手がかり
レイとジュディスは儀式前日ということで本日の講義は免除されていたが、他の生徒にとってはいつもと変わらぬ日常が始まった。
講義の合間に適当に理由をつけて教務と並ぶ庶務課を訪れたネルとノアは、近くの窓口にエステルを発見したが、何やら揉めている最中で話しかけられそうになかった。
「ですから、魔力交換は第二階級以上の魔術師二名以上の同席がなければ許可できません!」
「何よ、私が第二階級でダリルとブルーノももうじき二級の昇級試験があるからいいじゃないのよ。今までだって一度も問題なんか起きたことないのよ、いいからさっさと許可証を出しなさいよ!」
居丈高に言い放っているのは金の巻髪のベアトリスだった。ルビーのような瞳。今日も派手な格好だ。後ろに二人立っている青年がダリルとブルーノで、金髪碧眼の方がダリルで黒髪に薄桃色の瞳の青年がブルーノだ。王子の取り巻きとして目立っていたからノアは知っていた。そのときエステルの後ろから上司と思われる小太りの男性が汗を拭きながら姿を現した。
「君、早く許可を出しなさいよ」
「えっ、でもこれは規則違反です」
「規則規則って、君はいつも杓子定規でみんなうんざりしているんだよ。少しは空気を読みなさい。申し訳ありませんね、こちらになります」
上司は許可証にサインをしてベアトリスに渡してしまう。ネルとノアは顔を見合わせた。
「魔力交換って何?まずいの?」
ノアがネルの格好のフロレンティーナに問う。そこからの説明かと彼女は内心げんなりしたが、ごく簡単に告げる。
「お互いの魔力を流して循環させるんだ。低い階級の魔術師が下手なことをやってたまに失敗するから、参加人数に応じて第二階級以上で単位を履修している魔術師が何人同席するかが決められているんだ」
「失敗すると…どうなるの?」
「形が変わったり記憶を失ったり怪我したり…まぁ色々だよ。とりあえずあの上司はダメだな。学院長に言いつけてやる」
「で、これからどこに行くつもり?」
コソコソとベアトリスの後をつける形でノアは問う。
「そりゃもちろん魔術交換の場所だよ。他にも少し気になることがあるし」
言いながらフロレンティーナは柱の陰にノアを隠す。ネルだった頃の爆発したようなもじゃもじゃ頭が少しずつクセの強いウェーブ風に変化していることにノアは気付いていた。そのせいか先ほども横を通った女子生徒がネルのことをチラチラ見ていた。過剰なもじゃもじゃがなければ寡黙で陰のある秀才にも見える。
「ネル…ごめん…あまり近付かないで。よく分からないんだけど…なんかこう…ドキドキする匂いがする…」
ノアは柱の陰で鼻と口元を押さえて思わず横を向いた。ネルはハッとしたように自分の身体を見下ろす。次の柱までさっと走ってネルはノアを手招きした。
「…ノアの鼻って、獣人よりも敏感なのか?だったらこっちこそゴメン…色々…その…魔力とか…混ざってて…」
しどろもどろになりながら、ネルは思わず赤面する。指摘された途端に身体の中で燃えるフレディの炎を意識してしまった。フロレンティーナは竜の中では若い方だが、それでも人よりはずっと長く生きている。なのにこれでは恋愛したての人間の小娘と何ら変わらない。フレディの炎一つで自分は何を浮かれているのか。
頭の中ではぐるぐる考えながらも、目はしっかりとベアトリスを追っていたので、入った空部屋は確認できた。
(フレディ…エステルの上司がベアトリスに魔力交換の許可を出したが、指定階級持ちの魔術師の人数が足りていない。少し近くで待機する)
程なくして、分かったとフレディの美声が頭の中に響いた。
***
一方フレディはジュディスと向き合って苦虫を噛み潰したような顔で沈黙している。レイも困ったような顔でジュディスを見つめていた。
「すみません…私が悪かったです」
ジュディスは素直に頭を下げた。
「いや…許せないな。どうしてそう勝手に危ないことを自分の身体で試すんだ?」
時は少し遡る。ジュディスはレイと共に儀式のリハーサルを終えて、フレディにケイレブの件を打診しようと学院長室に向かっていた。レイにも伝えて了承は得ていた。当然、フレディにも受け入れてもらえると思っていた。だがほんの少し油断して口を滑らせた。
「つまり…レイを少し疲労させて深い眠りにつかせた後に、自身の身体を実験台にして魔力の中枢器官を治せるか試した…そういうことでいいんだな?」
実に穏やかな声だが、そういう時こそフレディは激怒している。
「はい…その通りです…」
「で?どの程度修復した?時間は?」
「…それ…言う必要ある?」
フレディに睨まれてジュディスは首をすくめる。
「中枢器官に僅かにあった裂傷を埋めたのと…昔断絶されたけど放置してた魔力を流す器官を修復出来るか試した…二時間くらいかな…できたからここにいる訳だけど」
実は途中気絶しかけて危なかったのだが、それは言わなかった。聞いているフレディの方がまるで苦痛を感じたかのように顔を覆う。確かにジュディスは痛みに対する耐性は強い方だ。だが二時間ほぼ激痛に耐えながら自分の腹の中を弄るなど、やっている事が常軌を逸している。
「なぜ私を呼ばなかったんだ…一人で行うには危険過ぎるだろう」
フレディの言葉にジュディスは目を泳がせる。ものすごく言いにくそうにジュディスは重い口を開いた。
「一応呼びに行ったんだよ…でも…フレディは紅い竜と何だかいい雰囲気になってたから…あの場に乗り込んで竜に呪われる勇気は…さすがになかったんだ…」
あまりの気まずさに三人が沈黙したときだった。フレディの耳にまさに今話題の紅い竜の声が響いた。
(魔力暴走!!学生三人負傷、一人心肺停止!!)