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羽化の守

 一方、学院内は朝からロウ公爵家の令嬢のことでざわついていた。その日の講義内容などの予定が書かれる大広間入口の掲示板に新しい生徒の情報が書き加えられたためだった。なお、森の近くや中庭で何かの唸り声や影を見た、一般学生寮の個人の部屋が荒らされたので情報を求める件も書いてあったが大多数の生徒はそちらの内容は見落とした。


 午前中は採寸と儀式の手順の説明で終わったネル改めジュディスがぐったりしていると、講義と昼食を終えたレイが応接室に姿を現した。


「午後から幼なじみの僕が学院内を案内することになっているから、よろしくね」


 言いながらレイはジュディスの隣に座る。


「…食べる?」


 何気ない事のように言ってレイは片手を差し出してくる。その流れで聞き逃すところだったが、レイの手に自然と指を絡めながらジュディスは首をひねった。


「幼なじみ?」


「うん…学院長の裏設定。君と僕は幼い頃に何度かロウ公爵領の避暑地で会っていて、そのときに仲良くなっていたってこと。君は怪我で長い間療養していたけれど、ようやく良くなったからこの学院に通えるようになったってことらしい」


「…なるほどね」


 まさか二十年も眠っていたとは誰も思わないだろう。実際は半年前にこの姿で目覚めて王立学院に放り込まれたばかりだ。お陰でまだ把握した歴史の流れには空白がある。


 レイは徐ろに空いたほうの片手で何かを取り出して食べ始めた。小さな焼き菓子だ。互いの意識が共有されたのが分かった。


「どう?美味しい?」


 食べていないのにジュディスはそれを美味しいと感じている。いつもはボソボソした食感だけなのに甘味と香ばしさを認識する。


「…うん」


「食べてみたら?」


 摘んだ焼き菓子を目の前に出されてジュディスは思わず口を開けてしまった。その口にぽんと焼き菓子を放り込んで、レイもすぐに同じ物を口に入れた。


「甘い…」


 ジュディスが呟いて目を閉じると、繋いだ手からレイの魔力が流れてきた。体内を循環させてジュディスの魔力も相手に流す。しばらくの間、二人とも無言で魔力の流れに身を任せていた。午後の陽射しも心地良い。不意にレイが口を開いた。


「今まで…実は苦手だったんだ。こういうのは…」


 通常であれば王族は幼少期から他者との魔力の循環に慣らされて育つ。そうでなければ羽化期に苦労するのは目に見えているからだ。


「じゃあ…ずっと慣れてるフリでもしてた?」


「そうだね…我慢してた…」


 小さく頷いたレイの銀髪がジュディスの肩に触れる。近くで見るとまつ毛も長い。良くできた人形のようだとジュディスは思う。


「今は平気?」


 ジュディスが問うとレイは大型犬か何かのようにグリグリと頭を押し付けてきた。肯定と受け取る。不意にわしわしと掴んでこの綺麗な髪をぐしゃぐしゃにしてみたい衝動に駆られてジュディスは自分に呆れ返る。まったく。絆を結ぶと思考回路までどうかしてしまう。


「このまま、ずっとダラダラしていたいよ。戦いは性に合わないんだ…」


 目を閉じてもたれ掛かったレイが少し気怠い声を出した。


「君を案内するってことは要するに羽化の守のお披露目なんだよね。学院長の狙いはそこなんだろうけど…」


(余計なものが入り込む隙もないほど見せつけて圧倒しろって言ってたっけな…)


 レイがいない間にフレディが言い残した言葉を思い返したがジュディスは口には出さなかった。ただ、レイにとってはここもある意味戦場であることだけはようやく理解できた気がした。



***

 


 ベアトリスはイライラしていた。爪を噛みそうになってハッとする。

 学院内で自分の魔力は高い方だと自負していた。家門だって悪くない。お前ならきっと羽化の守に選ばれる、お父さまもそう仰っていた。なのに。

 いつも第八王子の動向を把握しているダリルとブルーノにも聞いたが、第八王子はいつの間にか聴講していると思えば、終わるとあっという間にどこかに消えてしまい近付くことすらできなかった。それにしても、あの二人は肝心な時に役に立たない。つかつかと歩いていると誰かにぶつかった。


 もじゃもじゃ頭の眼鏡の少年。確か昨日第八王子が連れて行った子だ。なんだってこんな冴えない子を。どうせいつもの気紛れなのだろうけど。


「あなた、レイ様を見かけなかった?」


「…いいえ」


 少年は僅かに怯えたような表情をする。そのとき中庭の方から歓声が聞こえた。ベアトリスは理由もなく焦って小走りにそちらへ向かう。


 遠くに第八王子の姿が見えた。いつもの気怠げな表情とは打って変わって、楽しそうに笑っている。人混みで最初は見えなかったが、その隣に寄り添う小柄な何者かが見えたとき、ベアトリスは胸の奥が締め付けられるような嫌な感覚に襲われた。


(私ですら隣を歩くのは許されなかったのに!)


 隣に立っているのはジュディス・ロウだった。魔術騎士科の女生徒のように男装している。流れる黒髪、左右で色の違う金と濃い緑の瞳。凛として揺るがない研ぎ澄まされた刃のような気配。女性らしく華やかに着飾った自分とは真逆の生き物。

 逃げるのは性に合わない。堂々と胸を張りそちらへ歩み寄ると、第八王子が先にベアトリスに気付いた。


「ごきげんよう、ベアトリス。こちらはジュディス・ロウ。僕の幼なじみで羽化の守だよ」


 そんな言葉は聞きたくなかった。ベアトリスの中で少女に対する憎悪が一気に膨れ上がった。突然現れたこんな歳下の少女が羽化の守!?ふざけるな!


「ウソよっ!」


 怒りに任せて放ったベアトリスの火炎魔術が少女を襲う。周囲で悲鳴が上がったが、レイが魔法陣を出すよりも速く少女は瞬き一つせずに片手でやすやすと魔力を消し去っていた。放った魔法陣ごと消し去られた感覚にベアトリスは慌てる。一体何が起こったの?


「ご挨拶だな…」


 ジュディスはそう呟いて微笑む。その右手に刻まれた魔法陣が僅かに発光して血が流れた。


「あ…右手を使ってしまった…」


「あぁ…また血が…」


 ジュディスの右手を自然に持ち上げてレイが舌でペロリと血を舐め取る。それはまるで流れた一筋の血も残さないという様子に見えた。少女はされるがままで無表情だったが、周囲で先ほどとは別の種類の感情が渦巻く悲鳴が上がった。口を押さえる者とへたり込む者、顔を赤らめる者。


「儀式は…まだじゃ…」


 呆然としたベアトリスが呟く。少女の手の甲に頬を寄せたレイは艶やかに笑った。


「儀式はあくまで対外的な演出でしかないよ。結んだ瞬間に流れた血の量はこんなものでは済まされないから。全身血塗れだよ?汚れるのが嫌いな君なら耐えられなかっただろうね。そんな恐ろしい光景は誰だって好んで見たくはないだろう?」


 紫の瞳に強い意志を感じてベアトリスは思わず一歩後退した。これが果たして本当に昨日まで近くにいた退廃的で気怠げな第八王子なのか。まるで別人だ。第八王子は魔法陣の浮き出たジュディスの右手にゆっくりと指を絡める。その手の甲にも見たことのない緻密で美しい魔法陣が描かれていた。


(何よあれ…?複雑過ぎて読み取れない…)


 ベアトリスはがく然とする。


(うそ…私…本当に負けたの?この私が?これじゃあ、あのお方に顔向けできない)

 

「ベアトリス、君はずっと僕に媚薬を盛っていたよね。気付いていないとでも思っていたの?あの薬は君の魔力の質も下げるから、もう無駄なことは止めた方がいいよ」


 追い打ちをかけるようにレイが告げる。口調はあくまで優しかったが、突き放す冷酷さがにじみ出ていた。

 ベアトリスは青ざめた。最初から分かっていてこの王子は罠にかかったフリをしていたのか。正気じゃない。所詮は八番目と侮っていたが、自分はとんでもないものに手を出そうとしていたのではないだろうか。ベアトリスは今度こそ顔を背けると、その場から逃げるように走り去った。

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