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カレをアヤめる50の方法 Take2

作者: 森野青果

 <登場人物>


    田中 菫(探偵)

    佐藤亜紀(依頼者)

    日向辰美(助手)


   1


   雑居ビルの手狭な事務所。

   黒いスーツ姿の女(田中菫)と、地味な、けれどどこか少女趣味な服装の女(佐藤亜紀)が、

   向き合って座っている。

   菫の傍らには小テーブルがある。

   ぽんと軽い音をたてて、「探偵」と書かれた三角錐を、彼女はテーブルにのせる。


菫 「助手が出かけておりましてね」

亜紀 「はあ」

菫 (時計を見て)「間もなく戻って来るとは思うんですが、なかなか戻らない場合もある」

亜紀 「難しい用件でも?」

菫 「なに、ちょっとした使い走りですよ。頼んだわたし自身、用件を忘れてしまうほどの」

亜紀 「そうですか」

菫 (書類を手にとり)「佐藤……亜紀さんでよろしいですか」

亜紀 「はい」

菫 「同姓同名の作家がおりますね」

亜紀 「存じ上げておりません」

菫 「傘を持って出たのかな」

亜紀 「えっ」

菫 「助手のやつですよ。雨の音が、聞こえませんか」

亜紀 「そういえば、降ってきましたね」

菫 「あなたが来られるときは?」

亜紀 「まったく。今にも泣き出しそうな空でしたが」

菫 「傘は?」

亜紀 「(首を振り)午後の降水確率は、50パーセントでしたから」

菫 「50パーセントでは、降らないほうにお賭けになる」

亜紀 「少なくとも、わたしはそうです」

菫 「もし止まないようでしたら、(視線で示して)ここの傘を一本、お持ちになるといい」

亜紀 「でも」

菫 「心配には及びません。お客が忘れて行ったものです」

亜紀 「なおさら気が引けます」

菫 「いいんですよ。探偵事務所を再訪する客など、めったにおりませんから」


   菫は再び書類に目を落とし、溜め息をついた。


亜紀 「やっぱりだめでしょうか」

菫 「いえ。なにしろ、こういった依頼は、初めてなもので」

亜紀 「とても正気とは思えない?」

菫 「(亜紀を見て)正気に見えるから、こまっているのです。ほかの同業者を回られましたか?」

亜紀 「2万軒ほど」

菫 「ははは」

亜紀 「本当は5軒めです」

菫 「どこも引き受けてはくれなかった?」

亜紀 「丁重に断られたのが二軒。野良犬でも追い払うように、手を振られたのが一軒」

菫 「残りの一軒は?」

亜紀 「塩をまかれました」

菫 「まあそんなところでしょう。ここはベーカー街ではありませんからね。いやひょっとすると、これは古今東西、前代未聞の依頼になるかもしれない」

亜紀 「そこまで大袈裟なものでしょうか」

菫 「探偵に泥棒を依頼する者がおりますか?」

亜紀 「いないと思います」

菫 「あなたの依頼は、それと同じか、あるいはさらに、30歩先を進んでいる」


   間がある。


亜紀 「ほんとうに、殺めてほしいというのではありません」

菫 「アヤめる、とは古風な言い回しですね」

亜紀 「現代的な言い回しを、大きな声では言えませんもの」

菫 「なるほど。別れた恋人をサツガ……いえ、アヤめるための、50の方法を考えてほしい、と」

亜紀 「はい」

菫 「はっきり申し上げて、理解に苦しむご依頼です」

亜紀 「塩をまきたくなる気持ちが、わからないでもありません」


   ふと気になった様子で、窓の菫は外を見た。


菫 「助手のやつめ、いったいどこをほっつき歩いているのやら」

亜紀 「なにか不都合でも?」

菫 「いまだに私は、お茶を出せずにおります」

亜紀 「どうぞお構いなく」

菫 「それにあいにく、名刺を切らしておりまして。印刷所に頼んでおいたものを、助手が引き取る手はずだったのです」

亜紀 「それが用件だったのですか」

菫 「いえ、たしか用件はほかにあったのです。名刺は、あくまでついでで」

亜紀 「ふつう。名刺がないとこまりませんか」

菫 「探偵は、「ふつう」の商売ではございません。それにご覧のとおり、ナノレベルの零細企業でして。あなたが一週間ぶりの来客となります。そうそう、たしか一枚だけ……(取り出した名刺の皺を伸ばし)とりあえずこれでご勘弁を」

亜紀 (受け取って)「田中……スミレさん?」

菫 「石を投げれば、鈴木か佐藤か田中に当たるといわれます。平凡な姓に関する苦労なら、お互い言わずもがなでしょう。とくに探偵は、ちょっと奇抜な姓のほうが好まれるようです」

亜紀 「金田一とか御手洗とか榎木津とか?」

菫 「最後のは少々問題ありですが。まあ、名前を聞いただけで、事件の異様さが連想されるような。そんな名前が好まれるようですね」

亜紀 「佐藤耕助では、せいぜい八つ墓村の駐在ですものね」

菫 「『田中家の一族』で起こる事件も、せいぜいへそくりが盗まれる程度でしょう」

亜紀 「でも、現実の興信所としては、ありふれた姓のほうが信用されませんか。それに、スミレという名前は奇麗です」

菫 「名前は、ね」

亜紀 「そんなつもりじゃ……」

菫 「いいんですよ。なりふり構っていられる商売ではありませんし。名前とのギャップが大きいほうが、記憶に残りますからね」

亜紀 「なでしこのように」

菫 「それは一億人の禁句ですよ」


   感慨深い間がある。


菫 「提案するだけで宜しいのですか」

亜紀 「え?」

菫 「サツガ……いえ、アヤめる方法ですよ。50とおりの方法を、プランとして提出すればよいのでしょうか」

亜紀 「引き受けてくださるのですか」

菫 「要するに、見積もりが出せて、佐藤亜紀さまに支払い能力があり、田中菫が殺人幇助に問われなければ、取り引きは成立です」

亜紀 「プラン、と申しますと?」

菫 「まさか絞殺だの刺殺だのと、指折り50数えれば、済む話ではないのでしょう。少なくとも、あなたの元恋人が、どんな所に住んでいて、どんな生活を送っているか。調べ上げたうえで、実現可能な殺人計画を練る。これでよいのでしょう?」

亜紀 「それでお願いします」

菫 「時に」

亜紀 「はい?」

菫 「助手は、なかなか戻りませんね」


     2


   フィルムのように、菫と亜紀の動きが止まると、「助手」の日向辰美が入ってくる。

   タオルで髪をふき、おもむろにギターをかついで腰かける。


辰美 「本日は雨の中、「○○○」にお越しいただき、まことにありがとうございます。えー、ポール・サイモンの曲に、『恋人と別れる50の方法』というのがあるのを、ご存知のかたも多くいらっしゃると思います。じつは同じタイトルで、まったく別の日本の歌がありまして、こちらは池田聡さんの曲。作詞では、AKBで有名な秋元氏が参加していたようです。やはり、目をつけていたかという感じで。まあ、面白いタイトルですので、ちょっともじって、『カレをアヤめる50の方法』と銘うちまして、お芝居に仕立ててみました。あ、ご紹介が遅れましたが、ボクは今回、助手の日向辰美役で参加しております。ところで、今日、ここへ来る途中……」

菫 「(ストップモーションのまま)ちょっと待った」

辰美 「はい?」

菫 「芝居が止まったままなんだけど。瞬きを我慢してるのもつらいし」

辰美 「わかりましたよ……(咳払いして)あれえ、だあれもいないなあ。電気もつけっ放しで、先生、どこへ行っちゃったんだ。(タオルで頭をふきながら)参ったなあ。急ぎだというから、雨の中、ひとっ走り済ませてきたのにさ……こんな感じでどうですか」

菫 「いいから進めて」

辰美 「ですが台本によると、次は、ボクたちが歌うシーンになっています」


   ♪M1


   3


   辰美去り、菫と亜紀が、最初と同じポーズで座っている。


菫 「まだ調査中というのは、ご理解いただけてますね?」

亜紀 「はい。ただ、電話でお伝えしましたとおり、私が一方的にプランを受け取るのではなく……」

菫 「一緒にサツガ……いえ、アヤめる方法を考えたい、と」

亜紀 「だめでしょうか」

菫 「いやいや、こちらとしましては、純粋にマネーの問題でしかありませんから。前金を受け取りました以上は、佐藤さまの意に沿えるよう、努力いたします。(書類を取り出し)まだ青写真とも呼べませんが、でき得る限りは、ご披露しましょう」

亜紀 「宜しくお願いします」

菫 「まずはやく殺から始めましょうか」

亜紀 「第一番めの方法ですね。でも、ヤクサツとは聞き慣れない名前です」

菫 「方法は極めてシンプルでして、こう……咽を絞めて殺害……いえ、アヤめる行為を意味します」

亜紀 「こうですか」

菫 「もっと親指に力を入れて」

亜紀 「こう?」

菫 「もう少し髪を振り乱して。目元に恨みと哀しみを込めて」

亜紀 「割合は?」

菫 「恨み3に、哀しみ7」

亜紀 「セリフは?」

菫 「思い知れえ」

亜紀 「思い知れえ」

菫 「いいですね。そしてもうちょっとしどけなくセンシュアルに。まるでカレを抱きしめるかのように」

亜紀 「思い知れえ」

菫 「グッドです。絵になります。あなたには、センスを感じますね」

亜紀 「殺人者としての」

菫 「いやいや」

亜紀 「第二番めの方法は何でしょう?」

菫 「刺殺。文字どおり、刺し殺しちゃいます」

亜紀 「こう、刃物を構えて」

菫 「刃の向きは逆さがよいでしょう。それだけで、殺意バリバリになります」

亜紀 「殺意バリバリのまま、カレの胸に飛び込んでゆくのですね」

菫 「血の花束をプレゼントするために」

亜紀 「スミレさんって」

菫 「え?」

亜紀 「ロマンチストなんですね」

菫 「見かけによらず、と顔に書いてありますよ」

亜紀 「あっ」

菫 「消さなくてもだいじょうぶです。だれもが名前の呪縛からは、逃れられないものですよ」

亜紀 「第三の方法を教えてください」

菫 「撲殺です。人類最初の殺人者、カインではありませんが、最も原始的で、本能的な方法といえます」

亜紀 「女性には難しいようです」

菫 「なに、兇器を選べば、不可能ではありませんよ」

亜紀 「たとえば?」

菫 「佐藤亜紀はカレの背後に忍び寄ると」

亜紀 「忍び寄ると?」

菫 「おもむろに西郷隆盛の銅像を振り上げた」

亜紀 「わたしはクレーンですか。あんな重いものを、持ち上げる自信がありません」

菫 「上野で売っている土産物でいいでしょう」

亜紀 「振り上げてみました」

菫 「いい感じです。そのまま後頭部を狙って、渾身の力を込めて……」

亜紀・菫 「ちぇすとー!」


  二人、アヤめてしまった幻の惨状を見てのリアクション。


菫 「……ひどい」

亜紀 「西郷どんが粉々です。ほかに手ごろな道具はないのですか」

菫 「そうですね……(部屋の隅のギターに目が行く)エラリー・クイーンのとある小説では、マンドリンが兇器となっておりましたか」

亜紀 「ギターをお弾きになる?」

菫 「ああ、これは辰美のやつが……」

亜紀 「タツミ?」

菫 「助手の名です。日向辰美。そういえば、今日も今日とて、どこをほっつき歩いているのやら」

亜紀 「私の幼馴染にも、タツミという名の男の子がいました。中学の頃まで一緒でしたが……」

菫 「その子は……」

亜紀 「(さえぎるように)次の方法をお聞かせください」

菫 「第4の方法を、毒殺とします。ルクレチア・ボルジアを例にとるまでもなく、女性による殺人の代表格です」


   ♪M2


亜紀 「毒物を入手するのが、ネックでしょうか」

菫 「大きな声では言えませんが、ちょっと調べれば、身の周りは毒物だらけです。ときに、カレの好物は?」

亜紀 「カレーです」

菫 「駄洒落ではなく?」

亜紀 「カレーです。365日3食カレーでも感激だとか」

菫 「インド人ですか」

亜紀 「実際にカレはヨガを習っていましたし、車の中で、たらりらりらりらり~といったジョージ・ハリスンばりの音楽をかけたり。かなりのインド好きでした」

菫 「すごく濃い絵が浮かびます」

亜紀 「自分の前世はインド人だとか、シソの葉だったとか」

菫 「シソの葉?」

亜紀 「ダイバダッタ」

菫 (咳払いして)「ともあれ、毒物を混入するのに、これほど最適な料理は、ほかにないでしょう。好物でしたら、なおのこと。ただ問題は……」

亜紀 「問題は?」

菫 「別れた男と差し向かいで、カレーを食べる機会は、そう簡単に作れないことです」

亜紀 「5番目の方法をお聞せてください」

菫 「射殺となりますが」

亜紀 「これで10分の1ですね」


   亜紀はストップモーション。

   辰美が入ってくる。


   4


辰美 「あと45とおり」

菫 「めぼしい方法は、おおかた出尽くしたさ。あとは奇をてらうか、残酷に走るか、どっちかだろう」

辰美 「どうしてそんな依頼を?」

菫 「こっちが聞きたいよ。現実に探偵を雇う以上、タダじゃないんだし」

辰美 「ご令嬢ってわけじゃ、ないんでしょう?」

菫 「平凡なOLってやつさ。不動産会社の事務をやっている。なけなしの貯金をはたいて、世にもばかばかしいゲームにつぎ込んで」

辰美 「例のカレとは?」

菫 「およそ二年半前に知り合った。友達の友達だったとか。ダブルデートに始まり、意気投合して付き合い始めた。今どき珍しいくらいの健全さだねえ」

辰美 「二年半は長いほうですよね」

菫 「長いよ。お互い本気だったのは、確からしい。そろそろプロポーズという段になって、破局がおどずれた」

辰美 「破局とは?」

菫 「縁談話。カレの勤め先を合併しようとしている会社の、社長令嬢との」

辰美 「逆玉ってやつ」

菫 「どうだか。政略結婚である以上、カレにも事実上、選択肢はなかったのさ。亜紀のほうでも理解を示し、極めて円満、かつ円滑に別れ話が成立した」

辰美 「でも割り切れなかったんだ」

菫 「人間の感情は、そう簡単に割り切れるもんじゃない」

辰美 「例のカレについても、調べたんでしょう」

菫 「できた男だよ。インド好きかどうかはともかく、浮ついたところがまったくない。真面目で礼儀正しくてユーモアがあって。仕事はできるし、おまけに美男ときている」

辰美 「濃いめの?」

菫 「それがジャニーズ系だから驚いたね」

辰美 「じつは美少女フィギュアを三千個持ってるとか、夜な夜なそれらに話しかけてるとか」

菫 「そういった欠点というか、人間らしさが見当たらないところが、むしろ欠点なのかもねえ。だから」

辰美 「だから?」

菫 「割り切れなかったんだ。円周率のように、無限に出てこない答えが、佐藤亜紀を苦しめ続けているんだろう」

辰美 「円周率ですか」

菫 「恋愛とは、円周率のようなものである。田中菫」


  ♪M3


   5


   菫は止まっていた亜紀に話しかけた。


菫 「ひとつ気になることがありましてね」

亜紀 「なんでしょう」

菫 「一応私も十年近く、探偵で飯を食っていますから。ここに男と女がいたとする」

亜紀 「はい」

菫 「二人は愛し合っていたが、そこに第三の女があらわれて、男を奪って行ったとする」

亜紀 「その先は、言われなくてもわかる気がします。女は男を恨むか、それとも第三の女を恨むか、というのでしょう」

菫 「わたしの経験上、圧倒的に後者のケースが多いのです。もちろん男も憎い。けれど、あの女のほうが、もっと憎い。それこそ……」

亜紀 「アヤめたいほどに」


  電話が鳴る。


菫 「こちら、田中菫探偵事務所。はい? うちは蕎麦屋じゃありませんが。いえ、本当ですよ。え? そうですね。わたしなら、盛りよりかけをお勧めしますがね。ええ、もちろんですとも。葱は多めで」


  電話をきる。


菫 「新たな情報が入りました」

亜紀 「間違い電話じゃなかったんですか」

菫 「暗号連絡です。盗聴は日常茶飯事の業界なもので。あまりお耳に入れたくない情報かもしれませんが」

亜紀 「構いません。仰ってください」

菫 「あなたの元恋人と、いわゆる第三の女性との、婚約が成立したようです」

亜紀 「そうですか」

菫 「まだお続けになりますか」

亜紀 「え」

菫 「このゲームを。それよりも……」

亜紀 「いくつまでいきましたっけ」

菫 「17です」

亜紀 「駅のホームで背中を押すというのは、何番めでしたか」

菫 (書類に目をやり)「ナンバー・ナイン、となっております」

亜紀 「その9番めの方法について、少し掘り下げて考えてみたいと思います」

菫 「これまで挙げた中で、最も楽な方法といえますか」

亜紀 「こう、どんと押すだけですものね」

菫 「その気になれば、だれにでもできますよ。ただ、」


  二人、アヤめてしまったカレの惨状を見てのリアクション。


菫 「ひどい……」

亜紀 「ちょっと言葉で描写するのさえ、憚られますね」

菫 「それでもあなたは、ナンバーナインを選べますか?」

亜紀 「そもそも彼は、ホームの最前列には並ばないタイプでした」

菫 「ジンクスでも?」

亜紀 「マナーにこだわるほうでしたから。例えば電車が込んでいるにもかかわらず、ドアの前で、内側を向いて立っている人がいますよね」

菫 「あれはちょっとこまりますね」

亜紀 「カレに言わせると、万死に値するとか」

菫 「万死ですか」

亜紀 「ですから、ホームであんなものやこんなものをまき散らすような、マナーにもとる行為を、カレは好まないと思います」

菫 「マナー以前の問題のような気もしますが。できた人だ」

亜紀 「できた人でした」

菫 「なのに、あなたを捨てて社長の娘を選んだ」


   亜紀は黙り込んだ。


菫 「失礼。口が過ぎたようです」

亜紀 「構いません。カレは電車が大好きで、マニアというほどではありませんが、休日にはただ電車に乗るために、出かけるようなところがありました」

菫 「山手線を何週もするタイプですね」

亜紀 「それ、学生の頃は、よくやっていたようです。休日に、読みたい本を一冊持って、高田馬場からふらりと乗って」

菫 「カレは早稲田でしたね」

亜紀 「よく調べていらっしゃいます。間接的なデートのつもりで、わたしも一度真似てみましたが、退屈で(笑)。すぐに下りてしまいました。男の人の感覚って、女性にはちょっとわからないところがあります」

菫 「だから、みょうに気になってしまう」


   ♪M4


亜紀 「電車の中で、アヤめる方法はございますか」

菫 「オリエント急行にでも乗るのならともかく、日本の電車事情では、なかなか。Xの悲劇は起こりにくい」

亜紀 「たしかに。電車の中って、最も安全な場所のひとつかもしれませんね」

菫 「おお、18番めの方法を思いつきましたよ。カレを女性専用車両に放り込むのです。しかも通勤ラッシュ時の」

亜紀 「それってある意味、ホームから突き飛ばすよりも……」


   二人、アヤめてしまったカレの惨状を見てのリアクション。


菫・亜紀 「ひどい……」

菫 「まさにオルフェウス状態です」

亜紀 「盛り上がったところで、18番めに来るはずだった、19番めの方法をお聞かせください」

菫 (書類を見て)「動物を用いた殺人になりますが」

亜紀 「興味深いですね。でも……(スマホを確認して)私、そろそろおいとましなければなりません」

菫 「そうですか」

亜紀 「夜分におじゃましました。また電話させていただきます」


   菫は後ろを向き、ストップモーション。


   6


亜紀 「タツミくん、いるの?」

辰美 「ずっとここにいたさ」」

亜紀 「そうなんだ」

辰美 「亜紀が望むなら、オレはいつでもそばにいる」

亜紀 「婚約したんだって」

辰美 「うん?」

亜紀 「カレがよ」

辰美 「そうかい」

亜紀 「そのてのニュースって、いつも電話かメールで届くのね」

辰美 「そうかい」

亜紀 「なぜだろう。わたしは少しも悲しくなかったし、まして涙なんか、少しも出なかった」

辰美 「忘れようとしているんじゃないか」

亜紀 「そうかしら。ちょっと考えられないけど」

辰美 「どんなに抵抗しても、忘れてゆくものだよ」

亜紀 「でも私、タツミくんのこと忘れないよ」

辰美 「あの時も、電話だったのかな」

亜紀 「電話だった。まだ携帯電話が普及していなくて。家の電話にお母さんが出て、それからお父さんの車で病院に駆けつけて」

辰美 「夜だったよね」

亜紀 「夜だった。そしてあのときも……カレから別れのメールが来たときも、窓の外は暗かった」

辰美 「電車の中だったね」

亜紀 「電車の中だった。郊外に近づいて、だいぶ人も降りて。それでもぱらぱらと席が埋まっている電車の中で、大声で泣いたわ。一人が文字どおり飛び上がり。けっきょく三人が、車両を替えたかしら」

辰美 「だれも慰めようとしなかったの?」

亜紀 「携帯握りしめて、突然、大声で泣き出した女に? ひたすら不気味だったと思うわ。私のことだけど」

辰美 「ろくなメッセージを運んでこないのに、何でそんなものを、大事そうに持ち歩くのさ」

亜紀 「もしかすると……」

辰美 「もしかすると?」

亜紀 「パンドラの匣ってあるでしょう。これがそうなのかもしれない。つらいメッセージにあふれていても、希望にしがみつかずにはいられないから」


   ♪M5


   7


   歌のあと、亜紀は菫に話しかける。


亜紀 「こんな夢を見ました。わたしはカレといっしょに、焼け野原と化した街を歩いていました。カレは国民服を着て、包帯で左腕を吊っていました。もちろんわたしは、モンペを穿いています。ついこのあいだ、戦争が終わったばかりで、配給を待つ人の行列が、あっちこっちで見かけられました。だれもがすすけた顔をして、うつろな目で黙りこくっていました。わたしはカレの腕のケガが心配で、あれこれ尋ねるのですが、カレは首を振るばかりで、痛いとも痛くないとも、答えてくれません。急に場面が変わって、わたしたちは、薄暗い喫茶店のような場所の、粗末なテーブル席に座っていました。闇営業のカフェなんだと、カレが教えてくれました。女給が注文をとりにきて、紅茶を頼むと、コーヒーしかないと言います。そのまま店の奥に引っ込んだきり、一向にあらわれません。わたしが不平をもらすと、カレは意味ありげな笑いかたをして、じつはこの腕は仮病なんだと言います。そうしてぐるぐると、包帯を解きはじめるのです。ぐるぐるぐるぐるぐるぐる……と、どんなに解いても、包帯は尽きません。たちまちテーブルが白い布でいっぱいになり、床にあふれて、わたしはそれを見ているうちに、居たたまれない気分におそわれました」

菫 「居たたまれない気分に」

亜紀 「殺意、と言い換えても構いません」

菫 「殺意を。それから?」

亜紀 「そこで目が覚めたのです」

菫 「ふーむ。興味深い夢ですが、フロイト先生ではないわたしには、何とも」

亜紀 「夢判断をお願いするつもりはないのです。ただ、変な夢でしたし。このゲームを続けるための、参考になればと思って」

菫 「夢や神話は、すべて蛇のイメージに帰すると、何かの本で読んだ覚えがありますね」

亜紀 「ヘビ、ですか」

菫 「あなたの夢の場合、そのぐるぐると、いつまでも尽きない包帯でしょうか」

亜紀 「ところで、19番めの方法は?」

菫 「先日申し上げたとおり、動物を用いた殺人です」

亜紀 「ウサギやハムスターでは、だめでしょうね」

菫 「可愛すぎて生きるのがつらくなる。という場合はあるかもしれませんが、だめでしょうね」

亜紀 「かといって、ゴリラやオランウータンは入手が困難ですし」

菫 「じつは世界初の推理小説の犯人が、オランウータンなのですが、現実には人をアヤめるような動物ではないようです」

亜紀 「やっぱりヘビが一番でしょうか」

菫 「ヘビでしょうね」


   ♪M6

   間奏の間に、亜紀は黒板に絵をかく。


菫 「帽子? 頭陀袋? いや、ツチノコかな」

亜紀 「ボアに呑まれた彼の図です」

菫 「毒ヘビではなく、呑ませますか」

亜紀 「さて、ここで出題です。彼は頭から呑まれているのでしょうか。それとも、足のほうから呑まれているのでしょうか」

菫 「シュレーディンガーの猫ならぬ、シュレーディンガーの彼ですね」

亜紀 「答えは?」

菫 「腹を裂いてみなければ、わからない」

亜紀 「アイスクリームみたいに、溶けてるかもしれませんよ」

菫 「まるで人の気持ちのように」


   ♪M6の続き。


   8


菫 「気もちがわからないでもないんだ」

辰美 「はい?」

菫 「わたしもかつて、恋をしたことがないわけじゃない」

辰美 (吹き出す)

菫 「笑うな」

辰美 「想像を絶したもので。どんな男だったのですか」

菫 「できた男さ。わたしは歯牙にもかけられなかったがね。だから」

辰美 「だから?」

菫 「いや、何でもない。こっちの話さ。ときに、佐藤亜紀だが」

辰美 「はい」

菫 「九州出身らしい。上京したのは、大学卒業直後。就職が決まったからではなく、その逆で、飲食店でのアルバイト生活が、三年間続いている。それから設計事務所に採用されるも、一年で倒産。またアルバイトに戻って、二年後に、現在勤めている不動産会社の事務の職を得た」

辰美 「彼のほうは?」

菫 「早稲田から新卒で採用され、今に至る」

辰美 「不公平にできてますねえ。人生というステージは」


   ♪M7


   9


   ふと思い出したように、菫は亜紀に話しかけた。


菫 「考えてみれば」

亜紀 「はい?」

菫 「私は一度も、あなたにお茶をお出しした記憶がない」

亜紀 「どうぞ、お構いなく」

菫 「これもみんな、助手のやつが、外をほっつき歩いているせいでして」

亜紀 「お忙しいのですね」

菫 「まさか。いつ来られても閑古鳥が鳴いているでしょう」

亜紀 「閑古鳥って、どんな声で鳴くのでしょう」

菫 「カンコ……いえ、鳴かず飛ばずがこの鳥の身上です」

亜紀 「助手が雇えるくらいですから。だいじょうぶですよ」

菫 「茶を淹れる仕事がなければ、助手はとっくに、トラに食われているでしょう」

亜紀 「トラに?」

菫 「リストラという名の」


   間。


亜紀 「いくつになりましたっけ?」

菫 「年齢の話でなければ、40です。残された方法は、10個。景気よくカウントダウンといきたいところですが、そろそろ出てくるネタもまた、異常巻アンモナイトと化してきました」

亜紀 「アンモナイト、ですか」

菫 「螺旋がほぐれて、ぐにゃぐにゃになった貝殻の化石をご存知でしょう。まるで現在の、私の頭の中を象徴しています」

亜紀 「そのぐにゃぐにゃにねじくれた、41番めの方法とは?」

菫 「呪殺です」

亜紀 「ジ、殺ではなく?」

菫 「ジュ 殺です」

亜紀 「例えば、草木も眠る丑の刻」

菫 「はい」

亜紀 「ひと気のない、神社の境内に、白装束の女が一人」

菫 「そうです」

亜紀 「頭には二本の蝋燭をさし、片手に木槌、もう片方の手には、五寸釘と藁人形」

菫 「なかなか似合うんじゃないでしょうか」

亜紀 「女は、樹齢数百年の神木に、藁人形を押しつけ、その中心に五寸釘を差しこむと、おもむろに木槌を振り上げて……」

菫 「振り上げて」

亜紀 「思い知れえ」(打ちつける仕草)

菫 (胸を押さえて)「ぐさっ」

亜紀 「思い知れえ」(打ちつける)

菫 「ぐさぐさっ」

亜紀 「私がどんなに悲しかったか」

菫 「……」(息も絶え絶え)

亜紀 「思い知るがいい」(打ちつける)

菫 「ぐさあああっ」(倒れる)

亜紀 「というやつですか」

菫 「洒落では済まないような気がしてきました」

亜紀 「この方法に効果があるという、科学的根拠はあるのでしょうか」

菫 「物理的に証明するのは難しいでしょうね。ただ、私の学生時代の友人に、もの好きがおりまして。丑の刻参りの実験をこころみたのです」

亜紀 「実験ですか」

菫 「何の恨みもないが、毎日顔を合わせるクラスメイトを想定しまして。夜な夜な、午前零時に、自室で藁人形に釘を刺したといいます。一週間も経たないうちに、相手は目に見えて調子を崩しましてね。友人が何食わぬ顔で具合を尋ねると、原因はわからないが、胸が苦しくて死にそうな気がする、と」

亜紀 「アヤめてしまったのですか」

菫 「いえ、さすがに怖くなって実験を中止したところ、みる間に元気を回復したとか」

亜紀 「案外簡単なのかもしれませんね」

菫 「はい?」

亜紀 「人をアヤめるのって」


   ♪M8


菫 「まあ、ある種の気休め。その実験だって、単なる偶然が重なっただけかと」

亜紀 「偶然を必然に変えるのが、魔法というものでしょう」

菫 「えっ」

亜紀 「似ていると思いませんか? わたしたちがやっているゲームと。夜な夜な五寸釘を打ちこむ行為は」

菫 「どういうふうに?」」

亜紀 「百物語というのがありますよね」

菫 「百本の灯芯を用意して、怖い話を一つするたびに、一本ずつ消してゆく。百話めが終わり、灯芯が消されて真っ暗になると、本当にお化けが出るという」

亜紀 「そうです。もしも、恋人をアヤめる50の方法が出揃ったとき、何かが起こるとしたら」

菫 「ぐさっ」

亜紀 「冗談ですけどね」

菫 「冗談でなければこまります」


   10


辰美 「気休めにしては、高くつきすぎないか。貯金まではたいてさ」

亜紀 「探偵を雇うのに、保険はきかないものね。心療内科でカウンセリングを受けたほうが、安上がりなのかわかってるけど」

辰美 「カウンセラーは、ネガティブなイメージを、揉み消そうとする?」

亜紀 「あなたを消そうとしたようにね」

辰美 「普通の反応だろう。オレなんか、本当はここにいちゃいけないんだ」

亜紀 「やっぱりどうしても、貯金をはたいて、あの探偵に依頼する必要があったんだと思う」

辰美 「あの探偵を、ねえ」

亜紀 「偶然じゃなく、必然なのよ、きっと」

辰美 「もうすぐだけど、どうするのさ」

亜紀 「もうすぐ?」

辰美 「50の方法が出揃うだろう」

亜紀 「どう……って、それで終わりよ」

辰美 「忘れてしまえそう?」

亜紀 「私は忘れることが苦手だけど」

辰美 「だからオレとも、こうして話ができるんだ」

亜紀 「でもカレは現実に生きてるのよ」

辰美 「そうだね」

亜紀 「わからないの。私が何を望んでいるのか。ただひとつだけ言えるのは……」

辰美 「なに?」

亜紀 「私は彼を本当にアヤめたいほど、憎んでなんかいない」


   ♪M9


   11


   ♪M9の続きが、菫と辰美によって歌われる。


菫 「心療内科に、通院しているらしい」

辰美 「本人がそう言ったんですか」

菫 「調査結果だよ」

辰美 「先生も暇ですねえ」

菫 「本来なら、助手の仕事なんだがね」

辰美 「ウツってやつですか」

菫 「解離性同一性障害。いわゆる、多重人格さ」

辰美 「ジキルとハイドですか」

菫 「いや、完全に人格が入れ替わるのではなく、どうやら彼女には、もう一つの人格が、あたかも実在するように見えているらしい」

辰美 「そういうのを、幻覚といいませんか」

菫 「わたしは専門家じゃないんでね」

辰美 「で、もう一つの人格とは、どんなやつなんですか」

菫 「佐藤亜紀の幼馴染だった」

辰美 「だった?」

菫 「亡くなってるんだよ。その男の子は十五歳の時に、交通事故で」

辰美 「そうですか」

菫 「ずいぶんショックを受けたらしい。やがてその男の子が、彼女の人格の一部として、あらわれるようになった」

辰美 「そういうのを、幽霊といいませんか」

菫 「きみ、幽霊と幻覚の違いがわかるかね」

辰美 「さっぱり」

菫 「簡単な実験でわかるんだ。寝転んだ状態で、そいつがあらわれるのを待つだろう。幽霊なら地面に対して垂直に立っているが、幻覚は顔面と水平にあらわれる」

辰美 「本当に?」

菫 「私が実験したわけじゃない。そもそもわたしには、幽霊も幻覚も見えない」

辰美 「幻覚だか多重人格だか、知りませんがね。現在も彼女は、その症状が続いているということですか」

菫 「よほど、忘れられなかったんだろうね。彼女の人格の一部を乗っ取るほどに、その男の子のことが」

辰美 「なんという名前なんですか」

菫 「えっ」

辰美 「その男の子は、なんという名前なんですか」


   12


   幻覚のように、菫の背後に、亜紀が立っている。


亜紀 「ノックしても、お返事がなかったもので」

菫 「えっ」

亜紀 「勝手に入って来てすみません。お話し中だとは思ったのですが、重大なご報告があったもので」

菫 「話?」

亜紀 「さっきまで、だれかとお話しされてましたよね」

菫 「あ、ああ。助手のやつですよ。いいところに来られました。さっそくお茶を……」


  菫は振り返るが、辰美はいない。


亜紀 「どうなさいました」

菫 「助手のやつですよ。さっきまで、ここにいたんですがね」

亜紀 「わたしはてっきり、電話中かと」

菫 「……おかしいな」

亜紀 「きっとお疲れになっているのです」

菫 「疲れる要因がありません。私はバイタリティ溢れる女で、しかも事務所は閑古鳥が鳴いております」

亜紀 「だから、疲れるのではありませんか」


  菫は亜紀が手にしている傘に気づいた。


菫 「外は雨でしょうか」

亜紀 「降水確率は50パーセントだったのですけど」

菫 「このたびは、傘を持って出られた?」

亜紀 「降るほうに、賭けてみました」

菫 「今日、お越しになったのは?」

亜紀 「けりをつけようと思いまして」

菫 (キックする動作で)「けりを?」

亜紀 「最後に一つだけ残っていましたでしょう」

菫 「彼をアヤめるための、50番めの方法ですね」

亜紀 「はい」

菫 「もったいぶるわけじゃありませんが」

亜紀 「はい」

菫 「私もあれこれ考えましてね。異常巻アンモナイト化した脳を、元の螺旋に戻そうと七転八倒いたしました」

亜紀 「いわゆる、原点回帰ですね」

菫 「最もシンプル、かつ、機能的な方法を、ひとつだけ見過ごしている。そんな気がしてなりませんでした」

亜紀 「呪い殺したり、ボアに食べさせたりするのではなく?」

菫 「非常に現実的な方法です」

亜紀 「お聞かせください」

菫 「第50番めの方法を、自殺とします」

亜紀 「ジュ、殺ではなく?」

菫 「ジ、殺です。これでジ・エンドです」


   ぽろん、と、どこからか、ギターの音が聞こえた。


亜紀 「去年の夏、福生のお祭に行ったときのことです」

菫 「いきなり思い出語りですか」

亜紀 「彼が航空機好きなもので、その日だけ解放された横田基地を見に行ったのです」

菫 「電車オタクだけではなかったのですね」

亜紀 「はい。その影響で、私も、こんな小咄を考えつきました」

菫 「どのような?」

亜紀 「零戦のパイロットが、グラマン機と闘いながら一言。『これはドッグファイトなのか? キャットファイトなのか?』」

菫 「……わかりませんね。そのアメリカンな小咄の妙味が、わたしにはさっぱり」

亜紀 「はい。カレにもウケませんでした。ともあれ、基地を出た私たちは、商店街のショッピングを楽しみました。その日はたいへんな人出で、いつしか私は、カレとはぐれていました。電話しても、なぜかずっと話し中で、もともと方向オンチの私は、焦れば焦るほど、さびれた方へと足を踏み入れてしまいます。そうして、一つの角を曲がったところ、英語の標識が、路地にぽつんと立っていました」

菫 「何と書かれていたのですか」

亜紀 「デッド・エンド」

菫 「行き止まり。袋小路をあらわす、アメリカではありふれた標識ですよ」

亜紀 「はい。間もなく、カレからの電話が鳴って、そのときは笑い話で済んだですが。標識の文字が、どうしてもずっと頭を離れませんでした。今にして思えば……」

菫 「考えすぎではないでしょうか。結果を知った後でこじつければ、どんな偶然も必然らしく見えてきます」

亜紀 「ですが、こんなことが、わたしにはたまに起こるのです。例えば中学生の頃、大切な友達を事故で亡くす何ヶ月も前でした、いつものように家の前で別れたあと、不意にその友達が、二度と戻らないような思いにおそわれて、悲しくて淋しくて、思わず玄関のチャイムを押してしまったことがあります。ぼろぼろ泣いているわたしを見て、ドアを開けた姿勢のまま、友達は固まってしまいましたけど」


   ♪M10


亜紀 「目を閉じれば世界が消える」

菫 「はい?」

亜紀 「50番めの方法は、そういうことなのですね。私が消えてしまえば、彼もまた消える。私が私自身をアヤめることと、彼をアヤめることは同様である」

菫 「あの……」

亜紀 「なるほど、これ以上確実で完全な殺人はありません。素晴らしい。喜劇のラストシーンとして、これほど相応しい演出はありません。ブラボーと言わせてください」


   亜紀の拍手する音が、狂騒的に響いた。


菫 「あの、拍手までいただいて恐縮なのですが、どうやら私の言葉が足りなかったみたいです。自殺幇助、くらいの意味だったのですが」

亜紀 「幇助、ですか」

菫 「ええ。あなたでしたら、彼の弱点を知り尽くしているでしょうし、例えば婚約を破談に追い込むことも可能でしょう。ひいては……」

亜紀 「どうか、その先は仰らないでください。誤解は誤解のまま終わってしまったほうが、幸福な場合があります。例えば……」

菫 「たとえば?」

亜紀 「恋愛のように」


   またどこからか、ギターの弦を弾く音が聞こえた。


菫 「ですが、このまま終わってしまうのは、なんだか虚しい、居たたまれない気がします」

亜紀 「50の方法が出揃ったのですよ」

菫 「51番めの方法を考えなければ?」

亜紀 「考えなければ?」

菫 「……何だろう。理由はわかりませんが、胸騒ぎがするのです。何か取り返しのつかないことが、起こってしまいそうな」

亜紀 「それは探偵として、仰っているのですか?」

菫 「たしかにわたしの発言は、探偵としての領分を逸脱している。逸脱しているのは、わかっているのですが」

亜紀 「わたしにはもう、菫さんにお支払いするお金がありません」

菫 「お金の問題じゃ……」

亜紀 「いいえ。現実に金銭が支払われた以上、これは夢の中のゲームではありません」

菫 「現実だと、仰るのですか」


   二人の背後に、辰美が立っている。


菫 「そうだ。先ほどあなたは、重大な報告があると、仰いましたよね」

亜紀 「言いましたっけ?」

菫 「探偵の耳が、たしかに聞きました」

亜紀 「もし、ご報告があるとすれば、ここへ来る直前、友人からかかってきた電話の内容でしょう」

菫 「電話の」

亜紀 「はい。わたしの小さなパンドラの匣は、友人の声で告げました。ちなみに彼女は、カレの同僚と先日結婚しています」

菫 「ああ、例のダブルデートの……それで、彼女は何と告げたのですか」

亜紀 「カレがみずからをアヤめたと」


   雨の音が聞こえる。


   13


辰美 「なにしろ、完璧な密室でしたからね」

菫 「……あり得ない」

亜紀 「あまりにも不可思議な状況から、他殺の疑いがもたれたようですが」

菫 「……そんなはずはない」

辰美 「どこからどう見ても、密室でしたからね」

菫 「いったいどんな状態でサツガ……いえ、カレはみずからをアヤめていたのですか」

亜紀 「カレのマンションの寝室です。地上十七階で、部屋の入り口とすべての窓は閉ざされて、内側から鍵がかけられていました。遺体の周りには、さまざまなモノが散らばり、警察は首をかしげたようです」

菫 「さまざまなモノとは?」

辰美 「ゴム製のヘビだとか」

亜紀 「五寸釘に藁人形」

辰美 「おもちゃのピストル」

亜紀 「カレーライス」

辰美 「スマートフォン」

亜紀 「しわくちゃになった山手線の切符」

辰美 「米軍機のプラモデル」

亜紀 「長々と解いた包帯」

辰美 「出刃包丁と花束」

亜紀 「アンモナイトの化石」

辰美 「壊れたギター」

菫 「いったい、死因は何なのですか」

亜紀 「みずから首をしめて」

菫 「あり得ない。そんなことは不可能だ」

亜紀 「それで警察も首をかしげたようですが」

辰美 「なにしろ、完璧な密室でしたからね」

菫 「違う! これは見立て殺人だ。悪魔の手毬唄だ。クックロビンを殺したのは誰だ?」


   ストップモーション。

   辰美だけが、ゆっくりと「観客に」語りかける。


辰美 「どうも。本日は雨の中、「○○○」に起こしいただき、本当にありがとうございます。つたないお芝居でしたが、いかがでしたか? 第一部『カレをアヤめる50の方法』は、これにて終演です。引き続き第二部の、歌と踊りによる楽しいライブをお楽しみください。それでは最後の曲……」

菫 「ちょっと待った」

辰美 「なんでしょうか」

菫 「まだまるっきり謎が解決してないじゃないか」

辰美 「そうでしたっけ。ボクはてっきり、お客さまにはすでにバレバレかと」

菫 「探偵のわたしにだけ、わかってないというの?」

亜紀 「スミレさん」

菫 「えっ」

亜紀 「さっきから、いったいだれと話していらっしゃるのですか」


   間がある。


菫 「助手のやつですよ」

亜紀 「どこにいるのですか」

菫 「どこにって……」

亜紀 「どこにもいませんよ。そんな人は」

菫 「そんなはずは……」

亜紀 「いいえ、どこにでも、あらわれるのですよね。あなたの助手は」

菫 「どこにでも?」

亜紀 「例えば、完璧な密室にでも」

菫 「助手は……」

亜紀 「わたしには姿が見えないし、声も聞こえないけれど。あなたとは会話できるのですよね」

菫 「わたしは……」

亜紀 「用事を頼んだんでしょう? あなたの助手に」

菫 「辰美に?」

亜紀 「そう、タツミくんに」

菫 「タツミに……」

亜紀 「わたしと同じ用件を」


   ♪M11


菫・亜紀・辰美 「それでは皆さま、最後にカレをアヤめた犯人、(それぞれの役名)をご紹介いたします」


   三人とも、それぞれの胸に手をあて、深々とお辞儀をして、終。

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