第九話:残された温もりと誓い
中央監察騎士団の言葉は、絶対だった。エラーラは、ほとんど抵抗する間もなく、彼らの馬車に乗せられることになった。店の調合道具や材料に触れることは許されず、着の身着のままで連行される。
「エラーラ殿!」
「なんてことだ……エラーラさんが王都に……」
騒ぎを聞きつけた町の人々が、遠巻きに集まってきて不安そうな声を上げていた。リオを始めとするヴェリディアの騎士たちも駆けつけたが、中央の騎士団の威光の前では、剣を抜くことすらできない。誰もが、ただ悔しそうに唇を噛み締めるだけだった。
エラーラは馬車の小さな窓から、カイの姿を探した。彼は、馬車のすぐそばに、ただ黙って立っていた。その拳は固く握りしめられ、灰色の瞳は、エラーラを連れていく騎士たちを射殺さんばかりの怒りで燃えている。しかし、彼は動かなかった。ここで力に訴えれば、エラーラに反逆者の共犯という、さらなる罪が被せられることを理解していたからだ。
「カイ様……」
エラーラが窓越しに名を呼ぶと、カイは彼女だけを見つめ、その唇が静かに動いた。
『信じて、待て』
声には出さず、しかしはっきりと、彼はそう伝えた。その言葉だけで、エラーラは絶望の淵から引き戻されるような気がした。そうだ、彼は必ず守ると言ってくれた。この人は、決して約束を違える人ではない。
エラーラは、涙をこらえて、精一杯の力で頷いた。その表情を確かめると、カイはすっと踵を返し、その場を離れていく。彼が向かったのは、騎士団の兵舎だった。
やがて馬車は動き出し、ヴェリディアの町がゆっくりと遠ざかっていく。見慣れた森の緑、小さな店の屋根、そして道端に咲いていた、彼がくれた野の花。そのすべてが、エラーラの視界から消えていった。
彼女が連れ去られた後、『森の雫』の店先には、町の人々が静かに集まっていた。誰もが、穏やかで心優しい彼女の不在を嘆いている。
その日の午後、店を訪れる一人の男がいた。カイだった。彼は店の中に入ると、カウンターに置かれたままの、小さなガラス瓶に挿された野の花に目を留める。そして、アトリエの扉を開けた。
そこは、時間が止まったかのようだった。作りかけの香油、書きかけのメモ、そして彼女がいつも身につけていた、ラベンダーの香りが染み込んだショール。カイはそれを手に取ると、顔をうずめた。残された彼女の香りが、胸を締め付ける。
「隊長……」
心配して後を追ってきたリオが、入り口で声をかけた。
「……リオ。団長代理を頼む。俺は、王都へ行く」
カイはショールを大切に懐にしまうと、振り返らずに言った。その声は、地を這うような低さの中に、鋼のような決意を秘めていた。
「しかし、単独で乗り込むなど無謀です! 領主様の許可も……」
「許可など待っていられるか。あいつを、あの冷たい石の街に、一人にはしておけない」
カイはアトリエを出ると、壁にかけてあった自分の大剣を手に取った。それは、彼がヴェリディアを守るために振るってきた剣。だが今、彼はたった一人の女性を守るために、その剣を取ろうとしていた。
「俺は騎士団長の地位を捨てることも、この命を懸けることも厭わない。必ず、エラーラを連れ戻す」
それは、ヴェリディアの騎士団長としてではなく、カイ・ランヴェルドという一人の男としての、魂の誓いだった。
残された温もりと香りを胸に、カイは愛馬に鞭を入れた。目指すは、陰謀渦巻く王都。エラーラが連れ去られた道を、彼はただひたすらに追いかける。二人の運命が、今、大きく動き出そうとしていた。




