三月の風
三月のある夜。
ぬるむ空気は幾億もの生物の吐いた蒸気に満ち満ちて、緑のもの等を沸きたたせます。一葉漏れなく沸きたたせます。沸いた緑もまた蒸気を吐きます。それら蒸気の混ぜ物は、私の吸気となって、湿った鼻腔の道すじを、ほんの一時のうちに吹き抜けます。
冬の間、氷のにおいにすっかりしめられた鼻腔の回路の道々に、それら蒸気がふれますと、回路の道は、いっせいに、めいっぱい膨張し、膨張した回路の道の隅の隅の隅にまで、ぬるい蒸気が満ちてゆくのです。
これらはほんの、零コンマ零三秒ほどの、一瞬とも言える時間のうちに起こることです。
主要な感覚器官の回路において、このような急激な変化をいっぺんに起こされてしまっては、私などの、いち生物に、何かしらの対抗策をこうじられるわけなどないのです。
しかし私もまた季節に依る生物であるため、ぬるみにさらわれ、回路の隅の隅の隅まで蹂躙されようとも、多くの生物がそうであるように、生物である限り、そうして沸きたたせられることに、さして抵抗する気持ちも無いのです。