11.初恋は実らない
領地へ出発する前の日、ケイトリンは家族と最後の晩餐を取った。
議会はまだ開かれていて、社交のシーズンは終わっていないが、ケイトリンは領地へ行かせてくれ、と両親を説得した。
晩餐では、またエリオットがクラウディアを連れて夜会に来たことが話題になった。ケイトリンはもう、怯えた顔は見せず、俯いたままだった。
兄のロベルトは不満そうに眉を寄せた。
「本当に王家に解消を申し出るのですか?お父様。国王陛下がどのように思われるか。」
「婚約したてだというのに、あまりにも非礼だ。陛下もエリオット殿下を叱責したそうだ。むしろ、こちらからそれくらい言わないといけなくなった。」
「ですが、それを真に受けて本当に解消されたら…」
「それはそれでいい。早いうちに解消してもらった方が、次が探せるというものだ。今の状況は、どこの誰が見ても、エリオット殿下に非がある。王家や議会から誹りを受けることはない。」
「よろしいのですか?神殿との距離を保つための措置なのですよ?」
「それは、王家が考えることだ。」
アーロン伯爵はケイトリンをみた。ケイトリンは黙って俯いていた。その顔には悲しみも喜びもなかった。
自分とはなんの関係もない話を、聞いているだけの様子に伯爵は小さく息をついた。
ケイトリンの中では、すでに済んだことになっている。
「すぐに解消されるかどうかわからない。今はケイトリンの身体を治すことが先だ。ケイトリン。」
呼ばれて、す、とケイトリンが顔を上げた。
こんなに涼やかな顔の子だったろうか。伯爵は思った。
ケイトリンと話をして以来、ケイトリンとの関わりを思い出していた。
人の一歩先を行く利発さのあるロベルトにいつも気をとられ、ケイトリンの謙虚さに気づいていなかった。
人より一歩後ろに下がっていることが、もどかしくあった。
だが、その下がったところから、彼女はちゃんと見ていたのだ、と気づいた。
「心安らかに過ごしなさい。お前が大丈夫だと思うまで、領地で過ごせばいい。殿下のことは心配するな。私たちでなんとかする。長い間、王家に忠誠を誓った我が家を、無下に扱うことはない。だが、簡単には解消できないかもしれない。陛下は今回のエリオット殿下のことはたいそうお怒りだ。そして、お前の身体のことも心配しておられる。できれば身体を治して、婚約は続けてほしいとお思いだ。」
ケイトリンの顔が曇った。
「それでも、結婚を無理強いすることはないと、おっしゃってくださっている。何年でも待つと。今は想像できないだろうが、人は変わる。5年後、お前たちが結婚に見合う年になった時、お前たちは今とは全く違う人間になっているかもしれない。今のこの時を、若気の至りと笑えるような、そんな間柄になっているかもしれない。」
ケイトリンもエリオットもまだ15歳だ。まだ幼い、半分子供のような存在。だが、婚約が早すぎたとは思っていなかった。
長い婚約期間を設けて、20歳前後で結婚することもよくある話だった。
2人の場合もそうなる予定だった。
エリオットは王軍に入ったばかり。今から訓練を経て、ゆくゆくは前王弟ロードティア卿の跡継ぎになる予定だった。
ケイトリンも社交界にデビューしたばかりで、今から本格的に貴婦人としての役割を果たす時だった。
「両陛下はお前のことをとても心配しておられた。そして、謝っておられたよ。わがままな息子ですまないと。でも、だからこそ、お前のような我慢強い娘が良かったのだと。お前が望むように、すぐには解消できない。だが、もう気にすることはない。一旦王都から離れ、綺麗な空気を吸って元気になりなさい。そうすれば、お前も殿下と向き合って話ができるようになるかもしれない。」
伯爵は、ケイトリンに領地に行く前にエリオットと話し合うことを勧めた。だが、ケイトリンは拒んだ。
今は本当に、誰とも話しができない。王宮に行くのも怖い。と言った。
エリオット自身より、エリオットの側に侍るマシューの目が怖かった。
エリオットにも、なんと言っていいかわからなかった。
結局、二人が解消を望んでも、この婚約は家同士の決めたこと。最初から最後まで、二人の意思は入っていない。
解消を望んで喜んでくれるかもしれないが、自分に関心がないことをその目で確かめることは、虚しさしかない。
晩餐の後、退出したケイトリンをロベルトが引き留めた。
ロベルトとは、新年の夜会以来初めて顔を合わせた。およそ二十日ぶり。
ケイトリンが体調不良を理由に領地の屋敷に移ることを知らされたのは、つい先日だった。
「ケイトリン。お前。」
申し訳ございません。お兄様。とケイトリンは頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。」
「いや、お父様のいうとおり、エリオット殿下はやりすぎだ。王家もあのようにおっしゃってるし、私たちが非難されることはないだろう。だけど…。」
ロベルトはケイトリンの青白い顔をみた。
いつもケイトリンは髪を長く下ろしていた。真っ黒な髪は、白い顔をさらに白く見せている。
「エリオット殿下のことを、恨んでいるのか?」
ロベルトから見たケイトリンは、この婚約のことを受け入れていた。少し遠巻きながらも彼に好意を持っているように思えていた。
裏切られ、恥をかかされて、愛想が尽きるのは理解できる。
だが、貴族であればそこで引き下がるのではなく、毅然として奪い返すぐらいの気概がほしかった。
「……いいえ。」
ケイトリンは悲しそうに笑った。
「私の初恋です。」
記憶にある限り、生を受けてから、愛した人はただ1人。
振り向かれないとわかっていても、求めずにはいられなかった。
どんな生の時も。
ケイトリンはエリオットを想った。
ケイトリンの前のエリオットはいつも遠くをみていた。いつも自分より高い位置にいて、明るい表情で、自分を通り越した外の世界を見ていた。
その目は決して自分に向けられることはない。どんなことをしようとも。近づいても、遠ざかっても、非難しても、慰めても、彼の愛は自分には来ない。それなのに、どうして、好きになってしまうのだろう。
エリオットは間違いなく、ケイトリンの初恋だった。
王宮でどれだけ理不尽ないたずらをされても、エリオットの側に行けることが嬉しかった。仲間だと認識されてなくても、話しかけられると心が浮き立った。
彼に認められたい。
ひたすらそう思い、勉強に励んだ。
婚約者に選ばれた時は、純粋に嬉しかったのだ。
その時は、王子妃など遠い未来のことなど、考えもつかなかった。彼の特別な存在になれたことが、ただただ嬉しく、デビュタントでダンスを踊れることが誇らしかった。
その存在が自分にとって、死の引き金になるなんて。
あの頃の自分はどれだけ幸せだっただろう。
記憶が蘇る以前の自分が、もう何十年も昔に思えた。
「陛下は待ってくださると言ってくださっている。それならば、何も解消しなくても。」
ケイトリンは頭を振った。
「私は、殿下にふさわしくありません。このアーロンの家にも。」
ケイトリンはロベルトを見た。
「お兄様もそう思うでしょう?」
「それは、もっと体を治してから……。」
「いいえ。無理です。最初から、無理だったのです。私が貴族の家に生まれてきた、そのことが間違いだった。こんな不出来な娘が貴族社会で生きていけるはずもない。」
「ケイトリン……」
「本当に申し訳ないと思ってます。だからこそ、早く舞台から降りたい。これ以上、皆さんに迷惑をかけないように。」
ケイトリンは悲しそうに微笑んだ。
「知ってますか?お兄様。初恋は実らないそうですよ……。」




