消える家族
「今度の誕生日は、いい物をやろう」
夕食の席で父が言った。
僕は箸を止めた。
父がそんなことを言うのは珍しかった。
「いい物って?」
「当日まで秘密だ」
父は笑った。
母も笑った。
妹も笑った。
僕もつられて笑った。
だが、その時は気付かなかった。
父の笑顔の奥に、どこか寂しそうなものがあったことに。
誕生日の朝。
僕は目を覚ました。
天井はいつもと同じだった。
部屋も同じだった。
机も、本棚も、カーテンも。
何一つ変わっていない。
だが、胸の奥がざわついた。
何かがおかしい。
そんな気がした。
部屋を出る。
階段を降りる。
リビングから笑い声が聞こえた。
知らない声だった。
僕は足を止めた。
ゆっくりとリビングを覗く。
知らない男がいた。
知らない女がいた。
知らない少女がいた。
三人とも楽しそうに朝食を食べていた。
僕は固まった。
「……誰?」
三人がこちらを見る。
女が笑った。
「おはよう」
男が不思議そうな顔をした。
「どうした?」
少女が吹き出した。
「寝ぼけてるんじゃない?」
僕は振り返った。
「父さんは?」
男が笑う。
「俺だろ」
「母さんは?」
女が笑う。
「私でしょ?」
「妹は?」
少女が呆れたような顔をした。
「私だよ」
僕は何も言えなかった。
学校へ行った。
友達に聞いた。
教師にも聞いた。
近所の人にも聞いた。
だが答えは同じだった。
知らない男が父親。
知らない女が母親。
知らない少女が妹。
みんなそう言った。
僕の知っている家族を誰も知らなかった。
まるで最初から存在しなかったみたいに。
家へ帰る。
僕はスマホを取り出した。
写真アプリを開く。
家族写真を見る。
知らない家族が写っていた。
海水浴。
運動会。
旅行。
誕生日。
どの写真にも知らない家族がいた。
僕だけが変わらず写っている。
アルバムも確認した。
結果は同じだった。
幼稚園。
小学校。
中学校。
どこにも本当の家族はいなかった。
一枚も。
最初から存在しなかったみたいに。
その夜。
眠れなかった。
何度も父の言葉を思い出した。
「今度の誕生日は、いい物をやろう」
その言葉だけが頭から離れなかった。
午前0時を過ぎた頃。
僕は書斎へ向かった。
何か残っている気がした。
本当の父なら。
何か伝えている気がした。
机の引き出しを開く。
奥に封筒があった。
僕の名前が書かれている。
父の字だった。
僕は震える手で封筒を開いた。
中には紙が一枚。
短い手紙だった。
『誕生日おめでとう』
僕は息を呑んだ。
間違いなく父の字だった。
『約束通り、いい物をやると言っただろう』
僕は黙って読み続けた。
『お前は昔から家族のことで不満ばかり言っていたな』
胸が痛んだ。
確かにそうだった。
父と喧嘩もした。
母に腹を立てたこともある。
妹をうっとうしく思ったこともある。
『だから新しい家族を用意した』
僕は紙を握りしめた。
『気に入ってくれるといい』
最後の一文を読む。
『これが誕生日プレゼントだ』
それだけだった。
たったそれだけ。
だが僕には十分だった。
意味が分かってしまったからだ。
壁に掛かった家族写真を見る。
そこには知らない家族が写っていた。
だが。
三人とも幸せそうに笑っていた。
翌朝。
リビングへ向かう。
知らない父親がいた。
知らない母親がいた。
知らない妹がいた。
三人は僕を見ると笑った。
優しく。
温かく。
本当の家族のように。
テーブルには誕生日ケーキが置かれていた。
ろうそくが灯っている。
少女が笑う。
「早く座ってよ」
女が言う。
「みんな待ってるわ」
男も笑った。
「主役が来ないと始まらないぞ」
僕は立ち尽くした。
昨夜の手紙を思い出す。
『だから新しい家族を用意した』
胸の奥が重かった。
何かを失った気がした。
とても大切な何かを。
でも、それが何だったのか思い出せなかった。
三人は僕を待っていた。
家族の顔で。
優しい顔で。
僕はゆっくり席に座った。
男が満足そうにうなずく。
ケーキのろうそくが揺れた。
静かな部屋の中で。
父が言った。
「誕生日おめでとう」(終)




