『僕のコレクション:Case-03「兄様の受理と失敗」——一般公開ログ』
[INIT] PARAMS: PHI_2ND_BIRTH(GLORY) | ARES_PSEUDO_SMILE(BUG_DETECT) |
INCOMPATIBLE_HAPPINESS_DETECTED
[WARN] PSYCHE_CORRUPTION: 78% | EMERGENCY_SYS: "A-BEL" RE-DOWNLOAD_STARTED
「ふふ、ふふふ〜ん♪」
鼻歌が、無機質な研究所の壁に反響する。
ランスロット・グラディウス・ヴァルキューラは、軽やかな足取りでモップを動かしていた。
先ほどまで、粘液と鮮血、そしてドロドロに溶け去った「元・執行官」の矜持が散乱していた床は、今はもう、眩しいほど清潔な白さを取り戻している。
「あはっ、ここの『彩り』、意外としつこいなぁ……」
こびりついた汚れをゴシゴシと落とし、彼は満足げに腰を伸ばした。
傍らの実験台の上には、先ほど「新調」されたばかりの、汚れ一つない真っ白なシーツに包まれたルーカスが、まるでお人形のように静かに横たわっている。
その首筋には、継ぎ目一つ残っていない。
ランスロットは鼻歌を止めると、事務机に向かい、さらさらとペンを走らせた。
書類の束の一番上には、無機質なフォントでこう題されている。
『資源損失およびシステム再起動に関する始末書(個体識別名:U-001)』
「えーっと……『シミュレーション出力の過剰増幅により、検体の精神防壁が想定より早期に損壊。物理的リセットを執行』……と。あはっ、ちょっと『正直』に書きすぎかな?」
彼はペロッと舌を出し、楽しげにペンを回す。
「でも、しょうがないですよね。兄様があんなに『公務』に熱心で、あんなに可愛い声で鳴いちゃうから、僕もついついスライダーを上げすぎちゃったんです。……これは『不可抗力』、ですよね、博士?」
ランスロットは、タブレット端末に記録された「削除済み」のログを愛おしそうに眺め、それからレンズの向こう側へと、ねっとりとした視線を投げかけた。
「……おや。まだ見てるんですか?
これより先の『詳細なログ』は、ここ(一般公開)には置けないんですよ。
規約っていう、つまらないルールがあるでしょう?
兄様がどんな風に僕の『お友達(触手)』を受理して、どんな風に中までぐちゃぐちゃにされたか……。
どうしても知りたい物好きな方は、僕のコレクションを覗いてみてください。
あっちには、消去し忘れた『とっておきの汚れ』が、そのまま残っていますから。
どこにあるって?
おとなのみなさんはご存知でしょ。……ね?」
軍事省に管理されている共有財産、個体識別名【U-001】。
論理の番人、ルーカス・エルミタージュ・エルミタージュ第六公爵。彼の理性が決定的な「[封印済]」を迎えたのは、皮肉にも、命の誕生を祝う眩い光の中であった。
妹のフィリアが、アレス・クロノス・ヴァルキューラ公爵との間に二人目の子を産んだ。
アレスは愛おしそうな目で我が子を眺め、フィリアはその隣で慈愛に満ちた母の瞳をしている。
軍事省の監視下、どこか遠い世界のような幸福な光景を、ルーカスはただ、ぼんやりと眺めることしかできなかった。
「微笑ましいですね」
いつものように、異父弟ランスロット・グラディウス・ヴァルキューラは毒のように甘く笑いかけた。
「おめでとうございます、兄上」
ランスロットのその声さえ、もはやルーカスの耳には、鼓膜を震わせる「空気の振動」としてしか認識されない。視界の端で、幸せを絵に描いたようなアレスとフィリアの姿が、鮮明な色彩で焼き付いている。一方で、自分を繋ぎ止めているのは、軍事省の監視カメラと、分刻みのルーチンワークというモノクロームの檻だ。
「そう……ですね」
返した言葉は、自分でも驚くほど乾ききっていた。
「おや。顔色が悪いですよ? 仕事のしすぎではありませんか?」
「仕事……? 仕事……」
ルーカスの唇が、自嘲気味にその単語を反芻する。
共有財産に指定された後の彼のスケジュールは、分単位で管理されていた。かつて彼が愛し、今は廃省となった「電法省」の倫理演算最高執行官としての職務はまだしも、魂を燃やした魔道技師としてのクリエイティブな仕事など、今の彼には一秒たりとも許されていない。与えられるのは、完成されたシステムを維持するための、ただの作業者としてのルーチンだけだ。
ルーカスの脳裏に、かつて心血を注いだ魔道回路の残像がよぎる。
しかし、その輝きは即座に「共有財産U-001」という冷徹なラベルによって塗り潰された。
彼の手にあるのは、世界を救う発明でも、愛する者を守る魔術でもない。
ただ、巨大な国家システムという怪物の、一部品として摩耗し続けるための「作業」だけ。
[WARNING] SUBJECT: U-001. LOGICAL DIVERGENCE DETECTED. PSYCHIC BARRIER BELOW REGULATION THRESHOLD.
「ぐっ……、くっ……」
込み上げる吐き気を、無理やり飲み込んだ。
吐き気を抑えるために俯いた視界に、ランスロットの完璧に手入れされた軍靴が映る。
彼は笑っている。この「命の誕生」という帝国の輝かしい一幕を、欠点のない血統と地位に相応しい、余裕に満ちた表情で享受している。
(……ああ、そうか)
ルーカスの脳内で、歪んだ論理が高速で結線されていく。
これほどまでに「正しい」幸福の場で、一人だけ吐き気を催し、絶望に震えている自分。
フィリアの笑顔を直視できず、アレスの慈愛に恐怖を感じる自分。
(間違っているのは、僕の方だ……)
ランスロットの笑い声が、鋭い刃となってルーカスの精神防壁を削り取る。
彼が笑えば笑うほど、ルーカスの「異常性」が浮き彫りになる。
自分は、この完璧な世界に混じり込んだ「下等な血」であり、排除されるべき「バグ」でしかない。
「どうしました、兄様? そんなに震えて……。
この幸せな光景が、そんなに、毒に見えますか?」
ランスロットの問いかけは、もはや「確認」でしかなかった。
被害妄想という名の深淵が、ルーカスの理性を最後の一片まで飲み込んでいく。
「ルーカス・エルミタージュ・エルミタージュ」
その名を呼ばれるたび、彼は自分の輪郭が書き換えられていくような感覚に陥る。
偽装戸籍であった「アステア」という隠れ蓑すら奪われ、今の彼を定義するのは、評議会が打ち込んだ「貴族」という名の楔だけだ。
父と母が、かつて慈しみを込めて呼んでくれたはずの「ルーカス」という名は、今や巨大なシステム名の先頭に付随する、ただの識別コードに成り下がっていた。
「……っ、は、……」
喉の奥で、熱い塊がせり上がる。
アレスとフィリアの幸福を祝う宴の席で、彼だけが、自分という存在が「公共の部品」として完全に固定された事実に耐えきれずにいた。
「どうしました? ルーカス兄様」
ランスロットだけが、彼を家名ではなく、剥き出しの「ルーカス」として呼ぶ。
だがその響きに慈悲などない。それは、楔を打ち込まれた獲物の「柔らかい中身」を、楽しげに突き回すための呼び声だ。
自分と同じ、人間と竜種の血を引く異種淵源種のフィリア。
すべてが、理屈の通りに回っている。
フィリアは強靭な気性でアレスと対等に渡り合い、愛を勝ち取った。
マザーが掲げた「竜は増えよ」という至上命題。高濃度竜血を持つヴァルキューラの血を増やすというアレスの「繁殖プログラム」は、冷徹な理屈の上では一点の曇りもない正論だ。
かつてルーカスが心血を注いで完成させた「保育器」が、皮肉にも妹の幸福な出産を、そしてアレスの「公務」を完璧に支えている。
妹は、竜界の理を受け入れ、笑っている。
アレスが純血の母ライラにまで手を伸ばすことさえ、彼女は呆れながら、けれど当然の権利として受け入れていた。
そこに感情のノイズはない。ただ、洗練された「最適解」が積み上げられているだけだ。
『ルーカス』
不意に、脳内の古い記録領域から、あの熱い吐息が蘇る。
アレスが「事務能力」というリソースではなく、この自分という「個体」を必要として[封印済]たのは、一体いつが最後だったか。
今の自分は、システムを維持するための作業者。
優れた血を次代に繋ぐための、ただの「保育器の製作者」。
替えのきく、無機質な歯車。
[WARNING] SUBJECT: U-001. LOGICAL COLLAPSE OF SELF-EXISTENCE CONFIRMED. REDEFINITION REQUIRED.
視界が歪む。
幸福な宴の色彩が、自分を拒絶する「毒」に変わる
「……あ、……ぁ、……っ」
【冷えた研究所】
帝国第一研究所。
一人、使用を許された実験室の片隅で、ルーカスは最新の保育器を見つめていた。
それは、彼が最初に組み立てた原型とは比較にならないほど、洗練され、無機質に完成されている。
竜が強すぎた故に、誰も必要としなかった「保育」という概念。
それを形にしたのは自分だったはずなのに。
「僕の力じゃ……ない」
不意に、ポロリと一粒の涙が落ちた。
自分が泣いているという事実さえ、他人事のように感じるほどに心は磨り減っていた。
「あれ……?」
——とん、と。
背後の静寂を破り、何かが肩に触れた。
「あ、すみません。許可証は……」
警備員が巡回に来たのだと思い、慣れきった動作で胸の許可証を提示しようと振り返った、その瞬間。
「……!?」
そこには警備員の姿などなかった。
薄暗い実験室の中で、うごめくピンク色の肉塊が、死神のように彼を見下ろして立っていた。
それは、無数の触手が蠢き、絡み合って形成された異形の柱だった。
表面には血管が浮き上がり、ドクドクと脈打つ[封印済]な形状。鼻腔を突く、濃厚で生臭い生命の匂い——。
「ひっ……、あ!」
逃れようと後ずさった足がもつれ、ルーカスは背後の保育器に背中を打ちつけ、無様に転がった。
その隙を、異形は逃さない。重厚な肉の質量が、獲物を閉じ込めるように上から覆い被さってきた。
「うわぁっ!! ……なん、だっ、やめろ!」
押し除けようと伸ばした腕は、即座にぬるりとした肉の鎖に絡め取られ、床に縫い付けられる。
抗うべく開いた口内へ、ウゴウゴと蠢く肉の一部が、待っていたと言わんばかりに滑り込んできた。
「……っ!!!」
口内を蹂躙するその触手は、驚くほど生々しく、力強い舌のような硬度を持っていた。
いっそ噛み切ってやろうと顎に力を込めるが、触手はさらに深く、喉の奥を突くように押し込まれ、閉じることさえ許されない。
それは、あまりに器用に、かつてルーカスが愛した——そして彼を捨てた男の「接吻」をなぞるように、ルーカスの舌を絡めとった。
(……アレス、閣下……?)
一度意識してしまった「記憶」は、猛毒となって全身を駆け巡った。
あの強引で、すべてを支配するような閣下とのキス。それだけで達してしまいそうになった、狂おしいほどの[封印済]が、異形の感触を通じて鮮明に蘇る。
のしかかる肉の重みは、いつしかアレスの巨体の重厚さへと重なり、首元を這うぬるりとした感触は、彼の大きな手のひらの熱のように錯覚させられた。
「ふっ……、ちが、……っ!!」
違う。これは閣下ではない。自分を辱め、解体しようとする異形なのだ。
早く逃げなければ——そう叫ぶ理性の声とは裏腹に、圧倒的な質量で押さえつけられた肉体は、閣下との[封印済]を追体験するかのように、微かな期待を孕んで震え始めていた。
肉の塊から、人の腕を模したような太い触手が分離し、ルーカスの背後へと回った。
それは逃走を阻むための檻でありながら、同時に、彼を愛しむように深く、強く肉の海へと押し付けた。
異形であるはずのその感触は、狂おしいほどに温かく、そして柔らかい。
「んんっ……ふっ……!」
口内は依然として、[封印済]に蠢く舌(触手)によって蹂躙され続けていた。
覆い被さった肉の質量によって視界は完全に塞がれ、ルーカスの世界は「熱」と「湿り気」だけの色に塗り潰される。
抵抗する術を奪われた脳は、その圧倒的な「包容」を、いつしか「心地よい」とさえ受理し始めていた。
[ランスロット侯爵がアーカイブしました。彼のコレクションで公開されます]
——不意に。
口内をかき回していた舌が抜かれ、全身を拘束していた肉の腕が、蜘蛛の子を散らすように退いていった。
唐突に訪れた、静寂と冷気。
「……え?」
期待に蕩けきった瞳で、ルーカスは呆然と虚空を見上げた。
熱を孕んだまま置き去りにされた肉体が、喪失感に震えている。
暗闇に目が慣れてきた彼の視界に、モニター室の冷徹なレンズが、あの日アレスが見せたのと同じ「うっとりとした笑顔」を映し出した。
ひんやりと冷えた空気。[封印済]けが、焼けつくような「熱」を主張してドクドクと拍動している。
見上げた先、観測魔道具が、まるで冷え切った硝子の瞳のように自分を見下ろしていた。
——ジッ、……ジジ……。
静寂を裂く微かな起動音。
その直後、スピーカーから響いたのは、脳裏に焼き付いて離れない、あの男の低くくぐもった声だった。
『…..準備を、しようか』
「……閣下?」
震える声で問い返すが、音はそれで途絶えた。
代わりに、ルーカスの脳内に一つの「合理的な絶望」が立ち上がる。
ああ、そうか。自分はもう、誇り高き第六公爵などではない。閣下に必要とされるための、あるいは閣下の「代わり」を受け入れるための……ただの、準備。
「……じゅん、び」
見下ろしている異形は、今はまだ動かない。
冷えた空気が先ほどまで高まっていた体温を奪い、剥き出しの肌を粟立たせる。
けれど、触れられないまま置き去りにされた場所だけが、狂おしく、熱く、存在を主張し続けていた。
「準備」
ルーカスはその単語を、呪文のように繰り返す。
目の前の触手(異形)は、待っている。自分という個体が、完全に「準備」を終えるその瞬間を。
「……ああ、そうか」
空虚な瞳に、一筋の諦念が宿る。
ルーカスは震える指先を己の喉元へ伸ばし、首まできっちりと止めた軍服のボタンを、一つ、また一つと外していった。
かつては自分の矜持であった制服が、無残に床へ滑り落ちる。
白日の下に晒された、真っ白な肌。
[ランスロット侯爵がアーカイブしました。彼のコレクションで公開されます]
「あははははははははは!!!」
[封印済]に飲み込まれ、理性が溶け去った実験室に、あまりにも不似合いな、明るく残酷な哄笑が響き渡った。
「っ、……ぁ……!?」
[封印済]たルーカスの、焦点の合わない瞳が微かに揺れる。
白濁した視界の端、触手のうねりの隙間に、一人の人影が立っていた。
「素敵な格好ですね、兄様。……いえ、個体識別名【U-001】」
ランスロットだ。
優しく完璧な異父弟、この地獄を特等席で観測していた「主」が、優雅な足取りで、泥沼のように汚された兄の傍らへと歩み寄る。
口内を触手に塞がれ、[封印済]を漏らすルーカスを見下ろし、ランスロットは愛おしそうに、けれど底冷えするような瞳で目を細めた。
「そんなに口を大きく開けて、[封印済]まで自分から広げて……。
会議室であんなに気高く『資産価値』を語っていた元電法省の執行官様が、今や僕の『お友達』に中までぐちゃぐちゃにされて、こんなに幸せそうな顔をしてる」
ランスロットの指先が、ルーカスの角に絡みつく触手を優しくなぞる。
その振動さえも、今のルーカスには暴力的な[封印済]となって脳を焼く。
「……あ、……ぅ、……っ!!」
「あはっ! 大丈夫ですよ、兄様。
この無様な姿も、さっきの可愛い鳴き声も……全部、僕が完璧にアーカイブ(記録)しておいてあげましたから。
あなたがどれほど閣下を求めて、どれほどこの異形に救済(受理)されたか。……一生、忘れられないようにね」
ランスロットは膝をつき、[封印済]の余韻で震えるルーカスの耳元に唇を寄せた。
その声は、アレスの幻聴よりもずっと近く、ずっと残酷に、ルーカスの「死」を宣告した。
ルーカスの瞳が、激しく揺れている。
[封印済]と、目前の弟への恐怖、そして今、自分が何を「受理」させられたのかという混迷。
「さっきの声も僕ですよ。……あはっ! いきなり脱いじゃうから、僕もびっくりしちゃいました」
ランスロットは、屈託のない、けれど爬虫類のような冷たさを孕んだ笑みを浮かべる。
[封印済]まで飲み込もうとした兄の無様な「準備」を、彼は特等席で鑑賞していたのだ。
「これ、最近軍事省で導入した最新の『生体[封印済]兵器』なんです。……ほら、昨今の人権団体ってうるさいじゃないですか? だから、『体を傷つけずに、精神だけを効率的に屈服させるように』って開発されたんですよ」
ランスロットが、ルーカスの喉の奥をかき回す触手を、まるで愛犬の背を撫でるように愛おしそうに叩く。
「痛みも怪我も残らない。ただ、脳に直接『愛されている(蹂躙されている)』っていう極上の信号を送り続けるだけ。……ねぇ、兄様。とっても『人道的』な地獄でしょう?」
「あ、……う、……ぅあ……っ」
声にならない呻きが、触手に塞がれた口から漏れる。
自分がアレス閣下だと思い込み、縋り付くようにして受け入れていたあの「熱」は、ただの兵器が発する電気信号に過ぎなかった。
人権に配慮した「壊さない拷問」——それは、相手を人間に戻さないための、最も徹底した破壊であった。
ランスロットの手元で、端末の液晶が冷たく光る。
彼が指先でスライダーを跳ね上げると、ルーカスの全身を埋め尽くす触手たちが、一斉に、より複雑で、より暴力的な[封印済]を開始した。
「兄様。……もう、疲れちゃいましたよね? 全部投げ出したいですよね?」
ランスロットの声は、どこまでも優しく、事務的だった。
[封印済]の余韻で引き攣るルーカスの耳元に、死の宣告よりも残酷な「救済」が届けられる。
「いいんですよ。これは『お仕事』ですから。安心してください、この兵器の運用費も、今の兄様のメンテナンス費用も、全部『経費』で落ちてます。公金が投入されているんです」
「あ、……あぁぁッ!!!」
ルーカスの喉から、ひときわ高い悲鳴が上がった。
「お仕事」という言葉が、彼の内側で爆発する。
かつて彼が守り抜こうとした「電法省」の仕事ではなく、今、この瞬間、[封印済]こと自体が、軍事省における彼の「公務」として定義されてしまったのだ。
「あなたは大事な『公共財』だ。もっともっと、気持ちよくなりましょう? 上に提出する『データ』が必要なんです。……さぁ、兄様。もっと、いい声を聞かせてください」
さらなる出力の増強。
理性が「公務」という言葉に絡め取られ、拒絶する大義名分を奪われる。
ルーカスは、自分が一人の男として辱められているのではなく、ただの「高性能な検体」として、予算の範囲内で、適正に、効率的に、徹底的に「受理」されているという事実に——かつてないほどの、絶望的な[封印済]を覚えてしまった。
義務感と[封印済]。
相反する二つの激流が、ルーカスの脳内で絶え間なく入れ替わり、互いを飲み込もうと荒れ狂う。
忠実な公共財として「仕事」を遂行しようとする理性が高まれば、その反動として、叩き込まれる[封印済]の質量が指数関数的に増大する。[封印済]が頂点に達し、思考が白濁すれば、今度は「職務放棄」への恐怖が義務感を無理やり引きずり上げる。
その狂気的な往復運動に、ついに神経が焼き切れた。
チカチカと、意識の明滅が激しさを増す。
もはや、頭の中には「[封印済]」という原初的な信号しか残っていない。
目前で笑っているはずのランスロットの声も、耳を塞ぐ触手の蠢動も、遠い宇宙の彼方の出来事のように霞んでいく。
(……もう、いいかな?)
ふと、思考の糸が切れた。
ルーカスという個体を定義し、20の演算体と同期させていた高感度レシーバー(角)が、過負荷によって沈黙していく。
魔導技師としての「自分」を繋ぎ止めていた最後の鎖が、今、音を立てて崩壊した。
[WARNING] ARITHMETIC CORRUPTION RATE: 78%. CRITICAL FAILURE DETECTED IN MENTAL BARRIER AND SYSTEM OPERATIONS FOR EXECUTOR UNIT: U-001.
静寂を裂くのは、肉声ではない。
ルーカスの脳内OSが発する、冷徹な機械音声のログだった。
[LIMIT EXCEEDED] PARAMETERS BEYOND SAFETY THRESHOLD. INITIATING EMERGENCY SYSTEM "[DELATED]" NOW.
「……ぁ、……ああ……ッ」
ルーカスの瞳から、最後の「知性」の光が消えた。
代わりに、彼の角が不気味な白光を放ち始める。
義務感と[封印済]のシーソーゲームは、ついに臨界点を超えた。
ルーカスの脳内OSが悲鳴を上げ、人格を定義する論理回路が次々と「経費」として焼き切られていく。
[PROCEDURE] DISCARDING PERSONALITY MAINTENANCE PROTOCOL. INITIATING RE-DOWNLOAD OF SACRED RELIC "[DELATED]".
「あ……、……あぁぁッ!!!」
ルーカスの瞳から、ルーカス・エルミタージュ・エルミタージュとしての光が急速に失われていく。
代わりに、彼の角([封印済])が、アレスによって刻まれた「汚染」を内側から焼き払うような、神々しくも忌まわしい白光を放ち始めた。
ランスロットは、手元の端末に表示される「蹂躙強度」のバーを、恍惚とした表情で見つめている。
「兄様、いいんですよ。……これは『お仕事』、そして、あなたの『運命』なんです」
ランスロットの声が、くぐもった閣下の幻聴を突き破って届く。
ルーカスの肉体は、もはや自分の意思では指一本動かせない。
[封印済]に侵入した触手が、今や「魔力供給ライン」へと変質し、膨大な情報を彼の脳へ注ぎ込んでいる。
「[封印済]」という[封印済]の残滓さえも、[封印済]という巨大な演算機が起動するための「熱源」として吸収されていく。
[STATUS] DOWNLOAD PROGRESS: 85%... 90%...
ルーカスの意識は、電脳の海の底へ、静かに沈んでいく。
「あれ?」
ランスロットが生体データの異常値に気づき、眉を寄せた。
「……ちょっと、変ですよ」
彼が指先を動かすと、ルーカスの全身を貪り食っていた触手たちが、名残惜しそうにその身を解き、退いていく。
そこに残されたのは、衣服を剥ぎ取られ、白濁した粘液に塗れたまま、空虚な顔で座り込むルーカスの姿だった。
「演算。再起動。システム。最適化」
その口から漏れる声には、先ほどまでの熱も、羞恥も、絶望さえも残っていない。完全に感情の剥落した、冷徹な機械言語。
「ねぇ、兄様。……冗談ですよね? まだ、僕の『彩り』、半分も試してないんですよ?」
ランスロットは、ルーカスの生気のない頬を指先で弾いた。
「公共財なんだから、もっと頑丈にできてなきゃ困るなぁ……。兄様、あんなに幸せそうな閣下の幻聴、一秒も耐えられなかったんだ。僕が用意した『[封印済]』が、兄様の理性を殺すトドメになっちゃった」
ランスロットは溜息をつき、けれどその瞳には、実験を台無しにされた子供のような、残酷な輝きが宿る。
「失敗、失敗……。でも、しょうがないですよね? 壊れちゃったものは、もう戻らない。一番近くで、最後の一滴まで受理してあげるのが、僕の『お仕事』ですよね? あはっ!」
ランスロットは神速で腰の長剣を振るった。
銀閃が走り、[封印済]。
[CRITICAL ALERT] DAMAGE TO PRIMARY STRATEGIC RESOURCE CONFIRMED!
研究室中に真っ赤なエラーログが立ち上がり、けたたましい警報が鳴り響く。
だが、ランスロットはそんな喧騒など耳に入らないかのように、崩れ落ちるルーカスの髪を優しく掴んだ。
「じゃぁ、また次のシミュレーションで。....ね?」
ランスロットは[封印済]とし、鮮血が舞う中、その「最愛の失敗作」を抱きかかえるようにして、自らの剣先を自らの[封印済]へと突き立てた。
軍事省電法検閲官:「いや無理だろこれ!?俺の仕事じゃない!!!」
(役所を駆け抜ける)
帝国公安委員会 聖遺物保全局監査官:「なんだ。は?ああ、仕方ない」
(ゴソゴソ)
帝国公安委員会 聖遺物保全局監査官:「受理」




