第十二話 光と風の旅路
森を出てすぐ、世界は一気に明るくなった。
常世の緑が背中に遠ざかり、道は白んだ土の色になる。
空は晴れ、風はどこまでも高く流れていた。
「……森、静かになったね」
ひかりがそう言うと、ナナシは頭の後ろで手を組みながら歩いていた。
「静かになったんじゃなくて“動き続けるようになった”んだよ。
止まってる森ってのは、あれほど不気味なもんはない」
「……そうか。止まってたんだ、あの森」
「お前が輪を戻したんだ。たいしたもんだよ」
さらりと褒める。
ただ、目は前を向いたまま、特に感情は乗せない。
ひかりは少しだけ横目で見て、口をすぼめる。
「……そういう言い方、照れるんだけど」
「なんで照れる必要があんだ?」
「いや、普通は、ほら。“ありがとう”とか“よくやった”とか……」
「へぇ、そんな言葉が欲しいのか?」
「そういうわけじゃないけど……!」
「あるだろ」
「……あるかもしれないけど!」
ナナシは吹き出した。
「素直じゃねぇなぁ。ほら、よくやったよ、嬢ちゃん」
「……っ! なんか今のは違う!」
「やかましい。褒めたら褒めたで文句言いやがる。めんどくせえ理織り娘だ」
「理織り娘ってなに!」
「お前のことだろ。理を織る娘」
「やめて、その呼び方ちょっと恥ずかしい!」
「じゃあ“ぼさっとしてるのに時々すげぇことする危なっかしい小娘”」
「悪化してる!」
風が笑った。
道はまだまだ長いのに、息は苦しくなかった。
喧嘩に似た言葉の応酬は、どこかあたたかかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
昼前、小さな小川にたどり着く。
水は透明で、手を入れればひんやりと心臓まで冴えわたる。
ひかりは足を川に浸しながら、空を見上げた。
「ねぇ、ナナシさん」
「なんだ」
「私……“名を返す”ことができたけれど。
もし、奪われた“名”が、もう残ってなかったら……どうなってたんだろう」
ナナシは手近な流木を拾い、器用にナイフで皮をこそぎながら答えた。
「残ってなきゃ、戻らねぇ。
そん時は、命は輪から外れる。それだけのことだ」
「……それって、死と同じ?」
「いや。
“死”は輪の中でまた巡る。
“名を失う”のは、輪の外に落ちる。
戻る場所がなくなる、ってこった」
ひかりは足を止める。
「……怖いね」
「怖ぇよ。
だからお前がやったことは、呪言でも救済でも英雄ごっこでもねぇ。
――繋いだんだ。
それは、理の中でも一番むずかしいやつだ」
ナナシは川に足を浸し、やれやれと伸びをする。
「……でもな、お前には一つ利点がある」
「利点?」
「“呼び返す声”を持ってる。
お前の言葉は、誰かが忘れちまった名に届く。
それは――」
ナナシは視線をそらした。少しだけ。ほんの少しだけ。
「――なかなか、綺麗な理だよ」
ひかりは胸を押さえる。
そこはまだ少し熱かった。
昨日の《炎織》の余熱か、それとも――。
「……ありがとう」
「おう」
短い返事。
けれどそれは、森に響いたどんな祈りよりもまっすぐだった。
その時――
風向きが変わる。
ひかりは刃に触れ、ナナシは口に咥えていた草を落とした。
「……感じた?」
「おう。一瞬、誰かが“こっちを見てた”」
空気が薄く波打つ。
ひかりだけに聞こえる“ないはずの声”がかすかに触れた。
――名を織る者。
ひかりの背筋が冷たくなる。
「……まだ、終わってないね」
「終わると思ったのか? 旅ってのは大抵地獄みてぇに長ぇんだよ」
「それ、励まし?」
「もちろん励ましだろ?」
「雑すぎるよ!」
ふたりは再び歩き出す。
今度は同じ歩幅で。
光は前に。
風は背に。
世界はまだ、修羅の理で満ちている。
けれど――織る者は、もうひとりじゃない。
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