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〜dogfight〜


 その日の夜、仕事を終えた千尋が部屋に戻って来るとお風呂に入る準備をし始めた。洗面所に入ってピンク色のセーターと紺色のスカート、白いシャツを脱いで予め沸かして置いた風呂に浸かって考え事、もとい妄想を始めた。このお風呂での妄想も以前の千尋にとって習慣の一つだった。そんな今回はお風呂の水面を見ながら※並立ブラックホール動態予想について考え始めていた。因みに並立ブラックホール動態予想の簡単な説明をすると“全く同じ大きさのブラックホールが互いの重力波の影響しあう程の近距離にある場合、それぞれのブラックホールはどんな動きをするか“という考えである。この考えが一般的になったのは数年前今まで存在を知られていなかった未知の物質が検出されたことによって議論され出したのが始まりである。γ線バーストの構成成分の研究の為に打ち上げられた人工衛星によって検知した粒子の一つがこの宇宙系の如何なる物理法則でも再現することが出来ないのが証明されたのだ。そしてこの粒子の名前は【※Фオン】と名付けられた。この粒子の発見によって世界中の物理学者はこう考えた。“この宇宙の外側には別の多次元宇宙(マルチバース)が存在するのではないか。そしてブラックホールが互いの宇宙同士を繋いでいたのではないか?“と。しかし今現在の観測技術では宇宙系の外側を観測することが出来ない。しかも実際のところはγ線バーストの中心にあるブラックホールの極端な重力に因って既存の素粒子同士が衝突して精製されたのではという説もある。とは言うもののこの説も証明することが出来ない。ブラックホール並の重力環境を機械では再現することが出来ないからだ。要は完全なるブラックボックスであった。まだ分からないことが多すぎて議論するに値するかも怪しいくらい脆弱な理論なのだ。千尋はそんな妄言に等しい理論を更に自分なりに魔改造を施し、“お互いの宇宙を繋いだブラックホールから発生するγ線バーストに原始生命体は存在するのか?“という事を考えていた。もしブラックホールがチューブ状に繋がっているのだとしたらその中はとてつもない重力で満たされている。本来なら生命のあるものが通る事は不可能の筈である。ところが極限まで小さな生命体であれば重力に影響されにくく、そのままこちら側に流れ着くのではないか?端から見ると余りにも現実離れしていて呆れてしまいそうになるが千尋本人にはそう考える根拠があった。ここで一旦長くなってしまったので先の話を続ける。考え事に没頭していて気が付くと深夜の三時になっていた。午後の九時にお風呂に入ったのでおよそ六時間の間、風呂の中にいたことになる。妄想の後の多幸感に浸っていた時、ふと千尋は収容されていた時の事を思いだしていた。その時の思い出は千尋にとって胸の中に小さなガラスが埋められているような痛みを感じさせる。そんな厭な思い出を振り払うかのように冷水を頭からぶっかけ、身体を洗った後にまた冷水で身体についていた石鹸の泡を流した。そのまま風呂から上がりパジャマに着替えた。ベッドに入ってしばらくするとまた別の思いつきが千尋の頭の中で沸き上がった。大急ぎで自分用のデバイスを起動して計算を始める。今度は双子素数の永続的な存在の証明についてである。


「うへ......うひひ......ふひぇ♡」


 目視入力のデバイスを目線で操作しながら再びさっきの多幸感と快感が頭と体の中を駆け巡っていた。そして快感の洪水が溢れて一連の計算をしたあとは気持ちよさの余りその場で倒れこんでしまった。その頃外はもう夜が開けて空が白みはじめていた。


 その少し前にミーシャは小便の為、トイレにいっていた。そこから戻って再びベッドに入ろうとしたとき、耳を疑うような声が聞こえてきた為に思わず壁に向かって耳をくっ付けてみた。因みにミーシャの部屋は千尋の部屋の隣にある。


<うへへ......ふひぇ......はぁ...はぁ♡......


 何か喘いでいるようなそんな声が微かながら聞こえてきた。その直後に倒れる音が聞こえてそれからは喘ぎ声は聞こえなくなった。この声を聞きながらミーシャは以前、図書館の中での千尋の様子を思い出していた。あのときも図書館の中にも関わらずさっきのような声を呟いていた気がする。


(そういや以前俺が迎えに行ったときもこんな様子だった気がするな......)


 そのときは後ろ姿をみただけであったが今隣であのときと同じような事をしている。それをミーシャが考えると再び千尋に対する気持ち悪さと恐怖を抱いた。あんな声を出すような行為はミーシャの頭の中では一つしか思い付かなかった。--つまり自慰行為である。


(アイツっ......!)


 そして戸惑いや生理的な気持ち悪さの次に襲ってきたのは怒りと驚きだった。それは周りの人を欺いていたのかという千尋に対する怒り、そしてそんな彼女の本質を見抜いていたかのような渾名を付けたタラさんに対する尊敬にも似た驚きだった。隣の部屋で物音がしなくなったのを確認して


(どうやら終わったらしい......まさかアイツがなぁ......やっぱり女は信用できねぇな)


 もしかしたら一見おどおどしていたような仕草も淫乱だと思わせないで自らの本質を隠すための演技だったのだ。そう考えると怒りと同時に呆れてしまいそうになった。そう思いつつそのまま聞き耳を立てているとまた動き出したようで物音が聞こえるようになってきた。そして千尋が部屋から出ていくのを確認するとミーシャも漸く身支度を始めた。仕事をしている途中もミーシャは今日の朝の事を考えていた。時々千尋から


『あの......すいません。こっちの利益率計算終わりました。......手伝いましょうか?』


 考え事をしているためかいつもより仕事の進み具合が遅いのを心配したのか、それとも自分をよく見せたいだけなのか気を遣っておどおどと声を掛けてきた。それでも


『......いいからほっとけよ』


 にべもなくこう言われると千尋からはなにも言えずそのまま引き下がるしかないのだった。


(なんか私怒らせるようなこといったかなぁ......

 )


 誰かにこの事を相談したくともシユンはどこに行ったのかここには居らず、ヤシンとダビドはお互いに仕事以外の何らかの準備をしているようで共に話しかけられるような雰囲気ではなかった。タラさんは朝から仕事相手の所に行っていた。二人の間に重い空気が流れ、部屋のなかはとても静かだった。


 4月22日 午前11時 カフェ·クリスタ


 タラさんと仕事相手の男性は待ち合わせ場所であるカフェの中で融資について話し合っている。まずはタラさんが


「前回、融資を受ける銀行の選考は私たちの方でということでしたがそれについてサービスの希望などはごさいますか?例えば借り入れ金額等の上限額が高い方がいいというような」


「いえ、特にありません」


「でしたら私達が主に使っている“日本政策金融公庫“というところで申請をさせて頂きます」


「具体的にどのようなところですか?そこを使う利点は?」


「財務省が管理している所で主に中小企業の設立や融資を目的に造られた所です。利点は小規模投資に積極的なところ、審査が民間に比べ比較的基準が弛いところにあります」


「何か必要な物はありますか?」


「特にこれといった物は必要ありません。審査を申し込む際に代金を払う必要はありますが

 面接日に払う必要はありません。公庫への審査

 申請は此方で行います。その際代金と一緒に事業計画書を向こうに送る必要があります」


「事業計画書はどのようなものでしょうか?」


「これをご覧下さい」


 そう言うとタラさんはバッグから薄型のデバイスを取りだし、相手に見せた。


「これです。ここで問われるのは事業目的、事業計画、融資希望額、家族構成、事業主の個人経歴です。これを事前に公庫に送り、一次審査に通ったら面接官との二次審査になります」


「な、成る程。これをしてからどのくらいで合否などが分かるんですか?」


「一次審査の合否は翌日、遅くとも二日後には分かります。一方二次審査の合否通知は四、五日かかります」


「分かりました。有り難うごさいます」


「いえいえ、これぐらいはこの仕事をしている人間にとっては当然のことです。その他に何か疑問などはごさいますか?」


「いえ、粗方分かりました」


「それでは申請をした後にまたご連絡させて頂きます。あ、後経歴についてですが何か犯罪歴や資産凍結、生活保護の対象になってしまわれたことはごさいますか?」


「いえ、ありませんが」


「それならば一次審査はほとんど問題ありませんね。通知はそちらに届くようにしておきますので合否通知が届きましたらこちらにご連絡してください」


「分かりました。今日は有り難うごさいました」


 そして話が終わった後はカフェで昼食を摂り、連絡があった後の話し合いの日付を決めた後、タラさんは会社に戻っていった。


 その頃、世間ではcivil netの情報流出事件が新たな展開を見せ始めていた。きっかけは外国のハクティビズム団体が解号(デコード)させた二つの情報についてである。因みに千尋達がcivil netに行った攻撃では運営の実態、civil netを構成していた個人サーバーに残っていた極秘情報を流出させたのだが、今回の流出情報源は流出された情報の中で今まで暗号処理化され、読むことが不可能だったものである。一つ目は“国内貧困率の割合詐称“について。総務省が発表していた最新のデータで二パーセントとされていた全人口に対する絶対的貧困率が十パーセントを越えていたこと。もう一つは、実はこちらの方が重要なのだが“難民の数の詐称“であった。難民(cipカードをもたない外国人)が公式データでは七十万人であったものが実際にはその倍である百四十万人であったことが明らかにされたことだ。前者は主に海外で問題になったが国内では後者の記事がより大きくピックアップされた。理由を挙げるならば国民の危機意識にダイレクトに響いたからであろう。前者の記事では絶対的貧困者の具体的な人数が都市圏外に集中していたため、人々がいまいち意識しにくかった事が大きい。対して後者の難民問題については圏外は勿論、圏境付近や圏内に多数いることが暴露され、特に一部の極端な思想を持つ人間にとっては国の存亡が危ういという意識を強く喚起させた。その人々が前述の国会議事堂記念公園で行われていた集会に加わったことで以前は数十人程度の小規模にとどまっていたデモや集会は数百人規模の比較的大きなデモが行われるようになった。また東京都市圏に留まっていたデモなどが他の都市圏にも飛び火するようになっていた。


 4月23日 午前10時 電子災害研究所


 今日になって警視庁科捜研にあった資料が科学警察研究所から届いたので、それ以前から行っていたアジュバントシステムの防衛システム開発を本来の部署に移して、初動捜査が始まった。因みに同じ警察庁の研究機関でも半公的機関である電災研より科警研の方が立場としては上になる。なので科捜研とのパイプが出来たとしても一度上位機関である科警研を通さなければならなかったのだ。今までの捜査でどこのネットホストから攻撃が行われたかが特定されていた。それを警視庁刑事課に通達、それが確認された為現場となった五ヶ所のネットホストの映像が押収された。その結果此処に届いたのはネットホストの監視カメラ映像、使われたデバイスのキーボードに残された重複指紋解析の指紋一覧、事件当日のネットワークの通信履歴などである。その証拠を科捜研の補助資料を基に確認していく。


「送られてきた資料は確認したね。まずは指紋についてだけどどうだった?」


 俊哉に訊ねられた研究員は頭を掻きながら


「え~と......指紋が採取されたのは事件から二日後の十九日ですからそこから三日間遡って合計で三百九十二人です」


「その中で容疑者としてピックアップ出来るのは?」


「元犯罪者が二十人使った形跡があります」


「その中の一つ映像を見せて」


 それに答えて研究員は端末を操作して映像を大画面に映した。その映像を見た瞬間、俊哉は目を見開いた。俊哉にとって見覚えのある後ろ姿が映っていたからだ。そんな俊哉の心情の変化に周りの研究員は気付いていない。俊哉の目から見て、その小さな背中は心なしか震えているように見える。そのまま暫く観察をしていると端末にUSBメモリーを差しているところだった。


「止めて‼」


 俊哉がそう言うと研究員は慌てて画像を止めた。突然の言葉に研究員が訝しんでいると


「どう思う?」


「どう思うってどういうことですか?」


「......今彼女がメモリーを差そうとしている。この中にウイルスが入っていたのかもしれない。あくまで可能性だけど」


 そして研究員に


「ここ。ここの部分を鮮明化処理してみて」


 とメモリーが写っている部分の画像を鮮明化を指示した。するとメモリーには商品番号が書かれていた。


「この商品番号を記録して後で照合させよう。彼女が使ってた端末の検索履歴は分かる?ここからだとよく見えないけど」


「え~と......【ウェアリング問題の証明】だそうです。室長、どうします?彼女をマーキングしますか?名前は分かっていますから余り手間はかからないと思います」


 俊哉は暫く考えこんでいたが顔を上げて


「今はまだ早い。それに他にもメモリーを使った人間はいるんだよね」


「ええ、確かに百七十人が該当してます。でも元犯罪者なんですよ?」


「なんでも決めつけてかかってはダメだ。確かに彼女はクロに近い。でも彼女がメモリーを差していたとき、免疫システムは発動しなかった。それに......」


 そう言うと俊哉は自らのデバイスから送られた履歴データを写し出して研究員に見せた。


「ほら、記録によるとこの後から事件の時間までに四人がメモリーを使ってる。だから一旦犯罪者かどうかじゃなくてメモリーを差していた百七十人に絞ろう。その人達の職場の経営者に伝えて任意聴取を取る。その後犯罪者にシフトしていこう」


「ということは警視庁にも協力を仰ぐってことですか?」


 そう聞いた研究員の口調を察するに警視庁捜査課への不信感がにじみ出ているように見える。警視庁への情報開示に対して科警研から出向してきた研究員には特に不満があるということは俊哉自身が感じ取っていた。それでも俊哉にとっては事件の解決が最優先だと自身を納得させた上で言葉を続けた。


「まぁ色々思うところはあるだろうけど事件を解決することが僕たちに求められている仕事だからね。仕事はきちんとしないと」


 それを聞いた研究員は小さく頷いてまた仕事に戻った。顔つきを見ると納得したとは言えないのが正直なところだろうが優先事項としては間違いではない為に俊哉に反論も出来なかった、というのが実態だったのだろう。警視庁との関係を仄めかして反応を確めつつ、研究員のそんな思いも察知した俊哉は席に戻ったあとにこれからの事を考え誰にも見られないようにこっそりと小さく溜め息をついた。



 4月24日 午後2時10分 talakan complex



 千尋達が仕事をしていると、タラさんの端末に仕事相手から通知がきた。タラさんがそれを覗くと


 《無事審査を通過しました》


 というメールが来ていた。これを確認した後二次審査に向けての仕事に戻ろうとしたとき新たな通知が来た。改めて端末を確認すると通話相手は


【東京都警 越谷警察署】



 とあった。文面で一瞬顔を強張らせた。しかし、すぐに周りに気付かれないように普段と同じ表情や動作で通話に応じた。 

 周りに気づかれないために。


「もしもし?御電話ありがとうございます。

 タラカン・コンプレックスです」


 すると、


 《こちらは越谷警察、刑事部捜査二課です。

 先日起きたサイバー事件の取り調べに御協力をお願いします》


 と言ういかにも官僚的な無機質な声が聞こえてきた。


(早速来たか.....)


 ここで一旦、考えた。

 仮に断ったとしても、督促ではない以上、犯罪にはならないだろう。が、勘繰られる対象になるのは確実だった。むしろ、ここで疑いを晴らしておけば次の行動を起こすまではマークが甘くなる可能性も考えられる。それに無機的な声を装ってはいるが、警察官本人がかけていた。ここで機械音声を使わずに人間を用いたということが、警察側の一つのブラフだということは今までの経験上、よく分かっていた。

 恐らくは相手は今、口調や話すタイミング、声の上ずり具合から必死に犯人を探そうとしているのだろう。その微妙な変化を統計ではなく個人的な経験則から掴もうとしている。

 小さな携帯端末を通じて、互いの見えない戦いがすでに始まっていた。


 そして答えた。


「分かりました。こちらとしては日時は問題ありません。いつでもそちら側の判断にお任せします」


 《では、休日の五月五日に。その日なら事務業務などはありませんよね?》


 この言葉も実は一つのブラフだ。今は国の決めた祝日には労働法によりすべての企業が業務を停止しなければならない規則がある。もしその間も業務が行われていることがわかった場合、

 労働法違反となり、労働基準監督署の監査が入ることが出来る。そこで押収された書類やデータは警察、公安両組織と共有されるために仮にテロ事件の計画が漏れた場合、理由をつけて即座に制圧、業務停止という強行手段がとられることになっている。その為に労基に目を付けられた時点で実質的に警察が目を付けている事と同義になるのだ。


(脅迫になっているぞ)


 タラさんは心の中で笑いつつ、なおかつそれを少しも表に出すことはなく淡々とした口調を保ったまま、話を続けた。


「勿論です。時間帯はどのくらいの時にそちらに伺えばいいのでしょうか?」


 《他の人もいますから時間の都合がつくのは四時から六時の間です。どうしますか?》


(他の人もいる(・・・・・・)ねぇ)


「五時でお願いします。その時間に伺います」


 《分かりました。必ず(・・)来るようにお願いします。失礼します》


 その言葉を最後に通話は途絶えた。



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