39.対立
翌日、エリオットの執務室にマシューが面会に来た。
マシューは王宮騎士の身分で、国の大使としてシンキョウに向かう予定になっていた。
騎士は王軍に属する。
外交は王太子が取りまとめていたが、騎士の身分を持つため、表敬の訪問だった。
マシューは長子ではないため、シンキョウの後はエリオットの側近となる可能性もあった。
「娘は幾つになった?」
礼儀に則った挨拶の後、いくつかの世間話の流れで、エリオットはマシューに聞いた。
「先月、5歳になりました。」
「そんなになるか。シンキョウへは連れて行くのか?」
「そのつもりです。王都の両親のところに何度か預けたのですが、やはり懐かなくて。」
大変だな、とエリオットは言った。
娘を産んですぐに奥方をなくし、ザドキエルまで連れて行ったと聞いていた。
独り身でザドキエルまで行ったのだから、誰かいい人がいるのだろうと思っていたが、そうではなかったと聞いて、子どもを持たないエリオットでもマシューの苦労が偲ばれた。
「大変だな。再婚はしないのか?」
「お話は何度もいただいているんですが、どうにも娘が受け入れてくれなくて。」
マシューが苦笑した。
優男の風貌のマシューだが、冷徹な戦略家だ。だが娘にはやはり冷たくはできないらしい。
「紹介しようか?」
「いえ。こちらからお願いしようと思っている女性がいるのです。」
マシューが柔らかく微笑んだ。
少し照れの含んだその顔を、珍しい、とエリオットは思った。
「へえ、王都にいるのか?その方は。」
「いつもは領地にいるのですが、今は王都に帰ってきていたようです。偶然、再会して。娘がたいそう懐いて、何度か遊びに行かせてもらいました。殿下もご存知です。アーロン家のケイトリンです。」
さあ、とエリオットの耳に血の気が引いた音がした。
「……どこで、会ったんだ。」
「中央神殿で。娘の節句の寿ぎを受けに行って偶然。…殿下も、お会いになったのですか?」
エリオットの顔色が変わったのが、マシューにも分かった。
「太王の葬儀で再会した。悪いが手を引いてくれ、マシュー。私が、求婚している。ケイトリンは諦めてくれ。」
マシューが息を飲んだ。
「できません。」
考えるよりも先に、言葉が出た。
言葉にして、より気持ちが強くなった。
絶対に、エリオットだけには渡せない。
「正気ですか、殿下。あなたは一度、彼女との婚約を解消したんですよ。」
「分かっている。だが、諦められない。」
「出来ません、殿下。わたしはケイトリンを愛してます。わたしが彼女を守りたい。」
マシューはエリオットに冷たい視線で返した。エリオットの目にはふざけた色がない。本気だと分かった。
「お前だって、彼女を散々責めていたじゃないか。今更どんな心変わりだ。」
「心変わりはあなたです。彼女に何をしたか、忘れておられるのですか⁈」
「忘れてない。だからこそ一緒になりたい。」
苦しそうに、エリオットが言った。
その切ない様子に、マシューの背筋が寒くなる。
いつの時も、エリオットには女性の影があった。まるで美しい装飾品のように、エリオットはコロコロと相手を変えた。
執着を見せ、縋り付く相手も多かった。
クラウディアとの別れも相当拗れたことを知っている。
だが、エリオットのほうから、こん風な執着を感じたことはなかった。
まさか、とマシューは思う。
あれ以来エリオットのほうから、ケイトリンの名前は聞いたことがない。
婚約中もその前もエリオットがケイトリンに興味を持ったことはなかった。
それが、今になって。
「いつから…。あなたはケイトリンに興味はなかった。ずっと。」
「再会した時だ。彼女しかいない。わたしの運命だ。」
エリオットははっきり言った。
エリオットの心の中では止める声もある。
マシューの言うように、今更だ。
マシューは鼻で笑った。
「クラウディアの時も同じことをおっしゃいましたよ。目新しいおもちゃを取り合うような真似はやめましょう。彼女は私たちが思っているよりずっと大人だ。」
マシューはエリオットを睨みつけた。
王族に対して、不敬極まりないことは分かっている。
昔からエリオットとはウマが合い、近くにいることが多かった。だが政治的な立場を蹴ってでも、これだけは譲れない。
「わたしは諦めません。」
そう言うと、マシューは無言で礼をして退出した。
ダン!!とエリオットは執務室の机に拳を叩きつけた。
なぜ?とエリオットは自分に問うた。
昨晩、諦めなければと決めたじゃないか。どうして幸せにと言ってやれなかった?
彼女は気がないのに。
ケイトリンはもうマシューを選んでるかもしれないのに。
そう思うと、居ても立っても居られなかった。ケイトリンのもとに行き、連れ去ってしまいたい。そんな衝動に駆られる。
目新しいおもちゃ。
懐かしさと後悔から、彼女に許しをもらいたいだけなのかもしれない。
だが、ケイトリンが誰かのものになると考えただけでも、血が煮えたぎるようだった。
だからずっと気になっていたのか、と今更気付いた。
自分には、ケイトリンは自分のものだという思い込みがあったのだ。
ケイトリンの噂を聞くたびに、結婚していないことに安堵した。
自分の浅ましさに、エリオットは震えた。
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マシューが招待した晩餐にケイトリンは来た。
エリザベスには可愛らしい着せ替えの人形を持ってきてくれた。
エリザベスの人形遊びに上手に付き合うケイトリンを、マシューは温かい気持ちで見ていた。
マシューだけでなく、エリザベスも今日の晩餐を楽しみにしていた。
ユグノーは遠慮させるわね、とソフィティアが言っていたので、ケイトリンもアーロン家も、マシューの意図には気づいているのだろう。
ケイトリンはマシューに、組紐の飾りを贈った。
ケルビノートのガラスの飾り玉を通した組紐の飾りだった。
「こちらではあまり剣に飾りをつけないけど、シンキョウではよく短剣に飾りをつけていたわ。実はわたしも作ってつけてるの。拙いものだけど。」
ケイトリンはそう言って、マシューに飾りを渡した。
拙いものだけど、お守りの意味があるから。と紫色の光沢のある紐が複雑な形に編まれていて、結び目にマシューの目の色と同じ、鮮やかな緑色のガラス玉が着いていた。
「君が作ったのか?」
ええ。とケイトリンは微笑んだ。
「ありがとう。大事にするよ。」
マシューは嬉しそうに早速剣につけた。
シンキョウの組紐飾りは特産で王都でも装飾品としてよく見られた。
シンキョウの女性たちにとっては守りの飾り紐を作ることは教養の一つで、ケイトリンもザド語の先生だったマリアから少し手ほどきを受けた。
シンキョウを旅した時にそれを思い出し、手遊びに作るようになった。
シンキョウの組紐は、かつて生きた世界の伝統的な飾りに酷似していた。
「そういえば剣舞はいつ見せてくれるの?」
剣の話でマシューがからかい混じりに聞いた。
「もう、マシュー。人様にお見せできるものではないのよ。」
ケイトリンは恥ずかしそうに、笑った。
可愛い人だ、とマシューは心から思う。
今日は長い髪を横から編み込み、後ろに一つに垂らしていた。
むき出しになった耳には、マシューが贈った耳飾りが揺れていた。
「着けてくれたんだね、嬉しいよ。」
マシューが耳飾りを見ながら言った。
「君は春生まれなのに、なぜか百合のイメージなんだ。」
「まあ、誕生日まで覚えてたの?」
「もちろん。毎年、贈り物を贈っただろう。」
ケイトリンとマシューの誕生日は近く、家同士も繋がりが深いため、贈り物を交換しあった。
夏に咲く百合を見るたび、マシューはケイトリンの面影を思い出した。
贈り物を選ぶ時、一目で百合の花の象形の耳飾りを選んだ。
「色が白いからかな?君のイメージにぴったりだ。」
ありがとう。とケイトリンは恥ずかしそうに頬を染めた。
ケイトリンの抜けるように白い肌と、真っ直ぐな黒髪は、北辺境から王都にかけて多く、古くからこの地にルーツをもつとすぐにわかる。
今は国土が広がり、各辺境伯の領土も国の一部となって、色々な特徴が混じるのが普通だが、ケイトリンのように白い肌、真っ直ぐの黒髪は古い家柄の象徴のようなものだった。
晩餐が終わり、寝る時間になってもエリザベスはいつまでもケイトリンから離れなかった。




