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目覚め

 翌朝レイは何か清々しい香りを嗅いで目を覚ました。こんなにぐっすり眠ったのは久しぶりだ。頭がスッキリしていて身体も軽い。窓の外には柔らかな陽射しが降り注いでいる。けれども寝ていたのはソファーの上だった。なぜ?と考えて、部屋の中に自分以外の誰かがいるのを唐突に思い出した。


「おはよう…何してるの?」


 テーブルの上には試験管やら実験器具が広げられている。ネルは爽やかな香りのする色の違う液体を混ぜて小瓶に詰めている途中だった。そうして何故かコップに生けた花を摘んで無表情のまま食べていた。


「あ…おはよう。食事はそっち」


 指差す反対側に湯気の立つ具だくさんのスープとサラダ、焼き立てのパンが置いてある。


「そろそろ目覚める頃だと思った…」


 幾つかの小瓶に慎重に液体を移し替え終わると、ネルはようやく顔を上げた。もじゃもじゃのかつらも眼鏡もないその素顔は澄んだ水面のように凛として美しい。


「…これ、美味しいの?」


 ネルの摘んでいた花に触れるとネルは慌てて首を横に振った。


「それは食べない方がいい。偽薬に混ぜる物だから」


「え?でも君、食べていたよね?」


「あぁ…鮮度の確認をしただけ。昨日成分を抽出する余裕がなかったから」


「ふーん。ところで偽薬って昨日揉めてたやつ?ニセモノなんだ?」


「でもそれなりに効果はあるよ。信じれば効く。成分は安全。これでも調合師の資格は持ってるから」


 椅子に座ってレイが食事を始めると、ネルは頬杖をついてじっと様子を見ていた。徐ろに口を開く。


「それにもし毒が入ってたらどうする?」


 思わずスープを吹き出しそうになったレイを猫のように目を細めて見つめてネルは笑った。


「冗談…美味しいか?」


 レイが頷くとネルは満足げに頷く。そうして目を閉じた。身体にじわじわと染み渡るような温かい感覚。美味しいとはこういうことなのか。そういえばそうだった、と遠い記憶を呼び起こす。


「まぁ僕に毒はほとんど効かないけど…ひょっとして今、意識を共有してる?」


 パンを飲み込んだレイが自身の身体の僅かな違和感に気付いて顔を上げた。羽化の守の儀式をすると、こういったことも可能になるとは聞いていたが、自分よりも先に読まれるとは。


「すまない、ちょっと試した。私は何を食べても味がよく分からないから、しばらくこの感覚を忘れていて…」


「え?味見しないでこれを作ったの?」


「鼻だけは利くから。あとは勘」


 ネルは小さな箱に小瓶を納めながら言った。鼻が利くのは本当だが、調味料の配分などを実際に覚えたのは野営地だ。


「食べ終わったら魔力が欲しいから、できるだけたくさん食べてくれると助かる。これだけじゃ足りないから」


 そう言うとネルは試験管に残った液体を全て飲み干した。およそ食事の光景とは程遠い。それでも誰かと共にテーブルにつく朝は悪くないとレイは思った。


***


 食後のレイの隣に座ってネルが魔力を流して貰っていると扉を叩く音がした。壁をすり抜けて学院長の遣い鳥が入ってきたかと思うと本人の姿に転じる。


「おはよう…ネルの部屋が荒れていたが、何があった?やはりこっちにいたんだな。とりあえず無事で良かったよ。おや…食事中だったのか。これは失礼」


 手を繋いだ二人を見やって学院長はニヤリと笑う。レイは慌てて離そうとしたが、絡まったネルの指が離れなかった。


「昨日の夜戻ったらすでにあの状態だった。盗られたものはないんだけど…」


 ネルは記憶した部屋の惨状を振り返る。とにかくめちゃくちゃにした感じ…何か違和感があるがそれが何なのか掴めない。


「で、どうだい?二人の魔力の波長は合いそうかな?その様子だと悪くはなさそうだ。二日目にしては安定してるな…おっと、まだ出るなと言ったのに!」


 突然ローブの下からするりと少女が顔を出した。年の頃はネルと同じ。燃えるような赤い髪に金の瞳だった。ネルを捉えた瞳が一瞬獣のそれに変わる。


「一体何を連れてきてるんですかっ!!」


 レイが反射的にネルを庇うような仕草で少女から隠す。


「色々と偽装工作が必要でね。突然ネルを行方不明にする訳にもいかないだろう」


 赤い髪の少女は無言でレイを払い除けるとネルをじっと見つめた。ニコリと不穏に笑う。


「な…?」


 次の瞬間にネルは白い手に両頬を包まれ唇を奪われていた。物凄く熱い。身体が燃えそうだ。それほど長い時間ではなかったのに、脳内には膨大な時間が流れ、自身の記憶が根こそぎ読み取られる嫌な感覚がした。ネルの記憶を読み取った少女はもじゃもじゃ頭のネルそっくりな姿に変わり、どこか不服そうに髪の毛を触っている。ようやく解放されたネル本人は、口を押さえ身体を二つに折って呻いていた。


「なにこれ…気持ち悪っ…」


 頭の中を素手で掻き回されたような不快感で思わず叫び出しそうになる。


「フロレンティーナ、やり方が少し強引過ぎだよ?」


 レイはその名前に心当たりがあった。なんてものを連れてきたんだと半ば呆れて学院長を見上げる。間違いない、紅い竜だ。


「…自分の腕を喰った相手を呼ぶなんて、どうかしてるよ…」


 レイの言葉に頭を抱えていたネルもようやく相手が誰なのか気付いた。


「なに、腕一本分の過去の盟約をついに果たしてもらっただけのことだよ。第四王女の元に物騒な連中も出入りしているし、こちらにも使える駒はあった方がいい」


「その言葉は、正式に学院長が我々の側につくと、そう捉えてよろしいのですか?」


 レイが居住まいを正して問う。学院長は少し意地悪な顔をした。


「元々私は君の味方だったはずだが?とはいえ、ここ最近の君のダメっぷりに騙されて本当にこのまま腐り果てると信じてしまうところではあったが。ようやく目が覚めたのかな?」


「そうですね…やっと自分の足で立とうと覚悟を決めたところです。少なくとも僕はもう流れ出した砂時計を止める術を知らない…だから学院長には隠し事もしません」


 そう言ってレイは左手首に浮き出た蔦模様を見せる。


「そうか。出たのか…」


 学院長は複雑な表情でしばし沈黙して思案していたが、思い出したように言った。


「確か昔第五王子を診察していた治癒師の弟子がまだ王都にいたはずだな…彼にも連絡を取ってみよう。ちなみに儀式の日取りは三日後だ」


「えっ?いくらなんでも早すぎじゃ…」


「ジュディスに恥をかかせるつもりだろうな。無論そうはさせないが」


 そう言ってから学院長は再びレイに向き直った。


「分かっているとは思うが…お父上はご多忙により欠席する。代理として第二王女が学院を訪れるそうだ。ついでに第四王女と第七王子もこれを機に高等部に戻ってくる」


 学院長の言葉にレイは深い溜め息をついた。


「…第四王女に第七王子まで…嫌がらせか…」


「まぁそういうことだな。足の引っ張り合いは君たち王族の得意技だろう。ジュディスも覚悟しておくように。君はこれから儀式の正装の採寸に諸々覚えることが山積みだ。しばらくネルの代理はフロレンティーナに任せる」


「…君を殴った三人組、始末するのはダメなんですよね?」


 唐突にネルの姿のフロレンティーナに問われて、ネルは慌てる。先ほど詰めていた小瓶を見せた。


「その三人組には、これを渡して。殴られそうになったら逃げてもいいけど、反撃するのは絶対にダメ」


 学院内で死人が出るのは勘弁願いたい。ネルは自分そっくりなフロレンティーナを見て、どうしても不安を拭い去ることができずにひっそりと嘆息した。

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