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学校の木々の芽もほころび、高等部に進学する頃にはそこかしこにアーモンドの花が咲き乱れていた。桜の花に似たその花弁に、前世のことを思い返して少し感傷的な思いに駆られた。
本来なら高等部に進学したところで、クラスメイトにほとんど変化はない。高等部から編入する者もいないわけではないけれど、ほぼ中等部からエスカレーター式に進学する者ばかりなので、新参者はものすごく目立つ。
春になり編入してきたのは、ゲームのヒロインただ一人だけだった。ゲームヒロインの名前はデフォルトで、クロエ・コール男爵令嬢。そのデフォルトの名前の生徒が高等部に編入してくるやいなや、学校の空気が変わった。
第一王子、騎士団長子息、宰相子息、1歳年下の伯爵令息。レジー以外の攻略相手が、次々とクロエの傍を侍るようになっていったのだ。全員に婚約者はいないけれど、その人達の婚約者になるのを狙っていた女生徒も少なくなかった。
そりゃあ世の中に出回っている書籍の中に、上位貴族の素敵な男性に見初められて結婚する……なんて夢のような小説も存在するけれど、それは小説だから素敵って夢を見れるだけで、現実ではそうはいかない。
高等部から突然現れた女に、一人ならまだしも、婚約者がいなかったイケメン全員がかっさらわれるなんて状況を許せるわけがないのだ。更に不穏な話をクラスメイトから聞かされてしまい、私にとってもただ事じゃなかった。
「高等部から編入してきたコール男爵令嬢ですけど、どうやらシャーネット様のことを周囲に聞いて回っているそうですよ。婚約者がいると知った時は、そんなわけない、おかしいと騒いでいたようで。」
身の危険があるかもしれないから気をつけてくださいと心配され、教えてくれてありがとうと笑顔を返したけれど、心の中では気が気でなかった。
レジーに婚約者がいると聞いておかしいと騒ぐという事は、クロエも私と同じ転生者で間違いなく、どうやらレジーにもどうにか接触したいのであろう……と。
私はゲームでまだレジーのことを攻略していなかったけれど、全員から愛される恋愛ルートなんてあったっけ?
いくら考えても、攻略情報を遮断してプレイしていたのでまったくわからないお手上げ状態だった。
高等部ではレジーとは同じクラスになることができて、クロエとは別のクラスだったので、正直安心できた。
相変わらずレジーはどこへ行くにも私をエスコートしてくれたので、なるべくクロエのクラスの傍は通らないようにして避けることができた。
昼休みに中庭の芝生広場でランチするのが楽しみだったのに、その場所は他の攻略相手の時にもランチイベントが多く発生する所だったので敢えて避けた。レジーには不審がられたけれど、高等部に進学したし別の場所でランチをするのも楽しいかと思ってと言えば、変な顔をしてはいたけれど納得してくれた。
いつまでもクロエを避け続けたって意味がないことはわかっている。でもまだ覚悟ができていなかった。レジーと離れる覚悟が。
なんとかクロエを避け続けて一ヶ月が経った頃、事件が起こった。それはあまりにも予期できない出来事だった。
「キャアッ!」
その日は一日の授業が終わり、教師から出された課題の為に図書館へとレジーと共に向かっていた。
廊下はいつものように、友人や婚約者等と歓談をしながら歩く多くの生徒で賑わいを見せていた。そんな中、突如として耳に差す甲高い声が聴こえたかと思えば、軽いドンという音。
私とレジーから少し離れた場所で大量の紙束が廊下一面に広がり、床に膝をついている女生徒がいた。何枚かが私の足元まで滑るようにして飛んできたので視線を落とせば、クラスメイトの提出物を集めた物を、転倒して床に撒き散らしたようだった。
「レジー、手伝ってあげましょう。大変そうだもの。」
「ほっとけばいいのに……。」
最初こそ私の腕を引いてその場をさっさと去ろうとしたレジーだけど、私の提案に肩をすくめてはぁとため息をつくと、私が屈んて紙を拾い集めだすと共に一緒に屈んで紙を集め始めた。そんな私たちの様子を見て、他の生徒達も一緒に紙を拾い集めだしてくれた。
レジーがイヤイヤといった様子なのを隠すことなく憮然とした表情で、膝をついたまま自分の足元の紙を拾い上げていた女生徒にぐいと突き出すと、その女生徒が勢いよく顔を上げた。その女生徒の顔に見覚えがありすぎて、私は思わず固まって口角の端をひくつかせた。
ピンクブラウンの肩までの髪、ややタレ目気味の大きな瞳、桃色の可愛らしい唇。そこにいたのは紛れもなくゲームの主人公、クロエ・コールだった。
クロエは周囲の人々にはまったく目もくれず、レジーが差し出した紙の束を受け取るとレジーだけを見つめてぽっと頬を赤らめた。極上の笑みでレジーを見上げる仕草は、ヒロインたる所以と思える特段の可愛らしさだった。彼女ならイケメンの攻略相手の傍に立っていても、モブ中のモブになり得ないオーラがそこにあった。
「ありがとうございます、拾っていただいて……。」
礼を言うと、そのまま無言でクロエがレジーを凝視した。なんだか嫌な予感がする。私がレジーに続いて紙の束をクロエに渡そうと慌てて近づくと、クロエが突然、呟いた。
「綺麗な瞳ですね……いえ、急にごめんなさい。私、赤って好きな色なんです!」
あまりに突然の、この場にふさわしいとは思えない脈略のない言葉に、レジーが眉間に皺を寄せる。私の方はというと、聞き覚えがある気がありすぎる言葉の数々にに背中に多量の変な汗をかいていた。
それに似た言葉、お見合いの席で私言った気がする……。
私が冷や汗をダラダラかいていると、私が持っていた紙束をレジーが受け取り、おもむろにクロエの前にばら撒いた。なんてことするのと私が非難しようとレジーの腕を掴むと、レジーがクロエに向かって舌打ちした。レジーは、クロエに向かってこの世のすべての塵芥を見ているような視線を向けていた。
「あのさぁ……他の人もお前が落とした紙を拾ってくれてるのに、気づいてないわけ?俺だけに感謝するのおかしくない?アビーが言ったから仕方なく拾ったけど、人がいっぱいの廊下で迷惑なんだけど?俺の瞳が綺麗とか、お前に言われなくても知ってるけど?関係ないこと急に言って何なの、気持ち悪い。」
まるで自分自身に言われているような気がして、心臓がヒュッとなる。
今更ながら、お見合いの場で変なこと言ってすみませんでしたって、土下座して謝りたくなった。
レジーに怒涛のごとく悪態をつかれて魂が抜けたような顔をしていたクロエは、狼狽えて目元に涙を浮かべた。ボソボソと小声で何事かつぶやいている。
「なんで、レジーは瞳を褒められたら主人公に関心を持つ筈なのに……やっと起こったイベントなのに。なんで、なんで怒られないといけないの……。」
そこで意識を取り戻したクロエは、レジーの近くでかつレジーの腕をつかんでいる私の存在にようやく気づくと、可愛らしい表情を一変させ、般若のような顔つきで私を睨みつけた。
「レジーの婚約者ってあんたね!何でレジーに婚約者がいるの!ふざけないで!全員落として恋愛イベントを楽しんだ後に、レジーを選ぼうとしてたのに!邪魔すんな不細工!!」
可愛らしい顔のあまりの豹変ぶりに言葉をなくしていると、レジーは私を庇うように前に立ちクロエに向かって更に怒涛のごとく怒声を浴びせた。
「不細工はお前の方だ。鏡見てみろよ。ああ、鏡の方が見られるのを嫌がって壊れるかもな。お前に名前を呼ぶことを許してない。さっさと失せろ、くそが!」
レジーはそこまで言うと、私の腕を強めに掴んで引っ張った。私は引きずられるように早足でその場を去るしかなかった。
図書館で課題をするつもりだったのにそんな気分でもなくなってしまい、シャーネット公爵家へと向かう馬車にそのまま連れ込まれた。
馬車に横並びに座り、二人きり。かなり急ぎ足だったのでまだ息が落ち着かなくて深呼吸をしていると、不意に右隣に座っていたレジーが私の肩に頭をこてんと乗せた。落ち着き始めていた心臓が途端に跳ねあがり、落ち着こうにも落ち着かない。
暫しそのまま無言だったレジーが、肩に頭を置いたまま私を見上げるように、頭を傾けた。
「俺の家、母親の先祖に他国の血が入ってて、稀に俺みたいに目が赤く産まれる子どもいるんだ。それを父方の親族ずっと気持ち悪いって言われ続けてて、俺の母親まで俺を産んだことを責められてたんだ。お前は化け物だって、父方の親族に親がいない時にもちくちく言われてて。両親だけは俺の目を綺麗だって褒めてくれてたけど、信じられなくて。周りの全員が、俺のこと化け物って思ってるに違いないって思ってた。」
「そんなのひどい!」
「うん、でもアビーだけが俺の瞳を綺麗だって褒めてくれた初めての、両親以外の人間だった。」
そこで柔らかく温かい笑みを浮かべるレジーに、心臓がギュンとなりつつも、先ほどのクロエの言葉を思い出してしまい、またもや背中に変な汗をかいてしまう。
もしやゲームでのレジーとの出会いイベントで、レジーに瞳が綺麗だって言うことがトリガーになっている……けど、私がお見合いでそれを言ってしまったから、ゲームと展開が変わって私が婚約者になってしまったのでは……。
ゲームでレジーを攻略していないからイベントを知らない弊害すぎて、冷や汗がダラダラと背筋に流れているのを感じる。
「アビーに会えてよかった。」
レジーは私の肩から頭を上げて体を起こすと、そのまた私を抱きしめた。レジーの心臓の激しい音が聞こえて、私の心臓まで激しく飛び跳ねて頭の芯がクラクラする。
「アビー以外に綺麗とか言われても、嬉しくない。アビーだけでいい。」
そのまま公爵家に到着するまで、レジーは私を抱きしめたまま離そうとしなかった。
その後、廊下で騒ぎを起こしたクロエ・コールは学校を転校することになった。
クロエが攻略相手4人を侍らせていたことや、クロエの婚約者でもないのに攻略相手に近づこうとする令嬢に対する態度や、攻略相手達の態度も横柄でひどかったとのことで各家々に苦情が集まっていたらしい。
事態を重く見た王家が動き、クロエは中等部まで通っていた学校に戻された。
クロエがいなくなった途端、1ヶ月も経たないうちに攻略相手4人には婚約者ができて、学校の騒ぎはひとまず収束した。
攻略相手それぞれが、王子継承権を剥奪されたり、家を継ぐ権利を奪われたりというおまけつきで。
正直、クロエという存在がいなくなってほっとしていた。レジーの傍を離れなくていいんだって思えたから。
クロエがいなくなったことで安心して、学校の芝生広場でランチすることが出来るようになった。
あくまで貴族なので、前世の時のようにレジャーシートを広げて地べたに座るなんてはしたない事はできない。
芝生広場の各所に設置された木のベンチにレジャーシートを広げて座ってランチをとるのだ。
仲の良いクラスメイト数名とその婚約者達と、咲き乱れた木々の花々の花見を兼ねたランチタイム。
ベンチに座ってシャーネット公爵家特製のランチボックスを開くと、中にナイフとフォークが入ってなかった。どうやら入れ忘れらしい。
「食堂から借りてくるわ。」
私がベンチから腰を上げようとすると、その肩をレジーにとんと軽く叩かれた。
「俺が行くから座ってて。」
そのまま私の頭を撫でられ、ヒュッと変な息が漏れる。そんな私の様子を見てレジーがニヤニヤしている。絶対、後で足を踏んでやるんだから。
「みんな、俺が来るまでアビーのことよろしくね。」
笑顔で手をフリフリするレジーに対して、婚約者が傍にいるというのに、令嬢達からキャアッという黄色い声があがる。
彼女達の婚約者達は、皆が苦笑していた。
レジーの少し八方美人に見えるこういう態度に、少しもやもやしていまう。
少しむっとした顔でレジーが去った方向を見ていると、
「愛されてますわよね。」
羨ましそうな響きに満ちた声をかけられた。
令嬢達が私を見た後にレジーが去った方向を見やると、頬に手を当ててホゥと息を吐く。
「そうでしょうか。さっきだって、ニコニコとした笑顔を他の人にも振りまいていましたし。」
私が少し苛立ちが籠もった返事を返すと、仲の良い子たちが揃って絶妙に困ったような微妙な顔をしてこちらを見た。
「シャーネット様は、アビゲイル様と仲良い令嬢にしかあの顔をされないんですよ?」
「中等部の時なんて、クラスの令嬢が下心を持って話しかけてきても、無視するか睨みつけて。地面に落ちた塵芥を見るような表情を浮かべてらっしゃったそうです。今でも、アビゲイル様が急に先生に呼ばれてクラスに一人になった時、諦めめずに自分をアピールなさる令嬢方がクラスを訪ねて来られることがありますけど、ほぼ無視してらっしゃいます。」
「あの方は、アビゲイル様しか見えていらっしゃいません。いわばあの笑顔は社交です。」
知らぬは本人ばかりなり。
衝撃的すぎてヒュッと息が漏れる。
私がいない時のレジーの行動なんて知らなかった。気恥ずかしさで憤死しそうになり熱くなった頬を押さえると、皆一様に生温かい笑顔を浮かべてきた。
きっと心の中でリア充爆発しろに近いことを思っているに違いない。
恥ずかしいので、レジーの足を強めに踏んづけてやろうと思う。
そう、八つ当たりです。
レジー「痛っ!なんでカトラリー持ってきてあげたら、足踏まれないといけないわけ?」
アビー「黙って足踏まれてなさい!」
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