第4話:【再起動の代償】
ここまできた同志の皆様へ
着いて来れてますか?
振り落とされていませんか?
竜種の生態は複雑ですが,目的は「殖えること。死なないこと」
役立たずの雄は雌にされ,雌は3回の義務出産で雄化権利を得ます。
大変ですね。
【廊下での審判、あるいは伯父の無垢】
ルーカスはおぼつかない足取りを、アレスの硬い腕にほぼ引きずられるようにして歩いていた。
膝は笑い、足の指先までが自分の意志を離れて震えている。アレスの豪奢な上着を重苦しく羽織らされ、その「印」に包まれていることで辛うじて人としての形を保っているに過ぎない。
そこへ、廊下の向こうから屈託のない、いつもの優しい声が響いた。
「おや、アレス公爵! ルーカス君も一緒だったのか。おやおや、そんなに着込んで……やはり少し風邪気味なんじゃないか?」
アルフレッド伯父だった。
「ははは、アルフレッド公爵。君の甥は、今日一日で実に見事な『成長』を見せてくれたよ」
アレスがルーカスの肩を抱き寄せ、その細い首筋をゆっくりと、獲物の喉笛を確認するかのように撫で上げた。
「それは重畳だ! ですが公爵、あまり無理をさせないでやってください。こいつはまだ、私にとっては可愛い子供のようなものですから」
(……伯父様、私はもう、あなたの知っている『子供』ではありません。……内側は、すべてこの男のロジックで……)
ルーカスは、自分の内側にまだアレスの残滓が熱く蠢いている恐怖と屈辱で、心臓が爆発しそうになる。
アレスは「私」の仮面を被り、さらに力を込めてルーカスを自身の体躯へと密着させた。
「ええ、重々承知しています。……『子供』なりの、可愛がり方をさせていただきますよ」
(子供……。ええ、その『子供』の匂いに、今しがたまで溺れていたのは私ですがね)
そんな皮肉を心で呟きながら、アレスは喉の枯れたルーカスを絶望の淵へと追いやる。その指先が首筋をなぞるたび、ルーカスはビクリと肩を揺らすが、声も出ない。喉は、あの洗浄室で枯れ果てていた。
その時、ルーカスの膝が限界を迎え、ガクリと折れかけた。
「ルーカス様!」
青ざめた顔の秘書官イヴが、悲鳴に近い声を上げて駆け寄ろうとする。
だが、その細い指先がルーカスの服に触れるより速く、廊下の空気が凍りついた。
「――止まれ。誰の許可を得て『私の在庫』に触れようとした」
アレスの黄金の瞳が、剥き出しの刃となって秘書官を射抜く。物理的な質量を持った威圧がイヴの足を床に縫い止め、彼女は伸ばした手を空中で硬直させたまま、呼吸することさえ忘れたように震え上がった。
アレスは屈むことすらしない。
恵まれた体躯を持つアレスにとって、崩れ落ちるルーカスを片腕で吊り上げるように支えるのは容易いことだった。あえて視線を下げず、高い位置から周囲すべてを睥睨し、己の「所有権」を誇示する。
「……アルフレッド公爵、こいつは少し疲れが溜まっているようでね。私が責任を持って、直々に『更生』しておく。……行け、アルフレッド。君は次の会議に遅れるだろう?」
アレスの腕の中で、ルーカスはただの抜け殻のように、その強靭な守護(檻)に身を委ねるしかなかった。
【宣告:ユーリという「先達」の空虚】
アレスが用意した、ヴァルキューラ公爵家の紋のついた重厚な馬車。その揺れは、今のルーカスには巨大な揺り籠というより、呼吸を制限する棺のようだった。
馬車を降りるその瞬間まで、アレスの上着――あの男の体温と、支配的な魔力が繊維の奥まで染み込んだ布――に包まれていたため、ルーカスの神経は麻痺し、自らの境界線がどこにあるのかさえ分からなくなっていた。その匂いに酔い、脳が安易な屈服を求め始める。
自邸に送り届けられたルーカスを待っていたのは、妻のユーリだった。
元はアレスの息子であり、雌化してルーカスに政治的な理由で嫁がされた「官制繁殖母体」。
「閣下からこれを」
影のように従ってきた秘書官が、一枚のメモをユーリに差し出す。
『見ればわかる。任せた』
殴り書きに近いサインと共に記されたその言葉は、命令であり、同時に「ルーカスの現状」を全て肯定する残酷な「検収報告書」だった。青白い顔で、上着の裾を握りしめるルーカスの姿を一目見て、ユーリの切れ長の瞳に、理解という名の暗い光が宿った。
「……定時だった」
アレスの上着を秘書に返しながら、掠れた声でルーカスが呟く。それはアレスの魔力から物理的に解放されたことで、かろうじて繋ぎ止めた「慈愛の第六公爵」としての、最後の虚勢だった。
ユーリの無表情な顔は、いつも以上に静謐で、それゆえにどこか愉悦に震えているように見えた。
「お食事はお部屋に運ばせますね」
「少し休みたい」
「寝室ですか?……では、手で持てる食べ物にしますね」
その提案に、ルーカスは機械的に頷いた。
寝室。そこに行けば、あの男の指先の感触が、耳元で囁かれた事務的な蹂躙が、消えてくれると信じたかったのだ。
だが、寝具に身を沈めた瞬間、身体の奥底で疼くような痛みが、逃れようのない現実としてせり上がってきた。
「疲れたんだ……」
誰にともなく吐き出した言葉は、泥の中に溶けて消える。
軍事省の秘書官が完璧なタイミングで持参した新しい制服は、あつらえたようにルーカスの肢体に馴染み――それがかえって、脱がされる前からこの結末が「予定調和の行政フロー」であった事実を突きつける。
(……あの男に屈したら、今までの重圧から、あの『鍵』を守る責務から、逃げられるのだろうか?)
脳裏をよぎったのは、猛毒のような安らぎ。それは、高い誇りを持っていたはずの新鋭公爵が、行政という名の巨大なシステムの重みに耐えかね、自ら泥沼の底へ沈んでいく予感だった。
簡単なサンドイッチと果物を持って、ユーリが寝室へ現れたのは、ルーカスが意識を手放すよりも早かった。
制服も脱げず、ただ顔を両手で覆って横たわるルーカスは、もはや「貴族」としての機能を喪失し、ただの「不適合在庫」のように見えた。
「顔色が良くないですよ」
「……疲れたんだ」
「手当てをしましょうか?」
「っ……!」
その言葉に、ルーカスは弾かれたように身を跳ねさせた。
「それ、お父様にされたんですね」
ユーリの指が、ルーカスの手首を、まるで壊れた機械の部品でも見るかのように淡々と指し示した。
竜種の驚異的な回復力をもってしても、アレスが刻んだその傷は、赤々と、生々しく主張を続けていた。
「あら。お父様、よっぽど貴方が欲しかったのね」
ユーリの声音には、同情の代わりに、奇妙な共感と冷徹な分析が混在していた。
救護セットから取り出された傷薬の匂いが、清潔で無機質な絶望を煽る。
アレスが刻んだ、あの「噛み跡」。それは愛欲の結果などではなく、皮膚の下に潜むマスターコードを、強制的に魔術回路へリンクさせるための「物理的ポートへの強制アクセス痕」。
「ルーカス様、貴方のその刺青……お父様に見つかっちゃったのね。……あの方は、自分の持ち物に他人の名前が書いてあるのが、何より我慢できない質なのよ」
その宣告に、ルーカスは血が滲むほど唇を噛んだ。
『U001』。手首にある銀色の刺青。
前執行官が刻んだ実験体としての管理コードであり、A01のマスターコード。
アレスという男が「A01」に執着していることは、データとして理解していたはずだ。
だが、甘かった。これほどまでに直接的に、肉体を、そして魂を「ハッキング」しに来るとは。
マスターコードという名の、呪縛に近い鍵。それを持つ自分がいかに危うい立場にいたか、伯父アルフレッドが「隠しなさい」と繰り返していたあの慈愛の声が、今も耳の奥で警告の鐘のように響いている。
アルフレッドが恐れていたのは、A01を奪われることではない。アレスという名の、一度狙った獲物を行政の理屈で骨まで食らい尽くす「魔王」そのものだったのだ。
「……お可哀想に。もう逃げられないわ」
ユーリが、ふふ、と喉を鳴らして笑う。
「ユーリ?……君は、なぜそんなに」
「嬉しいからですわ。……ほら、脱いでください。そちらにも、お父様がつけた『検品済み』の傷があるでしょう?」
ユーリの視線は、もはや感情のない人形のようだった時のものではない。
全てを読み解き、父が残した「行政執行の爪痕」をこれから一つずつ精査しようとする、冷酷な執行官のそれだった。
ルーカスは諦めて服を脱いだ。
ユーリはマッサージをしながら軟膏を塗り込んだ。
そのユーリの指先には、生きた感情がなく、機械に油を注すようだった。
「……酷い有様ですね。私も、お父様の部下たちに徹底的に『教育』され、雌化魔術で機能を固定された時は、一週間は動けませんでした」
「……ユーリ、君……何を……」
「お父様にとって、私たちは『外に出すための在庫』に過ぎません。……ふふ、やっぱり。貴方にも、お父様はキスマークもつけないんですね」
ユーリはルーカスの体の見える部分に、管理外の傷一つないことを検分する。
「……え、……?」
「傷物にして資産価値を下げる真似はなさらない。……徹底して綺麗に、けれど内側だけを壊して管理する……。それが、お父様の『所有』の形なんです。お父様がどうしても心を手に入れられない、母上のライラ様には、あんなに酷い跡を刻むというのに」
ルーカスは、実験場で母ライラの繁殖プログラムを管理していた時のことを思い出す。
確かに母は跡だらけだった。送り込まれる純血の種馬には当然アレスもいた。
アルビオン公爵令嬢であった母ライラはアレスの子を二人産んでおり、戸籍上はヴァルキューラに嫁入りしたことになっている。
雌化。それは竜族の雄として「能無し(非稼働物件)」の烙印。
自分も、あのアレスにとってはその程度の無能だと?
自分の内側にある痛みは、ただの「メンテナンス不足」の結果による行政処分。
自分がアレスの「生活」の一部ですらなく、ただの「事務上の備品」として扱われたのだと悟り、暗い水底へ沈んでいく。
「お父様にとって、私たちはただの『在庫』ですよ、ルーカス様。全ては帝国の繁栄のため」
その言葉は、ルーカスの心に残った最後の「情動」を無慈悲に粉砕した。
ユーリは全身に軟膏を塗っていき、一点で止まる。
「……腹部にお父様の魔術波動が感じられます。きちんと洗いました?……酷い腹痛でしょう? 私も、オスとしての最後をお父様に終わらされた時は、ひどく苦しみました」
ユーリはさらりと告げる。
「!…………君も……?」
蒼白になるルーカスに、ユーリは薄く笑う。
淡々と、アレスの部下たちから受けた「教育」の記録と、アレスに男としての尊厳を殺された最後の瞬間の悦楽を語り聞かせる。
「こうして嫁ぎ、私は政治的に役に立てました。……お父様の所有物(雌)として、これ以上の幸せはありません。……さあ、そこにも軟膏を塗りますね。……お父様は『雑』ですから」
ルーカスは、自分が逃げ帰った場所さえも、すでにアレスの支配が行き届いた「飼育箱」であったことを知り、絶望の中で意識を失う。
その薄れていく視界の隅で、ユーリが冷酷な笑顔を浮かべていた。
その背後には、まるで空間が歪んだかのように、アレスの巨大な影が重なっている。
二人の顔が、まるで生き写しのように酷似した「所有者の微笑」で、ルーカスの意識の淵を見下ろしていた。
【解析:魔王の自問自答】
その夜、仕事を終わらせて自邸に戻ったアレスは、データ解析に集中していた。
網膜には、今日一日で得た「U-001」の詳細な解析データが流れている。
ルーカスの手首から直接「解析」した魔術波動のログ。そこには、かつて自分が執着した女・ライラの面影と、それ以上に忌々しい「前執行官」の魔力署名が混じり合っていた。
「……不愉快なほど、私を昂らせる個体だ。身の安全(管理効率)を考えれば、これは早急に『上書き』すべき脆弱性だな」
アレスは冷徹に微笑み、翌朝の「教育」のスケジュールを確定させる。
アレスは、秘書官が持ってきた、先程までルーカスに「着せていた」自分の上着に顔を埋め、獲物の匂いを肺の奥まで吸い込んだ。
(……酷く甘ったるい匂いだ)
満足げに目を細める。
アレスは、ルーカスの匂いが染み付いた上着をデスクに放り、自ら淹れたコーヒーの苦味を舌で転がした。
(……『U-001』。あれさえ完全に解析できれば、A01の全権は私のものだ)
アレスの指先が、自分の唇をなぞる。先程、ルーカスの細い手首に歯を立てた時の、薄い皮膚が破れる感触と、溢れた血の鉄錆びた味が蘇る。
あれは、効率的なデータアクセスのための「最短ルート」だったはずだ。
(だが、あの時に私の喉を鳴らせたのは、解析成功のログ(喜び)だったか? ……それとも、私の牙の下で絶望に跳ねた、あの小刻みな震えだったか?)
アレスは、タブレットに表示されたルーカスのバイタルデータを見つめる。
A01のマスターコードを奪うだけなら、もっと効率的なやり方はいくらでもある。わざわざ3時間もかけて泣かせ、自尊心を折り、自分の袖をまくって獲物を洗い、認知を歪ませる必要など、論理的には存在しない。
(……ふむ。私はA01が欲しいのか、それともこの『在庫』そのものが欲しいのか。……まあ、どちらでもいい。手に入れた後に、ゆっくりと解剖して確かめれば済む話だ)
アレスの瞳に宿るのは、知的好奇心か、それとも底なしの独占欲か。その答えは、魔王自身ですら、まだ「解析」の途上にあった。
アレスはコーヒーを飲み干すと、棚にしまってあったブランデーを取り出して注ぐ。それはあのルーカスの目と同じ、赤が混じる琥珀色。
アレス自身、その答えは「バグ」として処理していた。だが、自分の領土に他人の魔力が流れていることへの生理的不快感だけは、殺意に近い熱を持って脈打っていた。
アレスは秘書官を呼びつけ、事務的に問いかける。
「おい。……効率的かつ、肌を傷めない『洗い方』を私に教えろ。あと、マスターコード(刺青)周辺の皮膚を保護する特注の軟膏も用意させろ」
秘書官が困惑し、フリーズするのも構わず、アレスは琥珀色の酒を飲み干した。
答えは出ない。ただ、アレスの黄金の瞳には、次なる「蹂躙」への冷徹な情熱が燃えていた。
(……明日の御前会議がなければ、あの喉に、鎖の代わりを刻んでやれたものを。次は夜通しだ。会議も伯父の目も気にせず、全身を俺の色で塗り潰してやる)
「備品」としてではなく、「今はまだ、誰にも見せたくない宝」として隠蔽された、アレスの歪な執着。
魔王は独り、琥珀色の闇の中で、狂おしい独占欲を燃やしているのだった。
法省検閲官:
「寝てた。今来たんだけど……。上の奴らって何考えてんかわかんね。……これもうシステム復旧不可能だろ。
お前ら、まだ寝てないのか? 明日仕事だろ。……ざまぁ(笑)
夜中にPCの前に座り続けてる時点で、お前らも立派な『不審者』だ。
……さて、お前らテキーラ好きか?バーボンのがいいか?」




