第十四話 出発の朝
夜が明けきる前、空は赤とも金ともつかない薄い色を孕んでいた。
火の国の朝は冷えない。
空気がゆっくりと息を吸い、また吐き出すように、街へ熱が巡っていく。
ひかりは宿の縁側に座り、〈暁葉〉の刃を静かに拭っていた。
朝焼けの光が刃に吸い込まれる。
赤は、血にも、炎にも似ていた。
「嬢ちゃん、早ぇな」
背後からナナシの声が落ちる。
朝だというのに、眠気の気配はない。
いつもどおり、風の匂いをまとった声だった。
「眠れなかった」
「そりゃ、理に手ぇ伸ばした奴の顔だ」
ひかりは、少しだけ笑う。
「ナナシさんは?」
「俺はどこでも寝れる。野宿も石の上も変わらん」
「……すごいね」
「ただ根無し草なだけだ」
ひかりは〈暁葉〉を鞘に納める。
立ち上がり、息をひとつ。
「沙羅、もう来てるかな」
「巫女は朝が早い。火がそういうもんだ」
二人は宿を出て、大通りを歩いた。
夜の灯りは消え、赤い布飾りと屋台の残り香だけが漂っている。
祭りの余韻が、まだ空気に沈んでいた。
神殿の前の石段に、沙羅は立っていた。
昨夜の舞衣ではなく、白と淡い朱を重ねた巫衣。
帯に結ばれた護符が、弱い火を揺らしている。
それは灯りではなく――呼吸だった。
「おはよう」
沙羅は穏やかに微笑む。
「おはよう、沙羅」
「嬢ちゃんも準備はできてるな」
「うん」
沙羅は油紙に包んだ小さな包みを、ひかりとナナシに渡す。
「干し肉と辛い木の実。
山道は風が強いから、体の中から温めて」
「ありがとう」
「こちらこそ。
火に触れようとしてくれること、感謝してる」
神殿の奥から、老巫女たちの祈りの声が低く響く。
それは火を煽るものではなく、火を鎮める律だった。
「沙羅は祈らないの?」
ひかりが尋ねる。
「火の心に向かう者は、祈りすぎてはいけないの」
「どうして?」
「“願い”は火を縛るから。
火は、火であるときが一番強い」
ひかりの胸に、森で“炎織”を結んだ感覚が蘇る。
火は命じるものじゃない。
ただ、寄り添って“結ぶ”もの。
「さて、行くか」
ナナシが肩を回す。
「焔ノ峰までは二日。初日は麓の集落までだ」
「うん。行こう」
三人は歩き出した。
朝日が昇りきる。
光が赤に触れ、街と空が再び炎色に染まる。
その時――
ひかりは足を止めた。
「……火が、震えてる」
その声は小さかったが、確かなものだった。
沙羅が、わずかに目を見開く。
「感じられるんだね……ひかりは」
「ユグラの森で、理に踏み込んだ嬢ちゃんだ。
火だって覚えるさ」
ナナシが言う。
ひかりは自分の胸に手を置いた。
熱がある。
だがそれは燃える熱じゃない。
押し殺された炎が、泣いている熱だった。
「行こう。
火を苦しませてるものを……止めたい」
沙羅は、深く、優しく頷く。
「うん。
火は怒ってなんかいない。
ただ、苦しいだけ。
一緒に助けよう」
三人の影が、朝の道へ伸びる。
風が熱を運び、どこか遠くで火山が、息を詰めていた。
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