第六話:祭りの夜の不協和音
創立祭の日は、ヴェリディアが一年で最も活気づく日だった。通りには色とりどりの露店が並び、吟遊詩人の奏でる陽気な音楽と、人々の楽しげな笑い声が満ちている。
エラーラの店も、朝から大忙しだった。祭りに合わせて作った、柑橘とミントの爽やかな香りのコロンや、虫除け効果のあるハーブのサシェが飛ぶように売れていく。
「エラーラ殿! これを一つ頼む!」
「あら、エラーラさん。このポプリ、とってもいい香りね!」
町の人々が、親しみを込めて次々に声をかけてくれる。王都での孤独な日々を思えば、夢のような光景だった。
夕暮れ時、祭りの喧騒が頂点に達する頃、店の外が少し騒がしくなった。エラーラが顔を上げると、そこには昼間の警備を終えたカイが、少し居心地悪そうに立っていた。彼は普段の鎧姿ではなく、簡素だが上質な生地のシャツという私服姿だった。
「騎士団長様。お疲れ様です」
「……ああ。少し、様子を見に来ただけだ」
カイはそう言いながらも、その視線はエラーラに注がれていた。彼女もまた、祭りのために新調した、森の若葉のような色の簡素なワンピースを着ていた。
その時、店の外から陽気な声が響く。
「隊長! こんなところにいたんですか! さ、こっちで一杯やりましょう!」
部下のリオが、数人の騎士を引き連れてカイを呼びに来たのだった。
「エラーラ殿も、どうだ? たまには店を閉めて、祭り楽しまないと損だぜ!」
「ええ、でも私は……」
エラーラが遠慮していると、カイが静かに口を開いた。
「……行こう。お前も、今日くらいは休むべきだ」
彼のその一言に背中を押され、エラーラは少しだけ店を早じまいし、カイたちと共に広場へ向かうことにした。
広場の中央では大きな焚き火が焚かれ、人々がその周りで踊っている。カイは人混みが苦手なようで、少し離れた場所からその光景を眺めていた。エラーラもその隣に立ち、二人で並んで温かいハーブティーを飲む。言葉は少なくとも、穏やかで心地よい時間が流れていた。
しかし、その静寂は突然破られた。
「あら、あそこにいるのは……」
聞き覚えのある、甲高い声。振り返ると、そこには昼間よりもさらに豪奢なドレスを纏ったイザベラが、ヴェリディアの領主と共に立っていた。
「カイ・ランヴェルド。警備ご苦労」
領主が労いの言葉をかけるが、イザベラの視線はカイの隣にいるエラーラに釘付けになっていた。その瞳には、嫉妬と独占欲の炎が揺らめいている。
「あなた、まだ騎士団長様に付きまとっていたの? 身の程をわきまえなさいな、没落貴族」
イザベラの言葉に、周囲の空気が一瞬で凍りつく。エラーラの顔から血の気が引いた。
「イザベラ様、彼女は……」
カイがエラーラを庇おうと一歩前に出た、その時だった。
「カイ様、わたくし、あなたのことが気になっておりますの。この祭りが終わったら、わたくしの父に、あなたを中央騎士団へ推薦するようお願いしてみましょうか?」
それは、誰の耳にも明らかに「取引」だった。辺境の一騎士団長には破格の申し出。断れば、有力貴族である彼女の機嫌を損ねることになる。
カイは表情を変えずにイザベラを見つめ、そして静かに、しかしはっきりと答えた。
「お言葉ですが、イザベラ様。俺はこのヴェリディアの地を離れるつもりはありません。そして、彼女は俺が守ると決めた人間だ。誰にも、侮辱することは許さん」
カイの低い声が、祭りの喧騒を切り裂いて響き渡る。彼の灰色の瞳は、揺るぎない決意を宿してまっすぐにイザベラを射抜いていた。
イザベラの顔が、屈辱に赤く染まる。彼女はエラーラを睨みつけると、「覚えていらっしゃい!」という捨て台詞を残して、領主と共にその場を去っていった。
後に残されたのは、重苦しい沈黙と、周囲の人々の戸惑いの視線だった。
「すみません、私のせいで……」エラーラが消え入りそうな声で謝る。
「お前が謝ることじゃない」
カイはそう言うと、エラーラの手を掴んだ。「行くぞ」
彼は人々の視線から逃れるように、エラーラを連れて広場を後にする。掴まれた手首から伝わる彼の力強さと不器用な優しさに、エラーラの心臓は大きく高鳴っていた。
祭りの夜の不協和音は、二人の関係を新たなステージへと押し上げ、同時に、逃れられない嵐がすぐそこまで迫っていることを告げていた。




