第7話:資産の現状検分、あるいは機能不全の受理
買い物って難しいですよね
何買うべきか忘れてしまう
【議事堂第一通路にて】
「……っ、閣下、離して……ください、自分で、歩けま……っ」
「無理をするな。さっきの演算で、膝が笑っているではないか」
会議室を後にするアレスの剛腕の中で、ルーカスは死に物狂いで顔を隠した。
だが、薬で研ぎ澄まされた皮膚は、アレスの軍服の硬い質感を、そして周囲に並ぶかつての部下たちの「粘りつくような視線」を、嫌というほど正確に拾い上げてしまう。
廊下に並ぶのは、五大公爵家のスパイ――ハイエナのような査定官たち。
そこで、軍事省の刻印(首輪)を首に巻かれた「元上司」が、主人の腕に収まり、無防備な足先を揺らしながら運ばれていく。
それはもはや「移動」などではない。アレスによる、あまりに無惨で、あまりに甘美な**「所有物の展示」**だった。
「下を着替えさせねばならんからな。……気持ちよかったんだろう? 会議の最中に」
「っ……あ……!!」
耳元で囁かれた、致命的な「バグ([検閲済])」の指摘。
薬による感覚拡張は、ルーカスの「下半身の不快な熱」を、逃げ場のない羞恥へと増幅させる。
ルーカスは沸騰したように赤くなり、自身の絶望が「公式記録」としてアレスの腕の中に収まっている事実に、ただ軍服へ顔を埋めることしかできなかった。
【高級文具店:ラピスラズリの静寂にて】
文具店の重厚な扉が開くたび、冷たい冬の空気が店内に流れ込み、ルーカスの感覚拡張された皮膚を容赦なく撫でる。
会議という名の「公開処刑」を終え、ようやく服を着替えさせてもらえるかと思った矢先、アレスの気まぐれで連れてこられたのは、帝都でも指折りの文具店だった。
アレスの手によって買い与えられた、数十万マナもする万年筆。
帝国のエネルギー源そのものであり、血よりも重い価値を持つ「マナ」という貨幣が、ただの一本の筆記具へと変換され、ルーカスの震える指先に握らされる。
属国であれば、一つの街のレートを狂わせるほどのその「重さ」に、ルーカスは自身の尊厳が「マナという数字」で塗り潰されていく恐怖を感じていた。
「……あ、閣下……。もう、十分です。これ以上は、私の身の丈に……」
「黙れと言っただろう。君の『身の丈』を決めるのは私だ」
アレスが愉悦に浸り、角に刻んだばかりの黄金の紋章をなぞろうと、その逞しい指を伸ばした――その時だった。
冷たい風を切り裂いて入店したアレスの横に、その「偶然」は立っていた。
軍服を脱ぎ捨て、上質なカシミヤのコートをラフに羽織って立つその姿は、帝国の「正義」よりも、さらに鋭利で残酷な「個の意思」を象徴している。
「――おや、父上。奇遇ですね。……『戦利品』のお披露目(お買い物)ですか?」
ランスロット・グラディウス・ヴァルキューラ。
アレスの嫡男にして、ルーカスにとっては血の繋がった――しかし、もはや住む世界が断絶してしまった異父弟。
その後ろには、彼が戦地で抜擢した若き秘書官、バルトロメ・クォーツを筆頭に、戦場帰りの殺気を隠しもしない「ランスロット派」の私設秘書たちが、ゾロゾロと無機質な足音を立てて控えている。
彼らの瞳には、主君ランスロットへの狂信と、アレス世代という「旧い法」への隠しきれない敵意が宿っていた。
「ランスロット……。こんなところで油を売っているとは、いわゆる一つの、『職務放棄』だな。戦場成果報告の書類がまだ届いてないぞ」
アレスが金眼を細め、息子を射抜く。
だが、ランスロットは鼻で笑い、父の威圧を真っ向から受け流した。
その視線は、アレスの腕の中で「公共財指定」の刻印(首輪)を巻かれ、数十万マナの筆を握らされたまま固まっている、ルーカスへと向けられる。
その瞳の奥にあるのは、憐憫でも軽蔑でもない。
高価な万年筆(道具)を選ぶのと同じ、冷徹で、そして熱いほどの飽くなき探究心だった。
「報告書なら、バルトロメが受理していますよ。……それよりも父上。その、マナの無駄遣いのような『備品』の検品……。僕も混ぜてもらえませんか? あはっ!」
ランスロットのその不敵な言葉が、店内の静寂を、そしてルーカスの最後の拠り所だった「事務的な空気」を、完全に情動の熱で溶かしていく。
アレスの「独占的な支配」と、ランスロットの「侵食する探究心」。
二つの巨大な暴力に挟まれたルーカスは、手にした万年筆の「数十万マナ」の重みで、今にも床に膝をつきそうだった。
「失礼ですね。これは『市場調査』ですよ」
ランスロットが、不敵な笑みを浮かべて言い放つ。
「……父上、さっきの事業仕分け。噂には聞いていましたが、相変わらず素晴らしい手腕でした。ですが……その万年筆はいささか『古い』のでは?」
ランスロットの視線が、ルーカスの指先に握らされた数十万マナの万年筆を、ゴミを見るような冷徹さで射抜く。
「せっかくの美しい指が、父上の古臭い黄金趣味のせいで、まるで安物の金メッキに見える。……ああ、可哀想に。兄上、そんなに震えて。……熱があるんじゃないですか?」
アレスの制止を、文字通り「存在しないもの」として無視し、ランスロットがルーカスへと歩み寄る。
バルトロメたちが左右に展開し、アレスの側近ガウェインたちと、一触即発の殺気で火花を散らす。
そして。
ランスロットの、カシミヤのコートのように滑らかで冷たい指先が、ルーカスの手に触れた。
「……っ、ランスロット……様……。お、お帰り……なさい……」
ルーカスの口から、咄嗟に漏れ出した「様」という敬称。
かつての「執行官」としての対等なプライドが、アレスに壊され、ランスロットの蛇のような瞳に射抜かれたことで、無意識に「上位者」として受理してしまった証。
ルーカスを見つめるランスロットの瞳の奥には、獲物をじっくりと解体し、その内側の彩りを隅々まで検分しようとする、熱く、飽くなき探究心が渦巻いていた。
「ええ、ただいま戻りました、兄上。……おや? この服……『汚れてますね』」
ランスロットが、父アレスの殺気を含んだ視線の前で堂々と、ルーカスの耳元に唇を寄せる。
感覚拡張されたルーカスの耳には、ランスロットの吐息が、まるで熱い鉛を流し込まれるような衝撃となって伝わった。
「父上も焼きが回った。……僕なら、そんな『不手際』はしませんよ」
耳元で囁かれる、逃れようのない「汚れ」の事実。
アレスが「展示」のために強いたその屈辱を、ランスロットは冷酷な「管理ミス」として嘲笑う。
「――僕なら、最初から『僕のもの』だと分かるように、その白い肌に直接、消えない刻印を刻みますけどね」
ランスロットの指先が、ルーカスの喉元の「公共財指定」の首輪に、挑発的に触れる。
アレスの黄金の紋章が刻まれた角のすぐ側で、ランスロットの青い探究心が、兄の皮膚を品定めするように這った。
「父上、この雑種……。僕の新しい屋敷の『事務員』として譲ってくださいよ。勲章の褒美に、ちょうどいい」
「事務員」という名目。
かつてテラ・シルトを救うために巨大な論理を操った元執行官を、戦場帰りの自分の屋敷で「個人的な備品」として使い潰すという、究極の侮辱。
ルーカスは、父と弟の間で、1マナの価値も持たない「肉体という名の資産」として取り引きされる自身の運命に、ただ絶望のアーカイブを更新し続けるしかなかった。
文具店内の冷気が一気に凍りつく。ランスロットの挑発的な言葉が響く中、アレスの背後に控えるガウェインの動きは、静かだが致命的だった。
アレスの数歩後ろ、影のように佇むガウェイン・オニキス・ヴァランタン。
彼は一歩も動かず、ただその冷徹な眼鏡の奥の瞳を、不遜に笑う若き侯爵――ランスロットへと向けた。
その視線は、もはや「若君」を見るものではない。
主君の庭を荒らしに来た、血の匂いしか知らぬ『分別のない野良犬』を見る、底冷えするような蔑視。
(……ガキが。閣下の演算を乱すことすら、己の功績だと勘違いしているのか)
ガウェインの口元が、極めて微かに、嘲笑の形に歪む。
彼は知っている。アレス閣下がこの「雑種」にどれほどの工数を割き、どれほど緻密に、その尊厳をお取り潰しにする計画を立てているかを。
南方の戦場で勲章をもらった程度で、その「完成された地獄」に指を突っ込もうとする浅はかさ。
一方、ランスロットの後ろに控えるバルトロメたちも、ガウェインの放つ圧倒的な「重圧」を察知し、即座に戦闘態勢(警戒)に入る。
戦場帰りの鋭い殺気が、高級文具店の繊細な空気と衝突し、パチパチと不可視の火花を散らした。
「……っ」
ルーカスは、父子の火花だけでなく、その背後でぶつかり合う「秘書官たちの殺気」に挟まれ、呼吸の仕方を忘れたように肩を震わせた。
アレスの指が、抵抗を許さぬ強さでルーカスの喉仏をゆっくりと押し下げる。
「ランスロット。……ガウェインも言いたげだぞ。君のその、戦場帰りの『荒い呼吸』は、この静謐な文具店には、いわゆる一つの、『騒音』でしかない、とな」
アレスの冷徹な号令に合わせるように、ガウェインが恭しく、だが冷酷に一歩前に出た。
「……失礼ながら、ランスロット侯爵。閣下のスケジュールは、分単位で『管理』されております。……不純物の介入は、お控え願いたい」
バルトロメたちが息を呑むほどの静寂の中、ランスロットの笑い声だけが、ラピスラズリの店内に軽やかに響く。
「――あはは、ま、そうだよね。ごめん、お父様。……ガウェインも、そんなに怖い顔しないでよ。折角の『凱旋の再会』が台無しだ」
さっきまでの、ルーカスを力ずくで奪おうとするかのような獰猛な気配が、嘘のように消え去った。
ランスロットは、屈託のない、それでいてどこか空虚な「完璧な息子」の笑顔を浮かべ、アレスから一歩身を引く。
だが、その視線は。
引き際の一瞬、アレスの指先に弄ばれるルーカスの、ツノに掘られた紋様に、熱を帯びたまま固定されていた。
「戦場帰りで、少し気が立っていたみたいだ。……いわゆる一つの、『情緒の乱れ』ってやつ? ……ねえ、兄上。……そんなに震えないで。僕はただ、久しぶりに会えて嬉しかっただけなんだ」
ランスロットは、ルーカスの頬を掠めるように、親愛を装った手つきで髪を一房整えた。
その指先が、アレスが刻み込んだばかりの「黄金の紋様」を、まるで汚物を見るかのような冷徹な解析眼で捉えているのを、ルーカスだけが気づいていた。
ガウェインの眼差しは依然として氷のように冷たかった。
(……切り替えが早すぎる。……あの男、ルーカス様を『諦めた』のではなく、『確実に仕留めるプラン』をその脳内で書き換えやがったな)
「ガウェイン様。閣下へ緊急の入電が。帝国公安委員会聖遺物保全局が、先の電法省の事業仕分けについて苦情申し立てを、と」
ガウェインの補助官が耳打ちする。その無機質な声が、張り詰めた文具店内の空気を微かに揺らした。
「帝国公安委員会聖遺物保全局?」
アレスはチラリとランスロットを見る。
聖遺物保全局――かつてルーカスが「旧神の道具」として管理されていた頃の、いわば旧い利権団体。そのタイミングの良すぎる介入に、アレスの金眼が疑念に細まる。
だが、ランスロットはただ、無邪気な息子のように笑っているだけだ。
「……5分だ」
アレスは短く、苛立ちを押し殺して告げた。
「……チッ。ランスロット、持ち場を離れるなよ。ルーカス様を見ていろ」
ガウェインが、最後に一度だけランスロットを射貫くような視線で見据え、アレスと共に奥の通信室へ消えた。
重厚な扉が閉まり、店舗の奥から微かな機械音だけが聞こえてくる。
その瞬間、数十万マナの万年筆を握ったまま、アレスという巨大な盾を失ったルーカスの上に、粘りつくような熱を持った静寂が降りてきた。
「――展開」
ランスロットの短い命令。
その瞬間、彼に付き従うバルトロメら秘書官たちが、一糸乱れぬ動きで「肉の壁」を構築した。
文具店の華やかな喧騒が、彼らの冷徹な背中によって完全に遮断され、そこにはランスロットと、震えるルーカスだけの「密室」が生まれる。
「あはっ……! 優しいですね、父上も。僕に『5分も』時間をくれるなんて」
ドンッ!!
ランスロットの腕がルーカスの耳元で壁を叩く。
逃げ場を塞がれたルーカスの鼻腔に、アレスが刻み込んだ「古い金の匂い」を乱暴に上書きするような、硝煙と、乾いた血、そしてランスロット自身の青い熱を帯びた匂いが侵入してくる。
「っ!」
顔に手が伸びてきた瞬間、ルーカスは反射的に首をすくめ、目を固く閉じた。
かつて「論理の武器」を振るったあの傲慢な執行官の姿はどこにもない。そこにあるのは、次に与えられる「刺激」を待つ、ただの震える肉体だ。
「ねえ、兄様。……何をされると思ったの?」
ランスロットがルーカスの耳元で、甘く、毒を含んだ声で囁く。
「父さんに、そんなに『行政指導』を叩き込まれてるんだ。……何かを待ってるその顔……最高に無防備で、誘ってるみたいだよ。……何を期待してるの?」
ルーカスの脳(演算体)が、ランスロットの指摘を「エラー」として処理できず、自らの内側に潜んでいた「屈服への渇望」を、熱い頬の赤らみとして出力してしまう。
「……やっぱり。まだ父上の匂いがするね、兄様。……でも、それだけじゃない」
ランスロットは顔をギリギリまで近づけ、ルーカスの項に残る「支配者の匂い」を深く吸い込む。その仕草は親愛などではなく、汚染物質の濃度を測る検品官のそれだった。
ランスロットの手が、ルーカスの震える肩から二の腕、そして服の上から下腹部へと、冷徹なまでに事務的な手つきで滑り落ちた。
「つん」
「……あ、っ……!!」
不意に突かれた、最も熱を持ち、最も「汚れて」いる場所。
感覚拡張されたルーカスの脳(演算体)が、ランスロットの指先の圧力を過剰なまでの電気信号として変換し、全身に激痛に似た快楽を走らせる。
「おや? ここだけ、ひどく熱くて湿っている。……兄上。会議室で、父上の声を聞きながら『お仕事』しちゃったんですか?」
ランスロットの瞳が、面白くて仕方がないという風に細められる。
「父上の『指導』があまりに良すぎて、中身が溢れちゃったんだ。……ねえ、兄様。そんな状態で、数十万マナの万年筆なんて握らされて。……今、どんな気分? 自分の価値が、ただの『汚れた備品』まで落ちた感想は?」
ランスロットの残酷な問いかけ。
ルーカスはそれを「論理的矛盾」として処理できず、ただ過熱し、視界を涙で滲ませることでしか、この「5分間の地獄」に耐えることができなかった。
「……自分の『仕事』の味、確認しますか?」
ランスロットが、下腹部の熱を掬い取ったその指先を、震えるルーカスの口元へと運ぶ。
ルーカスは動けない。バルトロメたちが作る「肉の壁」による静寂と、眼前のランスロットが放つ圧倒的な「簒奪者の熱」に、フリーズを起こしていた。
指先から、自分自身の「生臭い雄の匂い」が立ち昇る。
「うっ……ぁっ」
拒絶の声を上げる間もなく、ランスロットは革手袋をしたまま、強引にルーカスの唇を割り、その指を口内へと侵入させた。
滑らかな革の感触と、それに付着した「汚れ」の味が舌の上で混ざり合い、ルーカスの喉がヒクリと跳ねる。
ランスロットは、抵抗できない兄の口内で、まるで精密機械の部品を点検するように、ゆっくりと指を動かし、鋭い「牙」をなぞった。
「――おや、こんなに立派な牙を隠し持っているのに。……今は、僕の指を噛むことすらできないんだね、兄様」
革手袋越しに伝わる牙の硬さと、それとは対照的に熱く湿った粘膜の感触。
ルーカスは、自分の口腔という最も個人的な領域までもが、弟の「市場調査」によって汚染されていく感覚に、ただ涙を流して、その「仕事の味」を飲み下すしかなかった。
「ねぇ、どうして生きてるんですか?」
口内から「仕事の味」のついた指を引き抜いたランスロットが、先ほどまでの熱を嘘のように消した、氷の瞳でルーカスの細い首を見据えた。
「ひっ」
「誇りも、地位も、尊厳も。……肉体どころか思考(演算体)まで侵されて、どうして絶望死しないんですか?」
大きな手がゆるゆると、だが確実にルーカスの気道を、そして血管を圧迫していく。
じわじわと締まる感触。それは殺意というよりも、ルーカスの「生存への執着」を解析しようとする、冷酷な実験に近かった。
「やめ……ランスロット……さま、あ、ぎ……っ」
視界がパチパチと明滅し、脳が酸素供給の停止を知らせるアラートを鳴らす。
だが、その苦痛の先に見えたのは、皮肉にも今この地獄から解放される「死の安らぎ」だった。
(死ぬのか……。……ここで、この子に……)
いっそ、このまま。……そう願ってルーカスが意識を手放しそうになった、その寸前。
「――はっ!!」
ランスロットは、バカにしたように、弾かれたように手を離した。
不意に肺へ流れ込む冷たい空気が、ルーカスの肺を焼き、激しく咳き込ませる。
「あは。……冗談ですよ」
一瞬で「完璧な弟」の仮面を被り直したランスロットが、床に崩れ落ちたルーカスを見下ろして、花が咲くような笑顔で笑う。
死すらも「冗談」という名の事務処理で片付けられ、ルーカスは再び、アレスとランスロットという二つの地獄が待つ「生」へと繋ぎ止められた。
「ねぇ兄様。……僕は本当に不思議なんですよ」
ランスロットは、咳き込み床に伏したルーカスの前に優雅にしゃがみ込み、その顔を覗き込む。
「不思議で、不思議で……目が離せない」
ランスロットの瞳に宿るのは、先ほどの殺意ではなく、深淵を覗き込むような、あるいは宝物を手に入れた子供のような、熱を帯びた「探究心」だった。
「っ!!!」
不意に、ランスロットの顔が近づき、ルーカスの頬に深く、熱い唇が押し当てられた。
それは、アレスが与える冷酷な支配の温度とは正反対の、生々しい「個」の熱量。
ルーカスには、ランスロットの考えが全くわからなかった。
なぜ自分を殺そうとし、なぜこれほどまでに熱く自分を求めるのか。
「弟の論理」を解析しようとするたびに、その熱が電気信号を掻き乱し、エラーを吐き出す。
口内にはまだ自分の「汚れ」の味が残り、喉には殺された感覚がこびりついている。
その絶望の真っ只中で、自分を殺しかけた相手から与えられる、この「熱」は何なのか。
ルーカスは、アレスの「管理」よりもさらに得体の知れない、ランスロットという「底なしの情動」の淵で、ただただ溺れていくしかなかった。
「何をした」
アレスが通信室から戻ってきた。その金眼は、獲物を狙う鷹のように鋭く、一瞬で店内の「異常」を察知する。
床に崩れ落ち、乱れた呼吸を整えられないルーカスのそばで、ランスロットは先ほどまで兄の首を絞めていたことなど微塵も感じさせない、平然とした笑顔で立っていた。
バルトロメたちが作っていた「肉の壁」は、アレスの足音と共に、音もなく解散されている。
「少しだけ、市場調査(兄様との再会)を楽しんでいただけですよ……」
ランスロットは、アレスの怒りを柳に風と受け流し、崩れたルーカスを哀れむような、それでいて勝ち誇ったような瞳で見下ろした。
「……兄上、本当に具合が悪そうだ。早く、『新しい下着』を選んであげてくださいよ」
その一言に、ルーカスのは「ひっ」と小さく悲鳴を上げる。
「下着」という具体的な単語。それは、ランスロットが兄の「隠された汚れ」を暴き、その事実をアレスと共有したことを意味していた。
アレスは不機嫌そうに、鼻を鳴らすと、ルーカスの細い腕を乱暴に掴んで立ち上がらせた。
「……貴様に言われるまでもない。ガウェイン、店員を呼べ。……この資産に相応しい、最も『管理』しやすいものを選ばせる」
アレスの指が、ルーカスの腕の肉に深く食い込む。
ランスロットが残した「熱」と「指の跡」、そして「下着の汚れ」。
すべてを抱えたまま、ルーカスは再びアレスの冷酷な黄金の檻へと引き戻されていった。
耳元で囁かれた、その呪い。
アレスの逞しい腕に抱きしめられ、その独占的な黄金の熱に包まれながらも。
ルーカスの白い肌には、弟ランスロットがつけた「硝煙の残香」が、消えない烙印として深く、深く刻まれていた。
アレスが選ぶ、最高級のマナが織り込まれた「新しい下着」が、いずれその肌を覆うだろう。
だが、布地が触れるたびに、ルーカスは思い知らされることになる。
自分の内側に、アレスの「金の匂い」を乱暴に掻き乱す、あの冷酷で熱い「弟の残り香」が居座り続けていることを。
アレスの指が首筋の紋様をなぞるたび、ルーカスの演算体(脳)は、その指先がランスロットの「殺意の指」ではないことに、安堵と、それ以上の言いようのない「飢え」というエラーを吐き出し続けるのだ。
軍事省電法検閲官:
「(じーーーーっ)……。いける...か???……。……『市場調査』……『不純物の介入』……『管理しやすい資産』……。……よし。……全編、極めて厳格な『資産運用および家族会議の記録』であると認定。……受理!!(※ただし、鼻血を拭いながら)」




