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黎命詩―異世界勇者は、名を取り戻す旅に出る―  作者: NaoMizuno
第一章 命ノ樹の詩

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第四話 森鳴りの木霊

 森は沈黙していた。

 風が止まり、鳥の影すら見えない。

 それは、森そのものが息をひそめているような静けさだった。


 ひかりはを止め、そっとてのひらを広げた。

 肌にまとわりつく空気――いや、“気”の流れが重い。

 五行の理がねじれ、命の循環がとどこおっている。


「……理が、苦しんでる」


 腰の木刀〈樹〉を抜き、刃先を下に向ける。

 大地に足を沈めるようにして、森の気を探った。

 地脈の鼓動が乱れている。根の奥で、理が軋むように悲鳴を上げていた。


 その時、幹の奥から低いうなり声が響く。

 枯れ木が軋み、枝が蠢く。

 ひび割れた樹皮の間から、どす黒い気が溢れ出し――それは目を持った。


 赤く濁った瞳。

 怨嗟と苦痛を宿したそれが、ひかりを睨みつける。


 木霊こだま――木の理を失い、気だけが暴走した存在。

 かつては森を守るはずの精霊だったもの。

 理の歪みが深まれば、命はその形を保てなくなる。


 木霊が咆哮ほうこうし、根を鞭のように振り下ろす。

 ひかりは地を蹴り、跳び退く。

 轟音とともに地面が裂け、木屑きくずが雨のように降り注いだ。


(気ばかりが暴れて、理がない……。

 だから形を保てないんだ)


 木霊の枝が、理を喰うように空を裂く。

 周囲の木々がうめくように葉を震わせる。

 風は止まり、空気が詰まる。


「……木の理が泣いてる」 


 ひかりは静かに構え直した。

 呼吸を整え、胸の奥に意識を沈める。

 結界の中では教わらなかった、“森そのもの”の声が聞こえていた。


「理は道、気は流れ……ならば、道を正せば流れも戻る」


 気を刃へ通し、白い光をまとう。

 金の理――だんの力。

 乱れを断ち、歪みを切り離す理。


「――《白鋒はくほう》!」


 一閃。

 木刀の軌跡が白光を放ち、木霊の枝を斬り裂く。

 空気が震え、音が遅れて追いつく。


 その瞬間、暴走する気の流れが一度止まった。

 だが――すぐに再生が始まる。

 断たれた根がうねり、肉のように蠢いて再び形を取り戻す。


 森全体が悲鳴を上げるように軋んだ。

 木々が倒れ、葉が裂け、腐葉土から黒い靄が噴き出す。


「理を断つだけじゃ、足りない……。

 この森の気を、落ち着かせなきゃ」


 その時、頭の奥に声が蘇る。


“理は抑えるな。流せ。”


 ナナシの声。

 風の理の男――あの時、森の風が彼と一緒に笑っていたことを思い出す。


 ひかりは木刀を逆手に持ち、大地に突き立てた。

 深く息を吸い、目を閉じる。

 気を刃から、地へと流す。


「――《地鎧ちがい》」


 低い震動が走る。

 木刀の周囲に淡い土色の光が広がり、大地が呼応するように波打つ。

 森の奥から、うねるような響き。


 それは荒れ狂う気の奔流を包み込み、やがて柔らかい流れに変わっていく。

 ひかりの髪が揺れ、土の香が立ち上る。


 金と土。相剋ではなく、相生の循環。

 断って整え、鎮めて戻す。


 光の波紋が幹を包み、木霊の体を静かに溶かしていく。

 その瞳から、紅い光が消えた。

 ただ、安堵のような微笑を浮かべ――崩れ落ちた。


 葉が舞い、風が吹く。

 それは森が“安堵の息”を吐いたようだった。


「……理を正し、気を鎮める。

 それが“地鎧”の本当の役目。」


 ひかりは木刀を引き抜き、ゆっくりと腰に収めた。

 足元の大地からは、穏やかな鼓動が戻ってきている。

 金の理が木の暴走を抑え、土の理がそれを安定させた――

 五行の理が、再び循環を取り戻した証だった。


 彼女の頬を、柔らかな風が撫でる。


「ナナシさん。あなたの“流せ”って言葉……

 きっと、こういうことなんだね」


 木霊が消えた跡に、黒い焦げ痕のようなものが残っている。

 ひかりは膝をつき、指先でそれに触れた。

 瞬間、ぴりっとした痛みと熱が走る。


「……これが、妖の理の残滓ざんし


 気が理を失い、形を求めてもがいた痕跡。

 その歪んだ熱が、まだかすかに震えている。


 ひかりは目を閉じ、指先の痛みをそのまま受け入れた。


「気は力、理は秩序。

 どちらかを欠けば、命はゆがむ。

 だから私は――理を織る。」


 風が応えるように吹き抜けた。

 木々の葉が囁き合い、森が再び“呼吸”を始める。


 土の香、草の匂い、生命のざわめき。

 すべてが、ひかりの胸の奥で一つに繋がっていく。


 彼女の中で、五行がゆっくりと廻り始めた。

 木が生み、火が燃やし、水が潤し、金が断ち、土が支える。

 その理が、ひとつの“詩”のように響き合う。


 ふと、木刀〈樹〉がかすかに震えた。

 ひかりの手の中で、微かな木の声が聞こえる。


――ありがとう……


 それは確かに、森の声だった。


 ひかりは立ち上がり、空を仰ぐ。

 薄い雲の隙間から陽が差し込み、森の奥を金色に照らしていた。

 その光景は、まるで理が祝福を返しているように見えた。


 腰の木刀を軽く叩き、彼女は微笑んだ。


「行こう、〈樹〉」


 その背に、柔らかな風が寄り添う。

 森が見送るように葉を揺らし、遠くで鳥が一声鳴いた。


 ――理が道を示し、気がそれを歩む。

 ひかりの“理を織る”旅が、今、確かに始まった。

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