13.失くしてしまった分も
雪が溶けて、ケイトリンは馬に乗るようになった。
毎日少しずつ馬に乗る時間を増やして、いずれは一人で領内を回れるようになりたかった。
領内の見回りは世話人の仕事だったが、ここにケイトリンがいる限り、主家のケイトリンがその仕事をするべきだと思った。
ブライアンはケイトリンの遠乗りに必ず付き添ってくれた。どうやら、剣術の指南だけでなく護衛としても雇われていたらしい、とケイトリンは気づいた。
ということは、彼を撒かないと死ぬこともできないのだわ。
ケイトリンは皮肉に笑った。
前回の生よりもずっと不自由な世界。
生きるにも死ぬにも監視がついて、誰かに報告されている。
いつか、自由になる時が来るのかしら。
繰り返す苦しみから。
陥れられる恐怖から。
生きている限りつきまとう記憶。
その轍を踏まないようにうまく逃げて、自らが納得した人生を終えることができるのだろうか。
ケイトリンはまだ寒い風に吹かれながら思った。
実家からも、王家からも連絡はなく、ケイトリンは穏やかに暮らせていた。
時間はかかりながらも屋敷の中で働くことを覚えた。
時々、記憶を思い出し頭痛や体の痛みを感じた。その度に休憩をしなるべく庭に出たり、剣を振ったりして記憶を振り払うようにした。
ずっと、このまま。
この生で初めて、穏やかに過ごしている気がした。
家族と離れることで、こんなにも心が安らぐことに罪悪感はあったが、あの気が狂いそうな重圧から逃れられたことを、安堵していた。
ここにいれば、いつかあれは夢だったのだ、と笑える日が来るのかもしれない。
二度と王都に戻る気はなかった。
未だ婚約が解消されたと連絡はないが、そんな日が来るのもそう先の話ではないだろう。
そうすればエリオットとも縁が切れ、王都に戻らなければ、すれ違うこともない存在になる。
そうなった時がやっと、運命から逃げる第一歩。
そこからさらに、今度は噂も聞こえない場所へ逃げなければいけない。
いつか、そんなふうにまた旅立たなければいけない日がくるだろうが、今はまだ始まったばかりの穏やかな生活を噛み締めていたかった。
「なんか、匂うな。」
ケイトリンと横に並んだ馬の上で、ブライアンが言った。
匂う?ケイトリンが不思議にブライアンを見ると、ブライアンと世話人が風上を凝視していた。
ケイトリンはその目線の先を追った。
目線の先にあったのは、村。
風上になるその村から、うっすらと煙が上がった。
火事だ!
ブライアンはとっさに馬の腹を蹴った。
ケイトリンと世話人は、出来るだけ早く村に向かった。
村に着くと、匂いが強くなり、燃えている家にさすがに人々が気づいた。
村の人々が世話人に気づいて、取り囲み、口々に火事だ!火事だ!と騒いだ。
子供が中にいるんだ!
そうケイトリンの耳に聞こえた時、燃えている家の窓に子供の影が見えた。
子供が!
ケイトリンは叫んだ。
「だめだ。危ない、お嬢様。下がってくれ。」
ブライアンが上着を脱いで、そのまま屋敷に入っていった。
死なせはしない。
死ぬのなら、私が。
ケイトリンは目の前にあった井戸から水を汲み、頭から被った。何回も繰り返して体を濡らし、バケツに水を汲んで屋敷に走った。
子供の泣き声が聞こえていた。
うるせえ!泣くな!ブライアンが叫んでいた。
声のする部屋に入ると、ブライアンが片手に赤ん坊を抱き、もう一人の子供をタンスから下ろそうとしていた。
「ブライアン!行ってください!私が連れて行きます!」
ブライアンの服が燃えていた。ケイトリンはブライアンに水を被せて言った。
「お嬢様!なんてこった!」
「行ってください!さあ!飛び降りなさい!死にたくないでしょう!」
タンスの上で泣き叫ぶ子供に、ケイトリンは大きな声で言った。
あたりは白く、熱で息が苦しい。
子供はケイトリンの声に、わあ、と泣いて飛び降りてきた。
抱きとめ切れず、ケイトリンは子供ごと倒れた。すぐに立ち上がり、部屋を飛び出した。
部屋の外は火の手が回っていたが、ケイトリンは子供の口を押さえて夢中で扉に向かった。
あたりが白から透明に変わった。
助かった。
そう分かって、子供とともに地面に倒れた時、ボン!という爆発音とともに、出てきた扉から炎が噴き出した。
お嬢様!!
ケイトリンを呼ぶ声がして、だれかがケイトリンの体を引きずったのが分かった。
バシバシと背中を叩かれ、水を被せられて、どこかが燃えていたのだとわかった。
「お嬢様!大丈夫か!」
意識ははっきりしていた。
獣臭い。何かが燃える匂いが離れなかった。
ケイトリンの長い髪が燃えていた。
それにケイトリンが気づいたのは、屋敷に帰った後だった。
火事の顛末を聞いたリアネットとマーサは泣いていた。
「お願いですから、無茶なことをなさらないでください。なんてこと。髪が。お嬢様の髪が。」
リアネットは蹲って泣いた。
ブライアンが先に助け出した赤ん坊は、その後、死んでまったと聞いた。
ケイトリンは弔いに行きたいと言った。
屋敷の者たちは、いい顔はしなかったが、ブライアンが連れて行ってくれた。
埋葬された墓地を、助けた子供とその家族が案内してくれた。
申し訳ございません。と家族は泣いていた。自分たちの不注意で、お嬢様を危険に晒し髪までと謝られ、ケイトリンは頭を振った。
「命に比べれば、こんなもの。」
とケイトリンは呟いた。
ここにいるみんなが、自分を責めている。
両親は子供だけで残していたことを悔やみ、兄弟は逃げ遅れたことを悔やみ、そしてブライアンも自分も、もっと早く助けに入らなかったことを悔やんでいる。
ケイトリンは助けた子供を抱きしめた。
「あなたがいてくれて良かった。助かってくれて、良かった。あなたもいなくなったら、お父様たちは生きていけないわ。自分を大事にして。失くしてしまった命の分、あなたが生きるのよ。」
子供はひくひくと泣きながら、ケイトリンを抱きしめた。




