26.王都での噂
エリオットとの婚約が解消されてから、二年が過ぎた。
ケイトリンはほぼ二年ぶりに王都の屋敷に戻って来ていた。
兄ロベルトの結婚式のためだった。
ロベルトは元歌姫のソフィティアと、一年前に婚約が整い、この日、神殿で誓いを立て、翌日、屋敷で披露宴が行われることになっていた。
ケイトリンは一年前の婚約式には欠席し、お祝いの品だけ送った。
披露宴には欠席し、神殿での誓いの後すぐに領地に戻るため、両親に挨拶し見送ってくれた兄夫婦に別れの挨拶をした。
「お祝いの席を欠席して、ごめんなさい。私はこれから先もいないものとして考えてくださるとありがたいです。」
ケイトリンは丁寧に頭を下げた。
家族たちは、ケイトリンは社交から外れたものとして扱っていたので、大きな反対はされなかった。
「あの、ケイトリン様。」
ソフィティアが意を決したように、ケイトリンに言った。
「このようなところで、お話すべきことではないのですが、どうしてもお顔を見てお話ししなければいけないことがあります。」
ソフィティアは真剣にケイトリンに言った。
「私は歌姫だったクラウディア嬢と同期。それなりに親しく、今でも付き合いのあるものです。」
ケイトリンは、小さく頷いた。
事前にその話は知らされていた。婚約の際に、心得ておくように、と兄から連絡が来ていた。
今回、披露宴を欠席するのはそのせいではない、とソフィティアには手紙で謝罪していた。
自分は社交ができない。勝手を言って申し訳ない。
人の中に入ると体調が悪くなってしまう。せっかくの祝いの場を乱しては良くないので、欠席させてほしいと申し出て、了承されていた。
「単刀直入に言います。クラウディア嬢に嫌がらせするのはやめてください。ご婚約が破綻して二年。恨みに思うこともあることは存じてますが、あなたの方から解消を申し出られたと聞いてます。それならば、すっぱりとお二人から、手をお引きください。社交界に悪評を流し、クラウディア嬢を貶めるようなことをエリオット殿下の耳にこっそりと入れるような真似は、卑怯です。あなただけでなく、このアーロン家にも泥を塗ることになります。」
社交にもでない世間知らずなケイトリンには、社交界の噂の怖さは知らないだろう、とソフィティアは苦々しく思っていた。
ロベルトからは、ケイトリンは不出来で社交に出せないので領地に引っ込んでいるのだと聞いていた。
静養を理由にしているが、もうすっかり治っていて、実は隣接するユティア公爵家の家庭教師を勤めているのだと。
ロベルトもソフィティアから、この話を聞かされていた。
あのケイトリンがそんな巧妙な真似をするだろうか、とロベルトは思ったが、結婚前でせっかく手に入れた歌姫のご機嫌を損ねないように、話を合わせていた。
ケイトリンは怪訝な顔をした。
「あの、お話がよくわかりません。私が社交界に噂を流しているのですか?」
「クラウディアがそう嘆いています。わざとエリオット殿下の耳に入るように、隠れて。ケイトリン様は昔から王宮に出入りされていたから側近の方とも懇意にされていて、その方たちを通じてお耳に入れているのではないか、と。そうでないとあなたとのご婚約解消後、歌姫を引き、妃教育のために頑張っているクラウディアを蔑ろにするはずがないと。」
ケイトリンは言葉に詰まった。
頭が痛い。そっとこめかみを抑えた。
クラウディアは妃教育のため歌姫を引いたが、エリオットの態度は冷たくなっていった。
今まで、夜会や個人的な誘いで連れ出してくれた観劇も誘われることが少なくなった。
クラウディアに施される教育の一環で、会うのは王宮のみ。
前回の婚約解消後すぐにというのは外聞が悪いため、一年間は身を清くして付き合うように、と国王陛下からのお達しがあった。
エリオット自身も将軍ロードティア大公への養子の話が本格化して、社会的な立場を持たされた。
身辺が忙しくなり、個人的に人と会う時間も自然と制限されていった。
ロードティア大公家に養子に入ることは、ケイトリンと婚約する前から話は進んでいた。
だが、それさえもケイトリンが張り巡らせた陰謀だとクラウディアは憤慨し、あちこちで吹聴していた。
公表されていないものを本来なら知り得ない立場のクラウディアが吹聴するな、と王宮から注意を受け、膨れていた。
あまりにも王宮での妃教育が厳しすぎるのも、ケイトリンのせいだ。とクラウディアはこぼした。
歌姫としての教育は、その使命である音楽に偏る。淑女としての最低限のことも学ぶが、クラウディアは歌姫として年数は浅く、実家での教育が元になっている。
その質はケイトリンより高いとは言えず、王宮での再教育は必至だった。
そして早々に根を上げた。
エリオットは駄々をこねるクラウディアに、1年も立たず冷たくなり、最近では夜会にも別の女性と連れ立って出ていた。
結局一年たっての婚約も成立せず、事実上、二人は破綻していた。
だが、その内情をエリオットからも王宮からも公に説明されることはない。
ケイトリン、とロベルトが呼んだ。
「殿下のいとこ君のユティア公爵令嬢の家庭教師をしていることも、クラウディア嬢は知っているようだ。姫を通じて、殿下にクラウディアの悪評を耳に入れているのではないか、と。まさかとは思うがそのようなことはしていないだろうな。」
ケイトリンの顔色が変わった。
「そんなことをしようはずがありません。」
ケイトリンは顔を上げて、ロベルトを見据えた。
「お兄様、セシリア姫はまだ10歳の少女です。そんな方に、社交界の醜聞など耳に入れるはずがありません。ただでさえ、私と同じ、人なかに入ることが苦手でご領地におられるというのに。エリオット殿下にお会いされたことも、片手で数えるほどだと聞いております。そのような方が、どのように殿下に通じられるのですか?」
ケイトリンは生まれて初めて怒りを感じた。
「私は殿下とのご関係を、姫にお話ししたことはございません。公爵家との契約でも、このことを伏せることを条件に雇っていただいてます。お会いしたのが、解消の直前でございましたから。それなのに、姫を使って嫌がらせなど、できようはずもありません。王族を利用したなど、噂であっても不敬。公爵の耳に入れば、ただではすみませんよ。」
ケイトリンに言われて、ソフィティアは背筋を伸ばした。
改めて指摘され、ロベルトも口を結んだ。
女傑と言われるユティア公爵。議会内でもその発言力は強く、国王陛下を抑えるほどの力を持つ。
「どうぞ、お調べになってくださいまし、お兄様。私が領地からどこかへ手紙を出しているかどうか。私は普段、ユティア領地におりますが、私的な手紙は領屋敷を通じて受け渡しをしております。そして、セシリア姫が王族でどのような扱いにおられる方なのか。私が知る限り、セシリア姫は王宮にお手紙など出されません。セシリア姫は文字が書けないのです。」
ロベルトは、ハッと息を飲んだ。
それは禁忌だ。
ロベルトはうっすらと聞いていた。
とても変わった妖精姫。
現実と夢の間を行き来して、まともに会話ができない。世間ではあれを白痴と言うのだ、と口の悪いものたちが噂していた。
だからこそ王族はセシリア姫の存在を、奥深く隠す、と。
父親のアーロン伯爵はそれは根も葉もない噂だと一蹴した。伯爵は別の真実を知っているに違いなかった。
「それでも、私を不審に思われるなら、いつでも追い出してください。私がいることで周りの方が不幸になるようなことは望んでいません。そんなことになるぐらいなら、外国へでも出ます。手紙もろくにつかない場所へ。きっと領地が近すぎるから、そのような噂が立つのでしょう。」
ケイトリンはため息をついた。
自分だけでなくセシリアまで。あの純真無垢な妖精姫を汚すことは決して許されない。
ロベルト夫婦は、初めて見たケイトリンの怒りにかおを見合わせた。




