第二十六話 焔哭の鬼王―護りの炎―⑤
焔ノ峰の狂った熱がようやく静まった頃、
洞窟の奥には本来の“火の息”だけが残っていた。
暴走も、歪みも、影も消え――
ただ暖かな火の気だけがひかりの頬を撫でる。
ひかりは〈地暁〉を握ったままゆっくりと呼吸した。
「……終わった、のかな」
「終わったよ。名を取り戻したサカキは、火種として眠りについた」
沙羅は安堵したように息をつき――
しかしその瞳にはまだ揺れがあった。
ひかりが〈地暁〉を鞘へ納めた瞬間、
沙羅はそっとひかりの腕を掴んだ。
「ひかり……さっきの“言葉”、何だったの?」
「……え?」
「《木》が《土》へ変わる瞬間……
あんな言葉、聞いたことない。
まるで理が呼応しているみたいだった」
ひかりはゆっくりと視線を伏せる。
本当は――あの言葉は“思い出したもの”。
けれど、ひかりはそれをそのまま口にしなかった。
「私にも……よくわからないの。
気づいたら言葉が出てて……
自分でも、どうしてあんなふうに言えたのか……説明できない」
沙羅の表情が揺れる。
「自然に……?」
「うん。考えたわけじゃなくて……気づいたら」
嘘ではない。
本当に“自然”に出たのだ。
ただ、それが“前世の残滓”だということを――
今は沙羅に伝えるべきではない。
沙羅は不安を押し隠すように微笑み、ひかりの手を握った。
「……怖がらないでね。
ひかりが火を救ったのは事実なんだから」
「ありがとう、沙羅」
「火は落ち着いた。私は祠に戻らなきゃ。
国中の火をもう一度導き直さないと」
「……沙羅、一緒には……来られないよね」
沙羅は寂しそうに微笑んだ。
「一緒に行きたいよ。でも……火巫女は国を離れちゃいけないの。
火は泣きやすいからね」
ひかりの胸が締めつけられた。
「ひかり。
あなたの中の“言葉”……今は理解できないけどね。
でも、それが悪いものだとは思わないよ。
あなたの目は、火を救う時すごく優しかったから」
「沙羅……」
ふたりは短く抱きしめ合った。
火の温もりがひかりの心にまで届く。
「ありがとう。ひかり。
西峰国を救ってくれて」
「沙羅も……一緒に戦ってくれてありがとう」
沙羅は焔ノ峰の出口の方へ歩き、
最後にもう一度、ひかりを振り返る。
「また会おうね、ひかり」
「うん、またね」
火が揺れ、風が吹き、
沙羅の影はゆっくりと洞穴の闇に溶けていった。
沙羅が完全に見えなくなると、
ひかりは膝を折り、その場に座り込んだ。
ナナシが岩に腰を下ろし、枯れ草を噛んだ。
「……で。嬢ちゃん、言う気になったか?」
「え……何のこと?」
「誤魔化すなよ。
さっき《木》を《土》に変える時に使った“言葉”だ。
あれは自然に出たんじゃねぇ。
何か“知ってる奴”の言い方だ」
ひかりの胸が強く脈打つ。
沙羅には言えなかったこと――
ナナシには、言える気がした。
いや、言わなければならないと思った。
「……ナナシさん。
私……少しだけ、思い出したの」
「ほう?」
「この世界の言葉じゃない、
理を扱うための“言葉”。
それを紡げば、理が動く……
その方法を、私は――知ってた」
「……やっぱりか」
ナナシの声は低く、しかし怒りではなかった。
むしろ、腹の底から湧いてきた納得のような色があった。
「名前は……『詠唱』っていうらしい」
「詠唱……呪言とも違ぇな」
「それと……
世界に溢れている大きな気の流れ。
この世界の“理の気”とは違う……
名前のある気。
……『マナ』」
ナナシの目が細くなる。
「続けろ」
「それから……
私が持ってた武器。
この世界の刀じゃなくて……
両刃の……鋼でできた剣。
形が……ほんの少しだけ浮かんだの」
それを言うと、ひかりは自分の胸元を押さえた。
胸の奥が痛むような、懐かしいような感覚。
「でも……それだけ。
私が誰だったのかも、
どんな世界にいたのかも、
どんな仲間がいたのかも……全部思い出せない。
霧の奥に隠れてて……触れそうで触れない」
ナナシはしばらく黙っていた。
風が通り抜ける音だけが、焔ノ峰に響く。
そして――ナナシはひかりの頭を軽く叩いた。
「いたっ……!
な、なにするの」
「言ったろ。
オレは嬢ちゃんの剣の師で、旅の仲間で……
ついでに見張り役だ」
「見張り役って……」
「半分冗談だよ。
半分な」
ひかりは、思わず笑った。
胸の重さが、ほんの少し軽くなる。
「嬢ちゃんが何者だろうが、関係ねぇよ。
お前は“ひかり”だ。
それで十分だろ」
「ナナシさん……ありがとう」
「礼言う暇があったら、立て。
火の国は片付いた。
次の理が泣いてる」
「……うん」
ひかりは〈地暁〉を腰に戻し、
焔ノ峰の出口を見つめる。
火は静まり返った。
しかし――別の理が、またどこかで悲鳴を上げている。
ひかりの旅は、まだ続く。
お読み頂きありがとうございます。
評価・ブクマ・コメント・レビューを頂けると嬉しく思います。
応援されれば幸せになりやる気が出て、批判されれば面白くしようとやる気が出ます。




