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第8話:個体再編:初期化および洗浄プロセス

重要文化財に値段つけるのって難しいですよね

「ざまぁ」とか「追放」って流行りですよね

うん

【軍事省最深部・閣下の執務室にて】


重厚な黒檀のデスクの上には、電法省が解体され、軍事省へと組み込まれていく過程を記した、数分おきに更新される「連戦連勝の報告書」が積み上がっている。

アレス・クロノス・ヴァルキューラは、その完璧すぎる戦果に目を通し、不機嫌そうに眉根を寄せた。


「……気に食わんな」

黄金の瞳が、報告書に記された『個体U-001:再編プロセス順調』の文字を射抜く。

あまりにも論理的。あまりにも迅速。

ルーカス・エルミタージュ・エルミタージュという高潔な盾が、自分の手の中で「部品」へと成り下がっていくその速度の『速さ』が、魔王の独占欲を苛立たせていた。


「私の許可なく、これほどまでに『全損』を急がせているのはどこのどいつだ」


「……お呼びですか、父上」

音もなく扉が開く。

そこに立っていたのは、軍事省の制服を完璧に着崩し、指先で楽しげにルーカスの「電法省時代のIDタグ」を弄んでいる長男、ランスロット・グラディウス・ヴァルキューラだった。


アレスの視線が、鋭い刃となって息子を貫く。


「ランスロット。電法省の『資産整理』を主導しているのはお前か」


「ふふ……。あはははは! さすがは父上、お耳が早い。兄上のあんなに美しい演算能力を、ただ眠らせておくのは国家の損失だと思いまして。僕の権限で、少しばかり『最適化』を施している最中です」

ランスロットは優雅な足取りでデスクに歩み寄ると、父が忌々しそうに眺めていた報告書の上から、自らが作成した「追加の実施細則」を重ねて置いた。


「『最適化』だと?」


「ええ。父上が壊し、僕が組み直す。完璧なサイクルだと思いませんか?」

ランスロットは身を乗り出し、父の黄金の瞳を真っ向から見つめ返した。その唇が、獲物を見つけた蛇のように、卑俗な愉悦に歪む。


「父上。独り占めは良くありませんよ。……僕にも、その兄上を少しだけ『味見』させてください」

アレスの周囲の空気が、絶対零度まで凍りつく。


「味見だと? ……ルーカスは私の所有物だ。貴様に分ける道理はない」


「分かっています。ですから、僕が欲しいのは『所有権』ではなく『使用権』です。父上の許可が下りるまでの間……その、琥珀色に焼かれた兄上の神経系が、僕の指先ひとつでどんな『音』を奏でるのか。それを、隣で観測したいだけなんですから」

ランスロットは、父の不機嫌な沈黙を「承諾」と勝手に解釈し、満足げに目を細めた。


「……安心してください。壊しはしません。父上のために、もっと惨めに、もっと美しく……僕の鎖で、兄上を『仕上げて』差し上げますから。……ね?」


[アレス公爵がアーカイブしました]


【ルーカスの屋敷:かつての「聖域」だった書斎にて】

あの文具店での「市場調査」の後、アレスは一言も発さぬまま、ルーカスをこの黄金の檻(屋敷)へと放り込んだ。

車中でアレスが放っていた、あの「自分の所有物に泥を塗られた」ような、冷徹で暴力的な不機嫌。

その残香が、今もルーカスの肌を震わせている。


始まったのは、「自宅待機」という名の、あまりに静謐な【尊厳の公開解体】だった。

かつては帝国全土の電法を司る命令が飛び交った書斎。

そこに今、次々と運び込まれてくるのは、かつての部下たちの罷免通知と、電法省の機能を一つずつ削ぎ落としていく「全損決済書類」の山。


「……っ……」

ルーカスの指先が、文具店でアレスに「買い与えられた」数十万マナの万年筆を、呪物のように握りしめる。

その重みは、今や彼が葬るべき部下たちの人生の重みそのものだった。


「……受理、します」

一枚。また一枚。

自らの半身であった組織が「無」に帰していく証拠に、ルーカスは震える手で署名を刻み続ける。

それはもはや「仕事」などではない。アレスという神が強いた、【自らの墓穴を、自らの最高級の筆で掘らされる】という、極限の屈辱。


運び込まれる書類は止まらず,作業は月が出るまで続いた。


だが、その時。


カタン、と。

アレスが強いた監視の目を潜り抜けるように、書斎の窓を叩く、不敵な、聞き覚えのあるリズム。

ルーカスが弾かれたように顔を上げると、そこには――。

窓枠に腰掛け、月光を背に受けて不敵に笑う、ランスロットの姿があった。


「あはっ! 兄様、精が出ますね。……まだ、自分の死骸を数えてるんですか?」

ランスロットは、アレスが敷いた「監視網」という論理の穴を嘲笑うかのように、音もなく絨毯の上へと降り立つ。

その瞳は、昼間の文具店よりもさらに深く、青い「簒奪」の炎を宿していた。


「ランスロット……さま、なぜ、ここに……っ、閣下が、監視を……」


「父上の監視? ああ、あの古臭い『旧型バグ(兵士たち)』なら、今頃バルトロメたちが、いわゆる一つの、『お掃除』をしてくれてますよ。……それより、兄様」

ランスロットが、ルーカスの背後から、彼を抱きしめるように机に手をつく。

数十万マナの万年筆が、ランスロットの冷たい指先に触れ、カチリと音を立てた。


「父上のペンで、自分の過去を消していく気分はどうですか? ……ねえ、そんなに震えて。せっかく署名した『死のリスト』が、兄様の涙で滲んじゃってますよ?」

ランスロットの唇が、ルーカスの耳元に寄る。

文具店で刻まれた「汚れ」の記憶が、再び熱い電気信号となってルーカスの演算体を焼き切ろうとする。


「……兄様。父上の『管理』は、あまりに退屈で、あまりに遅い。……僕なら、そんな書類ゴミなんて、全部まとめて、兄様の目の前で焼いてあげます。……その代わりに」

ランスロットの大きな手が、ルーカスが署名したばかりの「死の書類」を乱暴に払いのける。

そして、空いた机の上の空間へ、ルーカスの震える体を、抗えぬ力で押し上げた。


「――この『空白』には、僕が新しい、消えない刻印アーカイブを上書きしてあげます。……いいでしょう、兄様?」

アレスが強いた「事務的な死」の時間を、ランスロットが「個の情動」という暴力で粉砕していく。

ルーカスは、アレスの冷徹な支配と、弟の侵食する熱の間で、もはや自分の名前さえも思い出せないほどの絶望へと、深く、深く沈み込んでいった。


ランスロットの腕は、逃亡を許さぬ鉄の檻のようにルーカスを拘束した。

背中を軋ませるほどの強引な抱擁。……当然、次にくるのはアレスが強いるような、口腔を蹂躙し、呼吸を奪い、所有権を刻み込むための暴風雨だ。ルーカスは反射的に歯を食いしばり、痛みに備えて目を閉じた。


しかし。


「――っ!?」

触れたのは、羽毛が触れるような、淡く、甘やかな熱だった。

啄むように、唇の端から端を、慈しむようにゆっくりとなぞっていく口付け。

それはアレスの「略奪」とは対照的な、相手の反応を一つ一つ丁寧に「受理」していくような、あまりに不潔なまでの優しさ。


「……っ、ふ……あ……」

防壁を築くための「痛み」がどこにもない。

それどころか、ランスロットの唇が触れるたび、アレスにズタズタにされた粘膜が、まるで甘い麻酔を流し込まれたかのように痺れていく。

アレスの暴力が「外傷」なら、ランスロットの優しさは「神経毒」だった。


「ねえ、兄様。……そんなに強張らなくても、僕は『痛いこと』なんてしませんよ」

耳元で囁かれる、甘露のような声。

アレスの金眼が強いる「管理」の重圧から解き放たれ、ただ一人の「弟」として与えられる親愛。

その嘘のような甘さに、ルーカスの演算体(脳)は致命的なエラーを吐き出す。


(おかしい、こんなの、ありえない……。この子は、私を殺そうとしたはずだ……っ)

論理が「拒絶」を叫んでも、感覚拡張された皮膚はランスロットの「青い熱」を至高の安らぎとして受容してしまう。

啄まれるたびに、ルーカスの喉からは、かつて執行官だった頃のプライドなど微塵も感じられない、幼い子供のような、情けないほど甘い喘ぎが漏れ出した。


「……あ、っ……ふ……ら、んす……さま……っ」


優しすぎる。


優しすぎて、自分が今、アレスに与えられた「事務的な死」の真っ最中であることさえ、思考の彼方へと溶けていく。

ランスロットの唇が、ルーカスの震える唇を優しく割り、その隙間に、ただ「存在を確認する」ためだけの、滑らかな舌が迷い込む。


それは、蹂躙ではない。


ルーカスという「壊れた個体」を、隅々まで愛おしむように検分する、最も残酷な【精神の再ダウンロード】だった。


「……っ、ふ……あ……」

甘い甘い口付け。

アレスの暴風雨を知るルーカスにとって、そのあまりの「優しさ」は、防壁を築くことさえ許さない猛毒だった。

意識がその甘露に溶かされ、演算体(脳)が「拒絶」を忘れてフリーズした、その時。


【ランスロット侯爵がアーカイブしました。彼のコレクションで公開されます】


弟は去り、何事もなかったかのように部屋には静寂が訪れた。

部屋にはランスロットの「硝煙」が未だ漂っている。


一番恐ろしいのは、アレスの暴力ではなく、今、去っていった弟の「優しさ」を脳が求めてしまっているという、取り返しのつかないバグの受理だった。



【軍事省・最高幹部会議室にて】


「――それでは、本日の主要案件に移る。旧時代の一代公爵、エルミタージュが遺した『認証資産』の再編についてだ」

重厚な会議室。各省の要人が並ぶ中、ルーカスはアレスの隣、一段低い「指定席」に座らされていた。

かつては彼らと対等に、あるいはそれ以上の権限を持って言葉を交わしていたはずの場所で。

今日は何の薬も飲んでいない。

感覚は鋭すぎるほどに冴え渡り、ルーカスは自分がどんな目でみられているかは嫌なほど痛感していた。


『認証資産』。

それは、彼が心血を注いで構築した電法省の全データ、そして――その「マスターキー」である、ルーカス・エルミタージュ・エルミタージュという個体そのものを指す事務用語だ。


要人たちの視線が、彼の「認証」の要である――髪の隙間から覗く、金色紋(アレスの刻印)を施された『角』へと注がれる。

かつての彼の気高さの象徴であったその器官は、今や魔王による「所有権の証明」として、その身を汚すように鈍く光を放っていた。


そこには、自分たちを支配していた男が、今は魔王の隣で喉元を晒しているという、卑俗な愉悦が渦巻いていた。


ルーカスは、その粘ついた視線に晒されながらも、背筋だけは崩すまいと必死に指を組む。

だが、薬による麻痺がない今の彼の脳は、周囲から発せられる「[検閲済]で事務的な害意」を、余すことなく受信し、神経の奥底をじりじりと焼かれ続けていた。


「…………個体U-001、その資料の数字が違っているぞ。読み上げてみろ。そんな簡単な演算もできなくなったのか。……『再調整』が必要だな」

アレスが資料から目を離さぬまま、隣で震えるルーカスの角を、無造作に、しかし力任せに掴み上げた。


「っ……、あ……!?」

無理やり仰け反らされた首筋が、会議室の冷たい空気と、居並ぶ閣僚たちの視線に曝される。

かつてその手首に深く刻まれた牙の痕が、いま角の根元に走る激痛と共鳴するように熱く疼いた。


「閣下……会議の……最中、です……っ」


「だからこそ、だ。ノイズを撒き散らすなと言ったはずだ」

アレスは低い声で告げると、そのまま躊躇なく、ルーカスの白磁のような角の根元へ、竜族の鋭い牙を深く立てた。


「───ッ!!!!」

声にならない悲鳴が喉の奥で爆ぜる。

薬による「保護膜」がない今のルーカスにとって、その一撃は、神経系に直接流し込まれる猛毒の雷鳴と同じだった。

角の芯を通じて、アレスの荒れ狂う魔力が、ルーカスの脆弱な演算領域(脳)へと無理やり「書き込み」を開始する。


ルーカスの角に浮かぶ金色紋は、ただの魔力のオーバーロードではなかった。

本来であれば、アレスが牙を立てたところで、ルーカスの防衛本能が起動し、相手を拒絶するはずだ。

だが、アレスが流し込んだ「再調整時の小口決済」という名の毒が、角に深く彫られた刻印が、魔力の侵透と強制的なハッキングを可能にしていた。

高潔な公爵の象徴だった角が、蹂躙により淫らに、熱く明滅する。


「ひ、ぐ……ぁ、……あぁッ!!」

それは彼が「中身」までアレスの色に染め上げられているという、逃げ場のない視覚的証明だった。


「閣下。真面目に会議を進行してください。調整は休憩時間にお願いします。そのように個人的な性癖を公務に持ち込まれては、時間のロスです」

声を上げたのは、ガウェインだった。彼は眉一つ動かさず、時計を一瞥する。

ルーカスの喉から漏れる震えも、屈辱に濡れた瞳も、彼にとっては「業務を停滞させる障害」でしかない。


「ふん」

アレスは口を離すと、不満そうにガウェインを睨んだ。


「U-001。閣下を止められないのは君の管理不足だ。速やかに金色紋を収め、第三四半期の予算案の続きを読みなさい。……次は、三二ページの兵站資源の項目だ」


「……は、ぃ……っ。だ、だい……さん……はん、き……っ」

熱い吐息を漏らし、泣きそうな顔で、震える指先で書類を追うルーカスは、椅子から崩れ落ちそうだった。

角から流れ込むアレスの残滓(魔力)が、脳の深部でまだチリチリと「[検閲済]のバグ」を撒き散らしているというのに。

彼はそれを必死に理性の檻に閉じ込め、軍事省の「部品」として機能し続けなければならなかった。


読み上げる速度が、先ほどより随分と落ちているようですが?」

アリアンは、自分の角を抑えて震える周囲の補助執行官たちを横目に、肩を揺らして笑う。


「見苦しいなぁ、ルーカス。そんな汚い色で紋を明滅させて。高位竜種の自覚があるなら、せめて舌を噛んで死んだらどうだ? ……ああ、閣下がそれを許さないんだったな」

となりで困ったような顔で見ていたのはランスロットだ。

南方戦線で最高位の勲章を授かったばかりの英雄、上級兵站総監、ランスロット・グラディウス・ヴァルキューラ。完璧な、ルーカスの異父弟。


「……兄さん。そんなに顔を赤くして、どうしたんです? 閣下のご丁寧な『手入れ』が、そんなに脳に響いているのですか」

ランスロットが、そこだけ親しげに、しかし最も残酷な優しさで「兄」と呼ぶ。

隣では上級精神衛生監査役のアリアン・セレネ・アルビオンが、ルーカスの情動データを検閲するように瞳を細めて笑った。


「全くだ。我ら純血からすれば、そんな雑種にわざわざ秘術を逆用してまで『マーク』を刻むなど、時間の無駄だというのに。……ねぇ、ルーカス? 脳を[検閲済]のがそんなに気持ちいいのか? 会議の真っ最中に、なんて汚い色で光ってやがる」

最高位の「白鱗の監視者」たちに囲まれ、事務的に人格を解体されていく公爵。

ルーカスは、脳内を駆け巡る強制的な[検閲済]のパルスに翻弄されながら、ただボロボロと涙を零し、命令されるがままに「続き」を読み上げるしかなかった。


視界は涙と「再調整」の残光で歪み、自分が今、国家の予算案を読んでいるのか、それとも自分の「存在価値の喪失届」を読んでいるのかさえ、判別できなくなっていた。


アリアンの嘲笑が耳元で響くが、ルーカスにはもう、反論する言葉も、拒絶する指先も動かせない。

角から直接叩き込まれる強烈な[検閲済]のパルスが、彼の理性を「不適格なデータ」としてパージし続け、その[検閲済]は、恐怖と屈辱に反して、無慈悲なまでの反応を晒していた。


「……っ、ぐ、あぁ……ッ!!」

会議室の冷たい石床に、ルーカスの膝が折れる。


「ガウェイン、不具合の調整過程をアーカイブしとけ」

アレスの、事務連絡のような平坦な声が響く。


「承知いたしました、閣下。――これより個体識別番号001、ルーカス・エルミタージュ・エルミタージュの魔力回路再調整に関する実効性の検証を記録します」

ガウェインの声には、一滴の同情も混じっていない。彼は淡々とタブレットを立ち上げ、ルーカスの背中で激しく明滅し、肌を焼き、文字通り「暴発」している金色紋の周波数を数値化していく。


「……汚らわしい。閣下も悪趣味だな」

アリアンが扇で顔の半分を隠し、心底不快そうに視線を逸らした。


「記録なんて、そんな不潔なもの視覚データに残したくない。調整が終わったら、その部屋ごと消毒しとけよ」

拒絶。存在そのものの否定。

それが今のルーカスにとっては、救いではなく、己が「欠陥品」であることを突きつける刃になる。

対照的に、ランスロットはうっすらと笑っている。


「記録って大事ですよねぇ、閣下。……後で見返そう。優秀な兄さんのその、必死に『公務』を全うしようとして、中をかき回されて声が漏れちゃうところ、じっくり『復習』の材料にさせていただきますから。ね、兄さん?」


「ら、んす……ろっ、やめ……あ、ぎ、ぃいい……っ!!」

ツノから、体の中から、「強制的受理」が脳を焼く。

自身の尊厳が、アリアンに「ゴミ」として掃き出され、ランスロットに「[検閲済]」として期待され、そしてガウェインによって「公式な記録アーカイブ」として、永久に保存されていく。

逃げ場はない。


二人の従兄弟による、波状攻撃のような嘲笑。

ルーカスは、[検閲済]の残滓と、身内から浴びせられる純粋な「拒絶」の間で、ただボロボロと涙を零すしかない。

この伏魔殿において、ルーカスの苦痛は、組織を円滑に回すための「ただの必要経費」として処理されていった。


「……出力、安定。金色紋の定着を確認。アーカイブを保存します」

ガウェインの無機質な指先が、送信ボタンを押した。

端末から発せられた短い電子音は、ルーカス・エルミタージュという一人の男の「公職としての死」が、データとして受理された瞬間を告げる弔鐘だった。


「……う、あ……っ、ぁ……」

石床に突っ伏したまま、ルーカスは掠れた声を漏らす。

かつては彼が守り、彼を形作っていたはずの「行政システム」が、今は彼を「物」として完全に定義し、逃げ場のない「檻」の中に閉じ込めてしまったのだ。


「どうした、U-001。続きを読め。君が自分の手で、この省を終わらせるんだ」

アレスが、満足げにルーカスの首筋に手を置いた。その大きな掌の熱が、噛みつかれた角の痛みと共に、ルーカスの全身に「主従」の境界線を刻み込んでいく。


「……はい。……電法省の……全権限を、……軍事省へと、……委託……受理します」

自らの唇を噛み切り、滲んだ血の味を喉に流し込みながら、ルーカスは最後の一文を読み上げた。

一文字、一文字を吐き出すたびに、彼自身のアイデンティティが削り取られ、ただの「空洞」へと変わっていく。

アレスが立ち上がり、ルーカスの首輪に繋がれたリードを短く巻き取る。


「これで電法省は消滅した。諸君、見ておけ。これが、私に楯突き、非効率を愛した者の末路だ」

襟元を寛げられ、大勢の前で「軍事省」の刻印――金色紋が刻まれた角と、首筋の「共有財産」の印――を露わにされたルーカスは、もう顔を隠そうともしなかった。

虚ろな琥珀色の瞳は、ただ一点、無機質な床だけを見つめている。


「お疲れ様、ルーカス。これで君は、ようやく『肩の荷』を下ろせる」

アレスは冷徹にホログラムを投影した。そこには、『エルミタージュ公爵家』の全資産リストが、まるで「処分品の一覧表」のように整然と並んでいた。


遊戯場Ω――。今は母ライラの私欲を満たすための、父のクローンとの幸せな夫婦生活を続け、帝国から送られる純血の種馬の子を産み出し続ける「繁殖場」と成り果てた故郷。


そんな冒涜的な現実を想う暇もなく、ルーカスの眼前には「手に負えない価値」が暴力的に並べられていく。

アレスもランスロットも忌み嫌うライラにとって、この「資産リスト」に並ぶ恒星エンジンも独占開発権も、最愛の男(の複製)を養い、閉じ込めておくための「餌」でしかない。

そんな狂った家庭環境の中で、唯一「公爵」としての誇りを守ろうとしていたルーカスの努力は、今、魔王アレスの手によって「非効率」の一言でゴミ箱へ放られた。


「第零世代・天界演算用恒星エンジンの全権利」。

次元を超えた換金不能の遺物。その維持費だけで電法省が破綻すると、ルーカスが青ざめながら守り続けてきた呪物。


「未踏領域・座標データ第1層〜第99層の独占開発権」。

今やA01のスペアパーツを買うための担保として帝国銀行が抑えている、触れることすら許されない利権。


そのほか多数。

どれもルーカスが扱いかねたものばかり。

換金しやすい貴金属類はとっくの昔にA01のパーツ代に成り果てている。


「これだけの資産がありながら、君は胃を壊していた。実に非効率だ」

だが、財テクに長けた魔王アレスにとっては、それはただの「宝の山」でしかなかった。


「……エルミタージュの財産管理権も、本日付で私のサイン一つで動かせるようにした。調査チームも軍事省から出す。君はもう、財布の心配もしなくていいんだよ」


「……あ」

目の前が真っ白になる。

「公爵」としての唯一の根拠であった経済的自由までもが、アレスの掌に収まった。

彼を縛っていた「責任」という名の重荷は取り除かれたが、同時に彼を人間として繋ぎ止めていた「権利」もすべて消滅した。


「安心しろ、ルーカス。君の『公爵』という爵位だけは、剥奪せずに残してやる」

アリアンが冷たく告げる。扇の向こうで、嘲笑が形を成した。


「君の遺産を誰が継承するか、五大公爵家の間でまだ調整がつかないだけだ。だからそれまでの間、君はその『空っぽの看板』を背負い続けろ。……実権も、財産権も、移動の自由もない。ただの『飾りの公爵』としてな」


アレスが、絶望に沈むルーカスの顎を持ち上げた。


「感心したよ、ルーカス。君が事前に情報を完璧に仕分け、フローを整えておいてくれたおかげで、電法省がなくなっても全く混乱はなさそうだ。君の有能さが、君自身の居場所を消す手助けをしたんだよ」

アレスの言葉は、褒め言葉の形をした呪いだった。


「……ですが、」

ルーカスは、もはや自分の「有能さ」しか縋るものがないかのように、アレスの軍服に指をかけた。


「何か……何か、仕事をさせてください。私は、仕事をしていなければ……ゴミになりたくない。消えてしまう……」

自分を「在庫」と呼び、「玩具」と言う男に、仕事を乞う。

その歪んだ社畜根性に、アレスは愉悦を隠さずに笑った。


「いいだろう。本日付で、君を『軍事省・電法関連執行官』に任命する。……ただし、直属だ。私の執務室から一歩も出ず、私の許可した時にだけ息をしろ」


「執行官……。はい、……受理します」

安堵と共に、自分から差し出した首にさらに太い鎖が巻き付いた。

アレスが笑いながら彼の髪を撫でる。


「まずは、君が読み上げたその解体書類の『署名』からだ。エルミタージュ公爵としての、最後の公務だ。……自筆で書け。君という存在を、私の手の中にアーカイブする、その署名をな」

ルーカスは震える手で、かつての部下たちの嘲笑が渦巻く中、自分の人生をアレスに「受理」させるためのペンを取った。

ペン先が紙を削る音は、彼という人間が「軍事省の所有物」という名のデータへと変換される、最後の上書き音だった。



軍事省電法検閲官:「(徹夜明けでスヤスヤ寝落ちている)」

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