~bottomup~
千尋が自分のデスクに座って暫くたった頃,
ようやく他のメンバーが各自の部屋から降りてきた。
『あれ?早いな。昨日はどうしたんですか?』
ヤシンに訊かれ少し考えた後,
『いえ...昨日は帰って直ぐ寝てしまって...』
千尋がそう答えた後,思い付いた様に
『今日はどうするんですか?次の話し合いをするんですか?』
タラさんに聞いてみるとタラさんは苦笑いしながら
歯切れが悪そうに
『嫌。一旦作戦を行った後は暫く時間を置くと
決めてるんだ。恐らく今回事件を起こした事で国の
治安機関が敏感になってるから。それに国の治安機関って
のは大抵優秀だからな。多分かなりのところまで
追及されるだろう。最悪俺達が疑われるかもな。』
千尋はびっくりして他のメンバーの方を振り返ると
あまり驚いた顔はひとつも無かった。
千尋達が全員デスクに着くと同時にタラさんの端末に
何処からか電話が掛かってきた。タラさんが端末をとって
「はい。お電話有難うございます。タラカン·コンプレックス
でございます。ご用件はどのようなものでしょうか?」
「....成る程,それでは何時頃が宜しいでしょうか?」
「....分かりました。それでは約束の時間までに
待ち合わせ場所に向かいます。お電話有難うございます。」
タラさんが通話を終えると千尋達に向かって,
『皆,久しぶりの仕事の電話だ。これから依頼主に会いに
いってくる。その間は..,そうだなこっちからの電話が
あるまで自由にしてて構わない。』
千尋はこの"仕事"と言う言葉を聞いて自分の耳を疑った。
『あの...仕事って...どういうことですか?』
『いったでしょ。"会社の手伝い"をしないかってね。
まさかテロ活動だけをやるものと思ってたのか?
そんなわけない。テロってのは案外金が掛かる。本当なら
どっかの大手の過激派集団のようにお金を本部から
支援してくれる方が遣り繰りも楽ってもんだけどな。
それに変態君だって自分自身の給料も必要だろ?』
『そんな...もし何か不都合が起きたらどうするんですか?』
『不都合って一体どんなことだ?』
『例えば...誰かから密告されて情報が漏れるとか...』
『仕事相手に俺達の本来の目的は絶対に掴めない。
なんたって破壊活動とは全く正反対の仕事だから。それに
分かったとしても自分では調べ用がない。大丈夫。
皆仕事は真面目にやってくれるから不審がられる心配は
限りなく少ない。だから君は君自身の立ち振舞いだけ
考えればいい。そうだろ?』
『そう...ですね。...分かりました。』
『それならいい。何かあったら皆助けてくれるから
迷わず頼れ。』
そして千尋以外のメンバーに向かって
『それじゃあいつもの通りに。2時間後には戻ると
思うから後宜しく。』
そうしてタラさんは会社を出ていった。
後に残ったメンバーはタラさんが戻って来るまでの間,
自分のデスクに戻って行き自分自身の趣味に没頭していた。
ヤシンは美少女フィギュアの自主創作ソフトを使って
フィギュアアイドルフェスティバルに向けての
フィギュア製作,
ダビドはダウンロードしたアプリケーションゲーム,
ミーシャは仮想現実のプログラムと自身の愚痴を語り合い,
シユンは前々から続けていたと思われるビーズを使っての
ミニテディベアを黙々と作り始めていた。
千尋は1人何も出来ずにその様子を見つめていたが
誰かに自分から話しかける事も出来ずに仕方なく
『あの...私区立図書館に行ってきます...』
そう言い残して会社から図書館に向かった。千尋は他の
メンバーとの間に自分から溝を作っていた。
図書館に向かっている途中,千尋は今日タラさんと
二人きりの時に言われた言葉を考えていた。
(無理だよ...そんなこと言われても...私)
更正支援センターにいたときに自分がいかに社会に不適合
であるかを思い知った身として自分を表に出すことは
極力避けるようにしてきた。それからと言うもの,
以前は頻繁に通っていた図書館にもかかわらず,暫く
行くことをためらっていたのだ。
午前10時25分 三郷地区 新三郷 三郷区立図書館
図書館に着くと,久しぶりに来ることが出来た喜びと
今の自分がここに来ることへの不安が入り交じっていた。
今までは嬉しくて仕方なかった場所である図書館でさえ
余り心が弾まなかった。何だか今の自分が来ては
いけないと感じていたのだ。図書館にも悪いのではと
感じていた。それでも
(....行こう。)
千尋が再び図書館に向かって歩いていった。
図書館の扉の前に立つと千尋の管理パスを認識装置に入れて
中に入っていった。中に入るとまだ時間の関係で80歳以上
の高齢者がほとんどだった。中にいる人間がほとんど
一言も発しない為か室内はとても静かだった。
千尋が室内を歩いて"科学"の棚の前で立ち止まった。
そして沢山の本の中からオパーリンの著作である
"地球上における生命の起源"を手に取った。この本は
千尋が大学に入るときに偶然見つけたものだった。内容は
自身がどのようにコアセルベート説に至ったのかとか
どうしてこの説が成り立つのかを説明しているもので
内容自体はもはや時代にそぐわないものだった。
それでも千尋はこの本を読んで初めて数学以外の分野
に興味津々になり科学者としての考え方も感銘を受けた。
空いてる席に座って久しぶりにその本を読んでいくと,
収容される前の感覚が少しずつ戻っていくのを感じた。
(綺麗...不思議な感覚...久しぶり。...気持ちいい♡)
千尋の頭の中でコアセルベートが出来ていく課程
それを数式でひとつずつ紐解いていく感覚,そこからの
細胞の進化が頭の中で組まれていく。千尋は収容される
前に感じていた気持ちよさをまた取り戻し初めていた。
午前10時40分 埼玉地区 岩槻 カフェ·クリスタ
タラさんが待ち合わせ場所であるカフェに着くと既に
取り引き相手である80歳の老人男性がカフェの前でタラさんを待っていた。
「どうもお待たせ致しました。」
「いえ、こちらこそわざわざご苦労様で。」
そして2人は挨拶もそこそこに端末でお互いのプロフィール交換を行った後,男性は
「それでは立ち話も堪えるので中でゆっくり話し合い
ましょう。」
「そうですね。」
男性に誘われ2人はカフェの中に入っていった。
中に入っていくと古い調度品で埋め尽くされ中はとても
静かで客は1人もいなかった。
カフェは珍しいバーカウンタの対面式でカウンターには
カフェの主人がいた。
「何にしますか?」
男性がメニューを聞いて来たのでタラさんは
「そうですね...モカをお願いします。」
「マスター。それじゃ私はドイチャンで」
「かしこまりました。」
マスターによる手挽きコーヒーが2人の前に運ばれてきた。
「お待たせ致しました。音楽はいかがなさいますか?」
マスターがお好みの音楽を聞いて来たので,男性が
「それじゃジャズで」
「かしこまりました。」
暫くするとカウンターにあった蓄音機からジャズが
流れ始めた。タラさんは驚いたように
「いやぁ..まだこんな所があったんですね。びっくり
しました。ここのマスターとはお知り合いなんですか?」
「そうですね。マスターは私の元同僚なんです。退職後
彼の趣味でカフェを始めたんです。」
「そうだったんですか...」
そしてコーヒーを一口飲んだ後,
「美味しい...」
タラさんはその味に素直に驚いた。今まで飲んできた
コーヒーの中でも上位に位置していた。
「喜んで頂けて幸いです。」
マスターは余り表情に出さなかった。その後
「ところで用件はどのような依頼でしょうか?」
タラさんが思い付いた様に男性に訪ねると,男性は頭を掻きながら
「その..実は雑貨を作って販売までをする会社を作り
たいと思っておりまして,その上でマスターのカフェ
の客層も取り込みたいと考えているんです。マスターとは
既に話しもついていてマスターのコーヒー豆ブレンドや
サンドイッチ等を売り出すということで決まったんです。
しかしこの辺りは余り空いた土地がないので近くに店を
作る事ができないんです。それに今は自分たちがコーヒー
までを淹れられるので果たして需要があるのかすら
わからないんです。」
一通り聞いたタラさんはさっそく質問を始めた。
「成る程,お話は分かりました。ところで質問なのですが
どうして誰もがコーヒーをオートメーションで淹れられる
時代にこのような会社を作りたいと考えたのですか?」
「それは..."もっと美味しくコーヒーが飲めるんだ"と
知った頂きたいと思いまして。今使われているコーヒー
メーカーでは挽く強さや速さ等が数値で固定されてるんです。
手挽きなら豆の状態に合わせて挽くことで苦味や酸味を最大限に
引き出す事が出来るんです。これは職人芸に値する
素晴らしい事なんです。」
タラさんは今度はマスターに
「カフェの客層,人数,時間毎に分かりますか?」
「ええ...懐かしさが売りのカフェですからやはりお客様は
ご高齢の方々が多いです。時間では午前中の早い時間,
午後の2時から3時の間ですね。人数では一日20人ほどです」
「その人達は新規の客ですか?それとも常連客ですか?」
「常連客がほとんどです。」
「この近くに一般人が集まれる様な施設等はありますか?」
「うーん。ここは住宅街と工業地帯の境の様な場所ですから
そのような施設はないですね。辛うじて大きめの公園が
あるくらいです。」
「会社は何人で始めるんですか?」
「暫くは私1人です。ゆくゆくはアルバイトや社員を採ろう
とは思っているのですが...」
「雑貨は何処からか仕入れるんですか?それとも自らが
製作するのでしょうか?」
「公園で蚤の市があるのでそこで購入するかとは思っていますが
まだ決定的ではありません。」
「雑貨は何を売るのかはありますか?」
「お恥ずかしながらまだ決まっていないんです。どのような
雑貨なら売れるのかも皆目検討がつかないんです。」
「会社の利益配分等はどうですか?また会社の負担はどの程度
まですることができますか?」
「雑貨の販売数の出来高です。負担は...そうですね...
制作費を考えて一月10萬両までならなんとか...」
「今まで贔屓にしていた金融機関等はありますか?」
「いえ...今まで金融機関からは融資を受けた事がないので
余り分かりません。」
「成る程...分かりました。それではこの結果を元にプランを
作りますので。今日はありがとうございま..」
「少しお待ち頂きたい。」
会社に戻ろうとし始めたタラさんをマスターが止めた。
「...?」
「少し早いと思うと思うのですがお昼ご飯でもどうですか?
余計でないなら私に作らせて貰いたいのですが?」
マスターの真剣な表情をみたタラさんは
「分かりました。それではお願いします。」
「かしこまりました。」
5分後,マスターがサンドイッチを手に戻ってきた。
外形はアメリカンクラブサンドイッチの様で余り変わった
所は見られなかった。しかしタラさんが口に入れると,
「...美味しい。結構懐かしい感じですね。兎に角
美味しい...何か秘密でもあるんですか?」
「ははは...会社がめでたく設立した暁にお礼として
教えますよ。それではお願いします。」
「いやぁ参りました。こうなったらなんとしてでも会社の
設立をサポートしないといけませんね。」
こうして場の空気が和やかになったところで男性と
タラさんは別れた。
午後00時40分 三郷地区 talakancomplex 社内
『ちょっと集まって下さい。』
ヤシンに呼ばれて他のメンバーが近くに集まってきた。
『ちょっとこれ見て。』
そう言われてヤシンの前にあるデバイスの画面を覗き
込むと"civilnet"を管理していたと思われる暗号化された
名前の一覧が記されていた。
『何でこんなものがあんたのところにあるの?』
シユンが思わず質問すると,マレクは
『実はアフィリエイトサイトから消費者庁の管理サーバー
にアクセスしたら担当者名簿が見つかったから一応
コピーしていたんです。そしたら...』
ヤシンがさらにデバイスを操作し始めた。
『ちょっと待って下さいね。』
そしてヤシンは暗号化された名簿を見て解読を開始した。
(...素数が基本のコードになってますね。あとは...
所々記号化の場所を見るに,乱数になってますね。
無駄にイントロンを入れて...さすが政府の暗号化レベル
ってどこでしょうか。まあ私には朝飯前レベルですが。)
10分後,解読が終了してヤシンはメンバー達に
解析したデータを見せた。
『想像以上ですよ。この名簿の担当者の中に政府の
内閣広報官の名前があったんです。』
『ちょっと!どうして内閣の人間が民間アフィリエイトの
情報を管理してるの?』
するとミーシャがシユンに対して
『どうしてって...簡単だろ。国民の世論をある程度まで
操作をしたいからさ。あからさまでは利用者が勘繰って
信用を失うから,広報官自らが政府の情報を提供する
ことで信用度を高めた上で政府の都合の言いように
コメントを操作する。まあ今回の事件でこの信用度は
がた落ちだがな。上手い考えだ。"名目は政府が監視する
上で公平性を保証する"っていう売りだからな。』
『...』『...』『...』『...』
その言葉に対して誰も言葉を発する事が出来なかった。