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第十三話:銀狼の隠れ家と二つの忠義

 王都の喧騒から離れた、職人たちが暮らす一角。そこに、古びた武具を修理する小さな工房があった。看板も出ていないその店の扉を、カイは迷いなく叩く。ここが、引退した騎士たちが時折集い、過去を語り合う数少ない場所の一つであることを、彼は知っていた。


「……何の用だ。うちはもう、新しい仕事は受けてねえ」


 中から現れたのは、腕の立つことで知られた元騎士団の鍛冶師だった。彼はカイの姿を認めると、わずかに目を見開く。


「お前さんは……ヴェリディアの。こんなところで何をしている」

「"銀狼"殿を探している。居場所をご存じか」


 鍛冶師はカイの只ならぬ雰囲気に、しばし黙り込んだ。そして、諦めたようにため息をつくと、店の奥を指差す。


「……奥の部屋だ。だが、あの人があんたに会うとは限らんぞ。今のあの人は、世を捨てたただの抜け殻だ」


 カイは礼を言うと、工房の奥へと進んだ。薄暗い部屋の中、一人の老人が窓の外を眺めながら、酒杯を傾けていた。その背中は丸く、伝説の騎士と謳われた面影はない。だが、その肩幅の広さと、空気に溶け込むような静かな佇まいは、常人でないことを示していた。


「何の用かね。若いの」


 銀狼――今はただのグレイと名乗る老人は、振り返らずに言った。


「ヴィンセント子爵をご存じか」


 カイがその名を口にした瞬間、グレイの肩がぴくりと動いた。彼はゆっくりと振り返り、その鋭い灰色の瞳でカイを射抜く。それは、カイの瞳と同じ、狼の光を宿した瞳だった。


「……あいつの名を、どこで」

「形見を預かってきた」


 カイは懐からヴィンセント子爵の日記と、王太子妃からの手紙を取り出し、テーブルの上に置いた。


 グレイは震える手でそれを手に取ると、一ページ、また一ページと読み進めていく。その表情は驚きから悲しみへ、そして静かな怒りへと変わっていった。


「そうか……あいつは、殺されたのか。"黒薔薇"に……」


 グレイは日記を閉じ、天を仰いだ。「すまなかった、ヴィンセント。俺が、お前の警告にもっと早く耳を傾けていれば……」


「子爵の娘、エラーラが、親と同じ罪を着せられ、監獄塔に囚われている。彼女を救い出したい。あなたの力が必要だ」


 カイは頭を下げた。辺境の騎士団長が、伝説の騎士に頭を下げる。それは、彼自身のプライドを捨てた、魂からの願いだった。


 グレイはしばらくカイを黙って見つめていたが、やがて静かに立ち上がった。


「……顔を上げろ、ヴェリディアの若き狼よ。友の忘れ形見を救うのに、理由などいらん」


 その瞬間、彼の背筋はぴんと伸び、ただの老人から、再び伝説の"銀狼"へと戻っていた。「奴らは、王太子妃の力を削ぐために、妃が信頼を寄せる者たちを次々と排除している。ヴィンセントもその一人だった。そして、奴らが血眼で探しているのが、妃がヴィンセントに託したという『陽光の雫』の地図だ」


「エラーラは、その苔の在処を知っていた。それが、彼女が狙われた理由の一つかもしれん」


 「だろうな」グレイは頷いた。「審問会が始まる前に、手を打つ必要がある。幸い、俺にはまだ、王都の地下水脈に巣食うネズミどもを動かすだけの力が残っている」


 その頃、監獄塔のエラーラにも、小さな変化が訪れていた。例の香りの布を渡した看守が、食事を運んできた際、他の看守の目を盗んで、一枚の清潔な布と、小さな木炭のかけらを彼女の房に滑り込ませたのだ。


「……気休めにしかならんが」


 看守はそれだけ言うと、足早に去っていった。


 エラーラはそのささやかな善意に胸を熱くしながら、木炭を手に取った。これで、自分の思考を書き留めることができる。香りのレシピ、監獄の構造、そして、これから始まるであろう審問会での反論。彼女は、鉄格子の向こう側で、静かに反撃の準備を始めた。


 王都の対極の場所で、二つの戦いが始まっていた。一人は、光の当たらぬ地下牢で、知識と香りを武器に。もう一人は、王都の闇の中で、古き盟友と共に、巨大な陰謀に立ち向かうために。


 二つの忠義が交わる時、絶望の闇を切り裂く、一筋の光が生まれることを、二人はまだ知らなかった。

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