないようにしているのでした。
そういうわけで、落としてしまった雪恵のバッグに、もし謎道具が入っていたら……。
それを壊してしまったら……。
ハナちゃんぷるぷるです。
そろりそろりと、中身を確認していきました。
そして――。
「――良かったです~。壊れ物は無いです~」
バッグの中身を確認しましたが、壊れ物は入っていないようですね。
ハナちゃん一安心、カチコチに張り詰めていた耳も、安心してへなっとたれ耳です。
「ヒヤっとしたです~」
ほっと一息、余裕も出て来ました。
どんなものが入っていたのか確認しながら、冷や汗をふきふき。
そしてバッグから出した物を戻していると……。
「あえ?」
ハナちゃんの手が、ピタリと止まります。
どうしたのでしょうか?
「……これ、何です?」
――それっきり。
ハナちゃんが台所から出てくることは、ありませんでした。
◇
「……ふが」
リビングでうとうとしていたひいお婆ちゃん、ふと目を覚ましました。
そして、すくりと立ち上がります。
「ふがふが」
目を覚ましたひいお婆ちゃん、ぐいっと一回背伸びをすると、トコトコ歩き出しました。
どうやら、台所に向かっているようですね。
今日は過ごしやすいと言っても、多少の暑さはあります。
そして、台所に行けば美味しい麦茶があります。
水分補給なのでしょうね。
ふがふがと台所に向かったひいお婆ちゃん。
そして――。
――それっきり。
ひいお婆ちゃんが台所から出てくることは、ありませんでした。
◇
――間もなく夕方。
個室でお絵かきをしていたカナさん、窓の外を見ました。
「そろそろ、お夕食の支度をしようかしら」
日が傾いてきて、良い時間です。
お夕食の準備をする頃合いですね。
「あら?」
しかし個室から出たカナさん、リビングを通り抜けようとしたら、あることに気づきました。
――ひいお婆ちゃんが居ないことに。
「お母さん。お婆ちゃん、どこ行ったの?」
「あらあら?」
カナさんのお母さん、いわゆるハナちゃんのお婆ちゃんですが、心当たりは無いようです。
きょろきょろと辺りを見回し、ひいお婆ちゃんを探します。
「……あれ? ハナも居ないわね」
「あらあら?」
「二人とも、どこに行ったのかしら?」
首を傾げつつ、カナさんは玄関にある靴を確認してみました。
「……靴はあるわね。じゃあおうちに居るのかしら」
玄関を見ると、ハナちゃんとひいお婆ちゃんの靴はありました。
……まあ、たまに履くのを忘れて裸足で出ちゃうときもありますが……。
裸足で過ごしてきたエルフ達なので、忘れるときもあるのです。
それはそれとして。
「台所に居るのかしらね」
見ていないところは台所のみです。
お夕食を作るので、ちょうど良いですね。
確認がてら、台所に向かうカナさんとお婆ちゃんでした。
そして――。
――それっきり。
ぱたりとカナさんとお婆ちゃんの消息が、途絶えました。
◇
「ただいまー」
「今帰ったぞ~」
ヤナさんとお義父さん、お仕事を終えておうちに帰ってきました。
今日は駄菓子屋の売り上げを集計して、仕入れの計画を立てていたのでした。
しかし……。
「あれ? 何か変じゃない?」
「――家が、なんだか静かだな……」
ヤナさんとお義父さん。異変に気づきます。
いつもならハナちゃんがお出迎えしてくれて、さらにお夕食を作るカナさんの鼻歌が聞こえてきているはずです。
それが……なんだかおうちが、シーンと静まりかえっています。
「靴は……あるね」
「ああ。全員分あるな」
お出かけしているのかと思いきや、自分たちを除いた家族全員の靴は揃っています。
どうやら、全員おうちに居るみたいですが……。
「……変な気配はしないね」
「そうだな。そこは大丈夫だな」
耳を澄ませた二人は、気配を探ります。でも、異変は感じ取れませんでした。
「――とりあえず、家の中を見てみよう」
「ああ。じゃあ俺はこっちから確認する」
二手に分かれておうちの中を確認です。
お義父さんは台所周りから、ヤナさんはリビング周りから……。
「……誰も居ないな」
リビングと個室を確認したヤナさん、無人であることを確認しました。
反対側から確認しているお義父さんを、リビングで待ちます。
しかし、お義父さんがリビングにやってくることは――ありませんでした。
――夕日が沈みかけの時間……それは、誰そ彼。
黄昏時のリビングに、一人たたずむヤナさん。
キキキキキキ……と、ヒグラシの鳴く声だけが響きます。
「……あれ? 義父さん? おーい!」
いつまでもお義父さんが戻って来ないので、ヤナさんはお義父さんが探していた箇所――台所を確認しにペタペタ歩いていきました。
そして――。
――やっぱり、それっきり。
台所に入ったら――それっきり。
◇
「ちょっとハナちゃんに、火を点けて貰ってくるわね~」
「行ってらっしゃい」
七輪に灰色の薪を入れて、腕グキさんはトコトコとハナちゃんのおうちに向かいました。
これからお料理屋さんの時間です。
野菜炒めを作らなければなりません。
だいぶ日も落ちて、街灯が村を照らす薄暗い中。
ハナちゃんのおうちに向かってトコトコと歩いて行きました。
そして――。
「――お母さん、遅いな……」
お料理屋さんでは、ステキさんが一人、待ちぼうけ。
腕グキさんは――帰ってきません。
「どうしたのかしら……」
ステキさん、ちょっと心配になってきました。
そわそわ、そわそわ。腕グキさんの帰りを待っています。
「ういーっす。こんばんわー」
「今日も野菜炒め?」
そんな時、お料理屋さんにお客さんが来ました。
マイスターとマッチョさんです。
二人ともお腹がペコペコ、今日もお料理を楽しみにやってきたのでした。
「……あれ? お袋さんは?」
「いつもなら、もうお料理始めてるよな?」
「それが……」
ステキさん、腕グキさんが帰ってこない事を説明しました。
火を点けてもらいに行ったけど――それっきり。
「じゃあ、ちょっとハナちゃんち見に行こうぜ」
「そうだな。呼びに行こう」
「私も行くね」
こうして三人は、トコトコとハナちゃんちに向かいました。
もうすっかり日が落ちて、辺りは暗くなっています。
マイスターは森での観察のために懐中電灯を持っているので、先頭になって足下を照らしながら……トコトコトコトコ。
街灯の無い場所は、懐中電灯の明かりだけが頼りです。
そして――ハナちゃんちに到着しました。
「……静かだな」
「あれ? 明かりが点いてない?」
「おかしいわね」
ハナちゃんのおうちは、リビングに明かりが点いていませんでした。
普段はこんなこと、ありません。
シーンと静まりかえったおうち、一体どうしたのでしょうか?
「呼んでみよう。おーい! こんばんわー!」
「ヤナさん、いますかー」
「お母さん、居るなら返事してー」
ドンドンドンとドアを叩きますが、暗闇に音が吸い込まれて、それっきり。
返事はありませんでした。
「どうしたんだろ……あ、開いてるぞ……」
マイスターがふとドアノブに触れると、カチャッと回ります。
ドアには……鍵がかかって居ませんでした。
ギギギギィ……。
ドアが、ゆっくりと開きます。
それはまるで、大きな口を開けて……暗闇の中に誘っているよう。
その様子に、三人はゴクリと喉を鳴らします。
しかし、ここで尻込みしている場合ではありません。
「……中を調べてみよう」
「ああ」
「……そうね」
意を決して玄関に入ると、そこには――。
「あ、お母さんの靴があるわ!」
懐中電灯で照らされた玄関には……腕グキさんの靴が、ありました。
「じゃあ、ここに居るって事かな?」
「まあ、探してみよう」
「あ! 台所は明かりが点いてるわ」
おうちに上がった三人は、台所に明かりが点いているのを発見しました。
早速台所に向かいます。
そして――それっきり。
それっきり。
村のエルフが、それっきり。
ハナちゃんちに向かって、それっきり。
――ぱたりと消息、途絶えます。
◇
ちゅんちゅんちゅん。
翌朝です。
今日も快晴、夏真っ盛り!
爽やかな夏の朝、静かな村の朝、今日も一日が始まります。
さて、何人ものエルフが消えたハナちゃんちは、どうなっているでしょうか。
エルフ達が消えた台所はというと――。
ギギギィ……扉が開きました。
そこから出てきたのは――。
「――良い朝です~」
「徹夜しちゃったな」
「時間を忘れたわね」
カップラーメンを持ったハナちゃん一家が、晴れ晴れとした顔で出てきました。
良かった、無事だったのですね。
そして――。
「お料理屋さん、さぼっちゃったわ~」
「帰ってこないから、どうしたのかと思ったのよ?」
「まあ、俺らも同じだったけど」
「アレを見ちゃうとなあ……」
行方不明だった腕グキさん達も、ゾロゾロとカップラーメンを持って出てきました。
ほかほか湯気が出ていますので、今作ってる最中ですかね?
「これを食べたら、村の皆にも見せるです~」
「それは良いね。これは皆で楽しもう」
「それじゃあ、皆を集会場に集めましょう」
「手分けして呼ぶか」
「ふがふが」
「あらあら」
リビングで皆そろって、ずるずるとラーメンをすすります。
手抜き朝食の始まりです。
「そういやこれ、ユキエさんの忘れ物だっけか?」
カップラーメンの謎肉を味わっていたマイスター、ふとそんなことを問いかけます。
マイスターの視線の先には――「本」がありました。
「あい。ユキの忘れ物です~」
「これを読みながら、タイシさんの方をちらちら見てたんだっけ」
「挙動不審だったです~」
全員の目が、その「本」に注がれました。
――途端、皆のお目々はキラキラです。
「これは、徹夜で見ちゃうよな~」
「時間を忘れたわね~」
「台所から移動するのさえ、忘れてたもんな」
「素敵すぎよね」
「早く皆に見せたいです~」
手抜き朝食ですけど、食卓は賑やか笑顔。
徹夜の疲れも感じられません。
さて、一体皆は……何にハマったのかな?
そして朝食を食べ終わった一行は、村に意気揚々と繰り出し人を集めます。
お隣さんに声をかけ、そのお隣さんがまた声をかけ。
ゾロゾロとエルフ達が集会場に集まっていきます。
集会場では、いつも大志が居るその位置に――ハナちゃんが居ました。
本を大事に抱えて、にこにこ笑顔。
早く皆が来ないかな。早く見せてあげたいな。
ワクワク顔で、お耳もぴこぴこ。
皆もこれを見て、喜んで欲しいな。
そんな思いで一杯です。
――そして十数分後。
皆が集会場に集まりました。
「朝からどうしたの?」
「見せたい物があるって聞いたけど」
「なんだろな~」
集まった皆さん、ワクワク顔です。今か今かと、その時を待っていました。
その様子を見たハナちゃん、ぴょこっと立ち上がります。
「今日は皆に、これを見て欲しいです~」
ハナちゃんが皆の前に掲げたのは、一冊の本。
その本には――海の写真が、載っていました。
◇
「凄えええ~」
「こんなおっきな湖があるなんて、素敵でしょ?」
「これ、ホントにあるのかな?」
海の写真を見たエルフ達、美しい光景に目が釘付けです。
皆で海の写真を眺めて、お目々キラキラになってしまいました。
「この地面って、砂なの?」
「どこまでも湖が続いてるとか、素敵」
「こっちの湖、舐めてた。ごめんなさい」
文字は読めませんが、写真なら分かります。
大志や雪恵と同じ黒髪の女性が、なにやら美味しそうな飲み物を飲んでくつろいでいる写真もあります。
そんな情報から、これは大志達の所にある物だと判断しました。
「これ、タイシが前に言ってた『うみ』って所だと思うです~」
「あ、確かに聞いたことあるな」
「塩が採れるんだったよな。てことは……しょっぱいのかな?」
ぴらりぴらりとページをめくり、海の写真を堪能します。
雪恵の忘れ物には、美しい海の写真がたーくさん。
どれほど見ても、飽きません。
エルフ達が初めて見た――海。
少なくともここに居るエルフ達は、海という物を知りませんでした。
どこまでも、どこまでも続く蒼い水面。
空の青さと、海の蒼さ。同じ青でも違います。
その色の違いを、空は白い雲、下は白い砂浜がより一層強調していました。
「写真って、凄いです~……」
「僕たちは、本当ならこの風景は見られなかったんだな」
「写真があったからこそ、知ることが出来たのね」
ハナちゃんとヤナさん、そしてカナさん。
改めて写真という技術の凄さに、感動です。
写真が無ければ、雪恵が忘れ物をしなければ――知ることは無かったでしょう。
海、という存在がどういう物か。
その――本当の、姿を。
「綺麗ね……」
「この写真、泳いでるな」
「気持ちよさそう~」
いろんな写真に、海で遊ぶ大志みたいな黒髪の人達の姿が映っています。
皆笑顔で、楽しそう。
そして、美味しそうな料理も。
「お魚焼いてるわね」
「この赤いハサミとトゲトゲの付いた奴、食えんのかな?」
「固そうだな~」
そう言いながらも、じゅるりとする皆さんですね。
お魚釣り大会で、美味しいお魚を食べました。
きっとこのお魚も、美味しいだろうと思う皆さんです。
雪恵が忘れていった、美しい海の写真。
それは、エルフ達の――宝物になりました。
皆時間を忘れて、本を眺めます。
でも、それは雪恵の所有物ですからね。後でちゃんと返すのですよ?
そこら辺をちょっと忘れちゃっているエルフ達ですが、目を輝かせて写真を見つめます。
そうして、写真の向こうにある海を見て、キャッキャしていたその時――。
「あや~。……ここ、行ってみたいです~」
「「「――!」」」
――ハナちゃんが、ぽつりとつぶやきました。
それを聞いた皆――電撃が走ります。ビビっと行きました。
「これ、こっちにあるんだよな……」
「そうだよな。……こっちに、あるんだよな」
「こんな凄えのが、あるんだ……」
ハナちゃんの何気ないつぶやき。そして、心の底からわき上がるその想い。
――皆が抑えていた「何か」を、引きずり出してしまいました。
そうして皆のお目々は……もっともっと――キラキラ輝き始めました!
「行ってみたいな」
「ここに行けたら、素敵よね」
「ホント、そうなったら……」
「すっごい思い出、作れるです~!」
この時、エルフ達には夢が出来ました。
――海に行ってみたい。
そんな夢が。
それっきり。ただそれっきりの。
でも――とびっきりの、夢が。
 




