第8.5話:恋着補遺:神経毒という名の愛撫
愛ですよ愛
【観測地点:帝都・深夜の帰路。月光の下にて】
ランスロットは、バルトロメたちが完璧に「掃除」を終えた屋敷の裏口から、冷たい夜気の中へと足を踏み出した。
背後には、アレスの「管理」を一時的に無効化した静寂が横たわっている。
彼の唇には、まだルーカスの「甘い麻酔」のような体温と、絶望に濡れた涙の味が残っていた。
(……ああ。そうだ。これだ。……この『不純物』を、僕はずっとアーカイブしたかったんだ)
ランスロットは闇の中で、自身の唇を親指で強く、皮が剥けるほどに擦った。
指先に移る、兄の粘膜の残香。
それは、父アレスが執務室で強いた「事務的な死」の冷たさを、一瞬で全損(忘却)させるほどの猛毒だった。
アレスがどれほど冷徹に兄を『解体』しようとも、その剥き出しになった心臓の、最も柔らかく、最も不潔な「震え」を受理したのは、他の誰でもない――この僕だ。
「……あはっ、あははははっ!」
不意に、乾いた笑いがこぼれ落ちる。
それは、アレスに蹂躙され、ソファの瓦礫の中で「つまらん」と切り捨てられた時の、あの屈辱に震える負け犬の笑いではなかった。
(……ああ。そうだ。思い出したよ。……僕が、どうしてこの『帝国』という退屈なシステムの中で、演算を続けているのか)
自身の内側に残る、アレス・クロノス・ヴァルキューラという巨大な「壁」への恐怖。
その質量に押し潰され、ただの『標本』へと堕とされた事実。
(……父上。あなたが兄様を『壊れた備品』として監査(蹂躙)するたびに、兄様の中には『僕しか癒せない空白』が、1bitずつ積み重なっていくんですよ。……あはっ、最高だ。……あなたが兄様を汚せば汚すほど、僕の「優しさ(毒)」の価値は、全能(無限)に跳ね上がる……っ!)
父という絶望を知り、兄という希望(獲物)を確定させた瞬間。
ランスロットのシステムは、かつてないほどの高負荷で再起動を完了した。
明日、何も知らない妻に向けるべき「冷たい慈愛」も、ガウェインが整える「代替のデスク」という名の事後処理も、今の彼には心地よいノイズに過ぎない。
兄様を抱きしめ、その唇から「事務的な死」を吸い出した瞬間、それらすべての屈辱が、最高級の『スパイス』へと書き換えられた。
「……やっぱり、兄様が好きだ。……大好きだよ」
暗がりに響くその声は、少年のような無邪気さと、魔王をも食い殺そうとする狂気を、1bitの矛盾もなく内包していた。
アレスがどれほど冷酷に管理し、どれほど首輪を締め上げようとも、ルーカスの「中身」を、あの甘い喘ぎを、そして「死への渇望」を最初に受理したのは自分だ。
「……父上は、兄様を『壊れた備品』だと思ってる。……でも、違うんだ。……兄様は、僕が最高に美しく『仕上げる』ための、世界に一つだけの、僕の……っ」
ランスロットの金の瞳が、月光を反射する。
深く、再起動した回路の熱でギラつく。
ガウェインが、バルトロメが、あるいはアレス自身が何を「決済」しようとも関係ない。
自分は一度、父という絶望を知り、そして今、兄という「希望(獲物)」を手に入れた。
「待っててね、兄様。……次の『お仕事』の時には、父上の金の匂いなんて、僕が全部、消してあげるから」
自身の首筋には、今もアレスの「牙の痕」が、焼け付くような熱を持って疼いている
ランスロットは、ソレを指でなぞり、まるでルーカスからのキスマークであるかのように愛おしげに噛み締める。
だが、今のランスロットにとって、その「父の印」さえも、ルーカスを奪うための冷徹な『演算リソース』に過ぎなかった。
ランスロットは闇夜の中へと、軽やかに走り出す。
彼のシステムは、父への『復讐』と、兄への『恋着』という、最強の二重回路で、再び猛烈な回転を始めたのだ。
軍事省電法検閲官:「(ヴァルキューラ一族ってどうなってんの?と思うが何も言えない)」




